第88話 カルネアデスの板 Ⅲ
吹き抜けた風が、木でできたテラスの床に薄く積もった粉雪を舞い上げ、浚っていく。
悠貴が床に付けた足跡にゆかりのそれが重なる。2人はテラスを降りた。
その2人の目に入る光景。山小屋の正面には悠貴たちが登ってきた開けた斜面が広がっている。遮るものが何ひとつ無い空はまだ暗い。悠貴が視線を移した先、東の空の下辺が白んでいた。
悠貴は後ろに続いたゆかりを見る。頷き合った2人は山小屋側面の森の方へ向かう。ザクザク、と進みに合わせて雪が鳴る。少しでも音をたてないように進む悠貴の耳にはその音が不自然なまでに大きく聞こえた。
悠貴たちは山小屋の中から外の様子を窺った。外にいるのは、確証はないが、同じように雪山に放り出された同期の研修生。山小屋を囲むわけでもなく、1ヶ所に固まっているようだった。やはり攻撃の意思を感じ取れない。
悠貴は山小屋2階を見上げた。窓の中にいる俊輔が指差して方向を示す。悠貴とゆかりは示された方へ進んでいった。そして、森の入り口の辺りで立ち止まる。
悠貴はひとつ息をつき、そして口を開いた。
「俺たちにあなたたちを攻撃する意思はありません! 出来れば協力したい……。山小屋も、中の食料も分け合えたらと思っています。まずは話がしたい……。姿を、見せてはくれませんか!?」
幽暗と微明が混ざり合う森の中。人の気配がした。しかし、向こうも警戒しているのか、動きはない。悠貴は続ける。
「同じ魔法士の研修生同士……、仲間じゃないですか!? お願いです! もう一度言います、俺たちを信じて姿を見せてくれませんか!?」
悠貴の声が辺りに響く。
悠貴から少し後ろに控えていたゆかりが、悠貴君、と一歩進んだとき、森からか細く応ずる声があった。
「ほ、本当に……ですか……? 私たちはあなたたちを信じても、いいですか?」
その、こちらの真意を探るような声に悠貴は聞き覚えがあった。勿論、と悠貴が応じる。
一拍置いて、木々の奥から雪を踏みしめ、向かってくる音があった。音は次第に大きくなり……。足音の主が姿を表す。
魔装した彼女の体から発せられる蒼白い光が薄く森の中に浮かび上がる。思わず悠貴は声を上げた。
「真美……、真美じゃないか!?」
「ゆ、悠貴……君……」
北畠真美。G3のリーダーである真美は悠貴の姿を見留め立ち尽くした。
悠貴は真美の方へ向かって駆け出す。それにつれて真美の痛々しい姿が悠貴の目に入ってきた。魔法士の冬用のローブはあちこちが破れている。破れた所の端が風に揺れているのが寒々しかった。傷も目立つ。
魔装が解けた真美はふらつき、その場に膝をついた。膝の切り傷から伝う血が雪に染みていく。
「真美! 大丈夫か!?」
言った悠貴。倒れかかった真美を抱き止める。
ゆかりも駆け寄り、すぐに治癒魔法をかける。真美がゆかりの腕を震える手で掴む。
「わ、私よりも……皆を……」
真美が視線をやった先、近づいてくる4人の姿があった。
4人のうち2人はまともに歩けていなかった。1人はローブが血に染まっていた。もう1人のローブは黒く焦げ、所々焼け落ちていた。ローブの下の火傷も酷い。その深傷の2人を支える残り2人も無傷ではなさそうだった。
「真美……、これは……」
悠貴が言った所で宗玄と聖奈が山小屋の中から駆け付けてきた。G3の5人の惨状を見て立ち止まる。
「これは……。まずは5人を中へ! 聖奈や、湯を沸かすんじゃ。それに俊輔君にこっちへ来るように伝えておくれ」
宗玄に言われた聖奈が山小屋へ向かって駆け出す。呆然としかけた悠貴。宗玄の声で我に返り、声を上げる。
「ゆかりさん、真美は俺が。住職、俊輔と一緒に後ろの4人を頼みます!」
言われたゆかりは頷き、真美を悠貴に任せて宗玄と後ろの4人に駆け寄る。直ぐに俊輔も中から出てきてG3の負傷者を支えた。
「立てるか……?」
悠貴が真美に聞くと真美は震えながらも小さく頷いた。真美を立ち上がらせ、支えながら山小屋へ向かった。
深傷の2人は1階の暖炉の側に寝かせ、ゆかりと宗玄が治癒魔法をかけ続けた。魔法のお陰で傷は塞がり始めたが、体力の消耗が酷いのか意識は混濁していた。
真美たち残りの3人は円卓の椅子に座った。聖奈が持ってきた毛布にくるまる。悠貴が差し出した湯を口にすると3人とも泣き出した。
何か食べる物を、と言われた俊輔が暖炉でスープを温め直す。スープから匂いが立ち上ってくると、3人は食器にスープを取り分けようとしていた俊輔から鍋を奪うようにして取り、スープを口にし、また嗚咽をもらした。
