第112 山獄の風 無辜の都
『こちらご覧くださいっ。どうでしょうか……、満開の桜が広がっています! 』
レポーターのひときわ高くなった声に、それまで何とも無しに窓の外を眺めていた悠貴が目を移す。車両の前方にあるスクリーン。
画面の中では咲き誇った桜が映し出され、レポーターが話を聞こうと花見客の1人に話しかけようとしていた。
(そっか……。新人研修も終わったんだし、もう春になってたんだな……)
思い返してみれば3月に入ってからは雪ばかりだった山々に徐々に緑が目立つようになっていった。言われてみれば花を見たような気もする。雪に覆われていた演習場も地面が露出する日が増えた。しかし、そのことと春が来たということを悠貴は上手く結びつけることが出来ていなかった。
「春、か……」
呟いた悠貴はスクリーンからまた窓の外へ目を移す。都心へ向かう電車は既に高原を下り終わり、今は海岸線と並走している。
大塚たちの画策した研修の後、何事もなかったかのようにそれまで以前の研修が再開され、気がつけば1ヶ月が過ぎて悠貴たちが参加していた魔法士新人研修は終わった。
1ヶ月の間、責任者に復帰した手塚や副官の武井、なつみたち教官、侑太郎たち施設スタッフが遺恨が残る研修生同士で諍いが起きないように徹底して監視した。
反目し合った研修生たちは内心をひた隠すように研修に集中し、直ぐに最終日が訪れた。
(俺もだけど……、皆も何も思い出さないように、何も考えないように研修に打ち込んでたな……)
海岸線を目で追う悠貴にふと真美の顔が過った。
真美たちG3は最後までG4への復讐を果たせなかった。手塚自らがG3の担当教官となったからだ。真美たちは何も出来なかったが、同時にG4からも何もすることが出来なかった。
(手塚教官も真美たちの気持ちは分かってたんだろうな……)
悠貴は進む海岸線を眺める。水面がキラキラと輝いていた。その光景に、ふとサークルの合宿で好雄と語ったことを思い出した。好雄の魔法士新人研修の話を、この海を見ながら聞いた。そして、自分も同じように研修を受け、それが終わり帰路についている。悠貴は不思議な気分になってきた。
『今後桜前線は南関東州から北関東州、南東北州へと移っていくでしょう。春本番、楽しみですね。さて、次のニュースです。始まりの山の出現による未曾有の混乱の最中、全国で多数発生した行方不明者調査事業について、政府の非常事態対策連絡会議は内務省素案をそのまま政府案とすることを全会一致で了承し、事業規模について徐々に縮小していく方針を固めました。今後は強制移住に伴う離散者の再会事業に予算を傾斜し……』
耳から入ってくるニュースは悠貴には少し縁遠い話だった。始まりの山が出現し、強制移住が始まった混乱の中、離ればなれになったり行方不明になったりした人々が相当いるという話は知識としては知っていた。
今でも『20数年ぶりの再会』なんていう話も珍しくはない。それでも悠貴にとってはほとんど昔話だったし家族や友人で欠けている人間もいない。親からたまに『あのときは本当に大変だった』と聞かされるくらいだった。
その始まりの山の出現の直後、魔法を使える人々が各地に現れた。そして、今、自分もその1人となっている。
悠貴は明滅する海を見ながら昨夜のことを思い出した。
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研修最終日の夜。
生き残った研修生全員の合格が伝えられ、ささやかな晩餐が開かれた。
浮かれた祝宴ムードは無かったが、グループの中では話は盛り上がった。これで研修が終わるという安心感、これまで3か月共に研修を乗り切った仲間の労を互いに労い合い、そして別れを惜しみ合った。
グループごとに円卓が用意された立食パーティーだった。ビュッフェで研修生たちは会場内を動き回っていたが、演習場での戦闘で袂を分かっていた研修生たちは互いに目を合わせることもしなかった。
「ちょっと俺、他のグループの人たちに挨拶してくるよ」
横の俊輔にそう伝えた悠貴はG3の卓に向かい、真美に話し掛けた。
「まみ、ちょっといいか?」
「あ、ゆうき君! ちょうどよかった、挨拶に行かなきゃって思ってたんだ。でも、同じグループの人たちとの話もなかなか尽きなくて……」
真美の目は赤く腫れていた。近くでは泣きじゃくる眞衣の頭を佑佳が撫でている。
