15 大地の声
巨大な土の精霊は、長大な腕を勢いよく地面に叩きつけた。砂という不定形のものだが、意志あるものとして動いている。それを避けた瑛士が、地面に着地すると同時にまた地面を蹴り、その叩きつけられた腕を切り裂いた。だがそれもほんの一瞬のことで、切断された砂の腕は再び接着し、再生してしまう。同じように黎の槍も、奈織の銃弾もすり抜けてしまう。
「なんだ、この化け物は……」
黎が眉をしかめる隣で、銃弾をリロードしている奈織が言った。
「化け物じゃなくて、精霊だってば」
「精霊とは、一体何を定義してそう呼ぶんだ?」
「精霊なんてものは実はどこにでもいて、草木や人にも必ず宿ってるものなんだ。人によって得意な神核があるっていうのは、宿っている精霊によるものだから。まあ、精霊は目には見えないけどね。今目の前にいるこの土の精霊は、和泉の大地に宿っていた精霊なんだと思うよ」
「守護霊的な?」
そう尋ねたのは瑛士だ。奈織は頷く。
「そんな感じ。本来はすべての命を守り育む存在で、決して悪いものじゃないんだ。でも和泉の大地は汚染されていて、精霊も正気を失っているのかもしれない……」
自分が守る土地を壊滅させられ、生命が育たない場所にされた。地の精霊は、そんな事態を招いた人間に怒っているのだろうか。
「稀だけど、すごく強い魔力を持っていれば精霊を感じることができる人もいるよ。強い魔力は、そのまま霊感と同義だからね。知尋なんてその典型だよ。知尋が普通の人とは違う方法ですごい威力の神核術を使っているのは、知尋を守っている精霊がとんでもなく強い存在だからなんだよ、多分ね。今も知尋には、精霊の嘆きの声が聞こえているんだと思う」
瑛士が知尋を見やる。知尋はじっと土の精霊を見上げていた。その瞳には、心なしか寂しげな影があるようにも見える。
「そんな風に精霊を感じることができる人間は、精霊の力を借りることができる。この精霊を呼び出したのが矢吹なら、矢吹にも知尋と同じくらい優れた神核術の才能があるってことだよ。皮肉なもんだけどさ」
知尋はすっと右手を上げた。【集中】を始めると、土の精霊の頭上に巨大な水球が現れた。
「斬ることも貫くこともできないのなら、固めて砕いてしまえばいいんですよ」
知尋がそう言うと同時に、水球が破裂した。滝のような水が土の精霊を襲い、砂の身体は一瞬で水気を含んだ泥となった。間髪入れずに知尋お得意の光の槍が、精霊の長い左腕を切断した。地面に落ちた腕は、一瞬のうちに炎上する。知尋が焼き尽くしたのだ。
一見うまくいったかに見えたが、知尋のそれも失敗だった。相手は和泉一帯の大地を司る者だ。知尋の足元の大地がまたしても盛り上がり、そこから新たな腕が現れた。要するに、知尋たちはこの土の精霊の掌の上に乗っている状態なのだ。
「土じゃ、関節を外すこともできないしねえ」
奏多は飛来する土の塊を避けながらぼやく。昴流は巴愛を庇うように刀でその土の塊を跳ね除ける。
「急所とかないんですか!?」
結界壁で身を守っている知尋は、少し考え込んで顔を上げた。
「精霊とて生き物です。心臓を貫くか、あるいは首を落とすか……」
「心臓も首も、だいぶ高いところにありますね。狙うには無理がありますよ」
瑛士が見上げる。黎の槍でも、きっと届かないだろう。強靭的な脚力で跳躍したとしても、貫く前に叩き落とされるのがオチだ。どうにか背後に回り込むしかない。
「! ……みんな、後ろッ」
巴愛が悲鳴を上げる。はっとして振り返ると、地面が新たに盛り上がった。そこから出てきたのは、目の前にいる土の精霊と全く同じものだった。つまり挟撃されたのだ。
「こいつはなかなか……」
瑛士が苦笑いをたたえ、刀を握り直した。自然とみなは背中を預けあう。
「避けることも防ぐことも簡単だが、倒せないんじゃどうしようもないですよ」
瑛士の言葉に知尋は目を閉じた。
「悲しんでいるんですね……」
その声は、まるで語りかけているかのように穏やかだ。
「嘆くのでも、怒るのでもなく。ただ、人々が姿を消してしまったのを悲しんでいる。そうか……貴方は人間がとても好きだったんですね。……みんながいなくなってしまったのを自分のせいだと思っているんですか……? それは違います……彼らを殺したのは、同族である人間ですよ……」
知尋は目を開け、土の精霊を見上げた。
「神核の魔力に汚染された状態では、この大地を再び守っていくことはできない……ならば私が、清めてさしあげます。私の炎は、光が創り出す浄化の炎ですから……それで少しでも、貴方の痛みが和らげば……」
と、急に知尋の表情が苦痛にゆがんだ。身体を折り、ふらりとよろめく。奏多が慌てて支える。
「大丈夫ですか!?」
「平、気……です」
知尋の頬をつと一筋の汗が流れていく。奈織が反対側から知尋を支える。
「精霊の言葉を聞き取るのは酷く体力を消耗するんだよ! 知尋は当然それを知ってたでしょ? どうして無理するの……!」