血で汚れたローブや服を脱ぎ、湯で体や傷を洗った。そうして2階のベッドに寝かされ、再び涙を流した。
外にいるのG3に気づいたのはまだ夜が明ける前のことだった。傷だらけの5人の手当てをし、悠貴たちが落ち着きを取り戻した頃には日が暮れていた。
2階の寝室。
深傷の2人も宗玄とゆかりが懸命に回復魔法をかけ続けたこともあり、峠は越せたようで、2階寝室のベッドへ運んで寝かせた。
深傷の内の1人は高校2年の女子だった。聖奈がついて治癒魔法をかけている。その聖奈も朝から今の今まで5人の介抱を続け、疲労は困憊し、コクリコクリとする頭を振って眠気を払っては、両手に魔力を込めた。
それを見やりながら悠貴も目の前で横たわる中学生男子の同期に治癒魔法をかける。
正直、悠貴は回復魔法が苦手だった。研修の午前の演習で何度もなつみに注意された。力を込めすぎなのだという。
魔力の加減が難しい。風の魔法を攻撃に使うときとは異なり、全力でやればいいというものではなかった。纏わせる自身の魔力で傷が癒えていっているのは確かだが、目の前の男子の表情はどこか苦しげだった。
込める魔力を弱めるとそれはそれで痛みが増すのか男子の息が荒くなる。
(どうすりゃいいんだよ……)
そう思っていたときに悠貴は後ろから声を掛けられる。
「お疲れ様、悠貴君。交代だよ」
そう言いながら近寄ってきたゆかり。ゆかりと一緒に来た宗玄も悠貴たちの横を通り過ぎ、聖奈に交代だと告げる。聖奈は頷いて立ち上がる。ふらふらと歩き、手近なベッドに倒れ込んだ。すぐに聖奈の寝息が聞こえてきた。
悠貴とゆかりが目を合わせてくすりと笑う。
「あとは私が。あ、下に夕飯あるから。悠貴君は休んで」
ゆかりにそう言われた悠貴はベッドの側の椅子から立ち上がり、そこにゆかりが座って男子に治癒魔法をかける。苦しげにしていた男子の表情が急に心地よさそうなものへ変わった。
「へー、ゆかりさん、流石ですね」
「そう? まあ確かに色々と普通な私だけど、回復魔法は人並みにはできるかもね」
そう言ってニコリと笑顔になるゆかり。悠貴はゆかりと宗玄に任せて寝室を出る。
悠貴は1階へ降り、部屋の中央の円卓の椅子に座り、円卓に突っ伏した。正直、体力の限界だった。特に深傷の2人は交代でいくら治癒魔法をかけても中々良くならず、休んでは治療……の繰り返しだった。
ゆかりが夕飯の用意があると言っていたことを思い出し、悠貴が立ち上がろうとした時、2階から誰かが下りてくる音が聞こえてきた。階段の方へ目をやる悠貴。下りてきたのは真美だった。
「起きてたのか。真美、寝てなくて平気か?」
「うん……、大丈夫……。ありがとう」
比較的傷が浅かった真美は昼過ぎからは介抱をする側に回っていた。実際には体を起こすのもきつかったが、仲間を助けたい想いが勝った。
真美は悠貴に促され、椅子に座る。座った真美に毛布を渡す。悠貴は湯を用意してカップに入れ、真美に手渡した。真美は両手で持つカップの湯を見つめた。
北畠真美。悠貴の1学年下、高校3年生だった。既に大学は推薦入試で決め手続きも済ませ、この冬期魔法士新人研修に参加した。同じ南関東州出身の悠貴とは年が近いこともあり仲が良かった。
悠貴も円卓の椅子に腰かける。真美が口を開いた。
「悠貴君……。本当に……、本当にありがとう。もし悠貴君たちが助けてくれなかったら私たちはもうダメだったよ……」
真美は目に涙を溜め、深々と頭を下げた。
気にするなと返し、悠貴はカップの湯を喉に流した。
「取り敢えず、真美も、他の4人も助かって良かった……。真美たちには話さなきゃいけないことも沢山あるんだけど、その前に……、真美、何があったんだ?」
真美は悠貴の言葉を聞き、ビクッとし、そして中空を見据え、震え始めた。
悠貴が手渡した毛布は真美が傍らの椅子に置いてあった。震える真美。確かに日が落ちて冷えてきた。まだ体力だって回復していないのだろう。悠貴は立ち上がり、その毛布をかけてやろうとした。
首を横に振り、悠貴を制す真美。溜めた涙は真美の震えに応え、零れ、頬を伝っていった。
「私たちは……、裏切られたの……。同期の……仲間の、仲間のはずの……研修生に……」
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