第96話 星空と、普通。
夕食が終わり、食器を片付ける音が無くなると悠貴の耳に入ってくるのは暖炉から聞こえてくるパチパチという火の音だけになった。
コテージ周辺の見回り。2階の窓からの見張り。前の襲撃から数日経っていたが、またいつ影の獣たちが襲ってくるとも限らない。佑佳と憲一はゆかりや宗玄の治癒魔法のお陰で体を動かせるまでには回復した。そうして2人を加えた10人全員で交代で周囲を警戒していた。
襲撃に備えて夕飯は交代で半分ずつで取ることになっていた。悠貴は火の番も兼ねて暖炉の前に座る。夕飯を共にした佑佳と憲一は仮眠をとるために寝室へ上がっていった。食器を洗い終わったゆかりが悠貴の横に座る。
「ふふ。悠貴君、眠い?」
火の前でうとうとしていた悠貴にゆかりは笑って声を掛けた。
「大丈夫です……、あと2時間、俺が火の番なんで……。そしたら仮眠とれますから」
言った悠貴は体を伸ばして眠気と戦う。他の研修生たちだって疲れている。弛んでいては示しがつかないし、頑張ってくれている他の9人に申し訳ない。
うーん、と少し考え、首を傾げたゆかりが口を開く。
「そう? あ、じゃあよかったら眠気覚ましに少し外で話さない?」
ゆかりにそう言われた悠貴は頷いて立ち上がる。そろそろ外の見回りもしなければと思っていた所だった。薪はさっき新しいものをくべたし、暫くは暖炉から離れていても大丈夫だろう。
2人はローブを羽織り、山小屋から出る。夕方までは断続的に雪が降っていた。陽が落ちきってからは雪は止み、今は雲もなく、澄んだ夜空が広がっていた。
テラスの手摺まで進むゆかり。
「うわぁ……。星、凄いね……」
ゆかりは空を見上げながら声を上げた。ゆかりの横に並んだ悠貴も倣って空を見上げる。確かに見事だった。
澄んだ冬の空からは今にも星が降ってきそうだった。
「眞衣ちゃんのこと……、良かったね」
悠貴と眞衣の距離は一緒に滝まで見回りをしてからぐっと近くなった。それは周囲から見ても一目瞭然だった。
「はい。心配かけてすみませんでした。でもゆかりさんのお陰で仲直り、いや、違うか、別に喧嘩していた訳じゃないし……。ちゃんと話すことができました」
空から目線を戻し、悠貴を見たゆかりは微笑む。
「全然だよー。私はただ2人でちゃんと向き合って話す機会作ってみたら、って言っただけだから。ふふ、でもびっくりしたわよ。悠貴君からいきなり、眞衣ちゃんとのことどうしたらいいかって相談されて」
ゆかりにそう言われた悠貴は少し恥ずかしくなった。佑佳や憲一とは打ち解けることが出来ていたが、眞衣とはそうはならなかった。聖奈を人質に取られ対峙するというかなり衝撃的な場面は否が応にも自分と眞衣の間に壁を作ってしまった。
そんな風に悩んでいた悠貴にアドバイスをしたのがゆかりだった。一度見回りに託つけて眞衣と2人で話す時間を作ってみたらどうか、と。
「それでもゆかりさんのアドバイスのお陰でちゃんと眞衣と話すことができました。ありがとうございます」
照れを隠しながらそう言った悠貴に、どういたしまして、とゆかりは静かに笑って返した。そして、改めて夜空に顔を向け直した。
「それにしても1日で変わるものねぇ、女の子って。あ、眞衣ちゃんの場合は1日どころか1、2時間で……か。あんなに気まずくしていたのに、今では口を開けば、悠貴さんが、悠貴さんが、だもんね」
「単純すぎるんですよ、あいつが」
「あらあらっ。変わったのは眞衣ちゃんだけじゃなくて悠貴君もね。あんなに気まずくしていた年下の女の子をあいつ呼ばわりだもんね」
「ゆ、ゆかりさんっ……」
いよいよ照れが隠しきれなくなった悠貴。夜空を見上げる様にして顔を逸らした。このままでは良いおもちゃにされるだけだ。悠貴は話題を変えようとする。
「そ、そういうゆかりさんは他の皆、特にG3の人たちとは上手くやっていけてるんですか?」
唐突に悠貴にそう聞かれたゆかりは、うーん、と口に手を当てて考え、
「私は普通よ、……誰とでも普通。そう、普通。──私ね、普通なんだ……」
普通、と繰り返したゆかりの表情が変わる。夜空を見上げるゆかりの目。遠い目になった。ゆかりが何を言いたいのか分からなかった悠貴はどう返していいか分からなかったので、何も口にしないことでゆかりに先を促した。
「ふふ。こいつ、なに言ってるんだって顔してるね。言葉のままだよ。私ね……、本当に普通なの。自分でもびっくりするくらいね。小学校からずっと、勉強もスポーツも身長もちょうど真ん中くらい。普通に友だちもいて、普通に遊んで。先生に進められた地元の大学に進んで、そのまま地元の小さな会社に入って……。あ、もし全日本普通選手権なんてのがあったら上位入賞が出来るかもっ」
