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和装の皇さま  作者: 狼花
肆部
85/94

11 祖国、取り戻したり

 にわかに辺りが騒がしくなった。どおん、と地の底から聞こえてくるような揺れを感じる。灰色の冷たい壁に背を預けて床に座っていた天崎李生は閉じていた目を開けて、李生が閉じ込められている牢屋の前でおろおろと立ち往生している青嵐騎士に声をかけた。


「何かあったのか」


 この青嵐騎士、どうやら矢吹佳寿が行方知れずになってからすっかり気が緩んだらしく、敵だというのに李生に色々と喋ってくれた。おかげで李生はこの地下牢にいながら、かなり外の情報を蓄えることができた。


 事情を聞かれた騎士は、やはり躊躇うことなく機密を明かす。


「く、玖暁の解放軍と彩鈴軍の襲撃を受けているらしい。武器を取って加勢しろとか、待機しろとか、あべこべの指示が出されて俺はどうしたらいいか……」

「始まったか……」


 李生はぽつりと呟いた。時が満ちた。立ち上がるべきは、いま。


 李生はゆっくりとした動作で腰を上げた。動転している騎士は、特に何とも思っていないらしい。まったく、仮にも敵同士だというのに、そんなに俺に気を許してどうする。李生は心の中でそう尋ねる。


 鉄格子の傍に歩み寄る。足首にあった拘束用の鎖はとうに破壊されており、その状態のまま李生は長いこと看守たちの目を欺いてきていた。そして李生は袖の中に隠していた脇差をするりと鞘から抜き、自然な動作で右手に持った。あの時真澄たちがこの牢屋の前を訪れてから、一時たりとも手放さなかった。


 李生は脇差を構え、大きく一閃した。「斬鉄」。鉄格子は無残に叩き折られ、鉄の柱が何本か騎士めがけて倒れる。騎士は慌ててそれを避けたが、既に李生は牢から悠々と脱出した。


「良い脇差だ……さすが、団長が持つものは脇差であっても違うな。てっきり安物だとばかり思った」


 実際は李生が称賛するまでもない安物のただの脇差である。李生の技を受けて破壊されなかったのは、李生の巧みな膂力の制御によるものだ。


「……な、何してんだ、あんた!」


 ようやく呆然自失から復活した騎士が叫ぶが、何をしたも何も、今見たとおりである。李生は無言で騎士に歩み寄り、その腕を掴んでくるりと騎士の背後に回り、足を払って床に俯せに転倒させた。潰れたカエルみたいな呻き声を上げた騎士の背に膝を乗せて押さえつけ、掴んでいる騎士の左腕をきりきりと締め上げる。


「ど、どうしてこんなこと……」


 苦しそうな声が聞こえる。李生は無表情だ。


「どうして? お前は俺が何者かを忘れたのか? 俺は玖暁騎士団の天崎李生――貴様らの敵だ。敵に容易く隙を見せた、貴様が悪い。……情報の提供には感謝するよ」


 李生は無情に言い終えると、締め上げている騎士の左肩に全体重をかけた。騎士の悲鳴が地下牢に反響し、ぱたりと止んだ時騎士は気絶していた。李生は騎士の肩の関節を外したのだ。これは昔、幼馴染である奏多の父がやっていて、息子の奏多にも引き継がれた技だ。それを見て覚えていた彼は、玖暁で騎士になってから自己流に極めた。奏多ほどスムーズではないが、相手の戦力を奪うにはちょうどいい。


 立ち上がった李生は、気絶している騎士の懐から鍵束を取り出した。ついでに腰に佩いている刀も取り上げる。さすがにこの先を脇差一本で切り抜けることは不可能だ。


 李生は危険人物とみなされていたのか、他の騎士たちとは隔離されていた。騎士たちの閉じ込められている大牢に向かう途中、他の看守に当然見とがめられた。だが李生は一言も言葉を発することなく、彼らを斬り捨てた。この牢に入れられてから数か月、食事を運んできてくれた連中ではあるが、だからといって李生は手加減などしない。


