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そして、いつか、余白な世界へ  作者: 秋真
第三章 白銀世界の卵たち
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第79話 彼女の挑戦

 俊輔の頬を汗が伝う。なつみの頭上で威容を(さら)す炎の竜が凝視している。辺りは肌が痛みを感じさせるほど熱いのに、体の芯は凍りついているように冷たく感じる。後ずさりたくなる気持ちを全力で押さえつける俊輔。



 2人の勝負を見ていた悠貴たちの誰もが思った。勝負はあった、と。


 なつみは(さと)すような声音で俊輔に告げる。


「さっ、もう十分でしょー、俊くん。分かったよね? そろそろG1の演習始めなきゃ……」


 やれやれ、といったなつみの態度。


 そのなつみの態度が、折れかけていた俊輔の気持ちに再び火をつけた。


「……ま、まだまだ!!」


 そう叫んだ俊輔は正面からなつみに向かって駆け出す。


 あーあ、とため息をつくなつみ。


「俊くんの研修の前半は……、治療に専念してもらうことになるね!」


 クスッと笑ったなつみはそう言い放ち、竜に(かざ)した手を俊輔に向けようとする。



「なつー! 俊輔!」


 悠貴は叫んだ。これ以上は無意味だ。2人を止めなければ、と駆け出そうとした。そして、止まった。なつみが動きを止めたからだ。なつみも、なつみの頭上の炎の竜も微動だにしない。



 何事か、と悠貴は2人を見比べる。俊輔もなぜなつみが動きを止めたのか分からないといった様子で困惑している。そして、明らかになつみの表情からは先ほどまでの圧倒的な余裕が消えている。



 なつみは俊輔の背後から迫ってくる()()()の姿から目を逸らすことが出来ない。




 特務高等警察の制服の上から魔法士のローブを(まと)うその人物は、なつみと俊輔が雪を溶かし、土から水分を蒸発させた、乾燥した演習場を一歩一歩ゆっくりと歩いてくる。横に同じ装いの女性を伴っている。



 竜に(かざ)した片手を下げたなつみ。竜は姿を消す。なつみが絞り出すように口にする。


「て、手塚教官……」



 近づいてきた人物の顔が悠貴たちがいる辺りからでも分かるくらいの近さになったとき、悠貴はその人物の顔を思い出した。



 学年合宿中、優依を追って入った森で遭遇した化け物。その化け物に瀕死の重傷を負わされた自分の一命を救ってくれた。自身はその男と僅かな言葉しか交わさなかったが、近くにいた好雄や優依は知り合いのようで、手塚教官、と呼んでいた。



 手塚はゆっくりとした足取りでG1の所までやって来た。宗玄、ゆかり、聖奈を順に見て、最後に悠貴の顔を見て破顔する。


「おぉ、えーと……、そうだそうだ、悠貴君だ。去年の秋ぶりだねぇ、元気にしてたかい?」


 場違いな、どこか悠長な手塚の声色。黙って首肯する悠貴。それは何より、と言った手塚の横を、随伴していた女が通りすぎていく。立ち尽くす俊輔を一瞥(いちべつ)し、通り過ぎ、なつみに近寄っていく。


「新島教官、これは何事ですか? 私の記憶では対戦形式の演習はまだ先だったかと」


 そう言ってきた女をキッ、と睨み付けたなつみは表情を弛め、


「えーとぉ、これは……、ちょっとカリキュラムを先取りしてっていうか……。そもそも、演習内容は教官に一任されていて……」


 と余裕がある風を装って言い訳をしていたが、女の背後から手塚が近づいてくるのを見留め押し黙る。


 参謀、ここは私が……、と口を開いた女を軽く手を挙げて制した手塚がなつみに近寄る。なつみの頭上で動かないままになっている炎の竜を見上げる。


「相変わらずでたらめな魔力だね、流石……。でもね、なつみ……、私闘は禁止だよ?」


 なつみは慌てて炎の竜を消して、そして半歩だけ後退り答える。


「し、私闘なんかじゃありませんよ! こ、これは、そう、研修の一環で……」


「その研修の一環で、私が教えた魔獣術をか弱い研修生に向けるのかい? 私は弱いもの(いじ)めさせるために魔獣術を君に教えた訳じゃないんだよ?」


 表情と声色こそは穏やかだが、反論の隙を与えさせない雰囲気の手塚。




(や、やばいなぁ……。どうしよう……)


 焦りの色が濃くなるなつみ。何とか釈明をしなければならないと考えを巡らせるが空回る。下手な言い訳は目の前の人物には通じない。万事休すか、となつみはため息をついた。


(仕方ないか……。せんせーたちもいる手前、あんまりみっともないとこ見せたくはないけど、ここはもう謝るしか……)



