第137話 悪夢の迷宮 (桐花杯決勝トーナメント編Ⅶ)
「……き! ゆ……! ゆう……!! 悠貴!!!」
身体を揺さぶられながら名前を呼ばれ、悠貴はゆっくりと目を開ける。
視界に入ってきたのは莉々だった。特務高等警察の黒い制服を着た莉々は袖で目に溜めた涙を拭い、悠貴の上に覆い被さった。
「莉々……、ここは……」
「医務室。悠貴、試合には勝ったんだけど、直ぐに倒れちゃって……」
莉々に言われて朧気だった記憶がよみがえってくる。二回戦。侑太郎の双子の姉の葉月と対戦した。土の傀儡からの攻撃を必死に凌いでいたが……。
「俺、勝ったのか……? 吹き飛ばされて……、正直……もうダメだと思って……」
直撃した土の傀儡からの攻撃に吹き飛ばされた後のことは良く覚えていない。試合中のはずなのに誰かと話していたような気もする。
「勝った……、勝ったんだよ、悠貴! 悠貴、スゴかったんだよ!!」
そう口にした莉々に抱き締められる悠貴。寝かされているベッドの近くに立っていた好雄と侑太郎も悠貴の視界に入る。
「大丈夫か? 悠貴……」
「好雄……。ああ、何とかな」
「お前、すげぇよホント。お前が戦った相手……、もう知ってると思うけど、小村葉月、侑太郎の双子の姉だ。土の傀儡使いとして有名で、序列入りも有り得るって凄腕でさ」
「侑太郎の……、やっぱりな……。顔見た瞬間にもしかしたら、とは思ってたんだ。お前と優依の研修の話も聞いてたからすぐにピンときたよ。……てか、好雄。お前知ってたんなら教えてくれよな」
「いや、ええと……、自分の試合のことでいっぱいいっぱいだったってのもあったし……、何よりよぉ、三回戦でお前と優依が対戦することになるかもってとこに目がいっちゃっててよ。悪い悪い!」
「ったく……。まあお前のそういうところには慣れてるつもりではいるけどさ」
嘆息した悠貴は好雄の横の侑太郎に目を移す。
「ごめんな、侑太郎。お前の姉ちゃんに、その、何て言うか、勝っちゃって……」
「ぜ、全然ですよ悠貴さん! 気にしないで下さい!
僕が言うのもアレなんですけどお姉ちゃんって確かに強いんです。だけどそのせいで天狗になってるところもあるんで良い薬ですよ」
言って笑った侑太郎に、おう、と返して起き上がろうとする悠貴だったが身体に激痛が走った。目覚めて身体の感覚が戻ってくるに従って痛みが増していく。
表情を歪めた悠貴に莉々が声をあげる。
「悠貴! 大丈夫!?」
「莉々……、デカイ声出すなって。こんくらい全然……」
「全然……大丈夫そうじゃないよ! ねぇ、よっしー何とかならないの!?」
医務室にいるはずの医務官は出掛けているようだった。莉々たちで悠貴をここまで運んできたが最低限の手当てしか出来ていない。
「いや、何とかって言われてもよ……。俺、正直なとこ治癒魔法は苦手なんだよ……ってそんなこと言ってる場合じゃないか。莉々、悠貴を起こして身体支えてやってくれ!」
好雄に言われた莉々は悠貴をそっと起こして後ろから支える。
「侑太郎! お前も手伝え!」
「は、はい!」
莉々に抱えられた悠貴に好雄と侑太郎が治癒魔法をかける。
「グッ……」
悠貴が声を漏らす。好雄と侑太郎のお陰でキズは治っていったが痛みが消えない。その様子に好雄が唸る。
「こりゃ骨までイッちまってるかもな……。俺と侑太郎の治癒魔法じゃあキツい……」
悠貴を支える莉々が好雄を睨む。
「ちょっとよっしー! アンタれっきとした魔法士なんでしょ!? 何とかしなさいよ!?」
「いくら魔法士だって言っても得手不得手っつーもんがあるんだよ! あぁ……。せめて優依がいてくれたらな……」
好雄が祈るように天を仰ぐ。横の侑太郎も焦りを隠せない。
「優依さん、ちょうど二回戦始まったくらいですよね……。まだ暫くはかか……」
侑太郎がそこまで言ったとき医務室のドアが開いた。
「悠貴君!?」
駆け込んできた優依が声を上げる。部屋を見回して悠貴を発見し、直ぐにベッドの側まで駆け寄る。
「ゆ、悠貴君……、大丈夫!? 葉月ちゃんとの試合の後、医務室に運ばれたって聞いて……。ごめんね、すぐに来たかったんだけど私も試合が……」
悠貴が無理やり笑顔を作って優依を見る。
「気にすんなって。それより優依、お前、試合は……」
「あ、うん。勝てたよ、一応ね。悠貴君の所に早く行かなきゃって急いで終わらせてきたんだ」