「もうお別れなんだなって思うとね……。あんなことがあった研修だけど、うんうん、あんなことがあってそれを乗り越えた私たちだからこそ別れるの辛くて……」
ふう、と息を吐く真美の声は震えている。
「あのね、ゆうき君……」
「ん?」
「改めてなんだけどね……、本当にありがとう。今、わたしたちがここでこうしていられるのは全部、ゆうき君たちのお陰……。ゆうき君たちが助けてくれなかったら、私たちはあの山小屋で確実に死んでいた……」
G4との戦闘から命からがら逃げ、辿り着いた悠貴たちの山小屋。中にいるのが誰か分からなかった真美たちは当初は強硬に山小屋に突入しようとも考えていた。それくらいに切羽詰まっていた。食料もなく体力は限界……、特に負傷した憲一や佑佳はもう動かすことが出来なかった。
「俺たちだってまみたちには助けられたよ。山小屋を襲ってきた魔獣の群れ……。俺たちだけじゃ戦力的に対抗しきれなかった。最後にはなつに助けられたけど、まみたちがいなかったら多分それまでもたなかった……。こっちこそありがとな」
「ゆうき君……。うんうん……。私、この恩は一生忘れない、絶対に忘れないからね……」
もう流しきったと思っていた涙が零れ出して真美は俯いて肩を震わせる。
何と声を掛ければいいか迷う悠貴。
「まみ……、ぐほぁっ!」
悠貴の脇腹に駆け込んできた眞衣が突っ込む。
「ゆ、ゆうきさんー……」
しゃくり上げる眞衣が悠貴を見上げる。抱きついてきた眞衣を引き剥がし脇腹を押さえる悠貴。
「いてて……。お前なぁ……」
「だ、だってぇ……」
ひっくひっくと研修生のローブの袖で涙を拭く眞衣だったが涙は止まらない。
「取り敢えず鼻かめって、涙も……。ほら……」
悠貴がハンカチを眞衣に差し出す。そのハンカチで涙と鼻水を拭う眞衣。
「あ、ありがとうございます……。G3の人たちともですけど……、ゆうきさんともこれでお別れなんて……、うぅ、私嫌ですぅ!」
一度引き剥がした眞衣がまた悠貴に抱きつく。大きくため息をついた悠貴は眞衣の頭を撫でる。
「まいもありがとな。まいにも沢山助けてもらった……。同じ風使いなんだし、ホントこれでお別れだなんて寂しいな」
悠貴のローブに顔を埋めていた眞衣。悠貴の言葉にぱあっと晴れた顔を上げる。
「ホ、ホントですか!? ゆうきさんも寂しいですか!?」
眞衣の真っ直ぐすぎる視線にたじろぐ悠貴。頷く悠貴に眞衣はまた咽ぶ。
「うぅ、良かったですぅ……。嬉しいよぉ……」
泣き止まない眞衣を真美や佑佳に任せて息をついた悠貴は後ろから声を掛けられた。
「羽田くんも罪な男だねぇ。ダメだよ、気軽に年下の女の子に勘違いさせるようなこと言っちゃ……」
笑いながらそう言った声の主が悠貴には直ぐ分かった。
「こ、小柴さん、止めてくださいよ……。そんなんじゃないんですから」
「何言ってるんだい。『そんなん』かどうかは羽田くんが決めるんじゃなくて、あのお嬢ちゃんが決めるんだろ? そして、あの子にそう思わせたんだとしたらそりゃ羽田くんのせいってもんだよ」
赤くなる悠貴。
笑った小柴は急に顔を引き締めた。
「あたしからも礼を言わせておくれな。ありがとう、羽田くん……。あたしたちは仲間を1人亡くした。気の良い男だった。去年結婚したばかりだって言ってたよ。子供も生まれて家も買ったともさ……。奥さんとまだ小さい子を残して、どんなにか無念だったろうねぇ。それもこれもリーダーとしてのあたしの才覚の無さのせいさ」
悲しそうに笑った小柴に、そんなことは……、と言った悠貴だったが小柴は首を横に振る。
「いや、あたしのせいさ。そう思わないとおかしくなっちまうよ。アイツが死ななきゃいけない理由なんてただのひとつも無かった。そんな奴が死んだんだ、そんな理不尽さに『あたしのせいだ』って理由のひとつも付けなきゃやってられないんだよ。笑っておくれ……」
そう言って目を閉じた小柴。悠貴に手を差し出してきた。
「都市圏間の移動は制限されてるからねぇ、しかもアタシがやってるボロ宿は……、何て言うか、まあ……、だいぶ郊外だからね……。気軽に来てくれなんて言えやしないけど、いつでもおいでな。待ってるよ!」
言った小柴はバシバシと悠貴の肩を叩いて自分のグループの卓に戻っていった。
晩餐もお開きとなり、研修生たちは会場を出ていった。
しかし、直ぐに自分の部屋に戻る研修生はなく、グループごとに集まり、食堂外のロビーや外で語り続け名残を惜しんだ。
悠貴たちG1の5人も1階まで下り、テラスに出た。
「うわぁ……、凄い凄い!」
