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和装の皇さま  作者: 狼花
肆部
84/94

10 激突

 凪原の街の宿の部屋から、皇都の城壁が小さく見える。朝になってそのことに気付いた巴愛は、胸が高鳴るのを感じた。やっとここまで来た。佳寿の問題は解決できていないが、それでもやっと、皇都に戻ってきた。


 宿の一階から中庭に出ると、強力な水の音が聞こえた。中庭には蛇口が一つあるが、誰かがそれを凄まじい勢いで出しているのだ。朝とは言っても昨日の今日で、巴愛のように規則正しく起き出した者は殆どいない。一体誰だろうと水の音がするほうへ向かうと、そこには昴流がいた。


 最大まで開けた蛇口からは水が大量に出ている。昴流は何を思ったか、その水の中に頭を突っ込んだ。丁度、精神統一で滝の水に当たるような儀式だといっても過言ではない。しばらくして水を止めた昴流は、髪の毛から水を滴らせたままふう、と息をついた。


「ちょっ、昴流、何してるの?」


 巴愛が声をかけて歩み寄ると、はっとした昴流は髪の毛を絞って水気を切り、タオルを掴んだ。


「ああ、おはようございます」

「おはよう……って、だからそうじゃなくて。こんな朝からなんで水を……?」

「それは、その。……お恥ずかしいことながら、昨日酒を少々……」

「え、お酒?」


 昴流が酒を飲んで、しかもそれなりに強いということは出会った当初に確認済みだ。だが、天狼砦での祝宴のあと、一度たりとも昴流が酒を飲んだところを巴愛は見たことがなかった。真面目な昴流が酒を飲むなんて、それはもしかして。


「……なんか悩み事でもあるの?」

「ええっ!? 違いますよ、僕がヤケ酒したみたいに言わないでください。夕べたまたま弟皇陛下とお話しする機会があって、その時こう……場の付き合いといいますか……飲まざるを得ない状況になってしまったといいますか」

「知尋さまってお酒飲むんだ。ちょっと意外」

「とんでもない、あの方は玖暁一の酒豪ですよ」


 昴流は悶々としている。


「かなり強い酒だったんで最初の一杯だけで断ろうとしたんですが、明日の朝までに証拠隠滅しなきゃならないとか、いろいろ話を引っ張られてしまって。結局かなりの量を飲んでしまったので……その、少し酔ってしまいました」

「で、水を?」

「頭から冷たい水を被れば、頭もすっきりするかと思いまして」

「何の修行かと思ったよ」

「お騒がせしてすみません」


 巴愛の言葉に昴流は頭を下げた。顔を上げた昴流の姿を見て、巴愛は少し沈黙する。水も滴る良い男、とはよく言ったものだ。目鼻立ちがすっと整っている昴流の顔は、現代日本のモデルの最前線に今すぐ突っ込んでも通用する。濡れた髪の毛が頬に張り付いており、それを鬱陶しそうに搔きあげる姿もなんだか色っぽい。


「どうしたんです? ぼうっとして……」


 声をかけられて我に返った巴愛は、慌てて首を振った。


「なんでもないの。早く髪、乾かしてね。風邪ひいちゃうから」

「あ、はい」


 昴流は頷き、青い空を見上げた。少し眩しそうに目を細めながら、昴流は「よし」と口の中でだけ呟いた。心身ともに引き締まった気がする。これで皇都奪還に戦いに、身を投じることができそうだ――。






★☆






『皇都、照日乃の城門前に七千の王冠、三万の青嵐騎士が展開している』


 右耳に当てた通信機から聞こえてくる狼雅の報告に、真澄は難しい顔をした。


「七千の王冠? それは残存人員すべてではないですか」

『ああ、もうやけくそみたいだな。青嵐騎士は大部分が皇都内部に残ったままだが、まさか王冠を全部決戦に割くとは俺も思わなかった』


 真澄は通信機を左手で右耳に当てながら、右手で卓の上に広げられた真っ白な紙に話の内容を記録していく。この街に大きなスクリーンモニターや通信機はないので、狼雅たち彩鈴軍と連絡を取れるのはこの一台の通信機のみだ。本来記録というのは真澄たち幹部がやることではないが、致し方ない。話し、考え、聞き、そして書く。この四つの動作を同時にやってのけている真澄は、素直にすごいと誰もが思う。


『だがやけくそにしては出来が悪い。王冠を過大評価しているのか玖暁を過小評価しているのか知らんが、七万まで膨れ上がった玖暁軍と無傷の彩鈴軍八万に、三万七千でかかるとはな。用兵の理から外れている。中途半端だ。俺だったら青嵐騎士十万をそっくりそのまま決戦に使って、王冠は皇都の民を人質にとるために使うぞ』


