6 少年の戦い
その後、高峰翔と宙を含めた玖暁騎士十名ほどは市街を駆けながら、何度か青嵐騎士と刀を交えた。だがどれも高峰と宙の一撃で退ける。特に宙の身軽な動きには、騎士たちもほうと感心したように唸ったものだ。宙は「避ける」という動作に関しては誰よりも優れている。彼に攻撃をあてるのは至難の業だ。
「見事だな、宙」
「そんな、高峰さんのほうがずっとすごいよ」
「はは、僕も一応長いこと騎士をやっているからね。でも宙くらいの時はからきしだったよ」
「え、高峰さんって幾つ?」
「二十七だよ」
「嘘っ!? 昴流の元同僚って聞いたから、てっきり昴流と同い年くらいかと……」
「部隊長は若作りですもんねえ」
「別に作っちゃいないよ。歳は違うけど、小瀧とは同期なんだ。それだけ小瀧が若くして入団したってことだ」
部下の騎士が笑う。というような会話ができるほど、宙は短時間で高峰隊の騎士たちと馴染んでいた。
高峰が目指していた自警団の集会所に到着するころには、市街の制圧は完了したらしく敵と遭遇せずに済んだ。だが本当の敵は残っていた。
集会所の入り口に赤い着物の人物がひとり。青嵐軍特務師団、通称『王冠』だ。
「やはりいるか……」
物陰に隠れて前方を伺いながら、高峰が呟く。奇襲をしたとはいえ、これだけ時間が経てば神核エネルギーの注入は完了しているだろう。だとすれば勝率は高くない。
「僕が囮になってあいつを引き剥がす。その間に君たちは中に入って」
「……いや、囮作戦は駄目だ」
宙が断固としてそう告げた。
「王冠はとんでもない自惚れ集団だ。多分集会所の中に青嵐騎士はいない。あの王冠がひとりで守るつもりだよ。だとしたら、絶対に奴は動かない。王冠は総じて神核術に長けているから、高峰さんの間合いの外側から攻撃してくるに決まってる」
「成程……」
高峰が腕を組む。こういうとき、宙は思う。俺が一人前の王冠だったら。王冠に対抗できるのは王冠だけ――勿論、真澄や瑛士という例外はいるが。みんなを守るために、王冠と戦う力があればいいのにと切に思う。
だがそれは、神核エネルギーの注射によって得られる強さだ。奏多が烈火の勢いでやめろと怒鳴るだろう。怒る時でもやんわり叱る奏多だが、弟の無茶だけは本気で怒る。宙が王冠の見習いにさせられた際、酷く怒っていたのを今でも覚えている。無論宙に怒っていたわけではない。どういう形であれ、宙の身体能力が評価されたことには間違いないのだ。どこに怒りをぶつけていいかが分からず、どうしようもなくなっていた、という感じだろう。
では、半人前の王冠である自分にできることは――?
