第113話 徽章を見つめて
「悠貴君!」
声を上げて飛び込んできた優依を受け止める悠貴。しかし、あまりの勢いで優依が飛び込んできたので悠貴はそのまま押し倒されてしまった。
苦笑して自分の胸元に顔を埋める優依の頭を撫でる悠貴。
「優依……。ただいま……」
顔を上げた優依が捲し立てる。
「ゆ、悠貴君大丈夫!? 痛いところはない!? 怪我したりしてない!? 死んじゃったりしてない!?」
優依が自分の体をまさぐるのてくすぐったくなった悠貴が体をよじる。
「ちょっ……、優依! や、止めろって!」
その様子を傍らで見ていた好雄が笑う。
「くくっ……。落ち着けって、優依。凄い目で見られてるぞ」
優依に投げ掛けられた言葉に反応する悠貴。好雄の言う通り周囲の通行人が意味ありげな視線を投げ掛けて通りすぎていく。
恥ずかしくなった悠貴は体を起こす。まだ悠貴にくっついたままの優依を好雄が引き剥がした。
「ほら、優依……」
「あぅ……」
剥がされた優依はそれでも心配そうに悠貴を見つめる。通行人の、くすくす、と笑う声にハッとする優依。
「ご、ごめんね……、私……。えと、あの……、お帰り……なさい……」
赤くなった優依は消え入りそうな声でそう言った。
1度俯いて顔を上げた優依が悠貴の目を見て、それに気付く。
「あ。悠貴君……、目……」
さっき2人の姿を目にして何故か急に泣けてきてしまった。急いで涙を拭ったがどうやらバレてしまったようだ。気恥ずかしくなった悠貴は優依から目を剃らす。
「あー……。電車の中で寝ちゃってさ! 起きて目を擦り過ぎたな」
明るく振る舞う悠貴を優依が心配そうに見上げる。
「あの……、本当に大丈夫?」
直ぐに、大丈夫、と答えようとした悠貴だったがその言葉が口から出てこない。
優依の視線が悠貴を射抜く。悠貴も何か言おうと優依を見るがどう返せばいいのか分からなくなった。
そうして見つめ合うだけになった悠貴と優依の間に好雄が割り込む。
「なーに2人で良い雰囲気になっちゃってるんだよ。俺のこと忘れてないか……?」
ため息混じりに言った好雄。優依の顔が沸騰する。
「良い雰囲気だなんて……。変なこと言わないで、好雄君! 私はただ……」
にわかに怒った声の優依を好雄が笑って裏声で優依の声真似をして茶化す。
「『私はただ悠貴君が心配なだけで、それで今日の予定に入ってた魔法士の仕事を他の人に代わって貰って朝からずっと駅で待ってただけだもん』ってな!」
「好雄君!! そ、それ内緒って言ったでしょ……!?」
赤くなった優依が好雄をポカポカと叩く。
そんな2人のやりとり。何もかもが懐かしく感じる。
「俺、帰ってきたんだな……」
呟くように言った悠貴。好雄と優依は動きを止める。好雄が言う。
「おう、お帰りっ。悠貴」
悠貴たちは地下鉄に乗った。動き出した地下鉄の車両で周囲に他の乗客がいないことを確認した好雄が口を開く。
「今回の新人研修……。悠貴が行ってから俺たちのところにもキナ臭い話は聞こえてきたんだ。色々とあったみたいだな……」
神妙に頷いた悠貴が声を潜めて返す。
「ああ。G5と7が女の子1人を残して全滅。それに……、G8は行方不明だ。たぶん雪山で……」
悠貴の言葉に優依が口を押さえる。好雄は、そうか、とだけ口にして黒い窓の外に目をやった。
次の駅に着いたが悠貴たちが乗る車両に入ってくる乗客はいなかった。地下鉄がゆっくりと動き出す。
「2人の耳にはどこまで入ってるんだ?」
悠貴の問いに好雄が得意気な顔をする。
「ま、大体のことはな。情報網は張り巡らせてるつもりだし、何て言ったって研修スタッフの中に俺の同期の魔法士の奴がいたからな」
悠貴が、あ、と声を上げる。
「それってもしかしてゆたろーのことか?」
