第84話 冬を進んで。
他の4人が見守る中、悠貴は慎重に蝋燭の中から丸められた紙を取り出す。紙は仄かに湿っていて表面がつるつるとしていた。丸められた紙を開いていく悠貴。紙の端には蝋燭の芯がくっついていた。
「この蝋燭に火をつけてたら完全にアウトだったな……。こんな紙切れ、気づく訳ねぇ……」
言った俊輔の横にいたゆかりが、確かに、と胸を撫で下ろす。悠貴は改めて自身が紙を取り出した蝋燭とその他の蝋燭を見比べた。一見違いはない。何となく太さが違うような気がしただけだ。確信があった訳ではない。おまけにこの暗がりだ。
「なにが書いてあるのっ?」
と聖奈が急かす。悠貴は紙にくっついていた蝋燭の芯を取り、改めて紙を注意深く見る。そして、
「地図……か」
と口にした。悠貴が手にするその紙を囲むようにして他の4人も見入る。
紙には森や大小の川、そして山などの地形が詳細に記されていた。
「この三角の点は……」
俊輔が指で示した、白黒の地図で悪目立ちしている赤色の三角の点。そこを始点に矢印が引かれている。矢印は原と森を通り抜け、沢に沿って蛇行しながら山を上がっていった。山の中腹辺りが終点らしく、そこには始点と同じような一つの赤色の三角点があった。
「ふぇぇ。私、地図読むの苦手なんです。いっつも地図見ながらなのに道に迷っちゃって……。って、そんなことはどうでもよくて、これって一体どういうことなんでしょう……」
言ったゆかりの顔には不安が滲む。考え込む4人。
ふむ、と宗玄が口を開く。
「恐らくは……、この矢印の始点になっているのがわしらがいる所じゃろう。さっき見てきた外の様子にしかとではないが似通っておる。そして……」
始点の三角点を指した宗玄の指が矢印の線をなぞりながら紙の上を動いていく。
「その先の赤色の三角の所まで行けってことか」
宗玄が言わんとした続きを悠貴が口にした。
「おいおい、お利口さんにこの矢印通りに行けってのかよ。罠ってことは……」
「罠にしては手が込みすぎておるな。蝋燭の中に忍ばせてあったんじゃ。気づかずに燃してしまえば罠にもなるまい」
罠と口にした俊輔を宗玄がそう一蹴した。
「うぅ、こんな吹雪の中を……。辿り着けるかな? 辿り着けたとして、そこは安心できるところなのかな……」
と、ゆかりは残りの4人の顔色を窺うように見渡した。それぞれが考え込む中、
「私は大丈夫ですっ。雪、好きですしっ」
ゆかりの不安を一掃するかのように聖奈がそう口にした。
「向かうなら早い方がいいじゃろう。食料も灯りも心許ない。それに、体力がある内に動き出した方がいいじゃろう」
聖奈に続いた宗玄の言葉に4人は頷く。早速地図を頼りに出発しようと決めた。食料と蝋燭をリュックに詰め直す。俊輔がリュックを背負い、地図を持つ悠貴と並んで先頭を歩く。
洞窟の出口が近づいてくるに従って外の様子が目に入ってくる。風はさっきよりも弱くなっているようだったが、相変わらず雪は降り続いている。
外へ出た悠貴たち。洞窟の周囲は人の背丈程に小高くなっている。緩やかな傾斜の先は見えない。坂を上る5人。
上りながら手元の地図に目を落とす悠貴。坂を上りきり、そして、改めて目の前に広がる光景を見た。
洞窟は高台の窪地にあった。5人の目の前に広がる白銀と灰色の世界。山や原にシミのように点在して見えるのは恐らくは森だろう。その光景を包み込む薄墨色の曇天からは絶え間なく雪が降ってきている。
自分たちは高台にいるのだと分かり、悠貴は施設か他に何か建物でも見えないかと見回してみたが、俊輔たちの探索の徒労を上塗りするばかりだった。周囲を包むのはどこまでも冬が支配している山野だった。
雪片が地図の上に積もる。雪は紙を持つ悠貴の指の熱ですぐに溶けた。紙がふやけたり、地図が滲んでしまわないかと悠貴は焦ったが、紙に染みた蝋が水を弾いていた。
安堵した悠貴は手元の地図と目の前の光景を見比べる。山並みをヒントに方角を合わせる。恐らくは順路を示しているであろう矢印を景色に投影する。高台を下り、川に沿って原を進む。山の梺で合流して川をつくる沢のうちの1つを遡っていけば良さそうだった。途中で大きく矢印から沢は逸れていたが、そこまで行けば終着点までは近い。
原を地形に沿って蛇行する川は悠貴たちのいる高台を避けるようにして二股に分かれて更に流れ下っている。
一通り周辺の確認をした悠貴。さっと辺りを風が吹き通る。首もとからローブの中に入ってきた寒気に身が凍える。
悠貴はフードを被り、行こう、と言った。それを合図に5人は降り頻る雪の中、歩き始めた。
