第87話 カルネアデスの板 Ⅱ
『……。では2週間後、諸君を迎えに行く。以上。健闘を祈る』
壁に映し出された映像はそこで終わった。
聖奈が今の今まで映像を映し出していた黒い箱を手に取っていじる。もう一度映らないかとカチカチとボタンを押すが反応がない。どうやら映像は一度しか見られないようになっていたらしい。
大きく息をついた俊輔が、
「……だそうだ。どうする?」
とG1の面々を見る。
皆一様に考え込んでいる。誰も口を開かない中、俊輔は続けた。
「どうやら俺たちはサバイバルゲームに放り込まれちまったらしい。リアルに命を懸けての、な……」
映像の中で男は語った。
今回の研修に参加した、8グループに分けられた40名の研修生。その全員がグループ毎に雪山に放り出された。2日程度の食料と、避難場所へのヒントが忍ばせてあるリュックと一緒に。
ヒントを頼りに避難場所に辿り着けた自分たちを褒め、後はそこで救助を待て、と男は言った。助けがあるのは2週間後。それまで自分たちの力だけで生き抜かなくてはならない。
まあ、と宗玄が口を開く。
「生き抜く、ということだけならそう難しくはないじゃろう。ここには水も食料もあり、暖もとれる。むしろ……」
そこまで言った宗玄が口を止め、悠貴を見る。
「むしろ、奪い合いが起きる可能性がある、そっちの方が問題ですね」
と、宗玄に頷いた悠貴が続けた。
「う、奪い合うだなんて、そんな……、研修生同士で……。私たち、同期の仲間なんだよ……」
宗玄や悠貴の言葉に、信じられないといった表情を浮かべてそう言ったゆかりに俊輔は、
「仲間、そうだな、仲間だな。でもよ、ゆかりさん。仲間である前に人間なんだ、向こうだって。食料だって水だって、寒さをしのげる場所だって必要だ」
と言った。ゆかりは返す言葉もなく立ち上がってふらふらと辺りを歩き回る。
「むしろ、奪い合うように仕向けられた、と考えるべきじゃろうな」
低く、静かに言った宗玄に悠貴は再び頷く。
8つのグループに対して、生き残るために必要な、この山小屋のような避難場所は4つ。
避難場所を手に入れられなかったグループは何もない状態で自力で生き残るか、他のグループから奪うしかない。
8グループに4ヶ所の避難場所。
しかし、男の話では4ヶ所の避難場所にそれぞれ2グループが辿り着く、という訳ではなさそうだった。1つのグループにしかヒントが与えられていない所もあれば、最大3グループが辿り着く可能性がある所もあるとのことだった。
複数の避難場所のヒントを与えられたグループもあるらしく、そのグループがどんな選択をするか分からない。そして、ヒントとは関係なく、運を頼りに与えられたヒントとは別の避難場所に辿り着くこともあるかもしれない、と。
沈痛な面持ちで5人は俯いたり、遠い目をしたりした。もし、他に避難場所を手にいれることが出来なかったグループや、自分たちのようにヒントを辿ったグループがここに来て、もし攻撃を仕掛けられたら反撃しなければならない。自分たちの命を護るために……。
「えと、何とかここに来たグループの人たちとも話し合って……協力していけない、かな……」
ゆかりの言葉に4人は俯いた。
「俺だってさ、同じ研修生なんだし、助け合えたら、とは思うぜ。でもよ、それは向こうにもその気があったら、の話だな。どこのグループがここに辿り着くかは知らねぇけどよ、いきなり攻撃を仕掛けてくるかもしれないんだ。そしたら俺たちだってやるしかねぇ」
消極的な強硬論に出た俊輔の顔にも逡巡が見てとれた。次いで聖奈を見た悠貴。聖奈も自分なりの考えはあるようだったが上手く言葉に出来ないのか、押し黙っている。その横の宗玄は薄く目を開けて何かを考えているようだった。
──何でこんなことになってしまったんだろう。
思った悠貴は胸が締め付けられた。ほんの2日前までは40人はただの同期の魔法士仲間だった。真美をはじめ、他のグループにも会えば親しく話せる程度の研修生もいたし、各グループのリーダーたちとは頻繁に顔を合わせていた。まだロクに話したことがない研修生も多かったがほぼ全員の顔は覚えている。