優依の言葉に「流石だな」と言って悠貴は痛みに耐えながら天井を見て複雑な顔をした。これで三回戦は優依と戦うことになる。
好雄が優依を見る。
「優依、試合後で疲れてるところ悪いんだけどお前も……」
「あ、うん! もちろん!」
優依も好雄や侑太郎と並んで悠貴に手を翳して治癒魔法をかける。
「どうだ悠貴、少しは痛み引いてきた?」
優依の治癒魔法も加わってから身体の外側だけじゃなく内側の痛みも引いていく。
「ああ……、助かる……」
痛みは引いていったが、同時に強烈なダルさに悠貴は襲われた。身体が熱くなっていく。
その異変に悠貴の背中に密着する莉々が気づく。
「悠貴……、何だか熱っぽい……、汗が止まらない……」
悠貴を後ろから抱き支えながら悠貴の汗を莉々が拭う。
「大丈夫……? 悠貴」
「ああ、平気だって。心配すんな」
「でも……」
悠貴の肩に莉々は顔を埋めた。
その光景に優依が一歩、前に出る。
「えと……ね、あの、莉々ちゃん……。私も治癒魔法かけるし、あとは私たちに任せて」
優依の言葉に莉々が顔を上げる。
「でも……、私だって少しでも悠貴にしてあげられることが……」
そう言ってまた悠貴の汗を拭う莉々の様子を見て、優依は更に一歩、前に出る。
「だ、だからね、私たちがするから! そ、それに……、莉々ちゃんは魔法士じゃないんだから……」
優依がそう口にした瞬間、莉々の表情が変わる。
「ええとさ、優依……、何? その言い方? そんな言い方、しなくても良いんじゃない? 魔法士じゃないんだから引っ込んでろって言いたいの?」
悠貴を寝かせた莉々がベッドから下りて、優依と向かい合う。
「そ、そんなこと……。私はただ……」
「ただ……、何……?」
莉々と優依の視線が、交わる。二人は向かい合ったまま何も口にしない。
「いや、何だ……。まあ二人とも……、少し落ち着いてだな……」
好雄がそう口にして莉々と優依を見比べるが二人とも動かない。誰も口を開かない。侑太郎は自分が唾を飲む音が意外なほど響いて冷や汗を流した。
「おっ邪魔しまーす」
静まり返った医務室に明るくもどこか淡々とした声が響く。
医務室に入ってきた新島なつみはつかつかと進んで、向かい合う莉々と優依の横に立つ。
「んんっ? 何か……、お取り込み中だった?」
「いや、そんなこと……」と莉々は返して、優依は下を向いた。
「そう? まあいいわ。はいはい、ちょっとごめんなさいねー」
莉々と優依の間に割って入って悠貴のベッドの傍らに立つなつみ。
「せんせー、大丈夫?」
「なつ、か……。何とかな……」
悠貴は朦朧とする自分と必死に戦っていた。痛みは引いていたが身体と頭がやたらと重い。全身凄く熱いのに身体の芯は冷えきっている。
「あー、なるほどね。せんせー、完全に魔力使いきっちゃってたんだね……。一時的に魔力の耐性が無くなっちゃったところに下手な治癒魔法かけられたもんだから……」
そこまで言ってなつみは振り返る。
「誰? こんな下手な治癒魔法使ったのは? 侑太郎……なわけないわよね、一応とは言えキズは治ってるみたいだから。侑太郎の腕じゃねぇ……」
「えーと……、僕とあと好雄さん……、それに優依さんで……」
言って侑太郎はチラリと好雄と優依を見る。
「ふーん……。侑太郎は……、まあいいとして。あなたたち二人はそこそこ魔法士の経験あるのよね? それでこんな治癒魔法のかけ方しか出来ないの?」
「いや……、まあ……、俺はちょっと治癒魔法の方は苦手で……」
「それにしてはキズの治り方自体が良すぎるわ。てことは……、うーん、あなたかしら? せんせーのキズを主に治したのは?」
身体の向きは変えずになつみは視線だけを優依に向ける。優依は静かに頷いた。
「治癒魔法そのものは悪くないみたいだけど、せんせぇの身体の状態確認した? こんな状態の身体に全力の治癒魔法なんて掛けたらどんな負担になるか、少しは考えなかったの?」
それは……、と言いかけた優依だったが押し黙った。言われた通りだった。キズだらけで苦しむ悠貴に後先考えず、感情的にひたすら治癒魔法をかけてしまった。
何も言い返してこない優依になつみは大きくため息をつく。
「せんせぇ? ちょっと起き上がれる?」
なつみに言われ悠貴は上半身を起こす。グラッと倒れそうになる悠貴をなつみが抱き締める。
「ち、ちょっと! 何してるの!?」
莉々が声を上げるがなつみはいたって冷静に返す。
「少し黙ってて……」