テラスに出て空を見上げた聖奈が声を上げた。つられて4人も空を見上げる。
満天の夜空が広がっていた。
「へぇ、すげぇな。都心の方じゃ街の明かりで星なんて全然見えないもんな」
俊輔の口から聞こえてきた、都心、の言葉に悠貴が反応した。
「そうか、俺たち登録の申請の時、同じ高等法務局で会ったんだし、しゅんすけも南関東州の出身なんだな。なら、また研修終わってからも会おうと思えば会えるな」
「おうっ、そうなるな。あ、だったら今のうちに連絡先交換しておこうぜ。ゆうきってTESAってやってるか?」
頷いた悠貴。
TESAはメインのチャット機能の他に無料通話機能もあり、チャットに音声で伝言を残しておくことも出来るアプリで近年学生や社会人を中心に急速に利用者が増えていた。
「ああ、やってるぞ。って言ってもこの辺りじゃネットの繋がらないから取り敢えずID教えてくれよ。今度また連絡するからさ」
そうやって連絡先を交換する悠貴と俊輔を羨ましそうにゆかりが覗く。
「いいなぁ、2人ともっ。私だってTESAやってるんだよ……。都市圏間の通信制限がなかったら私だって交換したいのに……」
泣く素振りをするゆかり。
電話、メール、手紙……都市圏をまたぐあらゆる通信、連絡手段は国によって厳しく制限がされていた。
「まあまあ、ゆかりさん。無理に連絡とろうとするとネット緊急遮断されますからね。俺も一度間違ってやっちゃいましたよ。わざわざ役所まで行って遮断解除の手続きして……、凄くめんどくさかったです」
宥める悠貴だったがゆかりは膨れたままだった。
「だってさ……、私が小さい頃には学生でも大人でも皆がネットで自由に自分の思ったこととか、その日にしたこととかを呟いたりしてたんでしょ? 始まりの山の後の混乱で全部禁止になっちゃったけど、もう20年以上経ってるんだよ? そろそろ解禁してくれてもいいのにね……。連絡先だってさ……、私、まだまだ皆のこと知りたいのに……」
言ったゆかりは俯く。横の宗玄が星を目に映しながら口を開く。
「そうさな……。一期一会という言葉もある。もう二度とはない出会いだからこそ尊いんじゃよ。それに……、違う都市圏に住んでいるとはいえ、同じ国に住んでるんじゃ。縁があればまた会うこともあるじゃろう。特にこうして同じ魔法士になるんじゃしな」
「うーん。住職さんの言うことも分かりますけど……。それでもこんなに仲良くなった仲間ですし、ホント皆のこともっとちゃんと知りたかったなぁって……」
寂しそうに笑ったゆかり。聖奈がぽんっと両手を合わせる。
「あ、じゃあ皆で交換日記とかしませんか!? わたし、クラスの友だちとその日あったり思ったりしたことノートに書いて……」
揚々と言った聖奈の肩に悠貴は静かに手を置いた。悠貴の視線が意味するところを聖奈は理解した。
「あはは……。そうですよね。今日で研修最後ですもんね……、わたし、何バカなこと言ってるんでしょうね……。お、可笑しいですよね、あはは……。はは……ふっ、うぅ……」
泣き出してしまった聖奈を抱き締めるゆかり。
立ち上がる悠貴。余りにも多くのことがあった研修。力を合わせ、誰ひとり欠けることなく乗り切った仲間たちを見回す。
「俊輔、住職、ゆかりさん、聖奈……。ホントありがとう。特高の人たちとかG4の研修生たちのことがあって……、嫌なこと、辛いことも多かった。今だって許せないった思うし、死んでいった研修生の人たちのことを考えると本当に心が痛い……。でも、そんな中でも、俺……、この5人でグループ組めて嬉しかったです。その、最高の仲間だなって……」
「へへ、照れるくらいならそんな恥ずかしいこと、改めて口にすんなよ!」
茶化す俊輔を、うるさい、と一喝して悠貴は改めて夜空を見上げる。残りの4人も同じように空を見上げ静かな時間が訪れた。それぞれが合宿中のことを思い出す。
少ししてゆかりがポツンと呟いた。
「もう……、終わりなんだね……」
そう寂しげな声でゆかりが言った瞬間。
残りの4人が同時にゆかりを指差す。
「はいっ、ゆかりさん、アウトー!」
俊輔が声を上げる。
キョトンとしたゆかり。そのことに気づいて目を見開いて叫び上げる。
「あ、あぁ……、しまったぁ!」
頭を抱えてしゃがみこむゆかり。その姿に悠貴は大きくため息をつく。
「はぁ……、ゆかりさんが言い出したんですよ。明日で最後だけどしんみりしたくないから、『終わり』って言ったら罰ゲームだよ……、って。で、罰ゲームはもし、これから先、この5人で再会したときの食事代は全額その人もちだって……。ゆかりさん……、盛大な自爆じゃないですか……。やっぱりポンコツですね……」