 真澄は沈黙する。それが一番の懸念だった。青嵐騎士に占領されている皇都、そこに住む民は真澄らからすれば人質であった。王冠が『降伏しなければ毎日十人ずつ処刑していく』と言いかねない危険があったのだ。今回青嵐がその手を取らなかったのは幸いである。


『何にしても、奴らは玖暁に対して短期決戦を挑むつもりだ。相手方にも策なんて何もないだろうし、こっちも力圧しになるぞ』

「それは望むところです。ちまちまと策を練るより都合がいい。以前玖暁が大敗を喫したからと言って、それが二度通用すると思っている甘さを叩き壊します」

『お前は戦場にいると性格が変わるよな。まあいい。彩鈴軍は大山脈に控えている。お前の号令一下、すぐにでも皇都の前まで駆けつけられる。細かい連絡なんかは黎のほうに頼むぜ』


 狼雅との通信はそれで終えた。その後真澄らは情報をもとに大まかな流れや部隊の配置を確定させ、その報告を黎に入れた。黎からは事前に、「事後報告で構わない」と言われていた。


 連絡したのは瑛士である。機器類にとんと疎い瑛士は、早くも使い方を習得した真澄に操作を教わりつつ、ワンプッシュで黎に繋がるというボタンを押すのに五分以上かけて成功した。ものの数秒、巴愛なら「ワンコール」と表現する短い時間で、黎が出た。


『時宮です』

「おう、黎」

『なんだ、お前か』

「なんだとはなんだ、失礼だな」

『てっきり兄皇陛下だとばかり思っていた』

「悪かったな、俺は連絡する役を押し付けられたんだ」

『どこに向かって喋ったらいいのか分からず、五分くらい押し問答していたんじゃないのか』

「お前って奴は……!」


 図星なので瑛士は反論できない。そんなやりとりを聞いた知尋が呆れたように「子供ですか」と突っ込む。通信機越しに黎までその突っ込みは聞こえたらしく、黎が軽く咳ばらいをした。


『それで、私はどう動けばいい?』

「まず、玖暁軍が正面から青嵐軍とぶつかる。彩鈴は、その時側面から攻撃を仕掛けてほしい。時間差攻撃って奴だ」

『決行の日取りは?』

「三日後の日の出とともに」

『了解した。合わせて出撃する』


 黎はあっさりと了承した。気心の知れた仲間というのは、余計な説明を要求しない。阿吽の呼吸で物事が進んでいくことの心地よさを、瑛士は身に染みて感じた。


「……期待してるぞ。彩鈴軍の戦いを」


 そう言うと、ふっと黎の笑う声が聞こえる。


『あまり期待されても困るな』

「おいおいおい」

『当たり前だろうが。平野戦の王者たる玖暁軍に、実戦経験のない彩鈴が対抗できると?』

「それが事実でも、お前も騎士団を率いる者なら少しくらい誇りをもってだな……」

『――瑛士、お前、田柄和希という騎士に何か吹き込んだようだな?』


 田柄と聞いて、瑛士はすぐピンときた。彩鈴から青嵐へ行く道中、栖漸砦まで同行してくれた騎士のひとり。そして真澄の呪いを解くため、知尋を追って先行した黎たちの元へ向かう時に案内をしてくれた騎士。それが田柄和希だ。


『あいつのここ最近の働きが目覚ましい。田柄の活躍を期待してやれ。玖暁騎士の誇りを身につけた彩鈴の騎士の戦いぶりをな』

「……ああ。じゃあまた、戦場で会おう」


 通信は黎のほうから切れた。瑛士の別れの挨拶に相槌のひとつもなかったが、黎らしいと思う。


 通信機を卓の上に置いた瑛士に、真澄が笑みを向ける。


「黎もいつも通りみたいだな」

「ええ、全く恐ろしいくらいに」

「彼が冷静さを失っていたら、それはこの世の終わりだと私は思いますよ」


 知尋の言葉に瑛士が「確かに」と同意する。真澄が座っていた椅子から立ち上がる。


「さあ、出撃準備だ。各部隊長は己の部隊の調整を怠るな!」


 おう、と部屋の中にいた部隊長たちが頷いた。


 前回の皇都での戦いは、佳寿一人に負けたといっても間違いではない。その佳寿が不在のいま、戦いの流れは玖暁が握っている。皇都を取り戻すのは、今しかない。






★☆






「うん、これだ。やはりこうでなくてはな」


 真澄は上機嫌だ。彼がいるのは広大な平原のど真ん中。背後には七万の味方、前方には敵の姿。要するに最前線だ。日の出にはまだ数分あり、周囲は薄暗い。


「目立ちますから、あまり前に出ないでくださいよ」


 瑛士が小言を言う。また以前のように、真澄の奔放な行動に釘を刺す苦労性の騎士団長に戻ったらしい。


「もう少し、いい気分でいさせてくれ。せっかく健康な身体の有難さを感じているところなんだ」


 確かに真澄としては、こうして最前線に立つのは久々のことである。呪いを受けてからは戦うどこではなくなり、解呪されてもしばらくは体力を取り戻すため彼にしては控えめに行動していた。だが皇都を取り戻すという重要な戦いになって、真澄は最前線に戻ってきた。


