『日本紀竟宴和歌』
『日本紀竟宴和歌/藤原国経ら』
宮中行事である「日本紀講筵」が終了するたびに催された宴会「竟宴」の場で詠まれた、『日本書紀』に因む題詠和歌、またはそれらをまとめた書物。天慶六年(九四三年)(平安時代・朱雀天皇の頃)成立。
『史記』等の漢籍講読の場合、終了時に書中の人物を題材として詠史詩(歴史上の人物や史実を題材とした漢詩)が詠まれるのが一般的だったが、それに倣い、『日本書紀』に登場する神・天皇・大臣などを題材として題詠和歌が詠まれた。現存するのは全二巻にまとめられたもの。万葉仮名とひらがなとを併記して表記しており、上巻に元慶六年(八八二年)八月の竟宴(元慶二年の時のもの)の二首と延喜六年(九〇六年)閏一二月の竟宴(延喜四年の時のもの)の四十首、下巻に天慶六年(九四三年)一二月の竟宴(承平六年の時のもの)の四十一首を収録。作歌者は藤原国経(2首)(元慶六年歌)を筆頭に、大江千古(1首)・紀長谷雄(1首)・紀淑望(1首)・貞保親王(1首)・藤原国経(1首)・藤原忠平(1首)・藤原時平(1首)・三善清行(2首)(延喜六年歌)、小野好古(1首)・重明親王(1首)・藤原師尹(2首)・源高明(1首)(天慶六年歌)など、名だたる上級貴族や皇族が多い。
◆
『日本書紀』をネタに和歌を詠んだものと言えばこれ。残念ながら歌数は豊富とは言えませんが、現存する日本最初の『日本書紀』の二次創作と言えるかもしれません。しかも公式。
各天皇は元より、国常立尊・日臣命・伊弉諾尊・日本武尊・天手力男命・猿田彦・玉依姫・下照姫・月夜見尊・天穂日命、衣通郎姫・聖徳太子等を歌題とした歌がずらり。
その割に、伊弉冉尊も素戔男尊も天照大神も大日孁貴も「歌題」に選ばれていないのは不思議ですが。
――「伊弉諾尊」の題で詠まれた、
「賀曾伊呂婆 阿婆禮度美須夜 毗留能古婆 美斗勢儞那裡努 阿釋多多須志夫」(天慶六年・66番歌・従四位下行民部大輔兼文章博士大江朝臣朝綱)
「父母は憐れと見ずや 蛭兒は三歳になりぬ 足立たずして」(天慶六年・66番歌・従四位下行民部大輔兼文章博士大江朝臣朝綱)
「父母は不憫に思わないのだろうか ヒルコは生まれて三年になってしまった 足が立たないまま」(天慶六年・66番歌・従四位下(四位の下の下)の位階にありながら格下(五位上の下相当)の民部大輔と兼任で文章博士もやっている大江朝綱)
にキュンとしてみたり。




