1 復興の灯火
矢吹佳寿が死んでから、二週間が経った。その日、彩鈴の王都依織に、大陸三か国の首脳陣が集まっていた。
長い会談のテーブルの一方に、不機嫌な表情で腕を組む真澄、向かい側に座る者を睨み付けるような冷たい視線の知尋がいる。もう一方には真っ青な顔をしている小柄でやや太り気味の中年男。彼らを仲介する位置に座った彩鈴王の樹狼雅は、面白くて仕方がないといった様子でにやにや笑いを浮かべている。そして部屋の片隅には玖暁騎士団長の瑛士と、彩鈴騎士団長の黎、そして青嵐騎士団を代表して奏多が控えている。
真澄たちは矢吹佳寿を討ち果たしたあと、早急に玖暁国内に残っている青嵐軍の残党を捕え――ようとするより早く、青嵐王が降伏の白旗を上げた。それにより青嵐軍は武装解除され、玖暁は完全に取り戻された。
そしていま、この彩鈴の地で互いが捕えた捕虜の交換が行われ、同時に停戦条約も結ばれることとなった。
が、これが思うように話が進まない。真澄は深い息を吐き出しながら、ちらりと向かい側の男を見やった。
青嵐王とはこれが初対面だ。写真などは見たことがあるが、実際に見たのとは印象が違う。実際のほうがより「弱腰」そうだ。しきりに汗をぬぐい、自分の半分以下の年齢であるはずの真澄らにたじたじになっている。それでものらりくらりと話を逸らすので、なかなかの曲者だ。もうかれこれ四時間近く、ここで膠着状態だ。給仕に来てくれる侍女に、五回ほど紅茶を淹れ直してもらっている。
「話が進まねえ」
この場にいる誰もが思っていることを口に出したのは、狼雅である。
「そうだんまりを決め込まれちまうと、俺たちで勝手にしてくださいっていうことだと受け取るぜ? こっちは譲歩して、あんたに弁解の機会を与えてやろうって言ってんだ。それを自分から潰したいってんなら、潰してくれてもいいんだぞ」
「ぐ、具体的に何をするつもりだね……?」
「そうだなあ……まず賠償金を払ってもらおうか。次に、青嵐の大地を玖暁と彩鈴で半分こだな」
「それは認められません」
断固として宣言したのは真澄だ。
「青嵐には青嵐の民がいる。それをこちらの都合で領土化するのはいけない。賠償金にしても、それで困るのは青嵐の民です」
「冗談だよ。が、賠償金については冗談で済まされねえと思うぜ? 今回のことで、どれだけ玖暁が損害を被ったか計り知れない。銅貨一枚も受け取らねえ、っていうのは無理がある」
勿論狼雅よりも真澄は自国の財政を知っている。そして彼の言葉も見事に図星だったので、何とも言い返せない。そこに、伺うような上目づかいで青嵐王が口を挟んだ。
「賠償金など、全国民の納税額を上げさせてやればすぐ集まるよ。一ヶ月待ってもらえば、すぐそれなりの金額が……」
ぶちっ、と何かが切れる音を、真澄の隣に座っていた知尋は聞いた気がする。知尋がさりげなく兄を見やり、やれやれといった表情で軽く肩をすくめる。
キレたな――と、壁際に佇む三人の騎士は同時に悟る。
「――青嵐王。矢吹を特務師団長に任じた理由を、さっきなんと言った?」
「え、ええと、彼は『自分にお任せいただければ青嵐をより豊かな国にしてごらんにいれます』と申し出てきたから……」
「そのために矢吹は地位を要求してきた。貴方はそれに応じた。それはそうだな?」
「ま、まあそういうことになるねえ」
「特務師団長になった矢吹は、その『青嵐をより豊かな国』にするために、何をした? 報告を受けているはずだ、言ってみろ」
「兵器開発の費用を賄うために増税して、民衆を労働力として強制徴収して、研究棟増設のために居住区の住民を強制退去させて、異議を訴える騎士を左遷させたり処刑させたり……」
狼雅が不快気に眉をしかめた。
「それらすべてに、貴方は承認の判を押したわけだ。――結果、我々の戦いはここまで長引き、多くの犠牲者を出してきた。貴方はそれを何とも思わないのか。あまつさえ、更に民衆に負担をかけるつもりか! 実際に苦しむのは貴方ではなく、貴方が守るべき青嵐の民だ。彼らの痛みを分かろうとしない貴方に、王たるの資格はない!」
青嵐王の発汗する速さが、汗を拭う速さに勝ってきた。
「そ、そう言われても……これは矢吹が」
「矢吹が勝手にやったことだ、とでも言ってみろ……この場であの世へ送ってやろう」
真澄の凄味とともに、瑛士がわざとらしく剣環を鳴らした。青嵐王は首をすくめる。
「少なくとも矢吹の申し出を却下していれば、そうしなくとも途中で矢吹を特務師団長の任から降ろしてしまえば、こうはならなかった。大量虐殺を命じた罪が、貴方にはある。その責任を取るべきではないか」
「せ、責任……」
「退位することをお勧めする」
