第68話 風雪の高原
駅舎を背にして立つ悠貴の目の前の道路は場違いな幅員だった。その向こう、相変わらず雪で視界は悪いが、それでも、そこに広がる街の佇まいを覆い隠すことはできていなかった。
見上げるほど高い、という訳ではないが相応の高さのビルが立ち並ぶ。そのどれもが真新しい。モダンで品のある、そんな街並みだった。しかし、悠貴の目には、秩序だって並ぶ、それらの建物群はどこか無機質で、天候を抜きにしても寒々しく映った。
それは人気の少なさのせいかもしれない。立派な街には人の姿が少ない。駅舎内に連なるドーム内の店の方がまだ人の姿があった。
好雄の、駅の周りには何もない、という言葉を駅のホームに続いて再び思い浮かべた。どう控えめに言っても、この街並みを、何もない、寂れている、と形容することは憚られる。
(もしかして……、よしおの奴、俺のことからかったのか……)
友人の戯れだったのか、と悠貴は何とも言えない顔をする。戯れと片付けた割にはやはり綽然とせず、友人の言葉と目の前の光景の間に言いようの無い違和感が横たわる。
刺すような風が吹く。
悠貴は直ぐに中へ戻ろうかとも思ったが、少し辺りを歩けば、あるいはこの違和感を解消させる手懸かりでも見つけられるのではないかと思い、大通りに沿って歩いていった。ラケットバッグを背負い、それに加えて左肩に小さなリュックを掛けた。
悴んできた両手を擦り合わせた悠貴。そう言えば莉々から渡された手袋があったか、とリュックから手袋を取り出して両手にはめる。やはり少し薬指がきつい感じがした。両手の皮膚が直接外気に触れることがなくなり、不思議と全身も心なしか温かくなった感じがする。
柔らかく積もった新雪を踏みしめる感触は歩き始めこそは物珍しさも手伝って楽しく感じた。しかし、次第に冬用のブーツの中にすら冷たさが伝わってきて、足が重くなっていくような気がしてきた。
やはり引き返そうかと思った時に、悠貴の右手に続いていた駅舎と隣接する建物が途切れた。悠貴は左手の街並みを見て、右手に目を移す。同じように無機質な世界を想像して。そして、その想像とは真逆の光景から目を離せなくなってしまった。
──あまりにも、普通。あまりにも、白い。
寂れた山野は一面の雪で覆われていた。景色の奥には、自分がやってきた海岸線が見えた。高原駅まで続く線路が海と白銀の山野の境界線のように浮かび上がる。
高原駅はその名の通り、丘陵地帯の中腹の開けた辺りに位置していて、悠貴の目の前には、そこから緩やかに見下ろすような景色が広がる。
景色は白く覆われているが、人家や小店舗とおぼしき建物も点在している。それらをつなぐ小道もある。しかし、山野に点在する人を思わせるそれらの痕跡が、一層その景色を寒々しくさせていた。
その光景を頭に残し、悠貴は反対側を見やる。
駅から少し離れたこともあり、先程よりも僅かに遠くに見えたが、遠くから見ることで全体像が視界に入り、精緻な建物群が偉容を晒す。
駅を挟んで、あまりにも左右の景色が、違った。駅の東口と西口で発展の具合が違う、片方が駅表で、残りが駅裏、といった差ではない。世界が違っていた。
改めて左右を見比べる悠貴。左右それぞれの光景は目指すべき世界観が圧倒的に異なっていた。
(何で、駅を挟んで、こんなに違ってるんだろう……)
しかし、その両極端な光景は、共に、両極端な寒々しさを纏っていた。寒々しいという一点において両者は似かよっていた。
風が吹き荒ぶ。
流石に凍えてきた悠貴は足早に駅舎へ戻る。コートをかき寄せる。首もとから入る外気を遮ろうとしたが、今度は袖から入り込む外気が気になる。悠貴は莉々の手袋が無かったら……、と思うとぞっとした。
駅舎に付属するドーム状の建物の中へ入った悠貴は少しでも外気から遠ざかろうと奥へ進み、改札近くまでやってきた。改札近くの掲示板の表示が目に入る。
『今後の天気予報によると一層の天候悪化が見込まれるため、上下線全てで運休』
やはり早めに出て正解だった、と悠貴は胸を撫で下ろした。そこそこの余裕をもって……くらいの時間に出た研修生は恐らく高原駅には着けない。
