第94話 カルネアデスの板 Ⅸ
「眞衣!」
窓の外を見て悠貴が叫んだのと、窓のガラスが割れる音に反応して眞衣が振り向いたのはほぼ同時だった。
突如として現れた黒い影の侵入者。
「キャーーーー!!」
眞衣が悲鳴を上げると同時に、一度着地した影は眞衣に向かって飛び掛かる。
悠貴は側にいた聖奈を部屋の奥に押しやり、眞衣へ向かって駆け出す。身が竦んでいる眞衣を突き飛ばす。悠貴に突き飛ばされた眞衣は横のベッドの上に倒れ、そのまま転がり、床へ落ちた。
立ち上がろうとする悠貴。腕に痛みを感じた。黒い影が腕に噛みついていた。咄嗟に魔装し、逆の手でなぎ払おうとする。影はそれをかわして離れた。
悠貴も下がり、窓の近くから距離をとる。
腕から伝わる鈍い痛みに耐えながら悠貴は声を上げる。
「眞衣! 大丈夫か!?」
悠貴は対峙する影を警戒しつつ眞衣の姿を探す。眞衣はベッドの側から這って進み、部屋の奥に逃れ聖奈の横にいた。
「は、はい!」
届いた眞衣の声に安堵する悠貴。改めて影を見据えて対峙する。影は犬にも狼にも似ていた。最初は野犬の類いかとも思った。しかし……。打ち破られた窓から次々に寝室に侵入してくる異形の群れ。その一匹一匹の目と異様に大きい牙が紅く光る。明らかに普通の生き物ではない。そして、影の獣たちからは魔法の力を感じる。
怪我が治り切らず満足に動けない佑佳、憲一。影の獣たちが部屋に乱入してきたときに窓の側にいた。逃げ遅れ、壁際に追い詰められていた。その2人を助けようと真美と琥太郎が魔装して2人と群れの間に割って入る。飛び掛かってくる影の獣たちに片っ端から魔法を放つ。
真美や琥太郎の魔法で何匹かの影の獣が倒される。倒れた影の獣は息絶えると黒い粉のようになり、その粉も直ぐに消えていった。
「み、皆ー!!」
様子を窺っていた眞衣は声を上げ、仲間を助けようと駆け出す。しかし、吹き飛ばされ粉々になった窓の枠に足をとられ転んだ。
その隙をついて影の獣が眞衣に飛び掛かる。手を翳して盾を作って防ごうとするが、迫る影の獣に焦って上手く盾を作ることが出来ない。
(……ダメ、間に合わない……)
眞衣は目を閉じて両腕で身を守り、来るべき衝撃に備える。しかし、……何も来ない。
恐る恐る目を開く。眞衣の目に悠貴の背が映る。
「G3の5人を守れ!」
魔装する悠貴は眞衣の前に立ち、襲い掛かる影に魔法を放つ。
悠貴の声を合図にG1の残りの4人が動き出す。
宗玄と俊輔が、真美と琥太郎の援護に入る。4人で襲い掛かってくる影の獣たちに魔法を射掛ける。その後ろで戸惑いながら踞る佑佳と憲一。
「2人ともこっち!」
ゆかりが佑佳と憲一に向かって叫ぶ。一瞬、躊躇した2人だったが、顔を見合せゆかりの方へ向かって駆け出す。その2人を追ってきた影の獣に魔法を放つ悠貴。
「ゆかりさん! 2人を下へ!」
ゆかりは悠貴の声に頷き、佑佳と憲一に治癒魔法をかけながら部屋から退く。
目の前の影の獣と戦う悠貴。正面から襲い掛かってきた獣に風の魔法を放つ。真っ二つになった骸が床に落ち、やはり黒い粉のようになって消えていった。
そうやって次々に影の獣を倒していく悠貴たち。
しかし倒しても、それと同じ数の獣が部屋に押し入ってきた。
「クソ……、キリがねぇな!」
叫ぶ俊輔。
ふと、悠貴は獣たちが入ってくるのとは別の窓から外の光景を見た。
(まだ外にあんなに……)
一匹一匹は強くない。戦いを有利に進める悠貴たちだったが、誰の顔にも余裕はなかった。
「悠貴君! このままじゃ防ぎきれなくなる!」
真美は目の前の一匹を片付け、悠貴に向かって叫ぶ。
言われた悠貴にもそれは分かっていた。まだ外にあれ程の新手がいることを考えると追い詰められていくのは自明だった。
(一気に外の連中を片付けられれば……)
ふと、悠貴の目に映る戦う聖奈の姿。明らかに力をセーブしながら戦っているのが分かる。屋内で戦っていては天声の姫とまで字された聖奈の力を全力では使えない。
「住職、聖奈! まだ外にやつらの仲間がいる! 聖奈が本気で魔法を放てば一網打尽にできる! 外のやつらを頼む!」