悠貴を抱き締めるなつみが目を閉じる。魔力の輝きが二人を包む。辺りを照らしていた光は徐々に消えていき、光が消えきったところで悠貴は口を開いた。
「あれ……、俺……」
なつみが離れ、悠貴はハッとする。鉛のように重かった身体と朦朧としていた意識から解放されている。
悠貴の様子を見たなつみはうんうんと頷き、ふふっと笑った。
「どう? せんせぇ? 具合は」
悠貴はベッドから立ち上がる。全身に魔力が漲っている。
「魔力が……身体に満ちているのが分かる。なつ……、これは……」
「なつの魔力を分けてあげたの、感謝してね。本当はこういうのも医務官の役割なんだけど、まあ次の試合まで時間もなかった訳だし。それにしても相変わらずとんでもない魔力量ね、せんせ。ゴソッともっていかれたわよ」
「でもさっきまで俺、身体がめちゃくちゃで……」
「治癒魔法はね、ただ掛ければ良いってもんじゃないのよ。せんせぇはさっきの試合で魔力が殆ど空っぽになって一時的に魔法への耐性が無くなってたの。だからなつが魔力を分けて、それでめでたく復活ってわけよ」
ニコッとしたなつみは、さて、と優依の前に進む。
「せんせぇの次の試合の対戦相手は確か、あなたよね? 立場的に片方ばかりに肩入れはできないし、あなたも二回戦で戦った後にせんせぇに治癒魔法使って残りの魔力、心許ないでしょ? 良かったらあなたにも私の魔力を分け……」
と優依に手を伸ばすなつみ。
その手を払いのける、優依。
「あの、私……、そんなことして貰わなくてもいいですから……」
「そう? まああなたはそんなに魔力を消耗してるって訳でもなさそうだし、せんせぇよりも魔法士経験があるんだから、これくらいのハンデはあってもいいわよね。あ、でも、なつが桐花杯の前にせんせぇに特訓もしてあげちゃってるから流石に……」
「エッ……。特訓……」
「そう。せんせぇが泣いて頼んでくるもんだから断れなくて。どうしても負けたくないんだ、ってね。とは言っても桐花杯の直前の数日間泊まり込みのぶっ通しで無理やり魔法士の戦い方を詰め込んだだけだけれど」
なつみの言葉を悠貴が必死に否定する。
「誰が泣いて頼んだんだよ! 捏造すんな!」
「似たようなものじゃない? そのまま諳じてあげようか? 『なつ、俺は今度の桐花杯、絶対に負けられないんだ。頼む。お前……」
「馬鹿! なつ! 止めろ!!」
取り乱す悠貴に辺り笑いが起こる。好雄が悠貴に茶々を入れて盛り上がるが、優依は下を向いて呟いた。
「泊まり込み……」
それを気に止めずなつみは続ける。
「夜が特にねぇ。せんせぇってばど素人のくせに無駄に体力と根性だけはあるんだもの。全然寝かせてくれなくて……。お陰で寝不足よ。まあ、最後の方は私を満足させられるくらいの最低限の技術は獲得できていたかもしれないわね。もともと人並み以上のものを持ってるんだから要は使い方次第ってことよね」
言い終わってなつみは、やっぱり、と優依に手を伸ばす。
「あんまりにもフェアじゃないわね。こんな相手に勝ったってせんせぇも嬉しくないだろうし私の魔力を……」
パシッ。
優依はまたなつみの手を払いのけた。さっきよりも、力を込めて。
「だから……、そんなの要らないって言ってるじゃないですか!?」
バッと顔を上げてなつみを睨んだ優依はそう叫んで部屋を飛び出した。
「優依!!」
呼び止める悠貴の声は優依には届かなかった。
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どれくらい走っただろう。手当たり次第に通路を曲がり、息が上がって限界になったところでようやく立ち止まった。
周囲に人はいない。
薄暗くなった通路の先、優依は涙を拭った。
(私、子供みたいだ……。何であんなこと言っちゃったんだろう……)
莉々は悪くない。ただ、悠貴を介抱しようとしただけだ。魔法士かどうかなんて関係はない。
なつみは悪くない。自分の対処の仕方の悪さを指摘されたが彼女の言葉は正しい。特訓にしても別に自分が口を挟むようなことじゃない。
悪いのは自分。
そう思うとまた涙が溢れてきた。
(直ぐに試合で悠貴君にだって会うのに……、どんな顔して会えば良いんだろう……)
いっそのこと棄権してしまっても良いのではないかと思った。本気を出せば勝てるかもしれないが悠貴相手に自分は本気を出せないことは分かっている。それにどうせ最後には悠貴に勝ちを譲るつもりだった。
