第70話 これは自分の物語
悠貴の目に映る、カフェに入ってきた少女は小学生くらいに見える。小さな体と比べ、だいぶ大きなキャリーバックを引いていた。荷物から魔法士の研修生かとも悠貴は思ったが、新人研修への参加も魔法士の登録も13才、中学1年生からだ。だとすればあの少女はただの旅行客……。しかし……、この悪天候、しかも親の姿もなく1人……。
そんなことを悠貴が考えていると、手許のスマホから目線の先を少女へ移した俊輔が口を開いた。
「おっ、ついにご登場か……。悠貴、しってるか、あの有名人?」
そう言われて少女をじっと見るが見当もつかなかった。同期の研修生は目の前の俊輔以外は知らない。悠貴が首を横に振ると俊輔は続けた。
「青木聖奈。今回の研修に特例で参加する小学生資格者だ」
そう言われた悠貴は改めて少女に目をやる。店員に案内され、少女は悠貴たちに背を向けるようにして座った。案内されたのは入り口近くのテーブルだった。体が冷えているのか、ドアの開閉で風が吹き込むせいかは分からないが、羽織ったコートをそのままにメニューを眺めているようだ。コートの腕の長さが合っていないのか、しきりに袖を上げている。
「あんな可愛らしい見た目をしてるけどな。あいつ、何て呼ばれてるか知ってるか?」
そもそも存在も名前も知らなかったのに異名なんて知るわけがない。再び悠貴は首を横に振る。
「──天声の姫。天声……、あいつの魔法の属性が『雷』ってところからそう呼ばれてるみたいだが、西の方じゃ天才少女ってことで業界ではちょっとした有名人になっているらしいぞ。悠貴もやっただろ、登録申請の時に魔法見せるやつ。あいつがぶっ放した魔法のせいでそこの法務局の建物が半壊したらしい……」
ここからだと背中しか見えないが、物騒な異名とあの可愛らしい少女がどうしても結び付かない。しかし悠貴たちと同じように、研修生とおぼしき客が数人、ちらちらと少女を窺っている。
「研修生同士の実戦演習もあるらしいからな。見た目だけに目がいってると手加減の一つもしたくなるが、ありゃとんでもねぇ化け物だぞ。まあ俺はそんなやつとやりあえるってんだから楽しみだけどな」
いくら天才少女とはいえ、あの小学生相手に本気で自分は戦えるだろうか。悠貴は随分と温くなったアールグレイを口に含みながら思った。
それから暫く俊輔との他愛のない話を続けた。改めて登録申請のとき、法務局で知り合いを作れて幸運だったと悠貴は思った。こうして延びた集合時間。自分独りでは相当もて余しただろう。
件の天才少女はテーブルに突っ伏して寝ているようだった。
同じように集合時間を待つ他の研修生たち。スマホを見たり、荒れる外の景色を眺めたり、研修生仲間に話し掛けている者もいた。カフェの中の暖かさのせいもあり、まったりとした空気に包まれていた。
どうやら今日の最後の特急が着いたらしい。大きな荷物を抱えたり背負ったりした研修生風の客が何人か入ってきた。天候による減速走行でここまで辿り着くのに相当時間がかかったのだろう、各々の顔から見て取れる疲労の色合いは濃い。
「だいぶ疲れてそうだけど、あいつらはまだましかもな……。今日はもう終日運休ってことだから明日の到着になる連中もいるんだろうな」
彼らの様子を見て俊輔が口にした。改めて余裕を持って現地入りしておいてよかったと悠貴は思った。今日の最終で着いた研修生が一息ついた頃には外は暗くなってきていた。
そろそろ集合場所に向かうか、と悠貴が尋ねると、ああ、と首肯した俊輔は立ち上がった。2人それぞれ自身の荷物を持って出入り口に進む。
先に会計を済ませた悠貴の目に、ふと先程話題にのぼった少女の姿が入った。こうして近くで見るとやはり幼い。この子と戦う、ということが全く想像が出来なかった。
「待たせたな」
悠貴に続いて会計を済ませた俊輔がドアへ向かって歩き出す。悠貴もそれに続こうとしたが……。なんとなく立ち止まり少女の方へ向かう。おい、と呼び掛ける俊輔に悠貴は反応することなく、少女が座るテーブルの傍らに立ち、テーブルの上を軽く叩く。
テーブルの間近にあった耳が悠貴が叩く音をすぐに捉えたのだろう、僅かにびくっと身じろぐと少女は体を起こした。
「んんっ……」
目を擦って体を伸ばし、ぼうっとした目で悠貴を見つめる。やはり幼い。
「君、魔法士の新人研修の参加者だよね?」
少女は眠り眼で、こくんと頷いた。
「そろそろ集合時間だよ?」
そう告げられた少女は壁に掛かる時計を見て表情を変える。
「あ、ありがとうございますっ!」
慌てて身支度を整え始める少女。それを見留めた悠貴はその場から離れて俊輔の元へ向かった。
店の外へ出る悠貴と俊輔。窓越しに見ていて覚悟はしていたが、強まった風が外の寒気をドーム内に絶え間なく送り込んでくる。足早に集合場所へ向かう。