「そうそう……、て、あっ! わりぃ、伝えるの忘れてたわ! 俺の同期の魔法士の知り合いいるからって……」
「もう……、好雄君……。私ちゃんと言ったよ? ゆたろー君いるから何かあったら相談してって悠貴君に伝えようねって」
「優依だって悠貴見送った後に、あっ、て声出してただろ、……まあいいや。そう、ゆたろー。双子の姉の葉月もだけど俺と優依と同じグループだったんだ。それでそのゆたろーからちょくちょく研修のことは聞いてたんだよ。まあそのゆたろーとも最後の方は連絡つかなくなっちまったけどな。ようやく連絡が取れたのが昨日。それで悠貴が今日帰ってくるって聞いてな」
それで2人で駅で待っていてくれたのか。悠貴が、ありがとな、と軽く頭を下げる。
「うんうん、悠貴君が無事に帰ってきてくれて良かった……。はぁ。なんだか魔法士の新人研修って年々物騒になっていってるね……。私たちの時でさえあんな感じだったのに……」
言葉を途切らせた優依に好雄が、ああ、と言って続ける。
「特高の連中が魔法士のスカウトに力入れてるからな。早めに魔法士の卵たちに接触しておきたいんだろうな。そうしないと法務省に抱え込まれたままになる。特高にしても内務省にしても面白くないんだろうな。あいつらが絡めばそりゃ物騒にもなるさ」
おまけに、と好雄が更に続ける。
「抑えになるはずの手塚教官は研修の途中で四国州に……。その隙に自分たちの好き放題やれたんだからな……」
好雄の言葉に悠貴が首を傾げる。
「なあ、俺まだその辺りの事情がよく分かってないんだけどさ、手塚教官って魔法士だけど特高の偉い人なんだろ? 何で特高の奴らが仲間でもある手塚教官を遠ざけようとしたんだ?」
「あー、まあ特高って言っても色んな奴がいるからな……。それこそ派閥なんかもあったりする。母体の内務省にしても言ってみれば元は国の色んな役所の官僚の寄せ集めだからな。とんでもない伏魔殿だぜ、あそこは。と言うか……、特高の中で魔法士は一目置かれてると同時にぶっちゃけ嫌われてもいるのさ。その筆頭が手塚教官だな」
まだいまいち詳しい事情が把握できない悠貴。しかもね、と優依が続く。
「手塚教官って特高に入ってから直ぐに上のポジションに就いたらしいんだ。で、その後もトントン拍子で出世して……。それで、特高の人たちの中には教官のこと良く思ってない人も多いって……。私も詳しく知ってる訳じゃないんだけど」
優依の言葉に悠貴が頷く。思い返してみて、なるほど、と思った。研修中、特高隊員の手塚に対する態度は相当改まったものだったが、中には敢えて距離をとろうとしている人間や大塚みたいに露骨に対立している高官もいた。
「で、でもね、だからって教官が特高の中で浮いてるって訳でもないんだよ? 私の知り合いにもね、手塚教官が入るなら……って特高に入った魔法士の人が何人もいるんだ。そういう意味では教官も個人的な繋がりではあるけど派閥みたいなものを持っている……」
「人望あるんだな、あの人……」
呟くように言った悠貴に好雄は溜め息をつく。
「悔しいけど実力もな。風の魔法に関しちゃ手塚教官の右に出る奴はいない。他の属性の魔法士を見ても手塚教官クラスの奴なんざ数えるほどだな……。それにな、こうやって物知顔で俺も優依も教官のこと話してるけど、とにかく謎が多い奴なんだ、あの人は。頼りにはなるけど悠貴も用心した方がいい」
悠貴たちは大学近くのファミレスで夕飯を共にした。
周囲に人も多かったので研修や魔法士の話題は避け、話題は悠貴が研修に行っていた間の大学やサークルの話が中心になった。
「へぇ、好雄と志温が春合宿の部内戦、準優勝だったのか、凄いな!」
「いやいや! 俺は一度断ったんだよ! 志温と組んだら絶対ガチになるだろ? こっちはこっちで色々と忙しいから練習してる暇なんて無いって言ったんだけどよぉ……」