 なつみがそこまで思った時、頭に響く声があった。



『それも悪くないけど、折角なんだし、()()()みたらどうだい? 今のなつなら、あるいは……』


 ふむ、と考え込むなつみ。腕を組み、なるほど……、と思ったなつみの顔に、にわかに覇気が戻る。


「えぇーと、手塚きょーかん、提案なんですけどー」


 なつみの台詞に手塚の横にいた女が色めき立ち、


「新島教官、この期に及んで何を……。大体、教官じゃなくて参謀とお呼びしろと何度言わせ……」


 と言いながらなつみに近づこうとしたが、それ手塚が制する。


「まあ待とう。なつみ、提案って?」



 なつみはニコッと微笑んで答える。


「良かったら、なつと、きょーかんで、デモンストレーションの魔法戦闘、やりませんかっ? 立派な研修の一環ですよ。実際、必要に応じて取り入れて研修生に見せても差し支えない、と要項にも書かれています」


 ほう、と興味深そうになつみの言葉を聞く手塚。


「で……、もしですよ、もし。万が一にもないと思うんですけどぉ、なつが勝ったら今回のことはおとがめ無しってことで……、どうでしょうか?」


 言い終わって手塚を見据えるなつみからは自信が覗く。少し考えるようにして、一度、遠くを見た手塚はなつみに目を戻し、


「うん、いいね。なつみは相変わらずだね。その性格、嫌いじゃないよ」


 手塚の返答に、よし、と拳を握るなつみ。



「参謀! 宜しいのですか!? これでは示しが……」


 と、手塚の横の女が苛立たしく声を上げ、なつみを睨み付ける。それに臆することなくなつみは見返し、


「ほらほら、副官さん。さんぼーもこう言ってることだし良いじゃないですかー? あぁ、それともさんぼーがなつに負けるとこ、そんなに見たくないんですかっ?」


 と言ってニコッと笑った。なつみに副官と呼ばれた女は、


「調子に乗るなよ、新島なつみ。今回の研修では教官に任じられているから一応立ててやってるが、お前、今までどれだけ参謀に迷惑をかけてきたと思っている……。大体、参謀がお前に負ける? はっ、冗談も休み休み言え。手塚参謀が出るまでもない。私が……」


 と言って腰の刀に手を伸ばす。しかし、手塚がその手をそっと掴んで止める。


「武井……、ここは私が。君は下がっていなさい」


 手塚に武井と呼ばれた女は、しかし、と言いかけたが、直ぐに居ずまいを正し、下がっていった。


「なつみ、君の提案をのもう。私も久しぶりに君と手合わせしてみたくなったしね。君が勝ったら今日のことは不問にしよう」


 満足げな顔をしたなつみが悠貴に向かって手を振り、声を上げる。


「せんせー! 手塚教官、確かにOK出したよね!?」


 状況が上手く飲み込めていない悠貴だったが、取り敢えず首を縦に振る。それを見留めたなつみ。改めて手塚に向き合う。


「よし、きょーかん……、言質、とりましたからね! 証人もいますよ、もう取り消せませんからね!?」


 なつみにそう言われた手塚は、来なさい、とだけ答えた。ニヤリとしたなつみが手塚から離れて一度距離をとる。



「今度こそ……、勝たせてもらいます! じゃあ……、いきますよ!!」



 手塚に向かって駆け出すなつみ。駆けながら自身に魔力を供給して魔装状態にし、炎の竜を頭上に呼び戻す。数え切れない火の球を浮かべては手塚に向かって放つ。



 なつみの途切れることのない火球の波状攻撃を手塚は魔法の盾で防ぐ。魔法士のローブのポケットに両手を入れたままの手塚。なつみの火球が手塚の盾に当たる度に甲高い音を立てる。



 他のグループの研修生たちも手を止め、息を呑んで2人の戦闘を見守っている。息をつく暇もない攻防が繰り広げられる。なつみの攻撃は苛烈さを増していくが、それを鮮やかに手塚がいなす。



 2人の戦闘に目を奪われていた悠貴。ふと気づくと、演習場の周辺には多くの人の姿が見えた。施設の職員や特高の隊員もが手塚となつみの戦いを固唾を呑んで見守っている。


「これならどうです!?」


 と叫んだなつみが放つ特大の火の球。周囲から喚声が上がる。


 悪くない、と返した手塚が放った風の魔法が火の球を見事に散らし、演習場がどよめく。




(す、凄い……)


 悠貴はそう思ってこぶしを握る。あの竜にしても途切れることのない火の球にしても途轍もないが、何よりそれを同時に難なくやってのけていることに驚く。それだけでもなつみのレベルの高さが分かる。しかし……。



(あのなつでも、手塚教官に、勝てるのだろうか……)


 なつみの激しい攻撃は続くが手塚は微動だにしない。手塚の盾も健在だ。盾は俊敏に動き、火の球を防ぐ。隙をついてなつみの頭上の竜も火を吹くが、手塚から発せられる風がそれをかき消す。手塚はまだ一歩も動いていない。なつみのように手を翳して魔法を使っている訳でもない。ローブのポケットに手を入れたままだった。


(なつ、このままだと勝てないぞ……)



