2-20【先史の記憶 3:~クレストール先生~】
「なにしてんの?」
打ち合わせが終わり、今日の振り分けを伝えられ、必要物資やマニュアルと地図を受け取って一階に降りてくると、エリク達の姿が見えないので、どこに行ったとヴィオに聞いてやってきた鍛冶区画。
そこの端で、熱心にハンマーを叩くエリクを見つけたモニカが、思わずそう口走った。
すると、それを聞いたエリクは鏝の様な道具の先にハンマーを大きく叩きつけながら答える。
「見ての通り・・・鍛冶の手伝い」
声の合間に2回ほど叩かれた鏝のような道具は、直前まで僅かに歪んでいたのが嘘のように穂先が真っ直ぐになっていた。
叩いただけでこの精度ってすげえな。
「すげえな、叩いただけで直っちまったよ・・・」
すると俺の感想と同じような事を言いながら、明らかに鍛冶屋っぽい身なりの男が現れてエリクからその鏝を受け取ると、また別の道具を渡した。
どうやら鍛冶屋目線で見てもエリクの腕はすごいらしい。
「ごめん、この人に捕まったんだ」
一方のエリクは道具を受け取りながら俺達にそう告げると、疲れたように肩をすくめ、俺達に事の経緯を話してくれた。
なんでも待合スペース代わりの事務所前の広場には、エリクのことを知っていた者が結構いたらしい。
今回はアクリラ主催の現場ということもあって、護衛役やその他の動員にはアクリラの冒険者協会が大きく絡んでおり、エリクの所属するヴェレスの冒険者協会もその傘下。
当然、ヴェレスで主力級として活躍していたエリクの顔と名前を知っている者はそれなりに存在し、エリクのプライベート・・・つまり鍛冶屋で助手として働いている事を知っている者もいたわけである。
そして今は調査の出発前で急ピッチに道具類の仕上げが行われているため、鍛冶屋は猫の手も借りたいくらい大忙し。
実際、2つ向こうのテントで大粒の汗をバラ撒いている獣人はどう見ても猫系である。
となれば、技術的にもシステム的にも【鍛冶スキル】持ちのエリクは、放ったらかしにしたらすぐに拉致られるのが世の理だ。
お人好しで頼み事に弱そうなエリクのことなので、きっと殆ど無抵抗にここまで引きずられてきたのだろう。
そんな事を俺が考えたせいか、ヴィオが送ってきてくれたエリクのメガネの視覚記録には、強い押しの言葉に引きずられる彼の姿が写っていた。
まあ、時間を有効活用していると思えばいいか。
”これ”はこれで興味深いし。
エリクが今手に持っているのは、ドライバーサイズの小さなシャベルのような道具。
細かい部分をこれで掘るのだろう。
だが、その表面は深めの錆で焦げ茶色に変色し、例のごとく少し歪んでいた。
エリクはそれを、どうしてやろうかとばかりに少しの間眺める。
錆を落とすので、普通なら酸にでも漬けるかヤスリでもかけるかだが・・・
エリクは小声でヴィオといくつか相談すると、なんとハンマーを手にとったではないか。
「・・・!?」
俺達と鍛冶屋の男が瞠目するまもなく、エリクは短く持ったハンマーを軽く叩きつけると、そのまま恐ろしい速度で手首を震わせ何度も連打する。
発生した打撃音は単発的なものではなく、もはや鈴の音色のように澄んだ連続的な音だった。
すると恐ろしいことに、金属の表面から錆の部分がボロボロと剥がれ落ち初めたではないか。
そして、俺達がようやく”どういうこっちゃ!?”っという思考に達したときには、なんということでしょう。
あれほどサビサビだった小シャベルが、まるで新品のようにピカピカになったではありませんか。
『なにしたの?』
俺がヴィオに聞く。
どう考え得ても”タネ”はこいつだ。
その証拠に、エリクは両手首と首に制御ユニットを付けっぱなしである。
すると案の定、ヴィオはまるでなんでもないようにやったことを説明してのけた。
『大したことはしてませんよ? 道具の金属質全体を振動させて、錆の固有振動数にあわせて錆だけ壊しただけです』
『あ、ふーん・・・』
どういう制御だ・・・
エリクが出来上がった小シャベルを鍛冶屋の男に渡すと、男は無言でそれを見つめている。
その表情はエリクのやったことが信じられないといったもので、他にもエリクが直したであろう道具と、エリクの顔を何度も見比べていた。
当たり前だ、こんな方法で簡単に錆を取られてたまるか。
ご覧の通り、現在エリクは絶賛ヴィオの機能を使って鍛冶作業をしていた。
本格的に使えるようになった支援機能のテストに、感覚的な作業はおあつらえ向き。
お互いにどこまで細かな強化ができるかの見極めになる。
だが2人共、些か作業に没頭しすぎて周りが見えてないらしい。
『あのー・・・もしかして、私何かしちゃいました?』
『・・・・』
”私何かしちゃいました?” だと・・・
俺だって、まだやったことないのに!
