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和装の皇さま  作者: 狼花
肆部
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16 勝敗決す

「まさか、これほどの剣の使い手とは……もし貴方に呪いを施していなかったら、とうの昔に会ったときに決着がついていたかもしれませんね」


 佳寿が口元ににやりと笑みを浮かべる。対する真澄は表情を変えない。


「いや、それはない。少なくとも皇都で戦うことになっていたら……たとえ私が本調子でも貴様には勝てなかっただろう」

「ほう、旅の間に強くなったと?」

「そうではない。貴様が弱くなったのだ」

「……私が弱くなった?」


 真澄は頷く。


「目的や感情を隠していたあの時とは違い、今の貴様は私に対する殺意や憎悪を隠そうともしない。感情の揺れ動きがあれば、貴様の剣閃も見切ることができる。神核エネルギーで増強した身体能力だろうが……今更取り繕うことはできんだろうよ」


 相手の先を読む力こそ、真澄の最大の武器であるといっても過言ではなかった。感情の揺れ動きは、心理を読み取る重要な鍵となる。例えば、佳寿は真澄を痛めつけて殺したいと思っている。だから人体の急所は狙わず、腕や脚などを狙っている――ということも、真澄には筒抜けだ。


 佳寿は真澄を睨み付け、斬りかかった。真澄はそれをひらりと避け、第二撃を刀で受け止める。鍔迫り合いになりながら、真澄が呟く。


「攻撃が変わったな。今度は首を狙っているか。私の言葉が図星だったという証拠かな」

「くそっ……黙れ! 口ではなく、剣で私と戦え、兄皇!」


 佳寿は怒鳴り、真澄を押し切った。真澄は身を沈めて佳寿の攻撃を空振りさせ、後方に飛びのく。


「なぜ避けてばかり!」

「では聞くが、貴様は私に何をしてほしいんだ? 私と戦い、私に勝ったという優越が欲しいだけか……?」 


 その会話を聞いた知尋が、ぽつりと呟いた。


「まだ真澄は、諦めていないんですね……」

「諦めていないって、何を?」


 瑛士が問いかける。知尋はほろ苦い笑みを浮かべた。


「矢吹を言葉で説得することを、まだ諦めていないんですよ。できることなら、殺したくないと」


 殺すのも嫌だし、誰かが殺されるのも嫌だ。例え敵であっても、例えほんの僅かな可能性に過ぎないとしても、声が届くことを真澄は信じる。だから真澄は消極的な戦いをして、言葉で佳寿を止めようとしている。激情した人間の剣戟は凄まじい威力を誇るが、逆に防御が疎かになる。佳寿はまさにそれに陥りかけていた。真澄はわざと彼を怒らせ、その一瞬を突いて佳寿を完全な敗北に叩き落とそうとしているのだ。それは殺し合いではない。


 佳寿の目が、真澄の後方にいる仲間たちに向けられる。


「……そうか。貴方はまだ本気になっていない……貴方を怒らせるしか手はないようだ」

「!」


 その言葉を聞いて咄嗟に、真澄は仲間たちを振り仰いだ。


「逃げろッ」


 佳寿が術を放つ。大量の火球が仲間たちに向けられた。知尋がばっと前に出て、結界壁を張る。


「させるものか……っ!」


 知尋の結界壁はその火球をすべて受け止めた。知尋にとっては容易いことだ。しかし佳寿がにやりと笑う。


「邪気に弱い貴方が、どれだけ耐えられるかな……?」


 火球の色が、青黒く変色した。炎は黒い炎となり、知尋の結界壁を破ろうと勢いを増す。知尋の表情が苦痛にゆがんだ。ただでさえ疲労困憊状態の知尋に、この追い打ちは辛い。


 知尋の結界壁が脆く崩れ去る。暗黒の炎を浴びた知尋は住宅の残骸と思わしき岩に身体を叩きつけられた。黎が駆け寄り、知尋を助け起こす。


「知尋っ……ぐっ!?」


 気がそれた真澄に、佳寿が斬りかかる。寸前に受け止めた真澄だったが、不意を突かれたこともあって佳寿に競り負けてしまう。その間にも、佳寿の術は続いていた。


 仲間たち全員の足元に、何やら複雑な紋様が浮かび上がった。それを見た奈織がはっとして声を上げる。


「束縛の神核術……! 逃げて、みんなぁっ」


 だがその声は遅く、急激に身体に「圧」がかかった。まるで背中に数百キロの重りでも乗っているのではないかと思うほどの圧力だ。仲間たちは悲鳴を上げ、地面に倒れこむ。


「だから……させないと言っているでしょうがっ!」


 知尋が地面に座り込んだまま、彼らしくない大声を上げた。それは彼なりの気合いの一声だ。それで真澄は悟る。知尋は今この瞬間にも術を行使している。仲間たちにかかる負荷を軽くしているのだ。本来ならその圧力は内臓機能にまで及び、肺が圧迫されて呼吸もままならないはずだ。だがいま巴愛たちは立ち上がることができないだけにとどまっている。