「天崎部隊長!」


 ようやく李生は、大勢の味方が捕らわれている牢屋の並びにやってきた。幾つもの見知った顔がある。みな無事だったのだ。ほっとするのも束の間で、李生は表情を引き締めた。


「これより玖暁騎士団は、兄皇陛下らの軍に呼応し戦闘を開始する」


 李生は言いながら、手近な牢屋を開錠した。


「俺が指揮を執る。続け」


 牢が開き、真っ先に出てきた騎士に鍵束を渡す。その騎士は次々と牢を解放していった。その間に李生は地下牢の倉庫に数人の騎士とともに行き、没収されていた武器を取り戻す。それを騎士たちに持たせ、即席ではあったが戦闘部隊が整った。防御面では劣化しただろうが、攻撃面では何ら問題がない。


 人員をさっと確認する。天崎隊、御堂隊、戦死した桜庭部隊長の桜庭隊。他いくつかの部隊の生き残りたちの混成軍だ。それぞれの部隊の特色はてんでばらばらで、指揮するのは一筋縄ではないはずだ。だがそれでも、やるしかない。


 再び、地面が揺れた。李生が灰色の天井を見上げる。


「まずは……この揺れを止めるか」


 揺れの元凶は砲撃台である。玖暁が所有していた移動式機銃は皇都での決戦に際してすべて破壊されているが、実は予備砲台が皇城の城壁に設置されてある。おそらく青嵐軍はそれを使用しているのだ。


 この揺れを止めるということは、要するにその砲台を乗っ取るということだ。


 いとも簡単に言ってのけた李生だったが、異を唱える者はひとりもいなかった。李生はすぐに行動を開始した。



 城壁上では、予備の砲台を青嵐騎士数名が操って、皇都の外で戦っている玖暁軍を攻撃していた。李生が率いる即席玖暁軍は、その城壁に突入した。勿論ここに来るまでの道のりで、数えきれない青嵐騎士を戦闘不能に陥れてきた。


 城壁でも騎士を薙ぎ倒し、あっという間にその場を制圧した。李生は第1師団に所属していた男に指示し、砲台を動かせた。


「照準を合わせろ。目標、青嵐軍本陣」

「了解!」


 男は見事に砲撃台を操作した。真澄らと戦っている青嵐軍、その本陣を潰せば戦況はさらに優位になる。


 砲撃台が火を噴いた。






★☆






 真澄の視界の端で、強烈な爆発が起こった。今まで玖暁軍に牙を剥いていた砲撃が、青嵐軍を襲ったのだ。それを見た青嵐騎士が混乱に陥る。本陣を襲ったそれは、誤射というには済まされないものだ。


「真澄さま、今のは」


 瑛士が言う。真澄は頷いた。その表情は少し明るい。


「ああ。……李生だ」

「派手なことしますね、あいつも」


 奏多が微笑んだ。真澄の言った通り、大胆なことをしでかす男である。


 本陣を失った、要するに指揮官を失ったということだ。真澄のように総指揮官が前線に出ることはあまりない。総指揮官とは本陣にいて、指示を出す者だ。だとすれば、本陣にいた総指揮官が無事なはずがない。これで青嵐軍の指揮統率は滅茶苦茶だ。