・・・いや違う!
『ロン、ちょっといい?』
『どうしたモニカ?』
するとモニカが徐に、横に挿してあった刃の欠けた短刀を引っ掴んだ。
呆気に取られる俺達と鍛冶屋の男。
そしてモニカは、そのまま棚にあった適当な砥石を取り出すと、
「『『え?』』」
と、周りの者達が呆気に取られる間もなく、短刀の刃にあてがったのだ。
間一髪、モニカの”意図”に気づいた俺が支援系スキルを発動させて全身に指令を飛ばす。
すると砥石の当たった短刀の刃先が、まるで魔法の様に(半分くらい魔法使ってんだけど)一瞬で研ぎ出され、鏡面仕上げのごとくピカピカになったではないか。
更にガタガタだった刃先は完全に均されて、新品の様に鋭い。
何をしたかって?
なんてことはない、腕の動きを俺が制御して、ものすごい速度と精度で細かく研磨し、魔法で制御した魔力研磨剤とヤスリの効果で、とりあえず200番から30000番まで研ぎ出したのだ。
磨くのとは微妙に違うから気をつけような!
後は反対から同じ事をしてやれば完成である。
ふう・・・
ん? ひょっとして俺、何かやっちゃいました?
・・・よし、言えたぞ。
短剣の完成度にモニカが満足そうに頷き、俺が心の中でほっと息を吐く。
まったく、いきなりとんでもない事をさせやがって・・・
エリクとヴィオへの対抗心だろうか。
不思議なことに、モニカは成長する度段々子供っぽくなってきてる気がする。
だがエリクはさして興味がないようで、次のガラクタをハンマー一本で真っ当な道具に叩き直すのに夢中のようだ。
どうやら本職の職人はいちいち他人の凄技に心動かされたりはしないらしい。
その態度にモニカが少なからぬショックを発する。
一方、本当に本職の鍛冶屋の男は、そんな俺達を気持ち悪そうな様子で眺めながら小さく、
「その身長・・・もしかしてドワーフか?」
と呟いた。
その言葉がレオノアの剣よりも強烈なダメージを俺達に与えた事はいうまでもない。
結局、俺達がそこから立ち直りエリクを連れ出すのには、エリクが更に道具を6個直すだけの時間がかかったのだ。
◇
時間がないということで、なんとかエリクを(もっと言うなら俺達自身を)連れ出した俺達は、そのまま今日の担当になった調査班のテントへとやってきていた。
「ここ?」
「たぶん・・・うん」
エリクの言葉にモニカが地図と突き合わせながら、そのテントを睨む。
テントと言ってるがそれは屋根と壁が布製だからなだけで、研究室も兼ねているらしく、簡易的な基礎工事まで行われている立派なものだった。
大きさ的に内部に簡単な2階があるかもしれない、少なくとも窓はある。
もっとも、教授たちのテントはどれもこんなノリなのだが。
今日の調査の直前ということで、俺でもすぐに分かるほど中は人の動く気配で満ちていた。
『ああ、ここで間違いないぞ』
俺もそう言いながら、マップを確認した。
『クレストール先生・・・俺達の担当するアクリラの歴史教授だ』
ちなみに会ったことはない。
アクリラの教師は魔法学校に限定してもかなり多く、商人学校と兼任するような座学系や、授業を持たない研究専任職ともなれば、たとえ同じ専攻であっても数十年間面識がないなんてこともある。
なので、どんな先生が来るのかはわからない。
