第55話 play on the waterfront! ①
スマホの目覚ましが鳴るよりも早く起きてしまうのは悠貴にとっては日常になっていた。今日もまたアラームをセットした6時30分の7分前に目を覚ます。
カーテンから漏れて部屋へ入り込んでくる陽光の加減で部屋の輪郭は淡い線を描く。
起き上がる悠貴。一度布団から出たものの寒さに驚いて再び布団にくるまり、なんともなしに部屋の中空を眺める。寒気が季節が秋から冬へ移ってきたのだと告げる。
二度寝の誘惑を断ち切るように悠貴は立ち上がる。冷蔵庫から緑茶を出してカップに注ぐ。電子レンジに入れて1分半。程よく温まった。それを手にして机に向かい、椅子に座る。デスクライトを点けると陽光が映す淡い輪郭は姿を消し、はっきりとした明暗が部屋に広がった。机の上に置いてあるラジオをつける。
『……DTR重工の株価は昨日も上昇。AI搭載の新型兵器開発の発表以来、売り方の買い戻しが鮮明となり……』
ラジオの音が静かに部屋に伝っていく。緑茶を口に含む悠貴。喉を伝っていく温かさが心地よい。
『都市圏中心部における食料生産能力向上を目指す市街地再開発につき、政府の非常事態対策連絡会議は内務省素案をそのまま政府案とすることを全会一致で了承し……』
更に緑茶を一口飲んだ悠貴はラジオを流しながら資格試験の問題集を開く。解くのは5問、時間にして20分。これが最近の悠貴の朝の日課だった。
『タリー君のお天気コーナーです。今日は終日快晴で傘の出番はないでしょう。またこの時期にしては日中は気温が上がり……』
5問解き終わって悠貴は改めて緑茶を飲む。そうして悠貴が吐く息。緑茶の熱も加わりほんの僅かに白い。
眠気が覚めず目を擦る。デスクライトを消し、立ち上がって窓辺へ向かう悠貴。
カーテンを開いてベランダへ出る。足の裏から伝わるコンクリートのひんやりとした冷たさ。冷たさを消そうと足を擦り合わせる。ベランダから下を覗く。休みの朝の大通りは静かだった。
うーん、と悠貴は背伸びをする。外の凛とした空気に目が覚めてくる。
(今日は楽しみだな)
そう思って悠貴は目を細め、部屋の中へと戻る。
昨晩は寝るのが遅かった。大学の中間試験と資格予備校の小テストの勉強があったからだ。しかも、今日は一日中外出し、勉強の時間がとれない。そう考え昨日は終日勉強に充てていた。
トーストを焼くと部屋に芳ばしい香りが広がる。マーマレードのジャムに牛乳、そしてヨーグルト。手早く朝食を済ませると、食器を洗い、洗口液で口を濯ぐ。
いつもの朝の光景。その中で、どこか逸るような様子の悠貴。
9月末に行った学年合宿。悠貴、莉々、優依、志温の合宿係4人による打ち上げ。11月始めに学園祭があったことで延びに延びた。
一度は11月の半ばの日曜に予定を組んだものの、この時は学園祭の疲れからか優依が熱を出して流れてしまった。
すでに合宿からは2ヶ月経っているが今でも同期で合宿中にあったことを話すことがある。それくらい同期にとってはいい思い出になっていたし、係4人にとっても思い入れが深いものとなっていた。
着替えながら悠貴は合宿中の出来事を振り返る。風を呼ぶ、その魔法を覚醒させた合宿。一生忘れることはないだろう。茜色に包まれたコテージのリビング。テニスコート。BBQをした庭。そして漆黒の森。その先の閑地と、好雄と優依が殺めた男が眠る墓。
自ら打ち倒した異形の姿を思い出し、悠貴は軽く震えた。異形に吹き飛ばされ、もたれ掛かっていた樹木。背中から伝わる木の冷たさが克明に感覚として残っている。死が迫り、そこで覚醒した。瀕死の重症だったが好雄と優依が教官と呼んだ男の治癒魔法で助けられた。帰路、立ち寄った温泉で好雄から過去に何があったのか聞いた。
今日はその合宿の係の打ち上げだった。莉々の提案で都内の臨海地域に最近出来た大型の屋内プールに遊びに行くことになった。
水着姿を見せることに優依が難色を示した。
『莉々ちゃんは良いかもだけど、わ、私の水着姿なんか見ても誰も喜ばないよー!』
と恥ずかしがり、同時に相変わらずの自虐を披露してあわあわと抵抗していたが、莉々がなんとか説得した。夕方前までプールで遊び、その後、悠貴の家で鍋パーティーをすることになっている。
悠貴は部屋を見渡す。この一週間、志温はどうでもいいとして莉々と優依が来るわけだから、と徹底的に部屋を掃除し、隠すべきものは奥深く隠した。抜かりはない。
