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和装の皇さま  作者: 狼花
肆部
88/94

14 亡き都市、和泉

 重い雰囲気の旅になるかと思ったが案外そんなこともなく、一行は玖暁の東端にある街、和泉へ向かっていた。その原因は、話題の中心に李生がいたからだ。瑛士たちがこれまでにあったことを李生に語って聞かせ、奏多と宙は思い出話に花を咲かせる。奈織や蛍がその思い出話に色々と口を突っ込み、結局最後には笑い話になる、ということを繰り返していたのだ。物静かな李生が四六時中誰かに引っ張りまわされているのでさぞ疲れたのではないかと思ったが、当人は別に苦には思っていないようだ。元々李生は「聞き役」だったし、誰かの話を聞いているのは好きなのだそうだ。要するに天崎李生というのは、黙っていても自然と人が集まってきてしまうタイプの人間だ。


「……にしても、宙は俺のことを美化しすぎだな。現物はそんなたいそうな人間じゃないだろう?」

「そんなことないよ! 話せば話すほど、昔の李生さんを思い出すし」

「昔のって……お前、二歳の時の記憶がまともにあるのか?」


 李生は苦笑している。宙が生まれたころ李生は六、七歳だったので、よく奏多の代わりに宙にミルクをあげたり寝かしつけたりしたものである。李生はそのことをよく覚えているが、宙が覚えているとは思えない。


「まあそりゃ、確かにぼんやりだけどさ。ぼんやりとしすぎて『実は夢だったのかも』とかいう思い出が、ちゃんと現実のものだったって確認できるんだ」


 そんなこんなで、皇都から北東へ四日の距離にある和泉に到着したのだった。厳密には和泉を見下ろせる丘の上だ。黎が諜報員と連絡を取り、そこで合流することになっていた。


「騎士団長、お待ちしていました」


 諜報員が姿を見せる。忍者みたいな人かと勝手に想像していた巴愛だったが、案外どこにでもいる一般人のような男性で驚いた。むしろそのほうが人ごみに紛れることができて好都合なのかもしれない。


「この辺りの神核エネルギー濃度はだいぶ薄まってきました。神核の暴発地点なんですが、どうやら空中で爆発したようです。大地にクレーターはできていませんから」

「空中で、か……知尋が倒れるほどの神核エネルギーが、大地に降り注いだわけか」


 真澄は丘の上から和泉を見つめた。その隣に、巴愛がおずおずと並ぶ。


 見下ろすと、そこは一面が荒地だった。植物の緑は一片たりともない。あるのは大きな岩と枯れ木のみである。ちらほらと、街の残骸らしきがれきも見られる。


 豊かな自然が多い玖暁にあるまじき光景だった。


「これが、和泉……?」


 巴愛の呟きに真澄は神妙な顔つきで頷く。


「そうだ。この街が破壊されてから二十五年近く経っても、ここの大地は神核エネルギーに汚染され植物が一切育たない。今なお神核エネルギー濃度は高いままで、人は住めないんだ」

「皆さん、急いだほうがいいですよ。あまりここにいれば、身体に害があります」


 知尋は青白い顔でそう告げる。知尋にしてみれば、毒沼の真っただ中に飛び込んだようなものだ。その苦痛は計り知れない。真澄は仲間たちを振り返った。


「では和泉に降りるぞ。みな、警戒を怠るな」


 真っ先に瑛士が歩き出した。続々と仲間たちが続き、殿を黎が固めた。


 神核エネルギーによって生命を育まなくなった大地は、まるで砂漠の砂のように柔らかかった。足が砂にとられてよろめきそうになるのを互いに支えながら、一行は延々と歩いた。崩れた門らしきものをくぐった後は地中に歩道の煉瓦が残っていて、歩くことの困難は解消した。道の両側に住宅の残骸が立ち並ぶ通りを進む。吹き付ける風は冷たく、不気味だ。