 そう思った直後、悠貴は気づく。


(待てよ……、素人の俺でさえそう思うんなら、なつはとっくに気づいているはず……)


 なつみの様子を注意深く目で追う悠貴。ふと思った。何か……、狙っている、と。




 事実、なつみは手塚との距離をじわりと詰めていた。


(もう、ホントびくともしないわね……、やんなっちゃう……。これじゃあ前回と同じだわ……)


 そう思いながらなつみは、火の球を途切れることなく放ち、そこに竜からの攻撃も加える。力任せ、ごり押しの攻撃で反撃の糸口を作らせない。本当は竜を手塚へ向かわせ至近距離で戦わせたい。しかし、魔獣術で編み出した竜が倒されたら間違いなく反撃に出てこられる。


(我慢よ、我慢……。あと少し、距離を……。でも魔力の消耗が激しすぎる……)


 自身の()()()()()への期待が顔に出ないように……と無表情を決め込んでいたなつみ。しかし、ここに来て焦りが薄く滲み出る。


「さあ、なつみ。何か企んでるみたいだけど、このままだといくら君でも魔力が尽きてしまうよ? まだ仕掛けてこなくていいのかい?」


 手塚がなつみを挑発する。


(ふん、見抜かれていることくらい計算に入れてるわよ……。避けられない距離とタイミング……。私はそろそろOKなんだけど……)


 唇を甘噛みするなつみ。

 手塚の言う通りそろそろ限界が見えてきている。一か八か、私だけでも仕掛けるしか……。なつみがそう思った時だった。




『なつ……、こっちもOK……』


 となつみの頭に伝わる声があった。


 ニヤリとするなつみ。竜を消し、魔装を極限まで高める。両手に炎を浮かべ、速度を上げると共に、叫ぶ。




「こてつ! 今よ!」


 なつみが叫んだ刹那、手塚の背後の空間から割れるように火炎が吹き出した。その火の中に浮かぶ黒い影。影は火を纏って手塚へ向かって飛び出す。



 演習場の至る所から興奮した声が上がる。



「じゅ、従者だ! あいつ、あんなもん隠していやがったのか……」


 悠貴の横で俊輔が声を上げる。従者……、と問う悠貴に俊輔が続ける。


「魔法士が呼べる精霊みたいなやつのことだ。意思を持って、呼び出した主人に忠実に仕える……。ただよ、従者を呼んで使役する魔法士なんて滅多にいないし、俺も見たのは初めてだ……」


 悠貴は目で追う。俊輔が従者と呼んだ影。次第に姿がはっきりとしてくる。小さな黒猫だった。


 黒猫もなつみ同様、両手に炎を浮かべ、手塚に向かって飛んでいく。


『反則的な強さだね、お兄さん! でも……なつとぼくの勝ちだね!』


 なつみと黒猫に挟撃される形となった手塚。




「もらったぁぁぁー!」


 なつみが叫んだ声が響き渡る。



 手塚は薄く笑い、そして、呟くように──呼んだ。



 風を伝い、悠貴の耳に届く。


 ──朱雀。

 ──白虎。




 距離を無視して突如として耳に入ってきた手塚の声。悠貴がはっと我に返ると、辺りは静寂に包まれていた。何があったのかと辺りを見回す。



 なつみと黒猫に挟撃される形となっていた手塚の周りはもう盾はない。破られたからではない、もはや必要がなくなったからだ。




 なつみは動かない。動けない。


 風が生む大きな鳥。(くちばし)でなつみの喉元を捉えている。手塚を背後から奇襲した黒猫も風から成る虎の口の中に半分収まっている。



 なつみの顔を汗が伝う。



『やれやれ、なつ……。ここまでだね。ぼくたちの敗けだよ』


 黒猫は降参と言わんばかりに両手を上げる。黒猫が発した言葉に、なつみは唇を噛み、深く息を吐いた。両手に浮かべた炎を消し、魔装を解く。


「私の……負け、です……」



 なつみの声を聞き届けた手塚。直後、風の鳥と虎は中空に溶けるようにして消えていった。



「策に頼り過ぎだね、なつみは。君はまだまだ君自身を使いこなせていない……。おっと、もうこんな時間か……。お疲れ様、じゃあ後は宜しく。あ、ペナルティーは追って伝えるのでそれも宜しく」


 微笑んだ手塚は副官の女を伴い、施設の方へ向かっていった。他のグループも演習を再開し、見物していた人影も見えなくなった。



 なつみは空を見上げ、少し歩き、雪を背にして大の字で横になった。



「なつ……」


 なつみに駆け寄った悠貴だったが、何と声を掛けたら良いか分からず、取り敢えず名前を呼んでみた。


 なつみは仰向けのまま、右腕で顔を覆っている。



「せんせー。5分だけ放っておいて……」



 分かった、とだけ悠貴は返し、その場を離れた。

今話もお読み頂き本当にありがとうございます!


次回の更新は10月16日(金)の夜を予定しています。



宜しくお願い致します!

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