第129話 誰も、知らない
「ふぅ……。それにしても驚いたな……」
枯れた噴水の縁に座った好雄がそう口にしたが残りの仲間たちは黙って頷くだけだった。好雄が続ける。
「俺は……、高校生で魔法士になって、何て言うか、国の裏側とか……、一般人が知らないようなことを見たり知ったりして、それでこの国がどんな国なのかを知って……、いや知った気になっていたんだ……」
天を仰いだ好雄。陽が差したり陰ったりしていた昼過ぎの空は今は雲で覆われていた。
「私も……。好雄君と同じ……。魔法士になって、他の都市圏に行ったりもしてたから、漠然と南関東州も含めて、どこでも自分たちと同じ生活があるんだって、そう思ってた。それが、こんな……」
言った優依が伏し目がちに周囲を見る。陰鬱とした公園の外。普段目にしている「当たり前」のものがここには何もない。ファストフードの店も、コンビニも、カフェも……。
恐ろしく静かだった。
もしここが南関東州のそれなりの街ならあちこちに設置されている電子看板から流れてくる音楽や音声、街を行き交う人たちの話し声で喧騒に包まれているだろうが、さっきから聞こえてくるのはガタンガタンと舗装されていない通りを過ぎていくトラックの音だけだった。
「あの、これ……、もしかして私たち、かなりマズいもの見てたりしていませんか……?」
恐る恐る言った眞衣に視線が集まる。「何がだよ?」と尋ねてきた俊輔に眞衣は続ける。
「だ、だって……、私たちみたいに南関東州とか、それぞれの都市圏の上層に住んでいる人たちは、たぶん都市圏の下層がこんなだってこと知らないんですよ……?」
「んだよ、そんなん見りゃ分かるぜ。俺だってこんな生活してる連中がいるだなん……」
「ううん、違うんです! それもそうですけど、ええと、何て言うか……、『私たちが知らない』ってこと自体が異常だと思いませんか!?」
「どういうことだよ?」
「だっておかしくないですか? 私、親の転勤で南関東州の色んな所に行きましたけど、こんな所、ひとつだって無かったです、見たこと無かったです……。だから、こんな所で生活してる人たちがいるなんて知らなかった……。でも、確かに見たことはなかったですけど、それだけで『知らない』になるなんて……」
「そりゃ見たことがないならそうな……」
「本当にそうですか……? 私自身は確かにそうですけど、私、誰からもそんな話聞いたことないんですよ? それ自体がおかしいんですよ! だって、都市圏の下層でこういう生活してる人たちがいるってなら絶対に噂とかになってるはずじゃないですか……」
眞衣の言葉に全員がハッとする。確かにそれはそうだ。こんな生活をしている人たちがいるなら話題にならない筈がない。
「確かに都市圏間での連絡って出来ないですしネットだって制限されてるじゃないですか……? でも数は少ないですけど人の行き来だってあるんですよ? それなのに私たちの誰も都市圏の下層がこんなだって『知らない』って、そんなこと有り得ますかね……? 何だかそれが、私ヤバいなって……。ああ! もう何て説明すればいいんだろ!!」
頭を抱えて悶える眞衣。
それまでじっと眞衣の話を聞いていた悠貴が立ち上がる。
「眞衣が言いたいのはこういうことだ。どう考えたって俺たちの全員が全員、下層のこういう現実を知らないってのはおかしい。友達とか親からだって聞いたことないし、ニュースとかネットでだって見たことがない。何より、前から魔法士やってる好雄とか優依が知らない、知れてないってのは普通じゃない……。逆に言うと、それだけ国が完全にそれを隠してる……、隠蔽しているってことだ」
自分で言って悠貴はゾクッとした。自分たちは今、それだけの機密を目の前にしている。
「そんだけ国が必死になって隠しているものを俺たちは今見てるんだ……」
「そ、そうです! 私が言いたかったのはそういうことです!」
得意気に眞衣がそう言ってからは誰も口を開かなくなった。
何処にでも、誰にでも「普通」の生活があるんだと当然のように思っていた。 目の前の光景はそんな自分たちの「普通」とはかけ離れている……。
そうして少しの間、黙ったままになっていた悠貴たちに近寄る人影があった。
「あ、あの……」
話し掛けられた声に悠貴たちが振り向く。中学生くらいの少女だった。
「あ、えと……、何?」
少女から一番近くにいた眞衣が答える。
「その……、食べ物とか水……、どこの配給所で配られたんですか……? 次の配給日はまだ先なのに……」
少女の言葉に悠貴たちは顔を見合わせる。
「うーん、ええと……、配給所って?」
不思議そうな顔でそう答えた眞衣。口を開きかけた少女は眞衣が羽織っていたものを見て表情を変える。