「無理もしますよ……もう一度、この和泉の大地に……命の息吹を吹き込みたいではありませんか……」
知尋は無理矢理に微笑んだ。
「それが精霊の願い……それを叶えることが、私なりの償いです……私にしか、できないんです」
「知尋……」
「二体目は精霊の分身に過ぎません。一体目を倒せば力を失うでしょう……だから、その心臓に槍を突き立てます……みんなで、隙を作ってください」
最初に動いたのは李生だ。刀を手に歩を進める。
「俺が囮になります」
知尋が頷く。速さでは奏多に、技術では瑛士に一歩及ばない李生ではあるが、その両方を持ち合わせている騎士はなかなかいない。その点で彼は、誰よりも囮として相応しい動きができる。その速さがあれば攻撃を避けられるし、技術があれば防御も可能だ。
「……よし。俺たちはその間、もう一体を引き付けておくぞ」
瑛士が背後にいる精霊に向きなおった。無言のうちにみなが同意する。
知尋がゆっくりと後ろに下がった。土の精霊の目の前には、李生だけが佇んでいる。李生の戦意を感じたか、精霊が長い腕を振り下ろした。
李生はぎりぎりまで微動だにせず、攻撃を受ける寸前に後方に跳躍してそれを避けた。眼前に来るまで引き付けておける度胸はたいしたものだ。恐れや迷いがあったらまずできない。
精霊からすれば李生を追い詰めているように思ったかもしれないが、実は彼は避けながら巧みに精霊を移動させていた。瑛士らが相手にしているもう一体とは距離を離し、かつ知尋が精霊の死角に入るようにしている。精霊が背を向けた方向に知尋はいる。ここまで李生に集中すれば、知尋が術を構成するために必要な時間を稼げるだろう。
避けることはやめ、李生は防御の構えに入った。叩きつけられる土の腕を刀で振り払う。土とはいえ、ここまで凝固していると立派な凶器だ。頭に直撃すれば、頭蓋骨が叩き潰されるだろう。
精霊の腕が、振り下ろしから薙ぎ払いの攻撃に変わった。李生はそれを瞬時に察し、『前』に踏み込んだ。前、すなわち土の巨人が立ちはだかる方向である。勢いよく跳躍した李生は一瞬で巨人の長すぎる腕の間合いの内側に入り込んだ。そのまま彼は、空中で刀を持ちなおした。その腕を後方に引き、狙いを定める。投擲の構えだ。刀を投げるなど邪道かもしれないが、型にとらわれない李生ならではの戦いかただ。
狙いは精霊の心臓。まさに投擲しようとした瞬間、土の礫が銃弾のような速さで飛来した。それをモロに喰らった李生がよろめくと、すかさず精霊の長い腕が李生を襲った。李生は地面に叩き落とされてしまう。跳ね起きた李生の顔には何も変化がない。李生が心臓を狙ったのはあえてそれを精霊に認識させるためだし、跳ね飛ばされた時もきちんと受け身を取った。すべて思い通りだ。
その後も李生は、何度も心臓を狙って攻撃しては防がれるということを繰り返した。さすがに李生の表情も険しくなりだしたとき、急に精霊の動きが止まった。李生が精霊を見上げると、その心臓部に神々しく輝く一本の槍があった。槍は背中側から胸まで貫通していた。
知尋が閉じていた目を開ける。
「さあ……これで終わりです」
声と同時に、光の槍が一際強い光を発した。その光はやがて発火し、瞬く間に土でできた巨人を炎の中に飲み込んでしまった。光によって生み出された炎。知尋の最高の術だ。
炎に包まれた巨人はそのままその場に立ち尽くしていた。李生が刀をゆっくりと下ろす。
巨人の両足が透けていく。土の精霊は消えていく。頭部までが完全に消滅したとき、瑛士らが足止めしていた分身たるもう一体も、忽然と姿を消した。
高難易度の術を使った知尋はもうふらふらだ。それを支えたのは同じく疲労困憊状態であるはずの李生である。知尋はうっすらと微笑んだ。
「有難う……時間をかけすぎたね。ごめん」
「いえ」
李生は相変わらず口数が少ない。勝ったという昂揚感すら伝わってこない。ただ若干息が上がっているだけで、それ以外は恐ろしいほど普段通りだ。それには理由があるのだ。
ガキィン、と激しい刃鳴りの音が響いた。知尋がそちらに目を向ける。
知尋たちの戦いは終わったが――まだ終わっていない戦いがある。
佳寿の刀を、真澄は両手で握った刀で防いでいた。――驚いた。真澄が刀を『両手で』握っている。真澄は基本どんな動きにも対応できる無形の位をとっている。足を広げ、だらりと腕を下げて構えを取らない。そのため刀は片手で握る。両手で握るのは余程の力が必要な場合のみ――佳寿の攻撃は、真澄が両手で受け止めなければならないほど強力なのだ。
真澄がぐっと力を込め、佳寿の刀を弾き返した。よろめいた佳寿に、しかし真澄は追撃しない。とりあえず間合いを取り、じりじりと弧を描くように移動し、佳寿と立ち位置を入れ替えていく。
真澄にも佳寿にもまだ余裕がある。息ひとつ乱さず、互いを見据えている。
戦いは膠着しそうである。




