第21話 学年合宿 ~月影~
何かが頬を伝っていくのを感じる。全身冷たく感じるのに、何かが伝っていく頬のその部分だけは温かい。
(あぁ、俺の血か……)
そう思った悠貴だったが、痛みは感じない。心地よい気持ちすらしてくる……。
(これが死ぬって感覚なのか……)
高校では勉強も部活もそれなりに頑張った方だと自分でも思う。部活を引退してからの半年はそれこそ死ぬ気で勉強した。その甲斐もあって第一志望の私立難関大学に合格した。入学からたった半年しか経っていない……。
(あっけないもんだな……。まだ、何も成し遂げていないのに……)
莉々に触発されて勉強はしているし、サークルだってバイトだって頑張っている。それでも、これだ、と本気になれるものは見つけられていなかった。
(ホント……中途半端な人生だったな……。……ん?)
頭の下が、柔らかく暖かい……。そして、出血が止まっていないのだと思った頬を伝う温もりは横になる自分の顔に上から降ってきている。
悠貴は瞼を開けた。
ぼやけた視界が徐々にはっきりとしてくる。その目に入ってくる見慣れた優依の顔。瞳から絶え間なく涙が溢れては頬をめがけて落ちてくる。
悠貴が目を開けたのに気づき優衣はビクッと震えた。
「ゆ、悠貴君!? 良かった……、本当に良かったよぉ……」
優依は自分の顔を悠貴の顔の間近に寄せる。長い前髪が顔にあたって悠貴は少しくすぐったいと思った。
「優依、俺は……」
「助かったよ……私たち……」
「えっ……」
優依が何を言っているのか分からなかった。絶体絶命の危機。異形との戦いの最後の方の記憶ははっきりしない。あの状況からどうやって助かったのだろう。
どう考えても不可能なように思えたが当の現実がそれを力強く否定している。
眼前の優依を見ながら悠貴は思う。聞きたいことはたくさんある。なぜコテージから飛び出して森を駆け巡ったのか。あの異形は何だったのか。そしてあの墓は何なのか……。
「優依、無事で良かった」
口をついて出てきた悠貴の言葉。
優依から嗚咽が漏れる。
ごめんなさいと繰り返す優依。
ふと視線を周囲へ移すと影が見え、それを辿っていき傍らに好雄も控えていたことに悠貴は気づく。
「好雄……」
自分と優依以外の人物の存在に気が付いてから急に今の状況を客観的に把握する。いまだに間近にある優依の顔、膝枕をされている自分。
赤くなった悠貴が起き上がるような素振りを見せると優依はそれを察する。離れる前に何か言いたそうな表情だったが上半身を起こす。
ゆっくりと起き上がる悠貴。異形の爪が薙いで樹木に叩きつけられた。沢で盛大に転んで全身を打った。起き上がりながら体中に走るであろう痛みに備える……、が痛みは全く感じなかった。
そのことに強烈な違和感を抱いて戸惑う悠貴に好雄が口を開く。
「ありがとう……、悠貴」
好雄が姿勢を正して立礼する。深々と頭を垂れ、続ける。
「優依は魔法士の同期。大切な仲間だ。俺1人で合宿中、優依を支えていこう、助けようと抱え込んだ結果がこのザマだ。守秘義務との絡みがあるとは言え俺の失態だ。優依が死んで危うく一生後悔する所だった……」
さらに続けようとする好雄を立ち上がった優依が制する。
「違うの! 好雄君は悪くないよ! 私が勝手にコテージから飛び出して、皆に迷惑かけちゃって……!」
優依が顔を下に向けて涙する。好雄もまた言葉が見当たらず俯いている。
「皆……、無事だったから良かったんじゃないか」