悠貴に言われたゆかりはしゃがみながら赤くなった顔を上げる。
「い、言わないでよぉ……。私、ポンコツって言葉が一番心に刺さるんだから! 自覚してるよぉ。はぁ……。私、薄給なんだからお手柔らかにね……」
落ち込むゆかり。横の宗玄がニヤリとする。
「ゆかりさんや、その点は心配せんでもいいじゃろう。魔法士になれば国からの俸給もあるでの。こりゃ今から何を馳走になるか考えておかんとな」
ほっほ、と高く笑う宗玄。
悠貴、俊輔、ゆかり、聖奈も続けて笑う。笑い合う。
「でもよ、これで俺たち、また、いつになるか分かんねぇけど、こうやって5人で再会するしかなくなったな? このままゆかりさんを罰ゲームから逃げさせることになっちまうからよ」
頷き合うG1の5人。
瞬く夜空の下、5人は輪になる。拳を突きだし、輪の中心でコツンと拳を合わせた。
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まだ思い出というには程遠い昨晩の記憶を手繰り寄せていた悠貴は微笑んだ。
(また……、絶対にあの5人で会う……。それまでに俺も頑張らなきゃな)
電車のアナウンスが聞こえてくる。あと5分で目的地に着く。窓の外は暗くなっていた。
悠貴にとっては3ヶ月ぶりの都心だった。駅のホームに降り立ち改札を出る。たった3ヶ月のはずなのに、外界とは完全に隔絶された研修施設で過ごした悠貴には目の前の光景が遠い世界のもののように思えた。
(こんなに人が多くいたんだ……)
今更ながらにそう思った。
悠貴の目の前を多くの人たちが行き来している。
何故か悠貴は少し悲しくなってきた。
最後をG1の5人の記憶で綺麗に彩った研修。
そうやって研修の記憶を纏めたはずだったのに急に色んなことが思い出されてきた。
(特高の奴らに雪山に放り出されて死にかけて……。その先でもトラップを仕掛けられて。魔獣に襲われて、研修生同士で戦わせられたり、殺し合いをさせられたり……。仲間を失って、裏切られて……。それでも何とか生き残って……。でも……、それをこの人たちは、知らないんだ……。この先も、ずっと……)
悠貴は唇を噛んで下を向く。
何も知らない人々が幸せそうにどこかへ向かっていく。
(この人たちは何も悪くない……。俺たちのことだって知らなくて、当然じゃないか……)
そう思うことで自分を落ち着かせようとする悠貴だったが込み上げてくる思いが止まらない。
ふと顔を上げる悠貴。
「あ……」
人混みの向こう。
優依と好雄がいた。キョロキョロと辺りを見回している。
(俺……、いつ、何時に戻ってくるなんて伝えてたっけか……。まあ2人は魔法士なんだし、その辺りは調べようと思えば調べられるのかもな)
行き交う無辜の人々の中で浮かび上がる好雄と優依の姿に、悠貴の瞳から涙が溢れてきた。
好雄と優依が悠貴を見つけ、駆け寄ってくる。好雄が軽く手を挙げる。優依の走り方はいつも通りどこか不器用だった。
2人と言葉を交わす前にこの涙を何とかしなければと悠貴は必死に目を拭った。
今話もお読み頂き、そして三章終了までお付き合い頂き本当にありがとうございます。
想定したよりもだいぶ長くなってしまった三章を取り敢えず終わらせることができてホッとしたというのが正直なところです。
当初ストックで描いていた終わらせ方で良いのかと急遽変更や追加をして(そんなことをしていてのでのびのびになりました)本日に至りました。
仕事の関係で更新は週1回になり、まとまった時間がなかなかとれず、細切れの時間をフル活用し、と実は結構悩んだり焦ったりしていました。
さて、三章が終りました拙作『そして、いつか、余白な世界へ』ですが、少しでもお楽しみ頂けていますでしょうか?
お楽しみ頂けていましたら望外の喜びです。
先日、奇跡的にローファンタジーの日間ランキングに載って以来、ブクマや評価をして頂き、(春休みというのもあるかもですが)pvも以前より多くなっていまして本当にありがたい限りです。それが励みになり何とか描ききることができました。
引き続きお楽しみ頂けるよう頑張ります!
四章スタートや今後のこと、その他のことについては別途活動報告でお伝えしようと思います。
改めましてここまでお付き合い頂きまして本当に本当にありがとうございます!
今後ともどうぞ宜しくお願い致します!




