第58話 play on the waterfront! ④
悠貴と優依はそのまま進み、景色と内を隔てるガラスの側までやって来た。
「うわぁー」
優依が遠く、どこまでも見渡すことのできる光景に感嘆の声を上げる。透けたガラスの床では身動きすら取れなかった高所恐怖症の優依。普通の床がある辺りまで進み、今は景色を楽しむ余裕があった。
そんな優依を横目にする悠貴もまた、空の青と海の青が溶け合う景色に目を細める。
展望室の客は概ね時計回りに動いているようだった。悠貴と優依もゆっくりとその流れに合わせて動いていく。
そうして展望室の円周に沿って歩いていると富士山が見えてきた。小さいな、と悠貴は思った。悠貴がそう思ってしまった原因ははっきりしている。その富士の手前。
──始まりの山。
山肌の枯れた琥珀色は青く澄む景色の中で、大きさもそうだが、まず色合いで目立っている。形ばかりが穏やかな稜線は山全体が発する異様さを覆い隠すには至らない。
悠貴は息を飲む。合宿への往路では、より間近で見た始まりの山。こうして遠くから見ることで、光景のなかでそれがいかに異常であるかが分かる。悠貴はぞくっとした。
「悠貴君……?」
どこか案ずるような声色で悠貴に話しかける優依。
「あ、あぁ。綺麗な景色だよなっ」
取り繕って、自分でも敢えて始まりの山への意識を薄めようと発した台詞は、その声色からも調子からも逆に言外に始まりの山の存在を際立たせてしまった。悠貴の意図に反して真意が見事なまでに優依にも伝わる。
「うん……、綺麗だね」
優依もまた台詞の行間に内心の思いを込めてそう返した。
悠貴が空気を変えようと次に発すべき言葉をかき集めていると莉々が声を掛けてきた。悠貴は正直助かったと思った。
「2人とも景色見て回るのに時間かけすぎだよー!」
自分からここに誘っておいてそれを言うか。口にしかけた反論を内心に押し止める悠貴。しかし莉々のお陰で始まりの山への意識は薄まった。
4人で揃って歩き始める。
始まりの山が見える方角から北へ向かい、ガラスに沿って進むと都心のビル群が目に入ってきた。
陸地と湾岸エリアの大小の島を結ぶ橋。一際目立つ、湾岸線の曲線状のレール。普段自分たちが生活している都市をこうして見るのは面白かった。
莉々と優依は自分たちの大学はあっちの方に違いないと方角を示すパネルを見ながら盛り上がっている。
ビル群も橋もレールもここからだと白く見える。そのまま歩を進めて目に入ってきた湾岸エリアの京葉方面。景色の中、その建物の黒さがすぐに目についた。
「なんだ、あのビル。やたらとデカいし、黒いなー。てか黒一色ってどんな趣味だよ……」
志温がそう口にするのも無理はない。黒の上に黒を塗り重ねたような建物。色合いのせいで悠貴たちのいる辺りからでもやたらと大きく見える。
悠貴はどこか、その建物に不気味さのようなものを感じたが、その感覚はあくまでもぼやけたものだった。それに対して、悠貴の横に立つ優依の表情ははっきりとしていた。
──嫌悪。
優依の瞳。怒りや憎しみといった激しい感情を宿しているわけではない。幼い頃に誤って落ちてしまったことがある古井戸の黒い水面を見る時のような目。
「ホント……、気持ち悪ー。あれ設計した人って絶対に病んでたんだよっ……」
志温の気軽さに調子を合わせてそう言った莉々は更に続ける。
「あ、ねぇ、そろそろプール行こうよ! お昼だって近づいてきたし!」
それもそうだな、と悠貴と志温がそれに応じ、先ほど自分たちが昇ってきたエレベーターへ向かって歩き始める。
くぃ、と優依に袖を引っ張られ振り向く悠貴。優依は振り向き様に呟くように悠貴に伝える。
「あの黒い建物が特高の本部だよ……」
そう言った優依は悠貴の横を通り抜け、努めて明るく莉々と志温に近づき、プールと昼に何を食べるかの話題で盛り上がる。
特高の名前を聞いた悠貴は不思議と驚きはしなかった。むしろ優依に言われて妙に納得してしまった。競技場で見たような連中があそこにいるのだ。
気を取り直した悠貴は3人の輪に加わり、
「じゃあ取り敢えず……、2人の水着姿を堪能させてもらうかっ」
と、莉々にふざけて見せた。
「バ、バカじゃないの! そういうこと……、わざわざ口にしなくたっていいじゃん! ね、優依っ?」
水を向けられた優依は袖で覆って紅潮した顔を隠す。あぅぅ、と変な鳴き声を発している。
その様子を見て志温が笑ったときにちょうどエレベーターが着いた。来るときと同じように最前列に並んでいたので、悠貴たちは同じようにエレベーターの最奥に押し込められるように入っていく。
袖で顔を覆っていたのが奏して今度は優依は透明な床に臆することなく進むことができた。
ドアが閉じてエレベーターが降り始める。