 玖暁の勢いはさらに激しくなった。


 そしてやがて、青嵐軍は四方八方に動き始めた。無様に逃げ出したのである。それを見た奏多が呟く。


「青嵐には、死して祖国に殉じるなんて騎士道精神を持っている者はいません。ここで逃げても再起は不能でしょうね」

「好都合だ。最初にも言ったが、逃げる者を追う必要はない。……皇都を開城する!」


 真澄の声で、玖暁騎士が歓声を上げた。と、そこへ黎がやってきた。久々の再会だが、ゆっくり挨拶を交わす余裕はない。


「残党の相手は彩鈴軍が務める。玖暁軍は皇都の解放を急げ」

「すまん、黎。任せるぞ」


 瑛士の言葉に頷き、黎は馬を駆った。その手に持つ槍はすでに血に濡れており、何人の騎士を貫いたのだろう。


 皇都の門が開かれる。青嵐騎士を一気に薙ぎ倒し、玖暁軍は皇都の中に突入した。






★☆






 城壁は部下に任せ、李生は城内の制圧に乗り出した。


 狭い廊下の向こう側から、青嵐騎士が突進してくる。この廊下の幅では、人ひとりが刀を振るうことしかできない。部下の騎士が前に出ようとしたが、李生はそれを制して自ら敵を迎え撃った。


 李生の刀一閃で、最初にとびかかってきた騎士を斬り捨てる。まるでダンスを踊っているのではないかという身軽さで、李生は次々と敵を倒した。十人ほど斬り捨てた後に刀が折れ、それを好機と見た騎士が一層気合いを入れて李生に斬りかかった。だが李生はひらりと上半身を逸らせてそれをかわすと、足を跳ね上げて騎士の刀を持つ手を蹴った。騎士が刀を放し、落ちてきた刀を見事に掴んだ李生はその勢いのまま騎士を斬る。


 すべての敵を片付けたとき、廊下にはたくさんの騎士が積み重なって倒れていた。構えを解いた李生はふうと息をつく。


「身体が重いな……やっぱり運動不足か」


 これほど常人離れした戦いを見せながら運動不足など、部下たちは苦笑いである。やはり彼は玖暁の宝たる騎士だ。相手が王冠、ひいては矢吹佳寿でなければ彼は敵なしだ。


 そこから李生は、部下たちを数人のグループに分け、手分けして城内に散らせた。これだけ広い皇城を制圧するのは並大抵のことではない。だがそれだけ敵も分散しているはずなので、少人数でも事足りる。


 十以上の小隊を各方面に向かわせたとき、街のほうから騒がしい声が聞こえてきた。李生がそれに気づいて窓の外を見やる。そこにあった光景を見て、李生は目を見張った。


「部隊長! 街の住民たちです!」

「分かっている」


 部下の声に李生は頷く。そう、言われなくとも李生にも分かっていた。皇都の民が各々武器を持ち、青嵐騎士団を叩きのめしていたのだ。武器と言っても、箒だったり金槌だったりフライパンだったりする。なんにせよ、当たれば痛いことは確かである。


 一頭一頭が非力な羊でも、群れを成せば狼を退けられるか。そう感心しないでもないが、このままでは住民に被害が出る。いま街の青嵐騎士たちは住民の勢いに押されやられてばかりだが、本気になってしまえば刀を抜いて住民を斬るだろう。それだけは避けなければならない。


 李生は急ぎ残った騎士を連れて市街へ向かおうとした。が、その行動もまた寸前で阻まれる。街の北から、どっと人影が雪崩れ込んできたのだ。その軍が掲げている、赤い軍旗。描かれた鳥は、まさしく玖暁の象徴である鳳凰。


 先頭で刀を振るうあの勇ましい騎士は、まぎれもなく彼らの皇だ。


「兄皇陛下!」

「御堂団長もいる!」

「勝った、俺たちは勝ったんだ!」


 部下たちの歓声を聞きながら、李生はほっと微笑んだ。二重の意味で安心したのだ。ひとつは、真澄が戦っているということは呪いが解けたということ。もうひとつは騎士たちと同じく、この戦いの勝利は堅いということだ。だがそれでも李生は手放しで喜んだりはしない。


「喜ぶのはまだ早い。……俺たちは城内の制圧に専念する」

「はい!」


 目に見えて、彼らの顔は明るくなっていた。


 矢須をはじめとする文官・貴族たちは城の奥の棟に幽閉されていたが無事だった。とりわけ矢須が無事だったのを李生は心から安堵した。宰相の矢須は、真澄と知尋と並んで国のトップだ。普通ならば真っ先に処刑されていておかしくない。そのあたりをすべて後回しにしていた青嵐軍に、こればかりは感謝する。彼らにはとりあえずそのまま部屋にいてもらい、李生たちは城内の制圧を急いだ。


