リベンジマッチ
図らずも全ての敵を始末した侠一郎は感じる火澄の気配を追って、ビルの屋上へとたどり着いた。
屋上は夜風によって春も近いとはいえ肌寒さを感じ、そのうえ明かりは月明りだけの薄暗い場所であった。
目を引くような物は何一つなく、立ち寄る用事などは無さそうな、そんな場所に人影があった。
「首を落としたはずなのに、死なないとはな」
人影が屋上へと辿り着いた侠一郎の姿を見て声をかける。
それと同時に人影が月明りに照らされて、その姿が露わになる。その姿は当然、侠一郎が自宅で会った男であった。
「生憎、死に難い体なもんでね」
軽口を叩きながら侠一郎は火澄の姿を探し、男の背後に横たわる火澄を見つける。
仰向けの火澄の胸が呼吸に合わせて上下するのを見て、侠一郎は火澄の生存を確信し、男を見据えた。
火澄が無事に生きているのなら、残りの侠一郎のやるべきことは決まっている。
「問答無用かね?」
「アンタらのことに興味がないんで、話し合う気も起きねぇんだわ」
男の問いに答えると同時に侠一郎が動く。
ここに来る途中の戦闘の影響により、家で食べた食事の分のエネルギーは底をついていたが、気力は充分以上に体に満ちていた。
一瞬で間合いを詰めた侠一郎の拳が男の脇腹に突き刺さる。
男の方は何が起きたのか全く分からず、衝撃により自分の体が吹き飛ばされてようやく理解する。
対して男を殴り飛ばした侠一郎の方が理解の及ばない様子で首を傾げていた。
「不思議だな。アンタの手下は今の一発で死んだんだけど?」
「一緒にされては困る」
余裕ぶった口調と共に、男は侠一郎に殴り飛ばされた体勢から悠然と立ち上がる。
その様子を見ても、侠一郎は危機感を抱かない。
思うのは、目の前の男はボスなのだからザコとは違うのだろうというその程度の考えだった。
「そうかい。なら、念入りに――」
言葉の途中で男の視界から侠一郎の姿が消える。
いや、消えたわけではなく、単に侠一郎が男の認識を超える速度で動いただけだった。
そして次の瞬間、男は自分の両足を砕いた衝撃により侠一郎の存在を認識するが、それと同時に侠一郎の蹴りが背後から男の腰骨を砕いていた。
死ななくてもこれで行動不能だろう。
侠一郎はそう予想するが、その予想は即座に裏切られ、男の姿が消える。
「まったく、とんでもない化け物がいたものだ」
直後に男の声が聞こえてきたのは侠一郎の背後から。
侠一郎が振り向くと男は火澄の傍に平然と立っていた。
――なにかトリックがあるな。そう侠一郎は判断する。
そうでなければ自分の攻撃を受けて平然としていることは不可能だと侠一郎は考えていた。
そして、そのトリックは火澄絡みであることも予測がつく、目の前の男と自宅で戦った時と今では明らかに違う要素は火澄が男の傍にいることくらいであるからだ。
「その顔だと何か察しがついた様子だが、状況を打開する術はあるのかね?」
「まぁ、あるにはあるけれども――」
侠一郎は一瞬で距離を詰め、真正面から男の顔面に拳を繰り出す。
先程までと同じならば、受け止めることは出来ずに食らうはずだった。
しかし、男は侠一郎の攻撃に反応し、腕でガードをして見せる。とはいえ、衝撃までは無効化できずにガードした腕は衝撃に耐えきれず、へし折れ、男の体も勢いを殺せずに後退る。
「それにはアンタの頭を吹っ飛ばす必要があるんだよな」
侠一郎は自分の拳と男を見比べる。
改めて男を見ると、最初に戦った時とは比べ物にならないレベルで全身の《気》が充実している。
《気》が体に満ちていればそれだけ肉体は頑丈になり、自然治癒力も格段に上昇する。事実、男の手下を一撃で粉砕した侠一郎の拳に耐える頑丈さを持ち、今さっき折れたはずの腕さえ既に元通りになる程の治癒力を男は手に入れていた。