青嵐王がぎょっとした。
「退位!? しかし、世継ぎもいない青嵐を、誰がこれから……」
「なあに、方法はいくらでもある。敗戦国の面倒を見るのは戦勝国の務めだからな、玖暁か彩鈴かどちらかが執政官を送るという手もあるし、こっちで勝手に新しい君主を立てるという手もある。いっそのこと独立権も取り上げて、完全に領土に組み込んでやってもいいんだぜ」
狼雅が指折りでそう列挙し、策謀高い表情で青嵐王を見やった。
「俺たちがあんたに求めることはな、『これ以上何もしないこと』なんだ。分かるよな、青嵐王さんよ。あんたが自分の意思で王位を下りると宣言すれば、青嵐のどこかに屋敷でも立てて、悠々自適に暮らせるんだ。一応、『大陸を戦乱に巻き込んだことの責任を取った』という名誉も守られるわけだし」
青嵐王の顔色は、この日一番の蒼さだった。真澄、知尋、狼雅と順番に視線を慌ただしく動かしたが、どうやらそれ以外に取るべき手段はないと青嵐王は諦めたのだった。
★☆
結局青嵐王は、それから四日後に自ら退位した。狼雅に言われた通り、青嵐の奥地に屋敷を建て、そこで余生を過ごすということだ。権力者不在ではまずいので、臨時ではあるが青嵐の地に玖暁の副宰相を派遣した。なんと元敵国の副宰相を迎えた神都の民は手を叩いて喜んだというから、青嵐王がどれだけ嫌われていたかということが明らかだ。
青嵐の統治権を狼雅があっさり譲ったのはいささか拍子抜けだったが、その代わりに狼雅は青嵐の神核実験やらなんやらの処分を引き受けた。大神核に関する資料は取り上げ、人造神核や神核の複製の資料はばっさりと焼却処分である。「こんな危険なものは存在しちゃいけねえ」ということだ。
それと同時に、青嵐軍の解体もせっせと行われた。王冠こと特務師団は廃止、青嵐騎士団も解体され、あっという間に青嵐は弱体化していった。
――という情報を、一週間ばかり青嵐に滞在していた李生が巴愛と昴流に話してくれた。李生と奏多はこれから、玖暁と青嵐を結ぶ架け橋になるのだろう。
「青嵐は玖暁の領土になるんですか?」
巴愛が問いかけると、李生は首を振った。
「いえ、真澄さまも彩鈴王陛下も、青嵐から独立権を取り上げる気はないようです。おそらくこの先もずっと、青嵐は青嵐ですよ」
「え、でももう王族がいないんでしょう?」
「はい。しかし、王がいなくても国として成り立つ……青嵐は、そんな国にならねばいけないんですよ。今回の戦争は、周りは駄目と思っていても王が承認したから逆らえない……という典型的な事象の重なりで起こったことですから」
李生の口元にはうっすらと笑みがある。
「国の代表を一人たて、議会を組む……異国の政治制度に倣って、いまそんな体制を作ろうとしています」
「共和制の国になるってことですか」
「そうです。国家元首の選出が難しいところですが……まあ、そこは奏多の腕の見せ所ですね。あいつはあれでいて、結構顔が広いですからね」
桐生家というのは騎士としては名の知れた、由緒正しい家なのだと巴愛は最近知った。奏多の父も騎士団長だったし、その祖父も副団長まで上り詰めたというから、家柄はまさに騎士一色だったのだとか。そのコネが奏多にはいろいろあって、助力を申し出る人は多いのだそうだ。
「奏多さんも宙も……大丈夫なんでしょうか?」
昴流が心配そうに問いかける。いま仲間たちはみなそれぞれの故郷に戻っている。黎と奈織と蛍は彩鈴へ、そして奏多と宙は青嵐へ。『裏切り者』と呼ばれることを承知で、だ。
「しばらくの間白眼視されてしまうのはどうしようもない。けれどふたりとも元気そうだったよ。奏多は鈍いだけかもしれないが……宙は強い。兄弟そろって青嵐軍を立て直すんだと意気込んでいた」
解体された青嵐騎士団の再編成は、狼雅から奏多に一任されていた。名だたる将校を失った青嵐で幹部と呼べるのは奏多を含めた数名のみなのだ。これからの青嵐は、奏多が中心となって建て直していくのだろう。
「――まあ、一週間後にはまたみながここに集まる。その時ゆっくり話ができますよ」
李生は微笑み、手に持っていた袋から何かを取り出した。
「そうそう……土産があるんです」
「え、お土産?」
あまりに聞き慣れないその単語に、巴愛が瞬きをする。李生が取り出したのは、鮮やかな赤で染められたハンカチだった。
「あまり知られていませんが、こういった染物が青嵐の名産品なんですよ。良かったらどうぞ」
「有難う御座います! 嬉しいです……」
巴愛が喜んでそのハンカチを受け取る。李生は同じハンカチで青く染まっているものを昴流に差し出した。
「ほら、小瀧」
「僕にもですか!?」
「ま、宣伝も兼ねて……な」
「こ、光栄です!」