分からないんだが・・・
「”歴史の先生”って、ヘンな人が多いんだよなぁ・・・」
モニカがそう言いながら眉を顰める、するとそれを見たエリクが露骨に身構えた。
「モニカがそう言うってことは、よっぽどなんだな」
「・・・」
エリクの言葉の”モニカが言う”の部分に込められた意味に、モニカが”失敬な!”といった感じにエリクを睨んだ。
するとエリクはそれを無視して、一歩下がり親指でテントの中を指し、それを見たモニカが肩を落とした。
こんなところで油を売ってる暇があるなら、さっさとテントの中に声をかけろってことだろう。
もっともな話である。
モニカは渋々テントの小さく捲れがっている入口に近づくと、そこから中に向かって声をかけた。
「クレストール先生いますか!? 今日の”ごえい”担当になったモニカ・シリバです!」
モニカの声は少し大きめだったが、周囲の雑音に紛れてそれほど気にはならなかった。
若干、反応がなかったので聞こえなかった可能性を考慮したほどである。
だがそうではなかったようで、少しして小気味のいい男の声が中から帰ってきた。
「おお、ようやく来たか、待っていたぞ」
そう言いながらテントを捲くって現れたのは、身の丈50cm程の小さな小さな小人系の亜人の男だった。
その姿にエリクがわずかに驚く。
ここまで小さい者は、マグヌス側じゃ中々お目にかかれないからな。
見た感じ、個人差で小さいというよりも元々そういう種族のようだ。
耳の先が僅かに尖り、肌の色が若干緑がかっているので、ゴブリン系の血が入っているのかもしれない。
だがゴブリンと侮るなかれ、この世界のゴブリンは幼少期の平均学習時間が12時間を超えるといわれ(※注:この世界の一日は20時間で測られてます)、種族人口あたりの博士号取得率が5本の指に入ると言われる(真人間? ランクインできると思ってんの?)超弩級の学歴社会。
少し前まで害獣だったらしいが、今ではゴブリンと聞いて下等種族と思う人は少なくともアクリラにはほぼいない。
「クレストール先生ですか?」
モニカがその小人に声をかける。
その声はわずかに緊張していた。
モニカは”比較的”低身長だからな、目上の者に下方向を見ながら話しかけるのにはまだ慣れていない。
一方、クレストール先生と思われる小人はモニカの問に対して臆することなどなく、こちらの目を向いて頷いた。
「いかにも、私が”クレストール・ディミトリス”、これでも研究室持ちの歴史学者だ。 それで君が昨今そこらを騒がせてる”爆弾少女”か、癇癪を起こしたからといって遺跡をふっとばさんでくれよ、ゴーレム志望と聞いているから遺跡の土塊もゴーレムだと思って扱ってくれ・・・おっとそれだと君はぶっ叩いてしまうな・・・」
クレストール先生そう言うなり、”しまった”とばかりに目の上に手を乗せて上を向いた。
その様子に、俺達とエリク達が無言で顔を見合わせる。
すると、その間にクレストール先生が驚くほどの速度で割り込んできて、俺達の肝が大いに冷えた。
「今のは忘れてくれ、とにかく今日君達が行く場所にある物は、この世界全体にとって非常に重要なものである事を忘れるな、壁画一つ、破片一つにしても貴重でないものはない!
