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そして、いつか、余白な世界へ  作者: 秋真
第三章 白銀世界の卵たち
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第86話 カルネアデスの板 Ⅰ

 陽が山の稜線の向こうに姿を消し、微かに周辺を浮かび上がらせていた余光が消え去ると辺りは本当に暗くなった。今夜は雲が厚い。雪もちらついてきた。


 山小屋(ロッジ)の外に立つ悠貴の目に映るのはそんな途方もない夜だった。



 悠貴はテラスを下り、森の手前まで歩き、そして山小屋の方を振り向いた。



 聖奈の一声で始まった山小屋内の捜索。その結果、2階の寝室で見つけたタロットカードと、それを入れる額。

 そこで始まった謎のカウントダウンをどうにか回避した悠貴たち。危機を逃れて安堵したが、落ち着いた分、日の陰りに従って厳しさを増した寒さが骨身に(こた)えてきた。探索で中断していたが、改めて俊輔が魔法で暖炉に火を入れた。



 しかし、状況が状況なだけに用心に越したことはない。山小屋から外へ暖炉の灯りが漏れ出てはいないか、と悠貴は周囲の様子を(うかが)うのも兼ねて外へ出た。


(大丈夫そうだな……)


 1階の暖炉に近い窓のカーテンが(ほの)かに明るくなっていたが、遠くから見て目立つという程でもなかった。



 冬用の厚手の魔法士のローブ。そのフードを目深く被った悠貴。足早に山小屋へ戻っていく。



 テラスへ上がった所で悠貴は一度振り向き、その景色を改めて見る。


 どこまでも夜が続いていた。夜でないものはそこには無かった。ここまで世界は暗くなることができるのかと、悠貴は感動すら覚えた。


 夜に浮かされかけた悠貴は、すっと吹き抜けていった風に(こご)え、山小屋の中へ戻った。




 暖炉に火が灯る、薄暗い山小屋の中。それでも暗闇に目が慣れた悠貴には眩しかった。眩しいと思うと同時に、灯りがあることにどこかほっとした。



 その暖炉からは食欲をそそる香りも漂ってくる。暖炉の火を使い、ゆかりと宗玄が夕飯の支度をしてくれていた。



 空腹を覚えた悠貴は、部屋の真ん中の円卓の上で、()()をいじる聖奈と俊輔を見た。


 2階の寝室。22枚のタロットカードを入れた額。カウントダウンを止めた後に調べてみたら黒く小さなプラスチックの箱が出てきた。



 これが次に与えられたヒントだろうと俊輔と聖奈が検分している。


「何か分かった?」


 ゆかりは出来た食事を運びながら俊輔と聖奈に尋ねる。俊輔は肩を(すく)めてゆかりに答える。


「さっぱりだなー……」


「そう……。まあ焦っても仕方ないし、取り敢えずご飯にしましょうっ」


 言ったゆかりは食器を円卓に置いていった。


 いつまでここにいればいいか分からない。取り敢えず当面の食料は確保できたが、節約するに越したことはない。食料の管理を任されたゆかりは少しでも食料を長持ちさせようと献立をできる限りの質素なものにした。

 慎ましい夕食が並ぶ。5人にとっては十分だった。雪原と山を越えてきた体に優しい味のスープが染みる。



「あー、聖奈ちゃん。お行儀悪いよー」


 そうゆかりが聖奈を(たしな)めたのは聖奈が例の黒い小箱をずっといじっていたからだ。聖奈は、うん、と空返事はしたものの、スプーンでスープを口に運んでは小箱を触っている。爪で小箱の表面をかちかちと弾いているような仕草をしている。

 悠貴たちが今後のこと、しなければならないこと、今回の出来事の背景など語り合っている間も聖奈はずっと小箱をいじっていた。



 ささやかな夕食が終わる。


 ゆかりは食器を下げ、宗玄は白湯を口にしていた。悠貴のと俊輔が小箱に集中している聖奈を眺めている。


「なんかよ、表面に小さなでこぼこがあって、それが入り組んでるんだけど、俺には全然分からなかった」


 へぇ、と悠貴は俊輔の言葉を聞いて、聖奈が手にしている小箱に目をやった。





 ちょうどその時、カチッいう音がして、直後に聖奈が、


「やったぁー、開いた!」


 と、声を上げ、万歳をしながら跳ねる。


「マジか!?」


 と俊輔が駆け寄り、他の3人も続く。


「はぁー、聖奈ちゃん凄いね……。魔法だけじゃなくて、こういうのも器用なんだね……」


 感心したゆかりがそう言いながら聖奈の頭を撫でている。えへへ、と喜ぶ聖奈が円卓の上に箱から取り出した物を置いた。


「なんだろう、これ」


 悠貴はそう言いながらまじまじと見る。シャーペンの芯を入れるケースのような形をしている。先端にはレンズのようなものが付いていた。側面には小さなボタンがついている。



「ボ、ボタンがあったら押してみたくなるよねぇ……」


 遠慮がちにそう口にしたゆかりに、


「だけどよぉ、押した瞬間に、ドカンッ! ってのはゴメンだぜ」


 と俊輔が返す。


「ふむ……、じゃが、このままというわけにもいかんじゃろう。罠の可能性も否定は出来ないが、ヒントの可能性のほうが高いようにも……。さっきの額のことにしても切り抜けた先にヒントがあった訳だしの」