その彼らとこれから、場合によっては命の遣り取りをする。その時、自分は彼らに刃を向けることが出来るだろうか……。
悠貴は天を仰いだ。
暖炉の火に薄く照らされた天井があった。目を瞑り、考える。どうあっても目の前の4人は助けたいのが正直な所だった。心情的には同期の仲間40人全員が助かればいいとは思う。しかし……。
悠貴は自身の考えに結論がでないであろうことが分かってきた。結局のところ、その場になって判断するしかない……。
悠貴は口を開く。
「まずは俺たちに、今、出来ることをちゃんとやっていこう。ここに来たグループとどうなるかは、正直、相手の出方次第だ。当然、話し合いはする。その為にも、ここにどこかのグループが来たら直ぐに気づけなくちゃいけない、その為の態勢を整えておこう」
悠貴は出来るだけ心中の迷いを表に出さないようにしてそう言った。
頷く4人。
5人でこれからのことを話し合った。交代しながら寝ずの番を置くことにした。見張りは1階と2階で1人ずつ。窓を回り、外の様子を窺う。早速、その日から5人で決めた態勢を敷いた。
それから3日が経った。
取り敢えずその間は他のグループが悠貴たちの山小屋に辿り着くことはなかった。日が昇り、そして沈んでいった。そうして、ただ時間が過ぎていった。
夜。悠貴が1階の寝ずの番だった。火の番も兼ね、暖炉の前で体を暖め、1時間おきに窓を回り外の様子を窺った。時に眠気覚ましに、外の空気を吸いに出たりもした。
そうして朝になった。交代でゆかりが起きてきたので寝てもよかったが、悠貴はどうにも寝付けなかった。うとうとして、そのまま午後にはまた見張りをした。夕飯をとると眠気に包まれ、ベッドに入ると直ぐに眠りに落ちた。
「……悠貴……。おい、悠貴っ」
泥のように眠っている悠貴。俊輔が強く揺り動かす。悠貴ははっと起きた。
起き上がる悠貴。交代なのに寝過ごしてしまったかと辺りを見るがまだ暗い。
「やっと起きたか。──来たぞ」
何が、と悠貴は聞き返さなかった。近くの窓までゆっくりと移動してカーテンの端から外を見る。
「10分くらい前にゆかりさんが気付いた。外で空気を吸っていたら森から物音がしたらしい。直ぐに中に戻って俺たちを起こしてくれた。俺も窓から外を見てみたんだけどよ、確かに何回か人影が見えた。ゆかりさん、住職、聖奈は1階を固めている」
構造的に2階から忍び入って来ることは難しいだろうと、悠貴と俊輔も1階へ降りる。
悠貴は窓から外を窺う宗玄に駆け寄る。宗玄は悠貴を一瞥し、すぐに視線を外へ戻す。視線をそのままにし、
「様子がおかしい……。動きが無いんじゃ……」
悠貴は壁に掛かっていた時計を見た。辺りはまだ暗いが直に白んでくる。助けを求めるならとっくに来ているだろうし、戦うというのなら夜陰に乗じて仕掛けたほうが奇襲には有利だ。いずれにしても敢えて時を置く理由が見当たらない。
「何か、動けない理由があるのかもしれん……」
宗玄がそう言うと悠貴は頷いた。一旦その場を離れ、反対側の窓を固める聖奈のもとに駆け寄る。
「おはよ、聖奈」
カーテンの端を僅かに動かして外を窺いながら悠貴は聖奈に囁くように言った。聖奈もおはようと返したが相当眠そうな様子だった。大丈夫か、と悠貴が尋ねると聖奈は頭を振って眠気を散らし、うん、と答えた。
悠貴と聖奈の目に映る夜の森。
「悠貴さん、今聞くことじゃないかもなんですけど……。やっぱり、わたしたち……、戦うの……? 仲間なのに?」
聖奈の問い。未だに悠貴の中でも答えがでない問いだった。聖奈の不安を取り除こうと悠貴は努めて明るく返した。
「向こうの出方次第だな。俺だって同期と戦うなんて御免だからな」
小屋の中を静寂が包む。時折、暖炉からぱちぱちと火の音がする。そうやって暫く膠着状態が続いた。
この寒さだ。時間が経てば経つほど向こうに不利だ。向こうは外にいるだけで体力を消耗する。既に山の稜線は白んでいて、東の空は夜が薄まっている。