 ――どれだけの負荷を、知尋が肩代わりしているのだろうか。


 知尋が顔を仰向かせる。苦しそうに口で呼吸をしていた。汗も尋常ではないほどにかいている。その傍に倒れている黎が、槍に縋ってなんとか立ち上がろうとするが、さすがの彼でもそれを断念せざるを得ない。巴愛も体験したことがない痛みに苦しそうにしている。


「弟皇陛下が負荷に耐え切れなくなるまでせいぜい五分。それから全員が窒息死するまで、また五分ほどでしょうか……」


 佳寿が優越に浸っている声でそう告げる。真澄は佳寿に背を向けたまま、苦しむ仲間たちを見つめている。その拳が震えた。


「貴、様……」

「制限時間は十分ですよ。さあ、どうします……?」


 佳寿の視界から、真澄の姿が消えた。はっとした瞬間、真澄は佳寿の目の前にいた。瞬間移動したとしか思えない反応速度だ。


 真澄が刀を振り下ろす。佳寿は間一髪で死の斬撃をかわした。真澄は佳寿を睨み付けた。


「聞くまでもないことを……貴様を殺してみなを助け出す! それだけだッ」


 真澄の斬撃は苛烈を極めた。佳寿は今、この世で最も怒らせてはいけない人物を怒らせたのだ。だが佳寿の口元には満足の笑みが浮かんでいる。いつの間にか復讐という目的ではなく、強者と出会ったことに悦を感じているのだ。知尋に眠っていると指摘した戦いを愉しむ狂気は、佳寿が強く持ち合わせているものだった。


 真澄は本気だ。佳寿を止めねば玖暁の国民数千万人が犠牲になる、というのは先ほどと変わらない。しかしより近しい人が今にも息絶えそうになっているところを見ては、いくら真澄でも冷静にはなれなかった。この場にいない千の人間より、目先の一人を重んじる。それがたとえ知人でなくとも。それが人間というもので、真澄も例外ではない。


 知尋が呻き声を上げる。いうなれば知尋は、みなを押しつぶそうとしてくる天井板をひとりで支えている状態だ。長くはもたないということは明らかである。


「束縛の術は……幻術の類だと、聞いたことがあります」


 李生が誰ともなく言った。声を出すのも辛いはずだが、それでも李生は言葉を紡いだ。


「実際には目に見えない……暗示、のようなものです。いま、俺たちを動けなくさせているのは……矢吹が、俺たちにそう思い込ませる術をかけたからです……」

「思い込み……!? じゃ、この術を破ることができるってことか……」


 宙が呻きながら尋ねると、李生は頷く。現にそのことを知っている知尋は術にかかっていない。それを聞いた瑛士が、ぐっと足に力を入れた。地面に両手両膝をついていた状態の瑛士が、ゆっくり立ち上がろうとしている。黎がそれを見て目を見張る。


「馬鹿が……! そんな容易く破れるものではないぞ……!」

「はんっ……田舎育ちの、体力馬鹿を、舐めるなよ……!」


 一言ずつに、瑛士の姿勢は高くなっていく。


「知尋さまの負担を、少しでも減らさないと……! ここに来て、お荷物になるわけには、いかん! この強い圧力は、全部、気のせいだッ!」


 まるで重量挙げの選手がバーベルを持ち上げるかのような険しい顔つきと、低い唸り声。こんな時だというのに、巴愛はそんなことを考えてしまう。


 バン、と風船が破裂するような音が響いた。負荷が消えた瑛士が前につんのめり、あわや転倒しそうになって何とか踏みとどまる。かなりの力を使ったらしく汗がだらだらと流れているが、なんと瑛士は自力で佳寿の術を打ち破ったのだ。


「うわっ、まじでやった……」


 奈織が唖然としている。黎がふっと笑みを浮かべ、槍を地面に突き立てた。それに縋り、ゆっくり身体を持ち上げる。


「成程……気のせい、か……!」


 そうして黎までも脱出に成功する。李生と奏多が顔を見合わせ、苦い笑みを浮かべる。いとも簡単にふたりはやってくれたが、それは瑛士と黎だからできたことだ。李生はこうなることを予想して、瑛士を嗾けたわけだが。