「志温君、本当に毎日好雄君のところに説得に来てたもんね……。あ、でもね! それよりも……、莉々ちゃんと琴音ちゃんのペア、優勝したんだよ!」
悠貴は優依の言葉に驚いた。
「えっ、マジ!? だって女子の先輩には高校で全国上位の人とかいなかったか……?」
「うん、そうなんだけど……。莉々ちゃんも琴音ちゃんもホント凄くて……。先輩たちには失礼だけど……、莉々ちゃんたち圧倒的だったよ」
「まあ確かに莉々も琴音も経験者で相当上手かったからな、それでも優勝か……」
夏の合宿の時のことを思い出す悠貴。その頃は莉々も琴音も上級生には太刀打ちできていなかった。
「2人とも凄いな……。あー、てかさ……、優依」
「なに? 悠貴君」
「莉々……、元気にしてるか?」
「え、あ、うん……。普通に元気にしてると思うよ。大学でもサークルでも普通に会ってるけど特に変わった様子は……」
「だ、だよなっ。いや、ほら……。見送りの時は来てくれたのに今日はいなかったからさ」
ああ、と好雄が頷く。
「ゆたろーからお前のこと聞いたのが昨日だったからな。優依とやりとりして迎えに来るのが精一杯だったんだ。何だよ、莉々にもお迎えに来て欲しかったのかい?」
意地の悪い声で笑う好雄。
「変な風に勘ぐるなよ、好雄。俺はただ手袋のお礼言いたかっただけだよ」
手袋、と優依は悠貴が口にした言葉を繰り返した。
「あ、優依も見てただろうけど、見送りに来てくれた時に莉々が俺に茶色の紙袋渡しただろ? あの中身が手袋だったんだ、まあその、たぶん手編みの」
「あ……、そ、そうだったんだね。莉々ちゃんに聞いても秘密って言って教えてくれなかったから……。よ、良かったね、悠貴君……」
ちょうどその時、注文していた料理が届いた。
「おー、来た来た! 腹減ってたんだよ! さ、2人とも食おうぜっ。悠貴、お前もこれで正式に魔法士になった訳なんだし、これから忙しくなるぞ。ま、今日はゆっくり休めよ。次会ったときにまた詳しくこれからのこと話してやるからよ」
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好雄、優依と別れた悠貴は自宅へと戻った。3ヶ月ぶりの自分の部屋だった。
時が止まったようにまだ冬の空気が充満しているような気がした。
悠貴は窓を開ける。
少し肌寒い春を含んだ風が吹き込んできた。
好雄や優依と会って、そして自分の部屋にいる。今日の昼まで参加していた魔法士の研修がまるで別世界の出来事のように感じる。人が戦ったり、傷付いたり、死んだりする世界はここにはない。
魔法士にはなったが一介の大学生でもある。魔法士の研修に参加するということで猶予されていた大学の履修の登録もしなければならない。来週からは休部していたサークルにも顔を出さなきゃいけないし新入生たちとの顔合わせもある。塾講師のバイトの予定も早々に入っている。
以前と変わりない大学生としての自分の世界だ。
それでも悠貴は荷物の中からそれを取り出し、今の自分が3ヶ月前までの自分とは違うことを悟る。
魔法士徽章。
風の属性の魔法を表した本水晶が中心で輝いている。
(優依や……、たまに好雄がつけているのよく見てたな……)
時には街中で見かけることもあった。近くて遠かったその魔法士の徽章が、今、確かに自分の手の中にある。
悠貴はベッドに寝転がって徽章を眺めた。
大きくはない。しかし、思ったよりも重い。
「魔法かぁ……」
悠貴は呟いた。
ご無沙汰してます、秋真です。
3ヶ月ぶりの更新になりますが、第四章スタートですっ。少しでもお楽しみ頂けば嬉しいです!
次回の更新は7月5日(月)の夜を予定しています。
以前のように週1、2回で更新していきたいと思います。
どうぞ宜しくお願い致します!