高台を下り、川を遡るようにして5人は進む。思ったより進みは遅くなった。高台からは見渡せていた光景は、高台を降りると空に沈んでいった。目指すべき山が見えなくなり、川に沿って進めば良いと頭では分かっているが恐怖心が勝り、慎重に進まざるを得なかった。自然と口数は減っていった。
高台からは平坦に見えていた原。しかし、実際には岩場が段差を作り、進むのに難儀した。似たような難所を抜けた辺りで森に入った。向かうべき山の梺には森があった。川の蛇行の仕方も概ね地図と一致していた。
恐らく方向は合っているだろうということで、5人は1度休息をとった。森に入った直ぐの辺りで、悠貴が風の魔法で雪を払い、俊輔が火の魔法で乾かした。そうして乾かされた枯れ木を集めて俊輔が火をつけた。焚き火を囲む5人。
「はい、悠貴君」
と、ゆかりが悠貴に栄養食のクッキーを半分に割って渡す。悠貴が受けとるとゆかりは他の3人にも同じように配っていった。
「悠貴、あとどれくらいだ?」
俊輔に尋ねられた悠貴は地図を見て考える。
「半分……くらいは来てると思う。ここからは森を抜けて山を登っていくことになるから、ここまでかかった時間と同じようには考えない方が良いかもだけど」
悠貴の言葉に俊輔が天を仰ぐ。
「まあまあ、もう残り半分だけだぞって考えると楽になるよ、俊輔君」
と、ゆかりが俊輔を元気づけようとするが、そのゆかりの顔にも疲労の色は濃かった。
そのやりとりを見た悠貴は宗玄と聖奈に目を移す。2人も疲れている。
(所々で魔装をしてるっていってもな……。寒さは少しは防げるけど、その分魔力は消耗して疲れは溜まっていくんだからな)
思った悠貴は改めて地図を見つけられた幸運に感謝した。無闇に進んでいては助からなかっただろう。そう思って頭上を見上げた。原を進む途中で雪は止んで晴れ間が見えてきた。日は高い。昼に近いのだろう。詳しい時間は分からないが、朝早くから昼にかけて道程の半分を越した。
ここからは森と山。急がないと暗くなる前に目標の地点には着けないだろう。目標地点に何があるかは分からないが、日が落ちてしまえばそれを見つけることも難しくなる。
悠貴は立ち上がる。
「──行こう。暗くなる前に着かなきゃいけない」
悠貴の言葉に他の4人も立ち上がる。
頑張れるか、と悠貴に声を掛けられた聖奈は笑顔を返した。
森の中、沢に沿って歩く5人。途中から現れた傾斜が山に入ったのだと知らせる。
とにかく足場が悪い。大きな岩が並び、中には登ろうにも足を掛ける場所が見当たらないものもあった。いくつかの大岩を宗玄が魔法で動かす。
しかしそれでも湿った雪が歩みの妨げになった。かじかんだ手で上手く岩を掴めず、転んだり、時には岩から落ちたりした。その度にゆかりが治癒魔法で治す。しかし、ゆかりの魔力にも限度はある。大きな怪我には魔法を使ったが、少しの切り傷や打ち身は放っておくしかなかった。
暗くなる前に……、と4人を鼓舞した悠貴だったが、その光景に、今日はここまでにして休もうか、と提案した。しかし、4人は逆に弱気になった悠貴を叱咤した。
治癒魔法を使わなければならず、消耗が激しいゆかり。肩で息をしながら、自分は大丈夫だから心配しないで、と言う。
ゆかりの魔力が少なくなってからは聖奈も治療役に加わる。俊輔は定期的に火を出して4人を暖める。越えられなさそうな岩は宗玄がどかしていった。
昼の休憩からどれくらい経ったのだろう。明らかに日は傾いている。直に暗くなり始めるだろう。悠貴は焦る。祈るような気持ちで先へ先へと進んでいく。
進むに従い次第に傾斜は緩くなっていった。沢に沿って歩いてきたが、沢はそこから複雑な地形に合わせて蛇行を始め、大きく逸れ、山の中へ消えていった。
地図によるとこの沢が逸れていった所を今まで同様更に直進すると三角点に到着するようだった。
今までは沢に沿って歩いてきたがそこから先ははっきりとした目印はない。
しかし、悠貴たちの目の前に広がる緩い傾斜がある原の左右からは木々が迫っていたので、このまま行けば方向を見失うことはなさそうだった。
原には雪が深く積もっている。悠貴が風を呼び道を作る。その道を5人は進む。
沢に沿って歩いてきた。足元から伝わる冷気に凍えたが、それでも進みに合わせて景色が変わっていき、確かに進んでいるのだという実感があった。
雪の道はどこまでも単調だった。
どこまでこれが続くのだろうか。5人の誰もが辟易した辺りで急に傾斜は終わった。登り終わり、山の中腹、平らな場所に出た。
聖奈が声を上げる。
「あれ! あそこに何かある!?」
他の4人が聖奈が声を上げたと同時に、彼女が指差した方向を見る。
山小屋のようなものが見えた。
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