「ならば、状況を打開する術は無いということだな」
男が侠一郎に向かって突進する。
今までにない行動に侠一郎の顔に僅かに驚きの色が浮かぶ。
とはいえ、それも一瞬で、侠一郎は迎え撃つ構えを取ると距離を詰めてきた男に向けて正拳突きを放つ。多少は動きが速くなっていても、それでも侠一郎に対処できない動きではない。
侠一郎の放った正拳は男の胴体を打ち抜く。きっちり腰を入れた完璧な正拳突きであり、見るものが見れば惚れ惚れするほどの完成度の高さ。だが、男は耐えた。
衝撃を受けてもその場で堪えた男の腕が侠一郎を襲うが、それよりも速く侠一郎の手が男の腕を掴んで投げ飛ばす。
動きが良くなってやがるな。
侠一郎は目を細め、投げ飛ばされた状態から、空中で体勢を整え軽やかに着地する男を見据える。
「試しに格闘戦というものをしてみたのだが、これで君に勝つのは難しいようだ」
「そうかな? やってみないと分かんないんだし、試しにもう一回近づいて来いよ」
今度、接近戦になったら全部の体力を使って肉塊になるまで拳を叩き込んでやる。
侠一郎の思惑はこうだが、それに乗るような相手ではなかった。
「それは遠慮しよう。やはり戦いというのは自分の得意なフィールドでするものだ」
男の手が侠一郎に向けられ、指が弾き鳴らされる。
空間切断が来ると判断し、回避するために侠一郎が横に跳ぶ。
だが、そこには男が先回りしていた。上昇した身体能力を活かし、遠距離攻撃の直後に接近戦に移っていたのだった。
「どうやら得意なフィールドが一つ増えたようだ」
男の回し蹴りが侠一郎の頭部に叩き込まれる。
身体能力が上がった男の一撃は常人が相手であれば頭蓋骨を容易く粉砕するほどのものであったが、それを食らう侠一郎は常人ではない。
「これで得意とは自己評価が甘すぎて笑えるぜ」
侠一郎は顔面に蹴りを食らっても微動だにしない。笑って余裕を見せつつ拳を振るうが、その一撃は空を切る。狙った相手の男の姿は消え、火澄の傍に立っていた。
「何をやってるかは知らねぇけど、女の力を借りなきゃマトモに戦えねぇへっぽこ野郎がイキがってるんじゃねぇよ」
侠一郎は火澄の傍に立つ男に向けて言う。
どういう儀式なのか術式かは分からないが、男が火澄の力を吸っているのは明らかだ。
感覚的には《気》の流れを繋いで火澄から力を奪っているのだろう。
とはいえ、火澄の力をただ奪っているだけでは今のような力は出ないから、途中で特殊な何かが発生していると侠一郎は予想する。
そういう特殊な何かが、火澄の両親が殺されたりした理由だったりするのかもしれないと思いつつ、侠一郎はそこで思考を切り捨てる。
正直な所、火澄と目の前の男の事情に関して侠一郎は興味がなく、どうでもいいことだった。
ただ、目の前で悪党らしき男が悲劇のヒロインらしき少女に酷いことをしようとしているようなので、ぶち殺す。
それだけで侠一郎にとっての状況の理解と問題解決の動機は充分。それ以外を考える必要はない。
「随分と口が悪いな。私は私の物になるべき力を取り戻しているだけだが――」
「そういうのはどうでもいいんだよ。アンタにも色々と事情があんのかもしれねぇが、そんなのは俺の知ったことじゃねぇ。とにかくアンタは悪党だろうから、ぶん殴ってぶち殺す」
何があろうと侠一郎は自分のするべきことはそれだけだと思考をシンプルにする。
そんな侠一郎を男は笑う。強いが、それだけの取るに足らない子供だと侮りを込めて。
「強いだけの人間はいらないな。君が強い理由には興味があるが、君自身に対しての興味は尽きたよ」
男は掌を侠一郎に向ける。
「少し思いついたんだが、こんなのはどうかね?」
男の言葉と共に空間が歪み、直後に衝撃が侠一郎を襲う。