はぁ、と壁に寄りかかる優依。さっきの医務室での光景が思い浮かび胸が締め付けられるような気がした。
(あれ……、私……、もしかして……)
優依が仄かに赤くなって口に手をあてた、その時。
『悪夢の迷宮』
どこかから聞こえてきたその声に、優依はハッとする。
「しまっ……」
優依が振り向く前に通路の先から伸びてきた魔力が優依を拘束する。縄のように伸びてきたその魔力は掌のように広がり優依を掴む。
何とかそこから逃れようともがく優依の耳に足音が聞こえてきた。
「本来なら、同系統への魔法耐性が強い貴女には私の幻惑魔法なんて通用しないんでしょうけど……。凄く、そう、凄くタイミングが良かったわね」
言いながら優依の傍らまで進む人影。
「貴女も分かっていると思うけど幻惑系の魔法は精神的、心理的な隙があればあるほど効果的になる……。今の、貴女のようにね……」
そう言って人影は背後から優依の顎をなぞる。薄く笑って、動けなくなった優依の目の前に回り込む。
「初めまして……、若槻優依さん。こんな初対面になってしまってごめんなさい。私は三條陽菜乃。夢属性の魔法と同系統、幻属性の魔法士よ。宜しくね」
三條陽菜乃がそうやって自己紹介をする間にも優依は何とか拘束から逃れようとしていた。
「そんなに暴れないで、優依ちゃん。私はね、貴女を助けに来たのよ……」
「助け、に……? いったい何を……」
三條陽菜乃はふふっと笑う。直後、優依を拘束していた魔力が、優依の中に流れ込んでいく。
「ああぁあーッ!!」
優依が叫ぶ。しかし、優依を包んだ三條陽菜乃の魔法がその声をかき消す。
「ふふ、良い声……。本当はもっと聞いていたいんだけど他の人に気付かれて邪魔されたくないの。ごめんなさい。でも安心して……。直ぐに楽になるから……」
陽菜乃が手を翳す。
(こ、これは……。ダメ……!!)
魔装でレジストしようとしたが身体が動かない。陽菜乃の魔法が優依を侵食していく。
同系統の魔法を使う優依には分かった。時には自分が似たような魔法を使うことだってある。これは精神感応系の幻惑魔法だ。相手の思考を魔力で操って何かをさせようとする時に使う。
「わ、私に……、何をさせようと言うの……」
「ふふっ。察しがいいわね。でもね、そんな顔をしないで。さっきも言ったでしょ? 私は貴女を助けに来たのよ……」
陽菜乃は優依の耳元に口を寄せる。
「貴女に……、羽田悠貴君をあげようと思ってね……」
「ゆ、悠貴君……? 何を言って……」
優依は魔装で辛うじて意識を保っていた。一瞬でも油断すれば心を完全に奪われてしまう。
陽菜乃は優依の耳元で囁き続ける。
「三回戦……。貴女は悠貴君と戦う……」
「それが……、ど、どうしたって言うんですか……?」
「私の魔法に心を委ねなさい。そうすれば貴女はきっと勝てるわ」
「わ、私……、別に悠貴君に勝ちたいだなんて……」
「そう? でもね、もし勝てれば……、貴女は永遠に彼を手にいれることが出来る……、誰にも邪魔をされることなく、ずっと、ずっと……」
「え……」
陽菜乃の言葉に優依は何故か医務室でのことを思い出した。莉々やなつみが自分よりもずっと悠貴に近い存在であるように感じた、あの光景。優依の胸の奥深くがズキンと傷んだ。
優依の心に生じたほんの僅かな隙を陽菜乃は見逃さなかった。陽菜乃の魔法が優依の中に流れ込んでいく。優依は倒れ、溺れるようにもがいている。
「貴女の夢の魔法で言いなりにさせてもいいし……、お得意の鉄球で手足をへし折って暫く起き上がれなくしてしまうのもいいわ。そうね……、例えば殺してしまうのも良いかもしれないわね。そうすれば彼は、いいえ、彼の魂は永遠に貴女のものだから……」
陽菜乃がそう言い終わる頃には優依はおとなしくなっていた。そして何事もなかったかのように優依は立ち上がった。
虚ろな目で優依は呟く。
「悠貴君を……、手に入れる……」
満足そうな顔をした三條陽菜乃は指差した。その先には優依と悠貴が三回戦を戦うことになるアリーナがある。
優依は頷いて、そして静かに陽菜乃が指差した先へ向かっていった。
今話もお読み頂き本当にありがとうございます!
21日に公開する予定でしたがお待たせしてしまい申し訳ありませんでした!
次回の更新は3月14日(月)の夜を予定しています。
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