「あ……、そのローブ……。ま、魔法士……!! す、すみません……、私みたいなのが話し掛けちゃって!」
駆け去ろうとする少女に悠貴は「待ってくれ!」と声を出した。
その声に戸惑いながらも立ち止まった少女に悠貴が近づく。
「あ、びっくりさせてゴメン。あの、俺たち他の州から来たんだけど、この辺りのこと全然知らなくて……。それで聞きたいんだけど、配給所っていうのは?」
「ほ、他の州では違うんですか? ここ北関東州では第五層から下は水や食糧は配給制なんです。週に二度、地区にある配給所に行って三日分を受け取るんです……」
怯えた様子で答えた少女。
少女の言葉に悠貴は言葉を失った。悠貴の横で少女の言葉を聞いていた好雄が口を開く。
「配給制なんて……、歴史の教科書で見るような言葉だぞ……。始まりの山が現れた時とか、都市圏への強制移住が行われたときに一時的に採られたっていう……」
好雄の言う通りだった。悠貴は中学や高校の授業で扱われた内容を思い出した。
始まりの山、そして魔法の出現当時、混乱を極めた社会。社会不安から食糧の略奪が横行した。その為、国は緊急的な措置としてほぼ全ての物資を配給制にした。そして、混乱の終息や都市圏の形成と共に措置は解除されていった。
(どういうことだよ……、南関東州じゃ間違っても配給なんて話聞かねえぞ……)
立ち尽くす悠貴に、それまで怯えきっていた少女がすがり付く。
「あ、あのもう一度聞くんですけど、その食糧……どこに行ったら貰えますか!? 配給所以外で貰ってきたんですよね!? うち、妹も弟もいるんです! とてもじゃないけど配給分じゃ足りなくて……。お願いです! 教えてください!」
少女にローブを強く握られた悠貴。懇願する少女に悠貴は戸惑ったが、あっ、と声を出した。
「じゃあさ、これ。俺たちさっき貰ったやつで。良かったら……」
パンと水を悠貴に差し出された少女が目を見開く。
「え、良いんですか……? こんな貴重な……」
驚く少女。震える手で悠貴から受け取った。立ち上がった優依が悠貴の横に並ぶ。
「あの、もし良かったら私の分も……どうぞ……」
悠貴と同じように手にしていた物を差し出してきた優依に少女の顔が歪む。
「あ、ありが……と……ござ……ます……」
少女は悠貴と優依に深々と頭を下げた。
「そこまでだ!」
辺りに響いたのは東絛詩織の声だった。ツカツカと進んだ東絛詩織は悠貴と優依、そして少女の間に割って入る。
東絛詩織の身体にぶつかり、少女が手にしていたパンや水が入ったペットボトルが地面に落ちた。
それを目で追って直ぐに身体を屈ませかけた少女に東絛詩織が口を開く。
「お前……、恥ずかしくないのか? 物請いの真似をして……」
「そ、そんな……。私はただ……」
「いいか? 国はお前たちがちゃんと地に足をつけて生きていけるよう最低限の援助はしているんだ。そこから先、どう生きていけるかは自分たちの努力次第だろう」
唇を噛んだ少女に東絛詩織は続ける。
「しかも、ここ北関東州は恵まれているんだ。国民等級認定試験、通称ランクアップ。お前も聞いたことくらいあるだろう? 試験で一定の成績をとれればここより上層に行ける。そうすれば自由な、そして快適な生活が送れるんだ。他の州ではそんな余裕すらなくて試験が実施できていない所もあるんだ」
「む、無理ですよ……! あんな難しい試験……。私なんかじゃ……」
「そうやって自分の可能性を否定しているからいけないんだ。自分の道は自分で切り開かないといけない。他人の助けを当てにするなんて論外だ。もしお前が今の自分の生活が惨めなものだと思っていて、それでもそこから抜け出そうと努力をしないのなら、実はそこまで今の生活を惨めだとは思っていないということだ」
そんな、と力なく座り込む少女。
少女は地面に落ちたパンに目を移す。そのパンを東絛詩織が拾い上げて優依に渡す。
東絛詩織は腕に掴んで少女を立ち上がらせる。
「いいか、国を……、他人を当てにするな。自分を助けられるのは結局は自分しかいない。今、このパンがあれば確かにお前もお前の家族も腹は満たせるかもしれない。しかしそれは依存だ。いつまでもは続かない。人に必要なのは自立だ。自立して生きていけなければお前はいつまで経っても救われない」
それでもまだ何が言いたそうな少女に東絛詩織は続ける。
「繰り返す。お前に必要なのはパンではなく知識であり技術であり努力だ、それを忘れるな」
そう言った東絛詩織に肩を叩かれた少女は力なく、はい、とだけ答えてその場を去っていった。
「詩織!」
悠貴は東絛詩織の肩を掴んで振り向かせる。
「何だ? 羽田悠貴。痛いな。離してくれ。あと、下の名前で呼ぶなと……」
「何であんな言い方しか出来ないんだよ? あの子……、あんなに困ってて……」