「……高峰さん」
宙が高峰を見上げた。
「神核エネルギーを注射したといっても、その効果が最大限に発揮されるまでには三十分近くかかる。けど今はまだ、戦いが始まって十五分しか経っていない。つまりあの王冠は力を出すことができない」
「狙うは、いまか……」
宙は頷く。勿論まだ神核エネルギーが最大限に効いていないといっても、何もしていない状態よりは強化されている。
「今の状態なら、俺はあいつの神核エネルギーの力を無力化することができる。隙を狙って攻撃を仕掛けるから、お願いできる?」
「……分かった。任せてくれ」
高峰は微笑み、部下の騎士に合図を送る。その騎士は【集中】し、火の神核術を発動させた。大きな火の玉が王冠に向かって撃ち出される。王冠はそれをいとも簡単に刀で弾いた。
「そこにいるのは誰だ!」
高峰が物陰から姿を現す。部下たちも続く。宙はばっと身を翻した。手頃な高さの塀に一息で飛び乗り、屋根伝いに駆けていく。
「玖暁騎士団部隊長、高峰翔だ」
「天狼砦の副司令だな……? 貴様自らここに出向くなんて、解放軍とやらは優秀な人材がいないんだな!」
「……まあそう言うことにしておいてやってもいいんだけど……街の中はほぼ制圧した。もう勝ち目はない。大人しく投降することを勧める」
「はん、十対一だから勝てるだろうとでも思っているのか!? 俺は王冠だぞ」
「それは見れば分かるかな」
部下たちが失笑を漏らした。どれだけ王冠が挑発しようと、高峰は乗らない。常に冷静な高峰は、決して言葉に流されることはない。
「仮に僕たちを破ったとしても、街の外には玖暁軍本隊がいる。お前一人で、万単位の敵と渡り合えると思ってる?」
「おうとも。俺たち王冠にはそれができる力がある!」
「……成程ね。こりゃたいした自惚れだ」
何とも滑稽な空威張りである。しかし王冠は尚も続ける。
「貴様のような部隊長ごときではなく、騎士団長である御堂や兄皇と戦いたかったぞ!」
「そいつは残念だったね。もうそんな機会はないよ」
高峰が刀を構えた。玖暁騎士団流剣術の構えだ。
「お前は『部隊長ごとき』といった、目の前の僕に殺される。あの世で己の増長を悔やめばいい」
玖暁騎士って言うのはみんながみんな毒舌なのかね。屋根の上から宙はそんなことを思った。
宙は住宅の屋根を伝い、高峰たちの正面、つまり王冠の真後ろの建物の屋根の上に身を潜めた。この建物こそ集会所だ。高峰が戦っている間に潜入して自警団を助け出そうとも考えたが、どの窓もしっかり格子が嵌められていたため、宙には破ることができない。結局あの王冠を倒すしかないのだ。
宙の掌の中には白い神核がある。神核術が苦手な宙だが、今回はそうも言っていられない。この神核を使えるのは自分だけだ。
王冠は莫大な量の神核エネルギーを人体に注射するため、体質によっては拒否反応を起こして暴走することがある。その際に使うのがこの神核だ。要するに、相手の体内の神核エネルギーをすべて「吸い取る」――本来「放出する」のが神核だが、それと全く逆の性質を持つ神核。これも青嵐の研究で生み出されたもので、すべての王冠に支給されている。
この神核を【集中】しながら相手の身体に押し付ければ相手の魔力をすべて奪うことができる。だがそれには制限があり、神核エネルギーの注射から三十分、力が効きはじめる前までに使わないと効果がない。
本来は暴走した者の、打ち過ぎた神核エネルギーを取り除くための神核だ。暴走していないあの王冠にこの神核を施したら、きっとあの男は自分が持つすべての魔力を失うだろう。それはそのまま死を意味している。
以前知尋が魔力の暴走を起こしたとき、宙はこれを使わなかった。あくまでも「本人が持っている魔力より多いエネルギー」をとる神核だから、自分の魔力が抑えきれなくなった知尋に使ったら、知尋は異常なまでに弱体化してしまったはずなのだ。治癒術も使えなくなり、攻撃術も使えなくなる。神核術をすべてとしている知尋にそんなことをしてしまっては、彼から生きる理由を奪ってしまう。