「悠貴、お前、良く話し掛けられたな」
「何がだ?」
「さっき、店の中でさ。お姫様に話し掛けただろ?」
ああ、と悠貴は応じた。戦うのが楽しみだという割には俊輔にはどこか天声の姫と呼ばれる少女への遠慮が見てとれた。
「あのまま放っておいたら集合時間に間に合わないかもって思ったからさ。何か変なことしたか?」
いや、と薄く笑った俊輔が吐く息は白い。
ドームを出た2人は迎えに来ているはずのバスを探す。吹雪で視界が悪いが、同じようにして大きな荷物を持つ人影が向かう先を見るとバスがあったので同じようにそこへ向かう。
バスの前には先程のカフェで言葉を交わした男と女の姿があった。既に身元の検めは済んでいたので、女は悠貴と俊輔を見留めるとバスに乗るように目で示した。
バスに乗り込む。集合時間まではもう少しだったが、バスの中の人影は疎らだ。毎回の新人研修の参加人数は凡そ40。車内の人数はおそらく20にも届いていない。バスが大きいということもあるが、空席が目立つ上にそれぞれが散って座っていたので余計に閑散とした印象を受けた。
何処へ座ろうか、と軽く車内を見回す悠貴。最後尾の席が空いていた。暗い車内を悠貴は進み、俊輔がそれに続く。
悠貴は他の研修参加者の様子を窺おうかとも思って目をやったが、皆一様に下を向いたり窓から外を眺めていたりしてよく分からなかった。
通路を進む悠貴。話し声がした。大体の研修生が1人で座る中、2人の少女が並んで座って話していた。車内の空気を読んで、彼女たちなりに声を潜めているつもりではあるのだろうが、それをうわまわる車内の静寂が彼女たちの声を浮かび上がらせた。
最後尾に着き、悠貴は奥の席に詰めて座る。続いてきた俊輔がその横に座って一息ついた。
悠貴はラケットバッグを前の座席との合間に置いて両足で挟む。靴底に着いた雪が溶けて足元を濡らす。ラケットバッグの底が濡れないか心配になったが、この狭さではどうしようもない。俊輔は荷物を自分の横の空いている席に置いて雪を払っている。
その様子を見ていた悠貴の瞳に雫が入ってきた。髪についた雪が溶け出して伝ってきた。軽く手で髪を払い、頭を振るが、わざわざタオルを出す気にはならなかった。
更に数人が乗り込んで来た。件の天才少女。袈裟のようなものを羽織った老人。そして、細い縁のメガネをかけた大学生くらいの男。最後に入ってきた、やたらと太った中年の男はどこか不遜さを感じさせた。
それらを加え、車内には20余名の研修生が揃う。悠貴は腕時計に目をやった。もう集合時間は過ぎている。天候の影響だろう、相当数の研修生が高原駅に辿り着けなかったとみえる。
バスにエンジンがかかり、特高の制服の上から魔法士のローブを纏う女と男もバスに乗り込んできた。直後、バスのドアが閉まる。女がマイクを持って話し始めた。
「新人研修の参加者の皆さん、悪天候の中お疲れ様です。天候の影響で到着が明日になる研修生も多数いますが、その全員と連絡はついています。彼らは明日の合流になる予定です。我々はこれから新人研修が行われる施設へ向かいます」
その言を受けてバスが動き始める。
横から突っつかれた悠貴は俊輔を見る。
「今のうちに連絡取りたい奴いたらメールでも何でも送っておけよ。研修施設に入れば外部と連絡は取れない。電波が遮断されてるんだとよ。中だけじゃなくて施設の周辺もな」
そう言った俊輔は手に持っていたスマホで早速、文字を打ち始める。よく見ると車内のあちこちに俊輔と同じようにスマホをいじる研修生の姿があった。
悠貴も誰かに連絡を取ろうかと思い、何人かの顔を思い浮かべた。しかし、莉々や好雄、優依とは駅で別れを済ませている。今から何か送るのは少し気恥ずかしかった。
「なんか、いよいよって感じだな……。外とは連絡が取れないし、もちろん外に出ることも出来ない……。研修って言えば聞こえはいいけど、これは体の良い軟禁だぜ。過去にも耐えきれずに研修中に逃げ出そうとした奴らもいたって話だ。そいつらがどうなったかは知らねぇ。毎年何人かは脱落者が出て、行方不明ってことになってるらしいが実際のところはどうだかな……」
俊輔の話を聞きながら、好雄と優依から聞いた哀れな男の話を悠貴は思い出した。どこか、凄く遠い世界の悲しい物語のように思っていた。その舞台に、今度は自分が当事者として立つ。決して、逃げ出すことが許されない3ヶ月が始まった。
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次回の更新は9月14日(月)の夜の予定です。
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