空間を押し潰すことによる打撃。
即座に侠一郎はそう推測するが、推測したところで攻撃を無効化できるわけでもなく、侠一郎は大きく吹き飛ばされる。
打撃から生じた衝撃によって吹き飛ばされたのではなく、押しつぶされた空間から弾き出されたような感覚を侠一郎は覚える。
「効かねぇよ」
侠一郎は口元に余裕の笑みを浮かべて、吹き飛ばされた体勢から着地する。だが――
「では、これは?」
男が指を鳴らす。空間切断の刃が侠一郎目掛けて飛ぶ。
侠一郎もそれを予測していたのか、すぐさま回避行動を取って横に跳ぶ。だが、男はその上を行ってみせる。
侠一郎が避けた先、そこに向かって上方向から空間が押しつぶされた。打撃というよりは強力な加重による攻撃が侠一郎を襲う。
「攻撃のパターンが一つ増えただけだが、まぁそれでも充分過ぎるか」
言いながら、男は指を鳴らす。
空間操作によって切断力を生じさせた刃が侠一郎に向かって飛翔する。
それに対して侠一郎は自身の上方からかけられている圧力に耐えて立ち尽くすだけで、回避行動を取る様子もなければ取れる様子もない。
その様子を見て、男は勝利を確信すると同時に僅かな疑問を抱く。
空間ごと潰しているはずなのに、何故あの少年はまだ立っている? あまりに当たり前に立っているので気づくのが遅れたがどう考えてもおかしい。
確かに重さが掛かってはいる。
だが、それは重りを乗せているような物理的な効果ではなく、世界自体が圧縮される圧力によって生じる重さだ。筋力や体力で耐えられるような仕組みではない。
一瞬に生じた疑問が戦慄に代わる中、男の耳に少年の声が届く。
「OK。へっぽこ野郎と言ったのは俺の間違いだった。それは認めるよ――」
男の視界の中の少年の瞳が一瞬だが赤く輝く。
その直後、少年は何気ない動きで、男が一瞬前に放った空間ごと切り裂く不可視の刃を拳で殴り砕いた。そのことに男は驚愕の表情を浮かべる。
空間切断の刃は砕けるような代物ではない。
いや、それ以前にまだ少年には空間ごと潰される圧力がかかっているはずだった。
それなのに、目の前の少年は何事もない様子で立っている。
男は目の前の少年のしていることが何一つ理解できない。そのことが男を困惑させる。
「――なので、ここからはちゃんと戦ってやる」
侠一郎は宣言し、拳を構える。
その瞬間に侠一郎の体から溢れ出る出る力。
それは先程までとは比較にならない。
だが、男の目が奪われたのはそのことに対してではなかった。男が目を奪われたのは侠一郎の腕であった。
「なんだ、それは?」
男の目に映る侠一郎の腕は黒鉄色に変わっていた。
先程までは肌色だった腕が黒く輝く金属の光沢を持つ腕となっている。
侠一郎はその腕を男に向けて構えたまま、男の疑問に応える。
「これが俺の能力。アンタらだって持ってるんだから、俺が持っていたっておかしくは無いだろう? 心配するなよ、別にたいした能力じゃあない。ちょっと四肢を硬くしたりするだけだ」
何でもないことのように言う侠一郎に対し、男は警戒の視線を向ける。
男の読みでは侠一郎の能力は極めて高い身体能力だけであり、それ以外の能力を持っているというのは予測の範囲内になかった。
──とはいえ、見たところ腕を硬化させ、打撃力を強化する程度の能力であろうと男は判断する。
考えが甘いかもしれないか、甘かろうと自分が負けることは無いだろうという自信が男にはあった。
そんな男の自信を過信と読んだのか侠一郎は口元に笑みを浮かべ、名を告げる。
「『漆黒鬼甲』――黒木侠一郎」
告げたのは能力と己の名の二つ。その言葉が男に届いたと同時に侠一郎が走る。
そして次の瞬間、侠一郎の漆黒の拳が叩き込まれた。