「……大丈夫か、巴愛?」


 真澄が小声で尋ねる。巴愛は頷いた。


「はい、全然問題ないです」

「そうか。だが……身の危険を感じたら、すぐに逃げろよ」


 その言葉に巴愛はにっこりと微笑んだ。


「平気ですよ。大体、こういうとき主人公は負けないことになってるんです」

「主人公? 誰がだ?」

「あたしたちみんな、です。物語の主人公たちは、ラスボスの攻撃に苦戦しても決して負けない。ハッピーエンドじゃなきゃ駄目なんです」


 これがもしRPGだったら、きっと真澄が主人公で、巴愛たちはそのパーティメンバー。そして矢吹佳寿はラスボス。ラスボスは強い。けれど肉体的にも精神的にも成長した主人公たちはその最大の脅威に打ち勝つ。そしてみんな一緒に生きて帰る。これがハッピーエンドだ。


「ハッピーエンドとはなんだ?」

「みんな無事でよかったね、っていう意味です」

「成程……それは確かに、ハッピーエンドでなければ駄目だな」


 真澄は納得して頷いた。そして真澄は先頭を歩く瑛士に声をかけた。


「瑛士、ここでいい」

「は? ここでいいって……」


 瑛士は訝しみながらも足を止める。到着したのは広場らしきところだ。


「探しても矢吹は現れない。……戦場を定めるのは私たちの役目だったようだ」


 真澄はあたりを見回す。知尋がふっと笑みを浮かべた。


「相手は転移術の使い手です。ならばどこにいても同じ……そういうことですね」


 その言葉と同時に、急に突風が吹いた。巴愛の長い髪が風になびき、着物の裾がはためく。それでも真澄は風など気にせず、毅然としたまま前方のただ一点を見つめている。その真澄が見つめている地点の空間が奇妙に歪んだ。そしてそこに、矢吹佳寿が忽然と姿を現す。


「お久しぶりですね、兄皇陛下。待ちくたびれてしまいましたよ」


 いつものように、その声や表情には余裕が漂っている。対する真澄も、一片たりとも動揺を見せない。


「待ちくたびれていながらも、貴様は律儀に私たちの到着を待っていたわけだ。……貴様自身の手で、私の息の根を止めようとでも思っているのか」

「ええ、まさしく。これは私の復讐劇ですから」


 瑛士が佳寿を睨み付けた。


「人造神核の実験を行ったのは……!」

「分かっていますよ、兄皇陛下の父だと言うのでしょう? そんなことは私にも分かっています」

「じゃあなんで真澄さまを狙う! 筋違いってもんだぞ」


 その指摘に、佳寿は鼻で笑った。


「直接的に和泉を滅ぼしたのは、兄皇陛下の父親でしょう。しかし、貴方がたにも私に憎まれる理由はある。和泉が滅んだのは神核の実験であるという事実を隠蔽したのは、紛れもなく兄皇、貴方だ!」


 強い口調で指差された真澄は、ただ静かに佳寿を見つめている。


「和泉が滅んだのは確かに貴方が生まれる前だ。しかし貴方は神核実験によるものだったと知っていたはずです。……人造神核の実験内容を外部に漏らさないため? 国民がその破壊力を知って混乱しないようにするため? それとも、即位したとき自分はまだ子供だったと言い訳しますか? 決めたのは自分ではなく、宰相だったと言いますか?」


 佳寿の言葉が途切れたのを見計らい、真澄は口を開いた。


「何も言い訳はしない。事件の真相をすべて語らなかったのは、本当のことだ。そして同時に、父の罪が私の罪でもあると言うことも心得ている」


 親の罪は子の罪。それは古臭い考えだが、真澄はその重みを知っている。悪政皇の息子だから期待されない。結局いつになっても真澄は「悪政皇の息子」と呼ばれ、その尻拭いをしなければならないのだ。もうそれは仕方がないことだ。嫌いな男だったとしても、命の父であることは変わらない。だからこそ真澄は、父に代わって玖暁を導くと決めた際に誓ったのだ。その罪を引き継ぐと。それを背負って玖暁を変えていくと。真澄はそう誓って、騎士団に父である皇の討伐命令を下した。


