第130話 なつみの隠れ家
「おいっ! なつー! 待てって!」
北関東州から戻ってきた悠貴。何度もなつみと話そうとしたが毎回理由をつけて逃げられた。
(今日こそなつに都市圏のこと……!)
塾から出て直ぐ名前を呼ばれたなつみが振り返って立ち止まる。追い付いてきた悠貴と一瞬目を合わせたなつみだったが直ぐに視線を外した。
「なーに? せんせ。宿題やってこなかったことならさっき謝ったじゃない……」
「いや、そうじゃない……。ハアハア……。なつ、俺、お前に聞きたいことが……」
特訓合宿に行く前に好雄からなつみが桐花杯の準優勝者だと聞かされた。武井には北関東州の都市圏に連れていかれ、そこで都市圏の秘密を知った。桐花杯のことにしても都市圏のことにしてもなつみに聞きたいことは山ほどある。
「そう? まあ、なつは先生に聞きたいことはないから……」
そう言って歩き出そうとするなつみの手を悠貴が掴む。
「ちょっ……、待てって! なあ、何で桐花杯で準優勝したこと教えてくれなかったんだよ」
「何でって……。まあ別に良いじゃない。昔のことよ……」
言ったなつみはまた歩き出そうとするが悠貴が回り込む。
「だから待てって! 桐花杯のこともだけど……、俺が一番聞きたいのは都市圏のそ……」
咄嗟になつみが悠貴の口を塞ぐ。
「んー、んんーんー!」
もがく悠貴。
なつみが声を潜める。
「先生……、お願いだから静かにして。その先は絶対に口にしちゃダメ……。死ぬわよ……?」
冗談のように聞こえるなつみの台詞。しかし、なつみの目は真剣そのものだった。一瞬、怯んだ悠貴だったがなつみを見返す。
北関東州の都市圏、その第五層。住人たちはろくに食事もとれていないようだった。廃墟のような街、粗末な衣服。どう考えても自分たちと同じ国に住んでいる人間の生活じゃない。
(あんなの……絶対に普通じゃない……。あんな状態で生きてる人たちを放っておけるわけがない……)
射るような視線で見返してきた悠貴になつみは大きく溜め息をつく。
「はぁ、分かったわよ。ちゃんと話すから場所を変えましょう。何も言わずになつに付いてきて。オーケー?」
頷く悠貴。歩き出したなつみに並んで言われた通り黙って歩く。
大学や塾のある辺りから大通りを進んだ二人は繁華街に着いた。塾帰りで制服姿のなつみは夜の街で浮いていた。補導でもされないかと心配する悠貴を他所になつみは足早に繁華街を行き、突然脇の小道に入った。
「お、おい、なつ……!」
悠貴もなつみと同じように小道に入った。薄暗い小道に人影は少ない。
(場所変えて話すって言ったって何でこんな治安悪そうな所に……)
思った悠貴だったがなつみについていくしかない。
少し歩いたところで唐突になつみが足を止める。
「ここよ」
なつみが目で示した先。雑居ビルの地下へ向かう階段があった。
「いや、ここって言われても……って、おい!」
なつみはすたすたと階段を下りていってしまった。急いで悠貴は後を追う。
なつみは階段を下りた先を曲がり、カランと音がして、そして続いてドアが閉まる音がした。
悠貴も続く。階段を下りて曲がった先は薄暗かったが、その暗がりの先に『BAR HIBIKI』と木の札が掛けられたドアがあった。
古びたドアを開いて中へ入る悠貴。
中は思ったよりも広かったがやはり薄暗かった。
疎らにいた客の何人かが顔を上げ、ジロッと見てきた。そんな柄の悪そうな客と悠貴は目を合わせないよう、大袈裟になつみを探すふりをする。
「あ……」
店を見回した悠貴がなつみの姿を捉える。なつみは何故か店のカウンターの中にいた。そしてちらりと悠貴に目をやって、カウンターの奥に消えていった。
「何だってんだよ……」
訳が分からない悠貴。遠慮がちにカウンターの近くまで進む。
「あの……」
カウンターの中の男に話し掛ける悠貴。男は手にしていたグラスを拭きながらなつみが消えていった先を顎で示す。
(入って良いってことだよな……)
頷いた悠貴はカウンターの中に入りなつみを追っていく。
細い廊下が続く。狭い廊下に荷物が置かれて進みにくい。それらに足をぶつけながら進む悠貴。廊下の奥の部屋に辿り着く。
「おい! なつ!」
言いながら部屋に入った悠貴だったがなつみの姿がない。
「え……」
消えたなつみを探す悠貴の目に留まったものがあった。
「えぇと……、火……だよな、あれ……」
部屋の角に置かれた本棚の前、小さな火の玉が宙に浮いている。常識的に考えてあり得ない光景。だからこそなつみの仕業だと悠貴は直ぐに気がついた。
悠貴が本棚に近付くと火の玉がパッと消える。火の玉が消えた辺りを探る。
「何だってんだよホント……。ん……?」