間合いのない王冠に、どうしたら接近できるだろうか――失敗して王冠に悟られてしまったらもう二度目はない。
高峰と王冠が激しく刀を交えた。さすがの高峰もその膂力に苦しんでいるようだ。
「うーん、こいつはなかなか……」
高峰が苦々しげにつぶやく。高峰だからこそ互角に近いが、十人近い騎士たちは殆ど太刀打ちできない。
高峰が刀を薙ぐ。その斬撃を、本当に髪の毛一本の差で王冠は避けた。高峰の目が驚愕で見開かれる。にやりと王冠が笑った。
「もらったっ!」
「ッ!?」
王冠の突きだした刀が、高峰を切り裂く。咄嗟に身体を捻って避けたので致命傷ではないが、左の脇腹を酷く斬られていた。高峰は左手で脇腹を抑え、後方によろめくもなんとか踏みとどまる。左手だけでは抑えきれない血が、掌の間から地面に滴った。
「部隊長!」
騎士たちが叫ぶが、彼らも到底動ける状態ではない。それでもなお高峰は表情一つ動かさない。
「大言壮語の報いだ……死ね!」
王冠が神核術を打ち出す構えを取った。その瞬間、宙が屋根から飛び降りた。
【集中】と勝利目前の悦により、完全に油断した王冠の背後に、神速の勢いで宙は肉薄した。王冠がはっと気づいて振り返りかけたがもう遅い。宙は掌に持っていた神核を王冠の背中に押し付け、叫んだ。
「The end!」
覚えたての英語である。神核がかっと光を放った。その光が消えると同時に王冠の男は地面に倒れた。宙は小さく息を吐き出す。
「き、貴様……桐生、だな……」
「まさかこんなところで会うなんてね。奇遇なもんだ」
「この裏切り者……やはり粛清の際、兄とともにお前らも殺しておくべきだった……」
「! ……あの時兄さんが、どれほどッ――」
部隊の仲間を殺された時の奏多は、見たことがないほど憔悴した。今でもあの時のことは忘れていないはずだ。
宙は怒りを抑え、王冠に背を向けた。
「……俺みたいな不平分子の教育なんて、受け持つんじゃなかったね。さよなら、教官」
見習いの宙に稽古をつけ、この神核の使い方を教えた教官。その教え子に、教えた方法で殺されるとはなんという皮肉だろうか。もうその時には、王冠の男は息絶えていた。
高峰が歩み寄ってくる。傷は酷いが、歩けないほどではないらしい。
「宙……大丈夫か?」
「俺は怪我一つないよ。高峰さんたちのほうが……」
騎士たちはなんとか立ち上がり、宙に笑みを向けた。大丈夫らしい。
高峰は首を振った。
「辛いことをさせて、悪かった」
「辛くなんて……あいつは確かに俺の指導を担当してくれた奴だけど、兄さんの仲間を殺した奴でもあるんだ。その、仇だ……兄さんだってそれを望んで」
「仇でもなんでもね、君のお兄さんは、弟が人を殺すことを喜びはしないと思うよ」
それを聞いて、宙ははっと我に返った。
いま宙は、初めて人を殺した。
刀で斬ったことはある。殴りつけたことも蹴りつけたこともある。だが宙の攻撃が相手の死に繋がることはなかった。宙が自分の手で相手の命を絶ったのは、これが初めてである。
「……覚悟はしてた。王冠として戦場に出るからには、人を殺したくないなんて甘いことは言っていられない。その報いを受ける覚悟も、兄皇さまの旅に加わったときにしていた」
高峰はふっと微笑み、宙の頭をポンポンと叩いた。
「有難う。助かったよ、宙」
「高峰さん……」
「君の覚悟は僕が見届けた。君は立派な騎士だ、僕の隊に欲しいくらいだよ」
高峰は脇腹を抑えつつ、集会所の扉を開けて中に入る。そのあとを追いながら、宙が尋ねた。
「ずっと思ってたんだけど、どうして高峰さんたちは俺と兄さんのこと、あっさり受け入れてくれるんだ? 蟠りがないわけ……ないよな」
「まあね……君のお兄さんは青嵐騎士として玖暁騎士を斬ってきたんだろうし、青嵐人というだけで毛嫌いする騎士も中にはいる。でも、玖暁騎士団には青嵐人や彩鈴人が何人も所属しているんだよ」
「え……李生さん以外にも?」