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悠貴と志温はロッカーで着替え終わるとすぐにプールへ向かった。莉々と優依は自分たちよりは準備に時間がかかるだろう。逸る気持ちが押さえられず先にプールへ向かった。
ドーム中心部に位置する屋内プールは天井が高い。悠貴が見上げた先。さきほど優依が立ち竦んだガラスの床が小さな点として見えた。
家族連れ、友人同士、恋人同士……。子供から年寄りまで多くの人たちが至るところを行き来している。しかし込み合っている感じは不思議としない。そう感じさせる空間の広さ。大小様々なプールに人々が散っている。飲食や休憩用のスペースでくつろぐ姿も見える。賑わいはしているが混雑はしていない。
「あれがさっき話したウォータースライダーじゃないか?」
屋内プールの光景を眺めていた悠貴に志温がそう言って指差した先。
──なるほど、確かに大きい。悠貴が単純にそう思ったウォータースライダーは悠貴たちがロッカーから入ってきた辺りから見ると奥の方に位置していた。
ウォータースライダーの青い曲線は蛇行しながら何重にもうねったかと思うと急に直線に繋がり、その直線の出口の先に大きなプールがあった。直線のスライダーの先が少しばかり上に向かって反っている。
今しがた滑り落ちてきた大学生くらいの男は減速せずきたらしい。叫び声と共に勢いよくスライダーから現れたかと思うと滑降の余勢でそのまま宙に舞って、一瞬の静止を経てプールへ落下していった。
そのプールはどうやら落下の衝撃の緩衝の為、この施設では2番目に深い、とのことらしい。
ウォータースライダーからプールに落ちた男の友人だろうか、プールサイドでは数人の男女が笑いながら、水飛沫が落ち着いた波紋の中心を指差して笑い合っている。
「そうだな……。てか、実はあれ、結構なスピードが出るんじゃないか……」
そう志温に返す悠貴。優依はともかく莉々は乗りたがる、なんとなく悠貴はそんな気がした。
そんな風に莉々のことを考えていたので当の本人に背後から声を掛けられ悠貴はドキっとした。
「悠貴、志温お待たせっ!」
先に振り向いた志温が件のウォータースライダーについて莉々と話す。悠貴は極力意識しないようにあくまで自然と振り向く。
そのようにわざわざ一拍置いて振り向いたはずの悠貴の目に入ってきた2人の水着姿。
莉々の健康的な肢体は純粋に綺麗だった。女性的な曲線が周囲を惹き付けるのだろう、男のみならず同性もちらちらと見ながら通り過ぎ、そして振り返って二度見している。
対して優依は莉々ほど目立ちはしないが白く透き通る肌が目を惹く。優依は水着の上に薄いパーカーを羽織っていた。しかしその姿がむしろ可愛らしさを演出している。男ばかりの3人が少し離れた辺りから、揃いも揃って鼻の下を伸ばして優依に目を奪われている。
「どーお? ちゃんと堪能してる?」
さっきのお返しと言わんばかりの悪戯っぽい笑みを浮かべて莉々が悠貴にそう言う。
莉々の横ではただでさえ紅潮していた優依がいよいよ恥ずかしさに耐えきれなくなって俯いてしまった。見とれていた悠貴は莉々の言葉に我に返った。
「まあ、いや……、別に……」
莉々と優依を直視できなくなった悠貴はそう言ってウォータースライダーの方に目を向けた。わざとらしくウォータースライダーを眺める。その視界に回り込んできた莉々が割り込む。
「えー、別にって何よっー」
少しムッとしたような表情。上目遣いで悠貴を可愛く睨み付ける。悠貴の視線がさ迷う。
視線の先がさ迷ったのが災いする。ウォータースライダーを見ながら口にしたはずの「大きいな」の台詞を言い終わったその時、さ迷った悠貴の視線の先がたまたま莉々の胸元を捉える。
「わ、ちょ……、どこ見てんのよっ!」
「ま、待て、誤解だ! 俺はウォー……」
言い終わる前に莉々が投げ付けたタオルが悠貴の顔面を捉える。悠貴はタオルを顔から除けるが当の莉々はスタスタと先へ歩いていってしまって弁明の機会を逸した。優依はパーカーを胸元に引き寄せて何とも言えない視線を悠貴に送っている。
(あれ……、俺、なんか盛大に勘違いされている……?)
紅潮した優依は小走りで莉々の元へ向かい、残った志温が悠貴の肩を叩く。
(あれ……、俺、なんか慰められている……?)
志温もまた莉々たちを追って歩き始めていき、悠貴はその場に一人取り残される。
ふぅ、と静かに息を吐く。悠貴の視線の先。ウォータースライダー。また1人吐き出され、着水して大きな水飛沫が上がる。悠貴は再び思った。
(やっぱり、大きいな……)
邪念を振り払うようにして両手で頬をパチンと叩き悠貴は3人の元へ向かった。
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次回の更新は7月13日(月)の夜を予定しています。
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