自分の背丈と同じくらいの縦長の本棚が二つ並んでいたが、その間に僅かに隙間があった。悠貴は隙間を覗き込む。
「この奥に……何かあるのか……?」
隙間を押し広げるように手を入れる悠貴。本棚が動き、目の前に下に続く階段が現れた。
「おいおい……。ゲームじゃないんだからよ……」
ははっと渇いた笑いを発した悠貴は階段を下りていく。少し進んだところで本棚が閉まる。真っ暗になった階段を手探りで下りていく悠貴。
下りきった先。更に細い廊下が続いていた。廊下の奥、僅かに開かれたドアの隙間から明かりが漏れている。
そっとドアを開ける悠貴。
中は六畳程度の小部屋だった。椅子に座るなつみ。
部屋に入ってきた悠貴をイラッとして目線で迎えたなつみは一度ドアの外に顔を出し、誰もいないことを確認してドアを閉じた。
「何だよ、なつ……。そんな神経質にならなくたって……。それにここ、一体なんなんだよ……?」
「まあ……、なつの隠れ家……みたいなもんよ」
なつみは「ここのことは置いておいて……」と言って大きくため息をついた。
「せんせぇねぇ、魔法士になったんだしもっと自覚を持って? アレ、まずかったわよ……」
「アレって……?」
「都市圏の……の続きのことよ。せんせぇ、都市圏の下層とか外のこと話そうとしたでしょ?」
頷いた悠貴になつみは、やっぱり……、と腕を組む。
「せんせぇね、しれっと口にしたけど、『都市圏の下層や外』のことなんて絶対に口にしたらダメよ? 大体、都市圏の外には『何もない、誰もいない』、そう習ってきたでしょ? それが常識でしょ?」
「まあそれはそうだけど……、でも、残された人々の人たちは……」
「残された人々は別よ。あの人たちは自分たちの意思で都市圏から離れて国の庇護を受けない人間……ってことになってるでしょ? そう……、残された人々は国民じゃない。だから都市圏の外には何も無い。誰もいない」
言ったなつみの視線は何故か自分を試しているような気がした。なつみは続ける。
「でも、今、せんせぇがなつと話したいのは残された人々のことじゃないわよね? 行ってきたんでしょ? 北関東州都市圏第五層……」
「何でなつ、そのこと……」
完全な隠密行動だったはずだ。武井補佐官が念入りに潜入を計画して、現地では特高の東絛詩織の部隊にも協力して貰った。来た時と同じように裏の抜け道を使って第五層から第一層に入り、そして何事も無かったかのように南関東州に戻ってきた。
「まあそれはほら……良いじゃない、そこは。繰り返すけど、せんせぇが話したいのは別のことよね?」
なつみの情報網の底が知れない。ゾッとした悠貴だったがなつみの言う通り、なつみには聞きたいことが他にある。
「ああ、そうだよ……。なあ、なつ。何なんだよ、あの第五層の……」
「ん? せんせぇ、見てきたのよね? じゃあ説明する必要はないじゃない……。せんせぇが見てきたものが……、私たちの常識のその先にある『事実』よ」
言ったなつみは椅子を手繰り寄せて腰掛ける。くるくると髪を指に巻いて中空を見る。
なつみの近くまで進んだ悠貴は机を叩く。
「なつ! お前知ってたのか!? 知っててよく普通でいられるな! 武井補佐官の話だと、あそこより下の層はもっと酷いって……」
震える悠貴は「そうなのか?」と続け、尋ねられたなつみが顔を上げ静かに答える。
「ねぇ、先生。悪いこと言わないから……、都市圏の下層のことは忘れて? じゃないと……、さっきも言ったけど、ホントに死ぬわよ?」
試すような視線を悠貴に向けるなつみ。
悠貴はなつみの言葉に自分を抑えられなくなる。
「忘れるって……、そんなこと出来るわけ無いだろ!! 一緒に行った仲間たちの安全のこともあるから武井補佐官に言われた通りこのことは誰にも言ってない……。でもさ、あの人たち、このままにはしてなんておけないだろ……」
「はいっ、せんせぇストップ。本当に止めて。ここは確かに安全よ。なつがそれだけ気を使って作った場所だから。でも……、外で都市圏の下層とかの話は本気でヤバイわよ。普通に、消される……」
なつみの言葉に気圧されそうになる悠貴。何とか踏み止まってなつみを見返す。
「俺たち聞いたんだよ、第五層を案内してくれた特高の隊員から……。都市圏は選ばれた人間が住む街なんだって……。どうなんだ?」
一瞬迷うようにしたなつみだったが「そうよ」とだけ口にして視線を外す。
「何だよ……、選ばれるとか……。それで選ばれなかったらあんな所で暮らさなきゃいけないのかよ……」
脱力する悠貴。壁に寄りかかってそのまま崩れ落ちる。
「ねぇ、せんせぇ。せんせぇは『あんな所』って言うけど少なくとも都市圏の中ではあるんだし、それに全七層中の第五層なら……そうね、はっきり言ってかなりマシな方よ?」