悠貴の言葉に好雄と優依が顔を上げる。
「2人は魔法士だし、俺には知らないこと、分からないことだらけだ。2人が何か抱えていることだけは分かったけどな。中途半端に首突っ込もうとした俺も悪いし、それにやっぱ色々言えないこともあるんだよな……」
やはりどこか寂しい気持ちが顔に出てしまう。そうして俯き加減にしていた悠貴だったが顔を上げる。
「……でもさ、取り敢えずそういう難しいのは抜きにして……、うん、皆、無事だったんだから、それでいいんじゃないか」
悠貴の言葉に呆気にとられていた優衣と好雄。誰からともなく笑い合った。どこか気恥ずかしい空気が流れた。
「いやー、青春だね、うん」
声がした方を向いた好雄と優依が急に姿勢を正した。
悠貴も振り向いた。
魔法士のローブを纏い、黒淵眼鏡をかけた男が近づいてくる。何故かその男の存在よりも徽章の方に目がいってしまった。ほんの一瞬ではあったが本水晶の輝きに目を奪われた。
「うんうん、ホント良かったねぇ。まさか施設の連中が見つけた時にはもう君たち自身で問題を解決してたなんてね。いや……、んー、あれ……、これ、もしかして……無駄足だったんじゃ……」
男は少しふざけた声音で無駄足と言ったが決してそうではなかった。少し開けた場所であったことが幸いして比較的すぐに施設から飛び出した魔法士のうちの1人が悠貴と優衣を見つけた。
瀕死の悠貴の側で優依は魔法力を使い果たして為す術もなかったが、自らのローブの裾で必死に止血していた。少しでも体温を保たせようと抱き抱えていた。応援に駆けつけた他の魔法士たちの治癒魔法で悠貴は一命をとりとめた。
「君が、羽田悠貴君? 初めまして。悪かったね……、私の生徒が迷惑かけちゃって」
悠貴が答える前に横にいた優衣が口を開いた。
「て、手塚教官! あの、本当に、すみませんでした! 教官のお手を煩わせるようなことをしてしまって……」
「いいんだよ、優依……。良いものも見れたし、何より、悠貴君とも知り合えたしね。それにしても君やよっしーはいつまで私のことを教官と呼ぶんだい? 確かに私は君たちの新人研修の時のグループの教官だが、今は研修施設の代表をしているんだし、階級も上がっているんだよ? まあ、大体私が面倒を見た魔法士は私のことを教官と呼び続けているから気にはしていないんだけど……」
手塚は、それはそれとして……、と続けた。
「君は筋がいいねぇ。あれの切り口……、惚れ惚れとするぐらい見事だね。よく練り込まれてる、良い魔法だね」
悠貴は手塚が指し示した方に目線を移す。
先程まで自分と優依が対峙していた異形。少し離れてはいるが直感的に骸と化していることが分かる。それはどうにかすると灌木と見間違う程度まで無機質なモノに成り果てていた。そうは思うが、自身に刷り込まれた先刻までの記憶が恐怖を呼び覚ます。
「うんうん、何よりも風の『呼び方』がいいね、自然体だ。無理矢理じゃない。どうも私くらい経験を積んできちゃうと呼び方が荒っぽくなってきてねぇ」
笑いながら話す手塚の言っていることが頭では分からない悠貴だったが、感覚では分かる……。そう、魔法は呼ぶのだ。
「最初でね、うん、あんな大物を殺るってのは中々無い経験だよね。まあその代償も大きかったかもしれないけどね。……もう身体は大丈夫かい?」
心配をしてくれている手塚に頷きながらも悠貴の心はそこには無かった。
(殺る……? 何を……? 誰が……?)