 そしてそれが終わったとき、玖暁軍が皇城の前に到達した。李生がそれを城門で出迎える。


 真澄と瑛士、奏多、そして途中で合流した知尋。四人が李生の前に歩み寄った。李生は深く頭を下げる。


「城内の制圧はほぼ完了しております。残すは玉座の間のみ……最初に足を踏み入れるべきなのは、真澄さまと知尋さまであろうと思いましたので」

「おいおい、まずは互いの無事を喜ぼうとか思わんか?」


 瑛士が苦笑する。李生は顔を上げ、笑みを浮かべた。


「信じていましたからね」


 李生の返事に瑛士は言葉に詰まる。李生は真澄に向きなおった。


「お戻り、お待ちしておりました……真澄さま、知尋さま」

「……ああ。ただいま、李生」

「心配をかけたね」


 真澄がゆっくりと頷き、知尋が微笑む。それから奏多を振り返った。


「奏多。李生の傍にいてやってくれるか」

「はい」


 奏多は微笑み、隊列から外れて李生の隣に立った。真澄と知尋は毅然とした足取りで、瑛士らを率いて中央の階段を上がって謁見の間へ向かう。


 その後ろ姿を見送る李生と奏多だったが、ふたりとも無言だった。そのうち李生がぽつりと呟く。


「すまない」

「いいや」


 奏多は李生の腕をさりげなくつかんでいた。実を言うと李生は今にも意識が飛んでしまいそうなほど疲労しきっており、足に殆ど力が入らない状態なのだ。それを奏多が支えてくれていた。十年以上会っていなかったのに、何も言わずとも通じてしまうところは幼馴染の力だろうか。


「自分では分かっていないだろうけど、酷い顔をしているよ。休めるところを探そうか」

「……まだ、いい。自分の目で、玖暁の勝利を見届けたい」

「言い出したら聞かないのは、昔からだね」


 奏多は面白そうにつぶやいた。


 真澄たちは本棟六階の謁見の間へたどり着いた。瑛士が扉を押し開け、皇が足を踏み入れた。大きな円柱がいくつも高く天井に伸びており、その天井は硝子張りで非常に明るい。夜になれば、つりさげられているシャンデリアが部屋を照らす。一直線に玉座まで続く赤い絨毯は多くの人間に踏み荒らされて汚れているが、それでも格式高い装いは欠けていない。その赤い道を歩いた先に三段の(きざはし)。そして玉座がそこにあった。


 階を上った真澄と知尋は振り返った。そこには瑛士ら騎士が多数控えていた。瑛士、狭川、高峰、遅れて李生と奏多も到着する。


 皇の姿を見て、真っ先に瑛士たち部隊長位の者が跪いた。一瞬遅れ、騎士たちもそれに倣う。真澄は本来、身分の差を象徴するこの段差が嫌いだが、今はどうでもいい。真澄は首を垂れる騎士たちの頭上に声を投げかける。


「玖暁の大地は、我らが手に戻った。今この時を持って、戦闘は終了する!」


 真澄の言葉は、隣にいた知尋が己の魔力を用いて皇都周辺にいる者全員に伝わった。至る所にあるスピーカーの類に、知尋は真澄の声を送って拡声器の代わりにしたのである。


 戦いを続けていた騎士たちは武器を捨てた。玖暁騎士と彩鈴騎士は飛び上がって喜び、青嵐騎士はがっくりと項垂れる。


 今まさに敵の喉を槍で貫こうとしていた黎は、寸前でぴたりと槍を止めた。命拾いをした敵が腰を抜かした横で、黎は満足げに微笑をたたえて皇都の城壁を見上げた。


 本陣で負傷兵の治療に大忙しだった巴愛たちは顔を見合わせ、万歳をして喜んだ。



 戦争は、終わった。

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