(よし、大丈夫だな……)
壁に掛けてある時計を見る悠貴。集合の時間まではまだだいぶ余裕がある。待ち合わせは屋内温水プールがある湾岸ドームの最寄りの駅。
ラジオでも言っていたが天気も良く12月にしては暖かそうだ。少し早めに行って辺りを見て回るのも悪くない。そう決めた悠貴はカーテンを閉める。
テーブルの上に置いておいた鍵を持ち上げ、荷物を入れたリュックを背負い廊下へ向かう。
『番組をお聞きの皆さんに素敵なプレゼントのお知らせです! 番組マスコットキャラクターのタリー君のぬいぐるみを抽選で13名の方に……』
つけっぱなしにしていたラジオを消すと部屋は急に静かになった。
靴を履いて廊下の明かりを消して外へ出る。昼からは気温が上がるとラジオでは伝えていたが、今も寒気は冬にしては心強い陽光に相殺されて心地よい空気に変じている。
ドアノブを3回引っ張って鍵が掛かったことを確認する。家から最寄りの駅へ向かって歩き出す。少し進んだところで悠貴は踵を返して、もう一度ガチャガチャと鍵が掛かっていることを確かめる。
よし、と悠貴は改めて駅へ向かって歩を進める。
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車窓から外を臨む悠貴。先程まで見えていた高いビル群は景色から遠ざかり、海と東京湾に浮かぶ人工島が目に入る。
始まりの山の出現時、根も葉もない、出処も確かでない様々な噂が飛び交った。
その1つが巨大津波が襲ってくるというものだった。特に当初こそ始まりの山の出現は地殻変動と捉えられていたこととも相まって信憑性が高まり、湾岸エリアの企業や住民はこぞって所有していた不動産を売却しようとした。
しかし売却しようにもこれから津波が来ると恐れられているような場所の不動産に買い手はつかず価格が暴落した。ただ同然でも買う向きはなく、担保価値が無くなり、銀行が抱えていた貸し出しは不良債権と化した。
そこまで至って已む無く国が特別措置法を制定し、湾岸エリアの一帯の土地建物の一切を買い取り国有化した。湾岸エリアだけでなくこの時期、他の地域でも同様に国有化された所は少なくない。
暫くして社会が落ち着いた頃、国は土地を遊ばせておくのは勿体ないと再開発を始めた。今日悠貴たちが遊びに行く湾岸ドームもそういった経緯で整備された。
自宅最寄りの駅から一度乗り換えた悠貴が乗る電車が臨海部を走る。レールは海の上を蛇行しながら目的地である人工島へ向かっている。目立つ建造物は少ない。しかしその1つ1つがやたらと大きい。湾岸ドームがその最たるものだが、他のビルや施設も都心のそれと比べるとやはり大きい。
自動運転の電車に運転席はなく窓が広い。窓が、と言う形容よりもガラスで覆われていると言った方が良いかもしれない。両脇に長椅子が配されて乗客は向かい合うような形で座るが、この車両には乗客は少ない。
悠貴は改めて車内を見渡す。年は自分と同じぐらいの男女が2人ずつ。4人で立ちながら談笑している。微笑ましく見ていたが今日の自分たちも外から見るとああ見えるのだろうかと思うと少し不思議な感じがした。他にもスーツ姿で手元の端末を眺める男。高齢者のグループ。小学生か中学生くらいの女の子たち。
そうやって乗客を何気なく観察していく。そして、自身から見て一番離れた所にいる、背の低い、前髪が長い女の子……。
「優依……?」
まだ約束の時間までにはだいぶあるが同じ車両に乗っていたようだ。話し掛けに行こうと悠貴は立ち上がりかけたが、ちょうどその時、目的の駅に着いた旨のアナウンスが流れる。
ドアが開いて乗客が降り始める。同じ車両に乗っていた全員が降りた。ここの駅で降りたということは恐らく皆、悠貴たちが向かう湾岸ドームが目的地だろう。施設自体は朝から営業している。この時間から訪れても不思議ではない。
悠貴もまた車両から降り、辺りを見回し優依を探す。優依らしき後ろ姿を見つける。ちょうどエレベーターに乗って上っていく所だった。上がった先の改札がある階で話し掛けようと自身も同じようにエレベーターに乗った。
今話もお読み頂きありがとうございます!
次回の更新は7月2日(木)を予定しています。
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