それで、そっちがぁ・・・・っ」
クレストール先生がそう言いながら今度はエリクの方にクルリと向き直ると、エリクの顔めがけて人差し指を突きつけて難しい顔を作った。
何かを思い出そうとしている顔だ。
「・・・エリクです」
エリクがたまらずそう答える。
するとクレストール先生の表情が”それだ!”という色に染まった。
「そう! エリク君だったな、たしか、ヴェレスを中心に活動している”凄腕剣士”の弟子という話だったか!?」
「えっと・・・はい」
クレストール先生の勢いに、エリクが気圧されながら答える。
すると、クレストール先生が手を差し出して握手を求めた。
エリクがおっかなびっくり、それに応じる。
だが、クレストール先生はエリクの手をギュッと握ると、その体格からは考えられない力で上下に振り回した。
「モニカ君にも言ったとおり遺跡を壊さないでくれよ、特にこれから行く場所の状況的に、君はたぶん魔法士のモニカ君より忙しいだろうからな、獣と一緒にうっかり”エアリ神”の石像でも切られては敵わない」
クレストール先生はそう言うと顔をエリクに寄せ、その迫力にエリクが思わず後ずさって後ろのロメオにぶつかる。
するとその時テントに中から別の、今度は少女の声が聞こえ、その声にモニカが大きく反応して振り向いた。
「先生、”エアリ神”は南方魔族の神様ですよ、時代もこことは最低でも500年は違います」
そう言って現れたのは、両脇に資材を抱えた俺達と同い年の灰色の髪の少女。
その見知った顔にモニカが少し驚いた表情になり、向こうがしてやったりといった顔になる。
するとクレストール先生がすかさず、少女の注釈に対して反論を始めた。
「だからこそ、ここで見つかれば世紀の大発見なのだ、わからんかね! この遺跡でもし仮に”エアリ神”かそれに類する石像が見つかれば、既に”魔人時代”の兆しが4000年以上前にこの地まで届いていたことになり、そうなれば3000年前とされていた従来の”魔王アムゼン”による北方進出の歴史が大きく塗り替えられる可能性がある、いや、そればかりか謎の多い”第一社会文明”と我々”第二社会文明”の間の空白に連続性が生まれ、その2つを分ける必要がなくなるかもしれんではないか、それは世紀の大発見だ、だがそれには完全な”標本”が必要なんだよ、完全な状態で調査され、完全な状態で記録された標本が、それがぶっ壊されてもみろ、破片をいくらつないだところで”お前の妄想だろう”と言われては反論もできん」
そう言うと、少女の持っていた資材を引っ掴み、勝手知ったる風にロメオに近づくと、そのまま背中の荷物スペースに押し込み始めた。
その勢いにロメオが目をパチクリさせる。
「随分鍛えた牛だな、北方種のパンテシアか?」
「あ・・・はい」
「ほー、ならいい飼い方をしてるようだな、これなら安心だ。
なにせ検測器の中には次元収納を使えないものが多いからな、”脚”は多い方がいい。
荷牛連れと聞いてすぐに私の所にくれと言ったよ、なにせ動き回らにゃならんからな」
「あ、はぁ・・」
なんと俺達がこの教授に選ばれた理由は、俺達の名前でも、エリクの経歴でもなく、”ロメオの脚”だったのだ。
そのことに、モニカとエリクとヴィオと俺は固まったままロメオを見ているしか無かった。
一方のロメオは、自分がなにか期待されていることを感じ取ったのか、それとも久々に本職として使われることが気分がいいのか、満足そうにクレストール先生の小さな頭に鼻面をこすりつけている。
とりあえず彼の魔力はそれ程不味くはないらしい。
まあ、理由は別にいいか。
何はともわれ、こんなところで”知った顔”に会えたのだから。
「アイリスも来てたんだ」
ロメオに荷物を積み込むのに忙しいクレストール先生を横目に、モニカが荷物を持ってきた少女こと、同級生のアイリスに声をかけた。
するとアイリスも嬉しそうに微笑み返す。
「うん、先生に声をかけてもらって。 普段から研究室に出入りしてたから手伝い」
そう答えるアイリスの表情は、いつもの地味な灰色の印象とは違って嬉しそうな明るいものだった。
だがその様子にモニカが不思議そうに首を傾げる。