宗玄と聖奈は顔を見合せ頷く。
「うむ、しかし、どうやって……」
悠貴の言うように聖奈の魔法を使って外の敵を一気に排除するとなれば、上から敵全体に向かって魔法を放たなければ……と宗玄が考えていた時、
「住職! あれ! あそこから上に出られるかも!」
聖奈が指した先。よく見ると縄梯子があった。
「よし、上に出るぞ! 行くぞ、聖奈!」
縄梯子に向かって駆け出す宗玄と聖奈。
その動きに何匹かの影の獣が反応し、行く手を阻もうとする。
「させるかよ! お前らの相手は俺様だ!」
と俊輔が壁になる。
「聖奈と住職が外の連中を片付けるまでの辛抱だ! それまで持ちこたえろ!」
悠貴は叫んで周囲で戦う仲間を鼓舞した。
宗玄は縄梯子を上りきる。屋根裏部屋に出た。先に上っていた聖奈は屋根へと続く天窓を開けようとしている。
「住職! 早くっ、こっち!」
聖奈独りの力では開かなかった天窓。2人で、せーの、とタイミングを合わせて力を込める。バタンと勢いよく開く窓。2人して勢いよく上半身が屋根の上に躍り出た。改めて窓枠に足をかけ、宗玄と聖奈は屋根へと上がった。
2人は支え合いながら屋根の上を歩く。そして、悠貴が言ったように影の獣たちが見えてきた。
西陽を映す雪の上、何匹かの影の獣が宗玄と聖奈の姿を見留め、威嚇とばかりに吠えてきた。
「聖奈や……、準備は良いか!?」
「いつでも!」
頷きながらそう言った聖奈は既に魔装している。そして、両手に魔力を集中させる。
「はぁーーー!」
宗玄の念動の魔法。聖奈がふわりと浮く。そして、宙を舞い、掛け上がっていくように空へ上り、影の獣たちの直上に達する。
(……絶対に、皆を……助ける!)
思った聖奈は地上に張り付くようにして群れている影の獣たちへ向けて両手を翳す。
──呼べる。
心でそう思った聖奈。
心に浮かんだ言葉をそのまま発する。
「──修祓の御柱!!」
刹那。聖奈から放たれた稲妻の奔流は辺りを照らし、影の獣たちは天を見上げた瞬間に光に飲み込まれ消えていった。
光が消え、轟音が収まる。
影の獣たちがいた辺りは最初からそうであったように大きな穴になっていた。
屋内に残っていた影の獣たちを片付けた悠貴たち。1階のテラスへ出て歓声を上げる。
「いかん!」
宗玄が叫ぶ。聖奈の余りにも強力な魔力が聖奈の身体を空に浮かばせていた宗玄の魔法を打ち消す。聖奈は地上へ落下していく。
「聖奈!」
駆け出す悠貴。
魔装の力を借りて落下する聖奈をキャッチしてそのまま聖奈が作った穴の中を転がっていく。
土にまみれる悠貴と聖奈。
「ふぅ……」
息をつく悠貴。腕の中の聖奈は気を失っているが大丈夫そうだ。取り敢えずは助かったか、と笑みを浮かべる。安心して緊張が解けた。眞衣を庇ったときに獣に噛まれた腕。鈍い痛みが襲ってきた。視界が狭まっていく。
(皆……、無事だったか……。良かった……)
遠くから自身の名を呼ぶ声が聞こえた。俊輔と真美の声のように聞こえる。
悠貴の意識は遠退いていった。
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「あら……」
少女は驚きの中にも微かな喜びの声色を混ぜ、そう言った。
雪に自身の魔法を纏わせて形作った黒いウサギと戯れていた。
少女が纏うのは魔法士のローブ。漆黒のローブは暮れなずむ景色のなかで異様な佇まいを見せる。
少女がクルンッと回転する。舞った少女に合わせてローブが翻る。ローブの胸元、黒金剛石を中心に戴く魔法士の徽章が西陽を受け、にかわに光った。
(私が放った33の眷属……。少し遊んで終わらせるつもりだったけだど、まさか全滅させられるなんてね。仕留めたのはお姫様でしょうけど、導いたのは彼……)
舞いながら微笑む少女。
西陽をライトにして白銀の舞台で黒いウサギたちと舞っていた少女は急に動きを止める。それを合図にしたかのように黒いウサギたちはただの雪に戻ってすっと姿を消した。
舞っていた少女に近づいてくる人影があった。人影は少女で、彼女も魔法士のローブを纏っている。