 佳寿は相変わらず無防備にそこに立っているが、その感情の仮面が少しずつ剥がれてきたようにも思う。現に佳寿は声量が大きくなってきている。それは怒りによるものだろう。


「……だったら、なぜ親子二代に渡って罪を重ねたのです。なぜ事実を事実として公表しなかった」

「公表して、何になる?」


 真澄は冷徹にも聞こえる声音で尋ね返した。


「前皇が人工的に神核を作成する実験を行っていて、和泉はその実験で壊滅した。……それを公表して、誰が救われる? それ以上に、真っ先にすべきことがあったのだ」

「……なんだと言うんです、それは?」

「人造神核実験の廃止。各都市におかれた人造神核研究所の引き上げ……同じことを繰り返さないための措置だ。もし和泉のことを公表すれば、民衆はこぞって研究所を襲撃する恐れがあった。そうなれば、扱いが難しくしかも繊細な人造神核は、次々と暴発する。和泉と同じ道を辿る羽目になるだろう。そしてもうひとつ……人造神核の存在そのものの存在を葬らねばならなかった。神核は人の手で作れないと言うのが常識。それが覆されてしまえば、人造神核を作成しようと乗り出す者が増えただろう。あんな破壊力のものを、民衆の手に渡すわけにはいかない」


 真澄は真っ向から佳寿を見据えた。


「貴様は和泉のためにとここまでの計画を進めてきたようだが……やっていることはなんだ? 和泉の民が死んだのと同じやり方ではないか。それは皮肉のつもりだったのか? それとも、和泉の民はみなこのやり方で復讐しろと望んでいると言うのか?」


 痛烈な批判に、さしもの佳寿も沈黙した。知尋が腕を組み、若干話を転じた。


「貴方は和泉が崩壊したとき、どうやって生き永らえたのです?」


 黙っている佳寿に、知尋は不敵な笑みを浮かべる。


「貴方に説得が通じるなんて思っていませんよ。どうせ戦うことになるのです。私たちか、それとも貴方か、どちらが勝つにしてもこれが最後なんです。洗いざらい、ぶちまけてしまっても良いのではありませんか?」

「……私がなぜ生き残ったのか、それは私にもわからない。きっと、街から少し離れた場所にいたからでしょうね……それでも神核エネルギーを大量に浴びた私は、いつ死んでもおかしくなかった。けれども、結局私は死なずに病も治った。そのあとは……通常の人間より、神核エネルギーに触れても影響がないことに気付きました。神核エネルギーを人体に注射しても、私の能力が向上するばかりで劣化しない。だから、王冠という組織は本当に都合が良かった」


 宙が驚いたように目を見張っている。佳寿が神核エネルギーを打っても打っても人体に影響がなかったのは、そういう事情があったからなのだ。エネルギーを一度に大量摂取したせいで、その力に対して耐性ができたのだろう。


 生き残ったこと、神核エネルギーに対する耐性を獲得したこと。どれも「幸運」の産物だ。


「和泉で行われた実験と、大神核――その時は凄まじい力を持つ神核という認識でしたが、それらについては事件のすぐあと、離れた場所で実験を監督していた研究者を締め上げて聞き出しました。復讐のために青嵐に渡ってから、人造神核の作成法と大神核の情報を彩鈴から入手した。そして大神核の複製品を作り、玖暁を滅ぼす――そう決めた、ということです」

「なぜ玖暁を滅ぼさねばならない? 私と知尋だけを狙えば良かったのではないか」


 再び静かに真澄の追及が始まる。以前から、佳寿の声には魔力があると思われていた。それは知尋と李生が経験済みだ。だがこのとき、声の魔力に捕らわれているのは佳寿のほうだ。真澄の言葉の前に、佳寿の余裕は引き剥がされている。


「私を苦しめに苦しめて殺したかったのだとしても、まどろっこしいやり方だったな。あげく、最後には一騎打ちか」

「貴方を自分の手で殺したいと思っていたのは本当です。しかし私は、この世界そのものが許せないのですよ。まず、和泉を滅ぼした前皇。それを隠蔽した貴方がた。そしてそれを信じ込み疑わなかった玖暁の民――そのうち、すべてが憎くなったのです。ひとつの街が滅び、何千という人間が死んでいるというのに何も変わらぬ様子で生きている人間たちが!」


 黎がふんとそっぽを向く。


「まるで昔の私と同じだな」


 諜報員だった父を亡くした黎は、その責任を根底である彩鈴王家に求めた。佳寿はそれと同じだ。責任を追及しすぎて、遡りすぎている。結局何が佳寿にとっての「仇」なのかが分からない状態だ。