「ああ。さすがに青嵐人で部隊長になったのは天崎だけだけどね。天狼砦は青嵐、彩鈴ともに国境と接しているから、そういう者が多いんだ。彩鈴の諜報員として潜入したけれど心変わりした者、天崎のように青嵐から亡命してきた者……事情は色々だけれど、同じ制服を着て同じ相手と戦うなら、それはもう仲間だよ。過去のしがらみなんて関係なくね」
これはもう兄皇陛下のお人柄としか言えないけれど、と高峰は苦笑する。真澄は李生が青嵐人であることを指摘されて「それがなんだ」と言い返す人物である。
「戦場では味方に命を預け、自分もまた預けられる。そこに疑いがあったら安心して背中を合わせて戦うことなんてできない。……僕はそう思っているからこそ、君を心から信頼しているよ」
「俺を自分の部隊に欲しいって言ったのも、お世辞じゃなくて?」
「こんなところで世辞なんて言わないよ。本心だ――君さえよければ、いつでも歓迎するよ」
宙は目を見開き、それから照れたように笑った。
「……有難う、高峰さん」
高峰は微笑んだ。すると廊下は行き止まりになり、木製の扉が目の前に立ちはだかった。高峰がノブを回すが、鍵がかかっていて開かない。鍵も見当たらなかった。
「しょうがないな」
高峰は二歩後ろに下がり、豪快に扉を蹴りつけた。拳法でも習っているのかと思うほど正確なキックで、扉は外れて奥へ倒れた。扉を踏み越えて中に入ると、巨大な鉄格子が出迎えた。広いホールをふたつに区切るように下ろされている格子。その向こう側には、大勢の男たちが捕えられていた。
「連城自警団の皆さんですね」
高峰の言葉で皆が立ち上がった。
「も、もしかして騎士団か……!?」
「はい。玖暁騎士団天狼砦駐在部隊副司令、高峰です」
「ええっ、翔くん!?」
違った意味の驚きの声が上がった。高峰は髪の毛を掻き回す。
「あー……はい、そうです。とりあえずそこ離れてください、危ないですよ」
高峰が刀を抜き放つ。前方にいた人々が慌てて奥に避難する。高峰は腰を落とし、呼吸を整えて刀を一閃させた。
一見何も変わらないようだが、数秒の時間差を置いて鉄格子がゆっくり上下にずれた。おおっと歓声が上がる。卓越した剣の使い手しかできない技術、「斬鉄」だ。
鉄格子が見事に真っ二つにされ、自警団は自由になった。部下の騎士が他の部屋から没収されていたらしい武器の類を持って戻ってくる。
「街の中の敵は制圧しました。いま街の外で兄皇陛下の軍が青嵐軍と戦っています。どうか、ご助力をお願いしたい」
「おう、助け出された恩は返さないとな!」
「にしても翔くん、でかくなって……」
武器を取って部屋を出ていく自警団の団員は、みな一言ずつ高峰に声をかけていく。その様子から察するに、高峰は何年も故郷に帰っていなかったようだ。それでこれだけの人々に覚えてもらっているとは。
「翔……」
ひとりの男性が高峰の元にやってくる。高峰は頬をほころばせた。
「父さん……無事で、良かったよ」
高峰の父親は何も言わず、高峰に殴り掛かった。あっと宙が声を上げたが、高峰はいとも簡単にその拳を受け止める。父親は皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「一人前になりやがって……天狼砦副司令だと?」
「……その職に就いて、もう三年目になる」
「ふん……早く怪我の治療をしてきやがれ」
そう言って男性は立ち去る。高峰は肩をすくめる。不思議そうな顔の宙に、彼は微笑んだ。
「僕は父に自警団に入るよう言われたんだけど、突っぱねて街を出てね。そのまま騎士になったんだ。それから十年近く、会っていなかった」
「そうだったのか……」
「あの様子じゃ……僕のこと、少しは認めてくれたのかな」
高峰は少し目を閉じ、それから宙と部下たちを見回した。
「状況は終了。高峰隊はこれより市街の制圧部隊と合流し、民衆への被害を確認する」
「了解!」
皆が頷く。高峰のすっきりした横顔を見て、宙もまた笑みを浮かべた。