 やや後ろで溜息をついた瑛士に、真澄は背を向けたまま告げる。その声には、今の今まであったはずの昂揚感がまったくない。


「瑛士、これより玖暁軍は突撃を開始する」

「はい」

「逃げる敵は追うな。向かってくる敵だけを見ろ。我々が真っ先にすべきなのは、皇都の奪還だ。それを全軍に徹底させろ」

「了解しました」


 瑛士も厳かに頷く。


 不気味な静寂が続いた。この平原にいま十万近い人間がいるというのに、みなが息を潜めその時を待っている。真澄は馬上で腕を組み、目を閉じている。


 一筋の光が、玖暁軍と青嵐軍の間に現れた。見ると、東にある山の陰からゆっくりと太陽が昇ってきていた。


 それと同時に、空気を鋭く振るわせる笛の音が響いた。玖暁軍も青嵐軍も聞き慣れた音だ。玖暁軍の、突撃命令の意味を持つ笛だ。真澄が刀を抜く。


「さあ、私に続けッ!」

『おおッ!』


 真澄が先陣を切って馬を駆けさせた。騎士たちがそれに続き、青嵐軍も同じように突撃をしてきた。


 玖暁軍と青嵐軍がぶつかる。真澄の刀の一閃で、青嵐騎士のひとりの首を刎ねた。返す一撃で二人目を馬から叩き落とす。すぐそばにいる瑛士、そして奏多もまとめて複数人を斬り倒している。


 だが玖暁軍のこの勢いをもってしても、王冠が脅威であることに変わりはない。今回は奇襲などではないので、彼らはきちんと神核エネルギーの注射を済ませ、その効力が最大限に発揮されている。真澄は敵と切り結びながら王冠が密集している戦場へと移動した。青嵐騎士団のほうは高峰と狭川の部隊に任せている。


「貴様が兄皇か! 我が刀で貴様を討つ!」


 王冠が勇んで真澄の前に立つ。真澄は不敵な笑みを浮かべた。


「では、お手並み拝見というこうか」

「抜かせ!」


 王冠が馬を駆って刀を振り上げる。常人なら目にも止まらぬ速さだ。だが真澄は、それ以上の反応を見せた。


「遅いッ」

「! がぁッ」


 王冠は脇腹から切り裂かれ、落馬した。先手必勝の青嵐の武芸の、さらに上の反応速度――それが鳳飛蒼天流の剣術だ。嫌というほど王冠を相手にしてきたからこそ、真澄は彼らの対処を覚えた。


 反則的な力を持つはずの王冠を、いとも簡単に薙ぎ倒す真澄。王冠よりよほど凶悪な存在に見えたかもしれない。


「いやあ、お強いですね。信じられないくらいだ」


 奏多が微笑んだ。戦場のど真ん中で何を陽気に、と思わないでもないが、瑛士は敵の刀を弾き飛ばしながら答えた。


「当たり前だ。真澄さまは俺なんかよりずっと強いからな」

「え、そうなんですか?」

「訓練では互いに自制が利いているだけで、俺は真澄さまに遠く及ばないさ」


 奏多が驚くのも無理はない。真澄が本調子で、本気で戦っているところを見るのは、奏多はこれが初めてなのだ。


 その時、敵陣から声が上がった。


「に、西から新手の部隊が現れた!」

「彩鈴軍だ!」


 瑛士が「いいタイミングだ」と呟く。


 青嵐は、玖暁が彩鈴と組んだと勿論知っていただろう。確固たる情報がなくても、予想するのは容易だったはずだ。それでも彼らは目の前にいる玖暁軍に気を取られ、彩鈴の存在を失念していた。ここまでの戦いを、玖暁軍の力だけで切り抜けてきたということも、彩鈴の存在を隠す要因のひとつだったろう。ぎりぎりまで姿を隠して敵のマークを外す。黎はそうやって身を潜めていた。


 彩鈴軍は青嵐軍の側面をあっという間に切り崩した。二方向からの攻撃に対処するのは、非常に難しいことだ。真澄は伝令の騎士に告げる。


「青嵐騎士団は彩鈴軍に一任する! 玖暁軍は全兵力を王冠に向けろ! 一気に叩き潰す!」


 伝令の騎士が駆け去ったと同時に、真澄の目の前に巨大な光の柱が突き立てられた。後方にいる知尋の神核術である。相変わらずの破壊力を誇るその術で、百人単位の敵が吹き飛ばされ、真澄の眼前はぽっかりと穴が開いたようになっている。


 勝敗はもはや時間の問題と言えた。

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