俊輔が悠貴と聖奈に近づき、小声で話す。
「なあ悠貴。どうも様子がおかしい。もう仕掛けるタイミングは逃している。やっぱ外の連中には仕掛けられない理由があるんじゃないか?」
俊輔にそう言われて考え込む悠貴。ゆかり、宗玄も近寄ってきた。そして、5人はそれぞれに何とも言えない視線を交わし合う。
「外の同期もきっと様子を窺ってるんだ……。俺たちはここに辿り着いて、あの映像を見たから色々と分かっていることもあるけど、向こうは山小屋の中にいるのが同じ研修生だとは知らない。仮にそう思ったとしても確証がない……。それでずっと様子を窺ってるんだ」
悠貴の言葉に頷いた俊輔が、
「だろうな……。てことは、中にいるのが敵か何かだって前提でいるかもしれないぜ。だとしたら不用意に出てったら、即戦闘スタートだな……」
と、窓の外の様子を窺いながら言った。
「そんな! 戦闘だなんて……」
ゆかりが声を上げる。
「シー! ゆかりさん、声、でかいって……。向こうだって切羽詰まってるはずだぜ、この寒さと雪の中、やっとここまで来たんだからよ……」
言った俊輔に宗玄が続く。
「俊輔君の見立てにも一理あるかの。極限状態では人の持つ見境なんぞは、あって無いようなものじゃろうて……」
未だに自分の中で結論が出ない悠貴は聖奈に目を向けた。モジモジとして何かを言いたげそうだった。
「聖奈、どうした? 何か言いたいことでも?」
首をヨコに振って、別に……と言いかけた聖奈の肩にゆかりがそっと手を置いた。ゆかりは優しく聖奈を見詰めて頷いた。
聖奈が口を開く。
「な、何とか助けてあげられないかな……」
遠慮がちに、しかしそれでいてはっきりとそう言った。
「助けるって……、外の連中を中に入れるってことか?」
言った俊輔が聖奈を見る。
「うん……。だって、外の人たち、寒いんですよ? お腹だって減ってるんですよ? それに……それに、魔法士の……、仲間なんですよ?」
聖奈の言っていることは正しい。全く正しかった。聖奈は付け加えた。
──私は、助けてあげたいです。
言った聖奈。4人が黙ったままなので俯いてしまった。
笑顔になる悠貴。聖奈の頭を撫でる。そして、口を開いた。
「ゆかりさん。仮の話だけど、外の人たちを招き入れたら水や食料は保ちそうですか?」
ゆかりも笑顔で返す。
「うーん、1人あたりの分はもちろんだけどかなり減っちゃうね……。あと、1日2食になる日も出てくるかも……」
「もともとワシは1日に2食じゃて、全く困りはせんよ。寒さはちと応えるが、火は分け合うことができるからのぉ」
と宗玄は笑った。
「たく……。どいつもこいつも同じこと考えてやがったな。俺だってさ、タイミング見て聖奈が言ったこと、言ってやろうとしてたのによー。見せ場を返せよ、このこのっ」
おどけて言った俊輔は聖奈の頭をぐりぐりと撫でた。
「エッ……エッ?」
と、4人を見回す聖奈。
「ほっほっほ。ワシは誰かが言い出すのを待っていたんじゃがな」
言った宗玄は笑う。
「じーさん、汚ねえぞ。向こうが喧嘩腰で来たときの責任とりたくねぇからってよ」
と、ヤレヤレと肩を竦める俊輔。
「つまり……、大の大人が4人揃って小学生の聖奈より先に助けようって言い出す勇気が無かったってことだな。呆れちゃうな」
言った悠貴が吹き出し、釣られた俊輔、ゆかり、宗玄も笑う。
キョトンとする聖奈をゆかりが抱き締める。
「大丈夫よっ、聖奈ちゃん。みんな考えてたことは同じ……。よく言い出してくれたわね」
ゆかりの言葉に聖奈の顔がぱぁっと明るくなる。
他のグループの研修生たちと一番交流があったのは悠貴だった。外の研修生たちと話し合うのは悠貴が良いだろうと決まった。その悠貴にゆかりが付き、外へ向かう。
山小屋のドアを開く悠貴。ギィという音と共に、夜明けの風が入ってきた。
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