「あれ? でもアイリスって”医療系志望”だよね?」
今回の探索はアクリラの歴史研究所主体のもの。
いくら歴史が好きとはいえ、畑違いのアイリスが調査側に名を連ねるのは不思議である。
だがそれに対しアイリスは俺達の近くに寄ると、周囲に聞こえないように小声で耳打ちしてきた。
「医療魔法士志望だったら、アクリラに入れる枠があったの、ほら医療魔法士って貴重でしょ? 私の能力じゃ、そうでもないとアクリラには入れないから」
アイリスはそう言うと、俺達のことをちらりと羨ましそうに見た。
一瞬だったので見間違いかとも思ったが、視覚記録に残っているので間違いない。
「歴史が好きになったのは、アクリラに来てからだよ」
「そうなんだ」
アイリスの言葉にモニカが納得気味に頷く。
アクリラにいる時はつい忘れがちだが、あの街で学ぶ生徒の大部分は、文字通り国の将来を背負ってやってきている。
魔力によって個人の能力の上限が非常に高いこの世界では、彼等の学ぶものや身に付ける能力はそのまま国力に直結し、当然ながら、その選別は分かりやすく有用なものに偏っていた。
とはいえ、生徒がその通りに成長するかは分からないし、アイリスの様に他の分野に手を出す事もあるという事だろう。
だが、まさか歴史研究所の調査に出てくるとは。
まあ、アイリスは器用貧乏だがなんでも卒なくこなすので、助手には最適なのかもしれない。
するとそんな様子の俺達に、エリクが声をかけてきた。
「そっちは、知ってる奴なのか?」
「うん、”ともだち”だよ」
モニカがそう答えると、エリクの姿勢がわずかに後ろに遠のいた。
『どうした?』
俺がヴィオに確認する。
『エリクは”モニカ様やメリダ様みたいなの”が増えたのではと危惧してるようです』
『・・・安心しろ、アイリスは大人しい子だよ』
俺はそう言って、友人にかけられたあらぬ疑いを晴らす。
アイリスは”こんな俺達”でもずっと付き合ってくれる心のきれいな子だ、”野獣扱い”をしてはいけない。
・・・実はなんだかんだで、喧嘩場に平気で首を突っ込むけれど、とは言わないでおこう。
「なるほど、お互いに知った顔なら話は早い、じゃあ、さっさと機材を積み込むぞアイリス、時間が惜しい、もうすぐ作業開始のラッパが鳴る」
クレストール先生がロメオの背中に専用の荷袋を据え付けながらそう言うと、ちょうど事務所の方から甲高い管楽器の音が聞こえてきた。
するとそれに合わせて、周囲のテントで準備していた教授陣が助手を引き連れ移動を始めだす。
完全装備なので見てくれは荒い冒険者染みたものだが、活発に話してる内容がこれまで見つかった異物に関するかなり専門的な議論だったりするのが面白い。
何を話しているのか、その内容の半分以上が意味不明である。
「さあ、出発の時間だ、早く詰め込め。 うん? アイリス、写画用塗料の缶はどこへやった? カーブ油がないぞ」
「いりませんよ、というか先生、あれのせいでいつも失敗してるじゃないですか」
「なに? カーブ油がないと絵の具の馴染みが悪いって言ってるだろ」
「でもそのせいですぐに乾いちゃうでしょ? 色処理は私がしますから、先生は解析と判別に集中してください」
クレストール先生とアイリスのその言い合いは、随分と親しみのあるものだった。
気のせいか、アイリスの口調もいつもより力強い。
テントの中の他の研究員達もそれを微笑ましそうに見ているので、たぶんいつものことなのだろう。
ちなみに彼らは、ほぼ全員が最前線の発掘に駆り出されているので、俺達が護衛するのはこの2人だけのようだ。
その2人はロメオの背中に次々に大量の機材を詰め込んでいく。
ロメオも知った顔のアイリスがいるのでおとなしいが、どんどん体積を増す背中の荷物に何事かと首を捻っていた。
こんなにいっぱい、何に使うのだろうか。
「よし、あらかた積み終わったな。 それじゃ諸君、我々も出発とするか」
最後にクレストール先生が号令をかける。
それを聞いた俺達はアイリスとエリクに頷いて問題ないことを確認しあうと、先生の指差した方向を向く。