 言った宗玄に反論はなかった。


 顔を見合わせる5人。悠貴がボタンを押すことになった。悠貴はそれを手に取る。恐る恐るボタンを押した。


 次の瞬間、小さなレンズから光が発せられた。爆発かと5人は身を屈めたり、両手で体を守ったりした。



 目を瞑って身を守る悠貴。しかし、予想していたような爆発音は聞こえない。その代わりに男の話し声がしてきた。恐る恐る目を開く悠貴の目に壁に映し出された映像が入ってきた。


「な、なんだよ。驚かせやがって……」


 俊輔がそう言うと、互いに抱き合っていたゆかりと聖奈がその場にしゃがみこむ。


 宗玄は映し出された映像を見て暖炉へ向かい、火を薄くする。部屋が暗くなり、壁に映る映像がはっきりと見えるようになった。



『この映像を見ている諸君の健闘をまずは称えたい』


 そう慇懃(いんぎん)に語る男は特高の制服を(まと)っていた。


「んん、なんだよコイツ……。どこかで見た気もするけどよ」


 言った俊輔の横で悠貴も映像を見る。男はこの映像に辿り着いた自分たちを褒め称え続けている。しかし、言葉とは裏腹に男の目からは自分たちに対する好意的な感情は読み取れない。



「ほっほっほ。取り敢えず、こやつの話を聞いてみよう。存外、今回のことの種明かしをしてくれるやもしれんぞ」


 そう言って円卓の椅子に腰掛けた宗玄に4人も続いた。


 映像の中の男は語る。





 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





 エレベーターが開く。


 明かりが落とされた周囲にエレベーターの中から漏れ出た明かりが伝わる。



 エレベーターの中から下りてきた人物は出た所で足を止めた。エレベーターが閉まり、周囲が暗くなる。


『いいのかい? もう少し様子を見ても……』


 と、なつみの頭の中にこてつの声が小さく伝わる。


「もう待てないわよ……。黙ってて」


 なつみが呟くように言うと何も聞こえなくなった。



 ひとつ息をつき、なつみは意を決したように歩き始める。



 廊下に足音が響く。



 魔法士研修施設の地下を進む新島なつみ。教官用のローブを羽織り、暗い廊下を進む。


 無表情のなつみ。しかし、その無表情はなつみが最大限に自制した結果だった。努めて冷静にした結果だった。



 なつみが進んだ先。大きなゲートがあり、その左右に特高の隊員が立つ。なつみを見留めて警戒するような素振りを見せた。



 研修施設の地下には特高の駐留所があった。地下へ入るにしても身許の改めがあるが、魔法士でもあり、しかも教官であるなつみは難なくそこを通過した。



 しかし、このゲートの先は特高の特別管轄区域。特高の中でも入れる者は限られている。当然、なつみには中へ入る権限はない。



 ゲートを守る隊員もそれは分かっていたのでなつみの前進を制する。


「と、止まって下さい! ここから先には行けません!」


 言った隊員を冷たく一瞥(いちべつ)するなつみ。


 魔装したなつみの身体が紅く光る。


「炭になるか、私を通すか……。好きな方を選びなさい」


 と、一言だけ発した。



 恐れ(おのの)いた2人の特高隊員は、我先にと制服の中からキーカードを取り出す。カードリーダーに(かざ)すが手が震えて上手く読み取れない。


 ピッ。やっと反応したカードリーダー。ゲートが開く。隊員はその場に脱力し、崩れ落ちた。


 それには目もくれず、なつみは先へ進む。



 すれ違った特高隊員の何人かが、止まれ、と声を掛けてきたがなつみは意に介さない。



 更に進んだ廊下の先に装飾を施した扉があった。



 ──バンッ。



 中にいた特高の下士官たちは何事かと乱暴に開けられた扉を見る。そこに立つ1人の少女。数人が排除しようと一歩進んだところで魔法士教官のローブが目に入り動きを止めた。



 室内を見回すなつみ。つかつかと室内を奥へ向かって進んでいく。そして、ある人物の前で止まった。


 特務高等警察、東部方面隊──東部軍、第一師団特務隊、大塚。内務省国家緊急事態対策調整局、通称軍務局の局長でもある大塚は手塚が不在の間、代わりに研修の責任者の任に就いていた。