手をぱんと合わせて自嘲するゆかり。微笑んではいるものの、やはり悠貴にはゆかりはどこか遠い目をしているように思えた。
「その……、俺には何て言ったら良いか分からないですけど、嫌なんですか? 普通って」
問われたゆかりは星空から目線を戻し、うーん、と小首を傾げて考えるような素振りをする。少しあって口を開いた。
「……うんうん。私は好きよ、この自分の普通さ、平凡さがね。目立つの苦手だし、普通に埋没してるくらいが私にはちょうどいいんだ。でもね、そんな私でもたまに思っちゃうんだ……。私にも、何か、できることないのかなって……」
悠貴にはゆかりの気持ちが分かるような気がした。自分もそうだった。スポーツは得意な方だし、勉強でも苦労したことはない。学年ではいつも上位だったし、だからこそ難関大学を受けたし合格もした。しかし、大学に入ってからは周囲のレベルの高さに圧倒された。魔法士の存在にも……。それからだった。自分は実は結構普通な奴だ。そう思うようになったのは。
悠貴が押し黙るようにしたのでゆかりは続ける。
「実はね……、親から紹介された男の人がいたんだ。親の、知り合いの人の息子さん。お見合いだよね。大時代的だなって思ったけど、このまま独りで生きていくのも寂しいなって思って。それでね会ってみたよ、その人に。純朴そうで、凄くいい人だったよ、私なんかには勿体ないくらいの。この話、受けようかなって考えた時に、また思っちゃったんだ。このまま結婚して、夫婦になって、その……、お母さんになって、子供育てて、お婆ちゃんになって、そしてお疲れ様って死んでいくの。あぁ、やっぱり私、普通なんだなって。そんな時だったの。ある日突然、魔法が使えるようになったのは。普通な私が普通じゃなくなったの」
そう言ったゆかりの表情。何とも言えないものだった。悠貴にはゆかりが魔法を使えるようになったことを喜んでいるようにも悲しんでいるようにも見えた。
「じゃあゆかりさんも、魔法士になれて、良かったですね……」
「うん……。そう……だね。でもね、それと同時に思うの。何で私だったんだろう、って。私より凄い人、ちゃんとしてる人なんて沢山いて、それこそ今日の空みたく星の数ほどいて、そういう人たちが魔法を使えるようになった方がいいのにね……。神様って悪戯好きなんだね」
ゆかりはそう言って笑った。悠貴の目に映る、ゆかりの笑顔。冬の夜空のような笑顔だった。
悠貴の視線に気付き、
「あ、ごめんね……、なんだか変な話をしちゃって……。今はね、私、楽しいんだ。こんな状況で何言ってるんだって思うかもしれないけど……、必要とされて、してあげられることがあってさ。あぁ、私、ここに居ていいんだなって」
言ったゆかりはくるりと回転し、手摺りに背をつけて寄っ掛かった。軋む手摺りの音。不思議と悠貴にはその音が心地よく聞こえた。
悠貴は思う。やはりゆかりは自分と似ている。どこか普通な自分に安住している自分。安住しているにも関わらず、本当にこのままでいいのかと自問自答する。そして逡巡する素振りは見せて、それでも安住する自分をどこかで嫌悪する自分。
「俺も……、同じですよ」
ゆかりと、自身に向かって悠貴はそう呟くように言った。
ゆかりは悠貴の言葉に腕を組んで唸る。
「うーん……、それは……、どうだろう。悠貴君は私とはちょっと違うかも、だよ? 悠貴君はホント凄いよ? 風の魔法もそうだし、こんな大変な時にちゃんと皆のことを纏められて……。悠貴君が普通だったら、私、全然普通なんかじゃなくなるよぉ」
ローブの袖を口に当ててゆかりは笑った。
そうですかね、と聞いた悠貴に、そうだよ、とゆかりは返した。それきり2人は黙って夜空を見上げた。
「うぅ、寒いね、やっぱり外は……。そろそろ戻ろっか。話聞いてくれてありがとねっ。なんか、悠貴君の眠気を覚ますために外に出てきたのに、これじゃ私が話すために外に連れ出した、みたいになっちゃったね、あはは」
最後に渇いた笑い声を添えて言ったゆかりに悠貴は軽く首を横に振った。
「そんなことないです。むしろ俺の方こそ眞衣のこと……」
悠貴の言葉が途切れる。
悠貴の目に映る、……森。
暗くて奥までは見通せない。しかし、森で蠢く紅い光を悠貴は見逃さなかった。そして、感じられる魔法の鼓動。
テラスを降りた悠貴は魔装して森と対峙する。
「ゆ、悠貴君……。いきなりどうし……」
ゆかりが言い終わる前に、悠貴が森と対峙した理由が次々と姿を現す。影の獣。紅く光る目と牙が暗闇が包む光景の中で際立つ。
「ゆかりさん! 俺が食い止めます! 皆に知らせてください!」
悠貴が叫んだのと同時にゆかりは山小屋の中へ駆け出した。
今話もお読み頂き本当にありがとうございます!
次回の更新は12月14日(月)を予定しています。
宜しくお願い致します!