だが最初の一歩を繰り出そうとした瞬間、いきなりクレストール先生に肩を掴まれ止められた。
「いや、ちょっとまて」
「・・・え?」
首がガクッとなりながらモニカが後ろを振り返る。
すると眉間に指を当て何かを考え込むクレストール先生の姿が目に入ってきた。
「なにか忘れてる気がする」
「忘れ物っていっても、必要なものはもう・・・」
先生の言葉に、アイリスがそう言いながらロメオの背中を探る。
だが先生の視線は荷物ではなく”俺達”に向けられていた。
「機材ではない。 モニカ君、ひょっとして私は、君と挨拶したときに握手しなかったんじゃないか?」
「ええっと・・・・」
唐突に出てきた”握手”という単語にモニカが困ったような表情になる。
『まあ、してないけどさ』
「してない・・・と思います」
視覚記録を確認した俺達がそう言うと、先生が息を大きく吐き出し、うしろでアイリスが”またか”とばかりに天を仰いだ。
「なんてこった、危ないところだった、私は初めて会った者とは握手しないと碌でもないことになる、ほら手を出せ」
そう言ってクレストール先生が右手を差し出して振るので、モニカがしかたなくそれを掴むと、かなり強く印象づけるように大きく上下に振り回した。
「ああ、これで間に合ってくれればいいが、はたして・・・」
「先生、またそのジンクスですか・・・」
アイリスが少し困ったようにクレストール先生にそう言う。
え? なに? ジンクス?
まさかこの高度に魔法が発展した世界で、”ジンクス”なる横文字単語を引っ張り出さねばならない場面が来るなんて。
というか、そもそも、
「えっと、先生はジンクスを信じてるんですか?」
たまらず、エリクが”嘘だろ?”的な感じに突っ込んだ。
まさか学者がそんな迷信めいた事をするとは信じられなかったのだろう。
だがクレストール先生はそんなエリクを嗜めるように指を立てて横に振る。
「信じる信じないではない、私はジンクスの専門家ではないし、これからも研究する気もない、研究する気もないから否定することもできん、だが気になるから意識はする」
そう言うと、クレストール先生はようやく俺達の手を離し、なにか遠い目をしながら語り始めた。
「ジンクスは危険だ。 あれはそうだ、忘れもしない聖王2084年の冬、珍しくアクリラに雪が積もったあの冬、靴下を三枚重ねに履いて幾つも駄目にしたあの冬、スリード先生が風邪を引いたあの冬だ・・・私はクリント・ミューロックがエドワーズの大統領選挙に初めて勝利したという吉報に心躍り、その日ばかりは魔法士禁酒の原則を破って酒に酔いしれようと酒場を訪れた、見ての通りこの体の中には4分の1ゴブリンの血が混ざっているからな、それまでの迫害の歴史を思えば酔わずにはいられなかったのだ、もちろんそこには既に吉報を聞いたゴブリンやハーフゴブリンが、万感の思いに酔いに酔っていた、私は見知らぬ同胞たちに抱きついて、見知らぬ同胞たちも抱擁で返した、全てが幸せだった・・・だが浮かれすぎていた、何より肝心なそいつらとの握手を忘れていたのだ・・・」
クレストール先生はそう言うと、何かとてつもなく恐ろしいことを思い出したかのように、目を見開いて顔面が蒼白になった。
いったい、その後彼の身に何があったのか。
とはいえ、それが語られることはなかった。
「行きますよ先生。 もうモニカちゃんと握手できたからそれでいいでしょ」
「あ、ああ、すまんアイリス。 そうだな」
過去に経験があるのだろう、アイリスの言葉は手慣れていて、それでいて有無を言わせぬものだった。
クレストール先生もトラウマを思い出して余裕がなかったのか、それに反論することもなく従う。
俺はちょっとだけクレストール先生に何があったのか気になっていたが、モニカは「まにあったのかな・・」と、ちょっと不安そうに自分の手を見ているし、ヴィオはジンクスの確度についての統計的有意性について俺に聞いてくるし、エリクは歴史教師が本当に変なやつだったとドン引きしていたりと、バラバラなので触れなくても良いのかもしれない。
ただ、ロメオだけが嬉しそうにアイリスの腹に鼻を擦りつけていた。