今の今まで、あれが骸と化した結果にしか思いが至らなかった悠貴だが、手塚の言葉でその過程に思考が及んだ。
手塚の台詞はまるで自分があれを魔法を使って倒したように聞こえる。
「あの……、すみません……。あの化け物は手塚教官……、貴方が倒したんじゃないんですか? あ、あんな化け物……、俺なんかじゃ……」
混乱する悠貴を余所に手塚は続ける。
「あれは狩りから漏れた生き残り。そのまま野生化して大きくなっちゃったんだねぇ。この間の新人研修組は仲が良かったし実力もあったんだけど……、詰めが甘いのが玉に瑕だね」
思わず、えっ、と好雄が声を上げる。
「えぇと……、教官……、その辺りは守秘義務に触れるのでは……」
今の今まで魔法士としての守秘義務を犯すまいと必死にやってきた。ある意味では悠貴や莉々にそのせいで事情を明かせなく敢えて辛くあたったりもした。それが今の状況に繋がったとも言えた。それをこんなにあっさりと……。
「よっしーは頭堅いなぁ。普段のキャラとの線引きがはっきりし過ぎてるよ。公私混同しないようにって……、根が真面目だからね君は。もっと余裕持たなきゃ」
脱力しながら、痛いところを突かれたと思った。好雄にも自覚はなくはない。普段のお調子者キャラが定着していて自分でもそれに心地よさを感じているがどうしても魔法士の仕事の時は襟を正さねば、と自分にも他人にも厳しくなってしまう。
「うん、まあそれが君の良い所なんだけどね。でね、守秘義務に触れるか触れないかで言えば触れるよね、そりゃあね。特に狩りの話はかなりまずいだろうね」
「ではやはり……」
「まあまあ、よっしー、最後まで聞きなさい。悠貴君は覚醒したんだよ、魔法に……。早晩、登録するかどうか決めなきゃいけなくなるし、その先の生き方とか色々と考えるべきことも出てくる。すぐに登録して研修を受けるっていうならある程度の覚悟もしておいた方がいいよね。彼はもう立派な資格者だよ、つまり関係者、……いや、もはや当事者とも言えるね」
それは、そうかもしれない、と好雄は思った。これから悠貴は様々なことを考えていかなきゃいけない。逡巡の後、好雄は静かに頷いた。
「ちょ……、ちょっと待ってください!」
それまで呆然と手塚と好雄の会話に聞き入っていた悠貴が割って入る。
「俺が……異形を倒して、その、魔法が……え……」
口にするのも憚られるような気がした。魔法が使えるようになった、などと。いきなりそんな荒唐無稽なことを言われてもとても信じられない。しかし……。
手塚は静かに夜空を見上げた。手を後ろに組みながら。自室の窓から見た月は綺麗に森を映えさせていたがここから見上げる月も悪くない。
「そうだね、最初は頭ではそう思うだろうね。でもねぇ……、呼ぶ感覚、もう分かっちゃったよね? 呼べる感覚、もう知っちゃったよね? そう、今日の君は昨日までの君とはもはや異なる存在になってしまった……。君がどう思おうと感じようと、その事実だけは変わらない……」
夜空を見上げながら手塚は視線だけ悠貴へ向けた。
未だに手塚の言っていることが信じられない悠貴。理性がそれを理解することを拒む。だが彼が言うことを否定できないのもまた事実であった。感覚的にはもう分かってしまった。
「よっしー。それに、優依……」
戸惑いながらも、はい、と返した2人に手塚は続けた。
「悠貴君はこれからが大変だ。2人にも経験があるよね。先輩として助けてあげなさい。彼が最良の選択を出来るようにね……」
手塚が軽く腕を挙げる。
それが合図となり施設から出てきた4人の魔法士は森へと消えていった。気がつくと骸もまた見当たらなくなっていた。
手塚も彼らと同じ方向へと歩き出し、広場と森との境目辺りで振り向かず静かに言った。
「じゃあまたね……、羽田悠貴君……」
残された悠貴たちは森の中に消えていく手塚の背中を眺めていた。手塚が消えた森には3人が残り、そして静寂が辺りを包む。
「ふぅ……。取り敢えずコテージに戻ろう……。悠貴も混乱してるかもしれないけど、それは俺と優依だって同じだ。少し落ち着いて、それから考えるべきことを考えようぜ」
好雄の言葉に悠貴は、ああ、とだけ返した。
好雄が歩き始める。悠貴と優依もそれに続いた。
少し歩いて悠貴は振り向く。自分たちがいた、その場所。僅かに開けた空からか細く注ぐ月光が地表と樹木をおぼろげに浮かび上がらせる。
「悠貴君……」
優依に呼ばれ再び前を向き、──そして悠貴は歩き始めた。
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