悠貴は俯く。
武井も東絛詩織も似たようなことを言っていた。ショックを受ける悠貴になつみが続ける。
「じゃあ聞くけど、先生、さっき話に出てきた残された人々ってどんな人たち?」
何でそんなことを今聞くんだろう。疑問に思った悠貴だったが知っていることを口にする。
「噂で聞くくらいだけど、都市圏に住みたくなくて、敢えて都市圏の外で暮らしてるって連中のことだろ? 俺だって直接話したことはないし、見たことだって……。それに全国でも数えるくらいしかいないって……」
「敢えて……ねぇ。まあそういう人もいることは否定しないけど、残された人々の多くが、実は都市圏から閉め出されたひとたちだとしたら、先生どう思う?」
「なっ……」
悠貴は言葉を失う。都市圏の第五層ですらあの有り様。更に下層ではどんなことになっているのかと考えずにはいられなかったが、都市圏から完全に閉め出された生活となるともう想像も及ばない。
「南関東州は本当に特殊なの。他の州みたいに完全な都市圏が形成されなかったから。だから内と外、そして層と層をしきる隔壁……、そういったものに対する意識がほとんどないんだけど他の州は違う。能力で劣る、国に反意を持っている……そういう様々な理由で国から選ばれなかった人たちは都市圏の外で残された人々として生きていくしかない。都市圏に入れたとしても能力や技術、国への貢献の度合いで住む層を決められる……。これが私たちの暮らしている国の姿よ」
悠貴はなつみを見上げる。
平凡な人生だと思っていた。
勉強とスポーツにはそこそこ自信があって友達も多かった。高校も大学も志望していた所に進めた。サークルもバイトも楽しくやれている。
そんな自分は去年、魔法が使えるようになった。平凡な人生が少しだけそうではなくなった。魔法士となって研修を受けて新しい仲間も出来た。研修では辛いこともあったし、これからだって魔法が使える故に大変なことも多いだろう。
紆余曲折。急転直下。
そんな人生を送っているけどそれでも自分の人生は自分の人生な訳で、いくら魔法が使えるようになったからといって自分にとっては『普通』な人生だった。
始めは慣れなかった魔法も今ではそこそこ使いこなせていると思う。魔法ですら自分にとっては日常の一部、つまり普通になっていった。
そんな自分にとっての普通は……、全く普通ではなかった。
再び力無く下を向く悠貴になつみは近寄る。そして悠貴の手を握った。
「先生、ショックなのは分かるけど……、落ち着いて……。私たちには何も出来ない……。というか誰かが何かをちょっとしたくらいで変わってるならとっくに変わってるわよ……」
「なつレベルの魔法士でも、なのか……」
「そりゃなつは天才魔法士だけど、いくら強力な魔法が使えたって一人で出来ることなんて限られてるでしょ? 気持ちは分かるけど、先生は今の自分の生活を大事にして? ね? ほら、桐花杯だって出るんでしょ? 私も稽古つけてあげるからしっかり勝ち上がってよね!」
バシッとなつみは悠貴の肩を叩いた。
「桐花杯か……」
そう、桐花杯で勝ち上がることを目指して好雄や優依たちと特訓にまで行ってきた。俊輔は大会が近付くにつれて熱くなっているようで、毎日のように「今日はこんなことが出きるようになったぜ!」と日々の練習の成果を報告してきた。
都市圏の下層を見て、そして今、なつみの話を聞いた悠貴は正直、桐花杯に向ける熱意は失われかけていた。
「桐花杯かぁ……。確かに自分の力を試してみたいし頑張りたいけど……」
自分一人の力では何も出来ない。なつみの言葉が悠貴に鋭く突き刺さっていた。
「はは、俺も内務省とか特高とか入って偉くなったら少しは国の何かを変えていけたりすんのかな……」
「はぁ、何か馬鹿なこと言ってるの? 確かに特高では魔法士はかなり優遇されるわよ? 結構好き勝手にやってても大体のことは許されるしね。でも、それでも高官まで上っていくのは相当難しいわよ? コネとか、かなりの魔法の実力とかないとね……」
「だよなぁ……。はあ、俺も他の魔法士の連中みたいに桐花杯で勝ち上がることに熱く……」
悠貴は思い出してハッとする。
俊輔が言っていた。桐花杯に血眼になって挑む魔法士がいる、と。彼らがそこまで必死になる目的は確か……。
立ち上がる悠貴。
「き、急にどうしたの、先生……」
「なつさ、もう桐花杯まで何日もないんだけど……、俺の稽古つけてくれないか? 研修の時みたいにさ、頼む!! なつ、俺たちG1の教官だろ?」
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