息を荒くする悠貴に東絛詩織はため息をついて悠貴の手を払いのけた。
「私は何か間違ったことを言っていたか? 人に頼らず自分の力で生きていけ、……この言葉に何か間違っているところがあるなら教えてくれないか?」
「いや、だからって……」
「むしろ、羽田悠貴、お前も、そしてアイツも私に感謝するべきだな」
アイツと口にしたところで東絛詩織は少女の後ろ姿を見た。少女はまだちらちらとこっちに目を向けている。
東絛詩織の言葉に悠貴は血が熱くなったような気がした。
「なっ……、感謝だ、と……」
意味が分からない。震える悠貴。東絛詩織は重ねて大きく溜め息をついた。
「気が付かないのか?」
悠貴は東絛詩織の言葉に周囲を見る。第五層の住人が数人、公園の外から遠巻きにこちらの様子を窺っていた。
「いいか、羽田悠貴。お前たちがさっき、食糧と水をそのまま渡していたとする。それを見ていた何人かは確実にアイツからそれを奪おうとするだろう。アイツが抵抗すればどうなるだろうな? 怪我で済めばいいかもしれないが……」
悠貴は東絛詩織の言葉にはっとさせられる。確かにこちらをじっと見ている住人たちの視線は普通じゃない。
「で、でも……それでも……。そうだ、俺たちがあの子の家までついていってやれば……」
「そうして食糧のありかを周囲に伝えるのか? いよいよお目出度い奴だな、羽田悠貴。アイツだけじゃなくてアイツの家族まで巻き込むつもりか」
黙る悠貴。
東絛詩織が悠貴に一歩近づく。
「そうやって目の前の分かりやすい不幸だけ解決してヒーローにでもなるつもりか? フンッ、新人研修でのことを聞いていたから少しは切れる奴だと思っていたがその程度か、私の買い被り過ぎだったようだな」
東絛詩織が肩を竦めて薄く笑う。
「てめぇ! この野郎!」
声をあらげて東絛詩織に掴みかかろうとする俊輔を好雄と眞衣が止める。俊輔の声に何人かの特務高等警察の隊員たちが小銃を構えて近づいてきた。
「黙って聞いてりゃ御託並べやがって! そりゃ目の前の奴だけ助けたって意味がねぇのは分かるぜ……。でもよ、だったらここの層の連中全員をお前らや国が助ければ良いだろうが! それがお前たちの責任だろ! 仕事だろ!!」
好雄と優依が必死に止めようとするが俊輔は止まらない。「どけよ!」と二人を押し退けて東絛詩織の胸ぐらを掴む。
その騒ぎに東絛詩織の部下たちも色めき立つ。構えていた銃口を俊輔に合わせる。
「おい、俊輔! 止めろって!!」
好雄が俊輔を追って東絛詩織から引き剥がそうとする。それに構わず俊輔は荒い息をして東絛詩織を睨む。
「山縣俊輔。確かに私はお前と同い年だが、これでも特務高等警察の将校だぞ? しかも魔法士でもある。今、この場でお前を反逆罪で処刑することだってできるんだぞ? その権利が与えられているんだ。同じ魔法士であるお前も知らないわけではないだろう」
「面白え……、やってみろや……」
言って魔装する俊輔。
応じて魔装した東絛詩織がニヤリと笑った。部下の隊員たちも戦闘の態勢をとる。
眞衣が俊輔に加勢しようと魔装した、その時だった。
「俊輔! いいんだ、もうよそう……」
声を上げた悠貴が東絛詩織を掴む俊輔の腕を下ろさせた。
「悠貴……」
「いいんだ……。今、ここでコイツらと争っても何もならない……」
言葉とは裏腹に悠貴は東絛詩織を睨み付ける。その視線を受け止めた東絛詩織はまた、薄く笑った。
「ほう、冷静だな、羽田悠貴。ここでお前たちの方から手を出してくれれば良い口実になったんだが……、まあいい。ほら、さっさとパンと水を口に放り込め。争いの種になる。狙ってるのは一人や二人じゃないぞ……」
東絛詩織の言葉に、悠貴はまだ気持ちの収まらない様子の俊輔の腕を掴んで噴水の縁に座らせる。そうして言われた通りパンの袋を開ける。
ふと、悠貴は未だ警戒する構えの特高の隊員たちの向こうにいる武井補佐官の姿が目に入った。武井は無表情なままこちらをじっと見ていた。悠貴には少し意外だった。
(武井補佐官ならこういう場面で真っ先に止めに入る……、それか俺たちを処罰しそうなのに……)
そんなことを考えていた悠貴の傍らに東絛詩織が近づいてきた。
「ヒーロー気取りのお前たちに付け加えておこう。もう分かったと思うが、都市圏とは、知識や技術などの能力の有無で国によって選ばれた人間たちが住まう街だ。そしてお前たちだってそうなんだ。上層に住む上級国民。下層の連中からしたらお前たちだって我々と同じだ、憎しみの対象なんだ。それを忘れるなよ」
言った東絛詩織はその場を離れていった。悠貴はその後ろ姿を見た。そして少女の手から戻ってきたパンを口にした。味はしなかった。
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