「どうして……、わざわざあんなことをしたの?」
舞っていた少女は近づいてきた少女に、特に感情のない声でそう聞いた。
「あんなこと……? ああ、これのことかしら?」
と、聞かれた少女はどこか楽しそうな表情でローブのポケットからカードを1枚取り出して答えた。
「はぁ……。もう一度聞くわよ、なんでわざわざあんなことを? 避難場所に着けたらそれで良かったのよ。わざわざ手の込んだことして……。たまたまG1の中にタロットを知っている研修生がいたから良かったものの……」
舞っていた少女はため息混じりそう言った。
言われた少女は笑みを浮かべて答える。
「ふふっ。貴女があの、ええと、羽田……悠貴君……だっけ? 彼にあまりにもご執心だったから、少し意地悪したくなったのよ。私からも質問。どうしてそこまで彼に拘るの? 有紗は……」
舞っていた少女──嵯峨有紗は視線を外して遠い目をした。
「あはは。ダメよ、有紗。貴女、答えに詰まるとそうやって直ぐに遠い目をするんだから……」
外した視線を追って少女はすっと移動して有紗の視界に再び入ってきた。有紗はもう一度溜め息をついた。
「前にも言ったでしょ? 悠貴君の力のことは……。彼は強くなるわ。彼の力は私の目的に大きく貢献してくれるはず……。だからもう余計なことはしないでよ? ていうか、こんな所にいていいの? せっかくG4の研修生に混じって動いていたんでしょ、陽菜乃」
有紗の前で微笑む少女──三條陽菜乃は瞳に有紗を映したまま動かない。思い出したようにクルンと有紗に背を向けて背伸びをした。
「んんー。だって……、退屈なんだもん。G4の研修生って本当につまらない人だらけ……。1人、中学生の女の子だけは可愛いから良いんだけど……。それに、もう4人とも、意識の中に私の幻惑の魔法が混じってるから、少しぐらいこうやって息抜きしててもいいのよー」
陽菜乃は深呼吸をして山の空気で肺を満たし、清々しそうな顔をする。
「そう……。じゃあ順調なのね。特高の、あの大塚って人の言う通りにやってたら、せっかくの魔法士がもったいないわ。死んでも直ぐに代えがいる特高の隊員とは全然違う……。命の重さ、命の価値の桁が違うわ。魔法士は貴重なんだから……。減らすのは構わないし、こうして手伝ってあげてるけど……。『幻』の属性ではトップクラスの陽菜乃が何人かの研修生の意識に入り込んで、後に私たちの役に立ってもらう……、それくらいのお土産は貰っていかないとね」
言った有紗の方に陽菜乃は向き直す。
「でもさ……、新本とか廣田は私が魔法で背中を押さなくても……たぶんG3の研修生と殺りあってたんじゃないかな? 性格悪いもの、あの人たち。ちゃんと役立ってくれるのかしら……」
言って小首を傾げる陽菜乃。
「そう? まあそんなことはどうでもいいから、貴女はもう戻りなさい。他のグループのことは私がちゃんとしておくから。貴女はG4の研修生たちと大人しく避難場所に籠って迎えを待っていて」
はぁい、と抜けた返事をして陽菜乃は去っていった。
陽菜乃の背が見えなくなってから有紗は天を仰ぐ。
(これで陽菜乃が悠貴君たちに変なことをする心配はないわね。それにしても悠貴君……。G4との同士討ちで死んでもらう筈だったG3を助けて、確かに手加減はしたけれど私の眷属まで退けて……。『生き残って』ていう私との約束をちゃんとここまで果たしてきているんだから本当に凄い……、予想以上よ……)
有紗は景色を眺める。満足そうに微笑む。
その有紗の足元。西陽を映す雪が黒く染まり、少女は沈んでいく。
(陽菜乃には悪いけど、もう少し遊びたくなってきたわね……。ふふ、悠貴君……、ちゃんと生き残ってね……)
大丈夫。自分が少し本気を出したとしても、それでも彼は仲間と共にそれを退けるだろう。そうでなくては困る。
それでも……、
──私の闇は深いわよ。
少女は足元の闇に消えた。
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