「原因は神核だ! 神核があるから戦争は続き、神核があるから新たな兵器が創られる。神核があるから、和泉は滅んだ! 神核に依存したこの世界を、私は破壊してしまいたい!」


 行きつく先は、やはり神核だ。



「……馬鹿なこと言わないで!」



 急に声を上げたのは巴愛だ。佳寿だけでなく、仲間たちも驚いたように巴愛を見る。


「神核は、滅びゆく世界に生きた人たちが次の時代のために望みを賭けて繋いだ希望なの! 二度と人間の自分勝手で世界を壊さないようにっていう戒めで、人間に与えられた最後のチャンスなんだよ。その力を掘り出して破壊のために使っているのは、貴方たちのほうでしょ!? 過去の人が繋いできた『今』を、好き勝手な理由で壊さないで!」


 世界が明日滅びると分かっていたら、人間はその傲慢さを捨てるだろうか。人は地球で生きているのではない、地球に生かされている。そのことを、皆は認識できるだろうか。


 それを認識した人々が、神核を作ったはずなのだ。申し訳なかったと世界に詫びたはずだ。だからもう一度チャンスをくれと願ったのだ。自分たちのためではなく、この先を生きる人々のために。


 その一縷の望みを託した神核を悪者のように言う佳寿は、巴愛には許せない。


「……巴愛の言うことには、我々にも反省すべき点があるな」


 真澄が目を伏せたのも一瞬だった。


「人が神核に触れてしまったこと、それ自体が間違いだったのかもしれない。だがもう過去は変えられない。できることは、これからどうするかということだ。矢吹――貴様はどうする?」

「……な、に?」

「玖暁が和泉の民を死なせたのは事実――ならば、貴様が玖暁騎士を大量に殺したのも事実だ。命に優劣はない。貴様の罪も、同様に裁かれるべきだ。自分に罪がないと思っているのなら、貴様は過去の思い出に囚われすぎているだけだ」



「――黙れ……黙れ、黙れッ!」



 佳寿が怒鳴った。このときついに矢吹佳寿は完全に崩壊していた。弱いところを真澄に散々突き刺され、精神的に弱ったのだろう。


 佳寿は刀を引き抜いた。それと同時に、凄まじい魔力がその身体から立ち上る。魔力をあまり持たない巴愛でも分かるほどの変貌ぶりだ。


「もうお喋りはいい……! 戦え、兄皇ッ!」


 佳寿が怒鳴る。それと同時に、真澄らが立っている地面が急に盛り上がった。何かが地中から這い出ようとしている。いち早くそれに気づいた瑛士が注意を促す。


「みんな、跳べ!」


 その言葉で、みながその地点から離れる。巴愛は昴流に支えられるように飛びのいた。


 地中から姿を現したのは、巨大な人型の『何か』だった。泥でできた人形のようにも見えるし、生命体のようにも見える。とにかく、これは佳寿が使役している怪物だ。身の丈は三階建てのビルくらい高い。


「精霊ですね、これは」


 知尋がその怪物を見上げて呟く。それを聞いていた奏多が苦笑いを浮かべる。


「精霊ってもっと神々しいものだと思ってたんですけど……」

「土という精霊に邪悪な魔力を注ぎ込んだ……そういうものですよ」


 知尋が神核を掴んだ。真澄はちらりと後方を見やる。精霊という名の怪物は、真澄を攻撃対象にしていない。どうやら真澄は、佳寿と刀を交えなければならないらしい。


 真澄としても、そちらのほうが好都合だ。


「……そいつの相手は、みなに任せた!」


 真澄はそう告げると、駆け出した。怪物の足元を通り抜け、その奥に立っている佳寿の元へ向かった。


「真澄さま!」


 瑛士が引き留めようとしたが、黎がそれを押しとどめる。


「矢吹の相手は兄皇陛下にしか務まらん。私たちでは邪魔になる」

「団長。俺たちの役目は、この化け物を止めることですよ」


 李生が言いながら刀を抜き、軽く身体を動かした。彼なりの準備運動だ。


 真澄の姿は、怪物の陰に隠れて見えない。瑛士らにできるのは、真澄が佳寿との戦いに集中できるようにすることだ。瑛士は心を決め、身構えた。

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