昴流の感激は巴愛以上のものだったようだ。最後まで昴流は目上の者に対しての堅さが取れなかったなあ、と巴愛も李生も思っている。それが昴流らしいということなのだが。
三人は和やかに話しているが、実は彼ら以外は仕事に忙殺されているのだ。真澄も知尋も国内外の問題にかかりきりだし、瑛士も騎士団の再編に四苦八苦している。先程説明した通り奏多と宙もあちこちを駆けまわっているし、黎にも騎士としての仕事があり、奈織は押収した人造神核などの検証、廃棄を急いでいる。蛍も大神核の話をするために奈織に駆り出されているのだとか。その中で比較的暇を持て余しているのが、李生と巴愛と昴流なのである。
とはいえ、何もしていないわけではない。本来なら李生も多忙の身だ。だがここ数日は青嵐に使節として赴いていたため、土産話をするくらいの時間があるのだ。巴愛と昴流は城の使用人たちと一緒に城内の片付けや掃除を行っている。そこで巴愛は、昴流の兄であるという小瀧圭也、さらには兄姉なのか弟妹なのか判断ができないほど大勢の兄弟姉妹を紹介された。「あまり仲が良くない」と言っていたからぎこちなくはあったのだが、巴愛が思っていたよりも兄弟仲は悪くはなさそうだ。今回の件で、少し蟠りが解消されたのかもしれない。
「なんにしても……落ち着くまでにはまだ当分時間がかかるでしょうね。気長に待っていてください」
「はい、そうします」
「……そういえば、小瀧」
李生は不意に昴流に視線を向けた。昴流が首を傾げる。
「はい?」
「先程団長から聞いたんだが……お前を部隊長に昇進させるという提案が出たそうだぞ」
「え、ええっ!?」
昴流がぎょっとしてのけ反る。あたふたしながら、彼は矢継ぎ早に尋ねた。
「だ、誰が!? 誰がそんな提案を!?」
「御堂団長だ」
「……最終決定をする団長が提案したって、それもう確実に決定じゃないですか!」
「嫌なのか? 俺も推すぞ」
「そうだよ、昴流。すごいことじゃない!」
巴愛にまで言われ、うっと昴流が呻く。
「だって……僕はちょっと前までただの一騎士だったんですよ? 経験もないし、部隊長がたと比べたらあまりに力量不足で……」
「それは違う。ただの一騎士ではなくなったから、団長も俺もお前を部隊長に上げたいと思っている。実力が伴っていなければ、団長が提案しても俺が却下していた」
何とも手厳しい。しかし、だからこそ正しく評価してもらえていることが分かった。
「桜庭殿の部隊を編成し直す。元はといえば桜庭殿も御堂団長もお前も、神谷前騎士団長旗下に所属していた者だ。お前にとって居心地が悪い場所ではないはずだぞ」
「……それでもやっぱり、自信がないですよ」
「そいつは当たり前だ。俺だってそうだった。最初から自信があったら逆に胡散臭くて仕方ないぞ」
李生がきっぱりと断言する。
「自信なんてものは、みなと親しく付き合っていくうちに自然と身について行く」
「そうなんでしょうか……」
「大丈夫だ、お前ならやれる。いや、お前にしか任せられない。お前以外を選んだら、きっとお前は後悔するぞ」
「え、僕が後悔……?」
「いいな、小瀧。覚悟を決めろよ?」
李生が念押しする。その眼を見て、「あっ」と昴流が声を上げた。巴愛が怪訝そうな顔をしたが、逆に李生は笑みを浮かべた。頷いた部隊長に、先程までの憂鬱はどこにいったのか、昴流は意気揚々と頷いた。
「――分かりました! 精一杯、務めさせていただきます」
「それでよし」
昴流にしかできない、やらなかったら後悔する――当てはまるのは、「巴愛の護衛」だ。これから彼女は、今まで以上にその存在が公のものになれる。そうなればさらなる危険が待っているかもしれない。その時巴愛を守るのは、昴流と、その部下――要するに「親衛隊」だ。そのくらいしなくてはいけない。
――だって、彼女は近い将来に皇妃と呼ばれることになるんだろうから。
昴流は生涯、巴愛の護衛という任から離れない気でいる。しかし彼女が皇族の一員となったら、その護衛がただの騎士であるのはまずい。瑛士と李生は、そのために昴流の席を作ってくれようとしているのだ。
「じゃあ、そのためにまず下ごしらえをしないといけませんね」
「ああ。だが残念ながら、俺には手伝えそうもないな……」
「大丈夫ですよ、弟皇陛下と僕で遊説するって前に話し合ったので。認めさせてやります」
知尋と昴流の二人で、「巴愛が皇妃たるに相応しい存在であるか」を諸侯に知らしめていくのだ。交渉事の得意な知尋と、侍従として貴族に顔が広い昴流が適任の作業である。
昴流と李生は妙な団結力を見せているが、話題の中心である巴愛当人は、さっぱり話が分からずに首を傾げていたのだった。