ほっとした悠貴だったが、やはり寒い。ドームの中は雪こそ降らないが、風は悠貴が立っている改札前辺りまで届いた。冷えた体を何とかしたいし、まだ集合時間まではだいぶある。どこか店に入って暖を取ろう。そう思って歩きだそうとした時だった。
「悠貴じゃん!」
名前を呼ばれた悠貴が振り向く。金髪の男がそこにいた。軽く手を上げながら近寄ってくる。山縣俊輔。法務局で会った同期の研修生。
「よう、久しぶりっ。法務局で、以来だな」
悠貴がそう返すと俊輔は外見に反して人懐っこい笑顔を浮かべた。
「おう。一度会っただけなのに覚えてくれてたか。てっきり忘れられてたかと思ったぜ。てか、早いな。俺は今着いた電車に乗ってたんだけど、悠貴もか?」
「いや、俺はもう一本前の電車だよ」
「マジか……、まあでもこの天気じゃ妥当だったな。今の電車で着けなかった連中は遅刻確実だ。近くまで来ている電車は取り敢えずここまでは来るみたいだけどな。それはそうと……、ちょっとここ寒くないか?」
「そうだな、どっか入って話すか」
悠貴にそう言われた俊輔は凍える体を擦りながら、ああ、と首肯した。悠貴は辺りを見回す。一見して店内の様子が分かるような店の中はどこも席が埋まってるように見えた。
俊輔が悠貴の背中をつつき、
「悠貴、あそこはどうだ?」
俊輔が指差したのは重厚なドアを構えた高級そうなカフェだった。中の様子は見えないが、確かに何となくあそこなら入れそうな感じがした。
2人はそれぞれ荷物を持ち上げてそのカフェへ近づいていく。
悠貴は店外に備え付けられているメニューで値段を確認しようと手を伸ばしかけたが、俊輔が臆することなく中へ入ってしまったのでそれに続いた。
(うーん、俊輔みたいな奴とはあまり縁がなさそうな店に見えるんだけどな……)
そう思った内心を表に出さないようにした悠貴は俊輔に続いて店の中に入った。
ドアから醸し出される落ち着いた雰囲気がそのまま店内を満たしていた。客は少ない。手前にはテーブル席があり、奥が半個室のようになっていた。
俊輔は既に迎えに来た店員と話し、奥の半個室へ先導されていく。悠貴もそれに続いた。
普段あまり入ることのないような店なので気後れする所もないではないが、連れの俊輔が既に座席について荷物を下ろしている。
悠貴も俊輔とテーブルを挟んだ反対側の席に座り一息着く。莉々の手袋を外し、リュックにしまってコートを脱ぐ。俊輔がハンガーを手渡してきたのでコートを掛けた。
俊輔はテーブルの上に置いてあったメニューを手に取ると直ぐに悠貴に手渡した。店の雰囲気に合った相応な値段だった。一人ではまず入らなかっただろう。悠貴はその中でも比較的財布に優しいアールグレイを頼み、俊輔は朝食がまだとのことでサンドウィッチのセットを注文した。注文を聞いた店員が去っていった辺りで俊輔が口を開く。
「いよいよ新人研修だな、待ち遠しかったぜ」
悠貴も待ち遠しかったは待ち遠しかったが、同時に不安も内包していた。俊輔の声音には臆する様子はない。
「俊輔は緊張したり、不安だったりってのはないのか?」
「はは、俺がそんな繊細な奴に見えるのかよ? 昔っからそういったのとは無縁なんだよ」
そう言って笑ったが俊輔は、グラスを持ち上げて水を飲み干し、氷を噛み砕く。近くの貴婦人連がその音を不快に思ったのだろう、無言の批難を目線で示したが俊輔は気づいていないようだ。
「俺にそう聞くってことは悠貴は緊張してるのか?」
「俺は、まあそうだな。楽しみって気持ちの方が大きいけどなっ」
自身の矜持がそう言わしめた。そんな自分を悠貴は薄く笑ったが、それに頓着する様子がない俊輔は続ける。
「ああ、楽しみだな。周りは強え連中ばっかりだ。そんな奴らの中で自分がどこまで通用するのかってな。それと……」
何かを言いかけたようだが、いや、と窓の外に俊輔は目を向けた。外の雪は斜めに降っている。風が強いのだろう、時折窓を揺らす。
悠貴も俊輔に倣い、窓の外を眺める。やはりそこには寒々しい世界が広がっていた。
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次回の更新は9月7日(月)の夜を予定しています。
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