 その大塚に対峙するなつみ。



「これは新島教官、どうされたんですか? いけませんな、いくら魔法士の方とは言えここは……」


 なつみは何の遠慮もなく魔装した手で大塚の胸ぐらを掴む。


 その段になって、初めてその場にいた下士官たちは腰の物に手を伸ばした。

 特高と言えども魔法士に対して下手な扱いはできない。そもそも特高に参加している魔法士はあくまで法務省から貸与される形になっている。魔法士といざこざを起こし、法務省の機嫌を損ね、魔法士を引き上げられたら一大事になる。


 国に反した魔法士の鎮圧は魔法士を以てする。そうしないと特高の被害が甚大なものとなってしまう。物量で押して制圧することが出来なくもないが、それでは余りにも犠牲が増えてしまう。



 しかし、その魔法士、しかも教官レベルの者であっても上官の胸ぐらをつかみ、魔法を使う素振りを見せている以上放置はできない。下士官たちが殺気を纏って集まってくる。



 緊張感が部屋に漂う。



 なつみはこの場にあって異常とも言える位、表情がなかった。対する大塚は警戒はしているもののどこかヘラヘラしていた。



 ゆっくりと、静かになつみは、


「研修生たちはどこ?」


 と、大塚に尋ねた。


 大塚は答えを返す前になつみの手を振りほどこうとしたが、魔法を帯びたなつみの手は全く動かない。


 諦めた大塚。ああ、と思い出したように答える。


「研修ですよ、研修。あたりまえじゃないですか。彼らは研修生なのですから」


 大塚を掴むなつみの手に力が加わる。


 それと合わせたかのように下士官の何人かが触れていただけにしていた銃や刀を抜いた。それを見留めた大塚は片手を上げて制する。


「安心してください、新島教官。彼らの、研修生たちの、サバイバル能力を見ているのですよ。極限状態で、冷静に状況を分析し、生きるためのヒントを見つけ、そして生き抜く……」


 語る大塚をなつみは冷たく見据える。


「ヒントさえ見つければ食料も雨風をしのげる場所にも辿り着ける。これくらいのこと、やってのけられなくてどうするのです? これは、これから戦場に出ることもある彼らには必要な訓練なのですよ」


 微動だにしないなつみに大塚は畳み掛ける。


「私は、彼らの闘争本能に語りかけているだけですよ? 戦え、と。ただ戦え、と。だから……」



 大塚の台詞に割ってなつみは口を開いた。


「ふーん……。それだけ? 貴方が言うように、ただサバイバル能力を測るだけの研修なら、事前になつたち教官にも一言あってもいいんじゃない?」


 なつみは冷たく大塚に先を促す。大塚を掴む手に更に力をいれる。ついに大塚は宙に浮いた。



 下士官たちはたじろぐ。自分たちの上官が、魔法士とは言え、1人の少女が片手で胸ぐらを掴んで持ち上げている。助けなければとは思うが、当の上官が制したので動けない。


「もう一度聞くわ。研修生たちはどこ?」


 大塚は歪んだ笑顔を浮かべたが、なつみの問いには答えない。


 なつみも、大塚も、周囲の特高の隊員たちも動かず、時が止まったような光景になる。



 なつみは大塚から手を離す。落ちて崩れた大塚に何人かが駆け寄り心配そうな声を掛ける。


 その様子を見下ろすなつみ。踵を返して部屋の外へ向かって歩き始める。


 何人かの下士官がなつみを追い掛けようと一歩を踏み出す。


 振り返るなつみ。


「やる気? いいわよ。でも……、なつ、今、凄く怒ってるから手加減出来ないわよ。ああ、でもその方が苦しまないで逝けるから貴方たちにとっては良いかもね」


 なつみの台詞を聞き、それ以上なつみに近寄ろうとする者はいなかった。なつみはそれを見留め、部屋を出ていった。




 1階ロビー。なつみは握った拳で壁を全力で叩いた。魔装は解いていた。顔をしかめたのは痛みのせいではない。


『なつ、ダメだよー。あんな喧嘩腰で……。今のなつはただの女子高生じゃないんだよ? ちゃんと自分の立場ってのを考えないと。手塚教官にも迷惑がかかっちゃうんだよ?』


 姿を現したこてつはやれやれといった様子でそう言った。



 一番言われたくないことを言われたなつみは大きくため息をついた。


「そんなの、なつだって分かってるわよ……。いいからこてつはもう行って。取り敢えず施設の周辺を見て回ってくれる? まあ、そんな近くで見つかるとは思えないけど……」


 言ったなつみに、了解、とだけこてつは返し、姿を消した。




 なつみは夜のロビーで独り(たたず)む。大きな窓の外へ目を移す。外の吹雪(ふぶき)は止む気配がない。



 ──先生、みんな……、無事で。



 必ず、自分が助けてみせる。

 なつみは足早にロビーを後にした。

今話もお読み頂きありがとうございます!


次回の更新は11月9日(月)の夜を予定しています。



宜しくお願い致します!

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