 ふたり分の負荷がなくなって楽になったのか、知尋が目を開けて瑛士と黎を見上げた。その疲れた表情にうっすら呆れたような笑みが浮かぶ。


「まったく……揃いも揃って……無理矢理術を破るなんて、聞いたことないよ……」

「はは、生きた非常識と呼んでください」


 瑛士が汗をぬぐいながらも、笑みは控えめだ。彼らの視線は、真澄と佳寿の戦いに向けられる。


 真澄も佳寿も圧倒的な力だ。瑛士や黎が割って入る隙さえない。ふたりとも人並み外れた剣士であるのに、怒りによって通常以上の力を発揮している。互いに一瞬の気の緩みがそのまま死に繋がるだろう。


「真澄のあの力は、怒りから来るものだ。私たちが一気に解放されたら、その闘気が消える可能性がある……そうなれば、矢吹の一撃が確実に入る……」


 知尋が譫言のように呟く。


「私なら大丈夫……図体のでかいふたりを支える必要がなくなったおかげで、少し余裕が出てきました……それよりも、真澄から目を離さないで」


 瑛士は頷く。真澄の戦いに割り込む隙は、本当にないのだ。できることと言えば、少しでもぐらついた真澄の身代わりになるくらいだ。



 真澄の刀を、矢吹は紙一重で避ける。しかし避けきれず、左の頬に一筋の切り傷が刻まれた。ふたりとも動揺するそぶりはなく、今度は矢吹の刀が唸る。後方に飛びのいた真澄の髪の毛が数本犠牲になり、宙に舞った。追撃した矢吹の刀を真澄は跳ね除け、ふたりは位置を入れ替える。そこで真澄は、真正面に立つ佳寿を見つめた。


「……貴様は、自分一人が生き残ったことに負い目を感じているのか?」


 急な問いかけに、佳寿は答えない。


「和泉の住民の中でたったひとり生き残り……神核エネルギーを取り込んだ頑強な身体のせいで死ぬこともできず……これは貴様にとって『復讐』ではなく『心中』だったのではないか」

「……そうかも、しれないですね」

「どうして生き残れたことを喜ばなかったんだ……」


 真澄は悔しそうに呟き、目を閉じた。佳寿が疲れたような笑みを漏らす。


「貴方に言われて気付きましたよ。私は死にたかったんですね、きっと……食事を抜いても、脈を斬っても、私の身体は治ってしまう。暴走する神核を手に持っていても、死ねない……絶対的な死がほしくて……国を滅ぼすほどの衝撃なら、この私も死ぬだろうと思ったんです。復讐なんて、建前ですね……」

「……貴様をそんな身体にしてしまったのも、すべて玖暁の責任……だな」


 真澄は刀を構えた。鳳飛蒼天流の構えである。


 おかしいとは思っていた。ただでさえ真澄と佳寿の実力は拮抗しているのに、佳寿はそこからさらに真澄を怒らせ、自分を追い詰めた。それは強靭な身体になってしまった自分を確実に殺してほしかったために、真澄を嗾けていたのだ。「死にたい」という本当の願いは「復讐する」という建前の陰に隠れ、今まで表に出てきていなかった。


「貴様の願いを叶えてやる。だが心中など迷惑だ――死にたいのなら、ひとりで逝け」


 故郷を奪い、「死にたい」と願う男に「死ねない」地獄を味あわせた。和泉への償いは、もう二度と同じことを繰り返さず、この大地を再生させること。佳寿への償いは、楽にしてやること――か。


 佳寿はふっと笑みを浮かべた。どこか満足げな笑みだ。


 佳寿が刀を手に、身を沈めた。と同時に、一瞬でそこから消える。李生や奏多以上の速さの突進だ。真澄が刀を振り上げ、佳寿の斬撃を防いだ。そのままの勢いでふたりは三合、四合と刀を打ちかわす。最初に斬りかかったのは佳寿だったが、二撃目以降攻めていたのは真澄だ。佳寿の表情が初めて険しくなる。


 佳寿が真澄と距離を取る。心を決めたように顔を上げた佳寿は、地面を蹴って大きく跳躍した。真澄に向けて刀を振り下ろす。真澄は刀を振り、そして突きだした。


「! う、ぐっ……」


 佳寿が呻く。真澄の一撃目により佳寿の手から刀は叩き落とされており、二撃目の突きは胸から背へ突きだしていた。


 佳寿の術が解け、地面に倒れていた巴愛や李生たちが立ち上がった。知尋は大きな溜息とともに脱力し、倒れかけたところを瑛士に支えられた。


 真澄が佳寿の身体から刀を引き抜いた。同時に鮮血が噴き出る。前方に倒れこんだ佳寿の身体を、真澄が片手で受け止める。真澄の着物の前面は真っ赤に染まっていた。


 真澄の刺突は完璧に心臓を貫いていた。どんな強靭な肉体を持っていても、心臓を一撃されてはひとたまりもない。


 佳寿は少し笑ったような気がした。そのまま矢吹佳寿は、息絶えた。

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