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和装の皇さま  作者: 狼花
肆部
76/94

2 進軍

 青嵐軍が放つ神核術と砲撃が、天狼砦を直撃している。


 直撃と言っても、城壁の神核術士たちがそれらを防いでいるので、砦自体の損傷はないにも等しい。それらをやってのけているのは、正真正銘の玖暁皇国軍神核術士隊で、知尋が自ら率いていた者たちである。彩鈴軍に任せるといっても、神核術士が不足している彩鈴軍では防衛が不十分だった。そのため、彼らは残していくことになったのだ。これから先知尋が率いるのは、貴族の私兵団や自警団に所属していた神核術士をひとまとめにした混成軍だ。神核術は剣とは違って上手い下手がなく、「使えるか使えないか」なので、初対面の人間であっても知尋はその能力を信頼できる。


 神核術士たちは敵の攻撃を防ぎ、合間に反撃をしている。地上の青嵐軍は彼らが見知った玖暁軍の制服を着ていたので、砲撃してくる者たちが彩鈴軍であるなど想像もしなかった。第一、青嵐にしてみれば彩鈴軍が玖暁に合流するのはもっと後だと思っていたのだ。まさか国境の要所である栖漸砦の騎士たちが来るわけがなく、王都から派遣するのだと確信していたからだ。その「常識」を、狼雅は逆手に取ったのである。


 そういう訳で、青嵐が玖暁軍だと信じている彩鈴軍と戦っている間に、真澄たち連合軍本隊は砦を出発した。実に慌ただしい出立であるが、真澄にしてみれば貴族や自警団の合流を待っていた間で、休息は十分に取れたのだ。知尋や佳寿との連戦で疲れ切っていた仲間たちの傷も癒えた。すべてが整ったのだ。






★☆






 先頭には、天狼砦駐在指揮官だった狭川の隊がいる。その後ろ、第二陣に真澄と知尋、瑛士、奏多という主だった面々の所属する本隊。さらにいくつか部隊が続き、巴愛を含めた補給部隊の後ろが最後尾である。率いているのは、もう一人の部隊長だった若い騎士だ。名前は高峰(たかみね)といい、昴流と顔なじみだったというから、巴愛もすぐ話くらいはできるようになった。若いけれど長く狭川の補佐として天狼砦に詰めていたため、その能力は瑛士たちも高く買っている。彼は殿でもあり、補給部隊の護衛も兼任している。


 巴愛は馬上で少し背伸びをして前方を見やった。が、真澄ら第二陣の姿は見えない。それが心細くもあるが、これだけ大人数に周りを守られているという安心感もある。それに久々に昴流が付き添ってくれている。


「巴愛さん、本当によろしかったんですか?」


 昴流が戸惑いがちに聞いてきた。


「え、何が?」

「いえ……その、服のことなんですけど」


 そう言われて、巴愛は自分の服を見下ろした。


 黒の着物。襟元には鳳凰の刺繍。そして袴。


 まさしく、玖暁騎士団の制服だ。


「……も、もしかして似合ってない?」


 急に不安になって尋ねると、昴流はぎょっとしたように首を振った。


「ちっ、違います! 似合ってるか似合ってないかで聞かれたら、そりゃあお似合いです! でもそれ、騎士の制服ですよ? 男物ですよ!? その……なんか抵抗はないんでしょうか、と」

「うーん……別にないかな」


 そう、巴愛は出立の際に、今まで着ていた煌びやかな着物が面倒になったのだ。ああいう「女性」の恰好をしていると、その気はなくても思い切り走れなくなるし、なんとなく髪が崩れたり裾が汚れたりすると気になってしまう。だからいっそのこと、袴でも着用してみたらどうかと思い立ったのだ。


 男物とは言ったが、巴愛が着ているのは誰かのおさがりではない。砦に備蓄してあった予備の、一番小さいサイズだ。これを着て、今まで綺麗にまとめていた髪を高く結い上げてしまうと、なんだか爽快な気分になれた。神社の巫女さんの袴の色違い、とでも思ってしまえばいいだろう。動きやすいし、馬にも楽にまたがれた。日本にいるときでもスカートのようなものは学生服でしか身につけていなかったので、本当に楽だ。


「男装の麗人みたいじゃない?」


 本心ではないがそう冗談半分で昴流に言ってみると、昴流は真っ赤な顔をした。「あれ」と思いつつ、そんなことを口走った自分が恥ずかしくなってしまう。


 今更ながら、この世界は着物の世界だ。女物と男物が明確に分けられている。日本で、女性が男物のTシャツを着ても「ボーイッシュだね」程度で、あまり違和感はないはずだ。だがこの世界は違う。いわば、「女ならスカート、男ならズボン」というのが常識だ。ズボンを穿く女性は、この世界に存在しない。


 だから巴愛には袴を身につけてもあまり抵抗はないのだが、昴流にしてみればおかしかったのかもしれない。


 とりあえず反論しておく。


「だ、だって、騎士団には女の人だっているでしょ? その人たちも、この袴穿いてるんだよね?」

「う……そ、そりゃあそうなんですけども」


 昴流としては、今まで本当に女性らしく綺麗だった巴愛が急に男装をしてしまうと、ちょっと動揺するのだ。


「あたしがいたころはね、女の人だって男の恰好をして普通に歩いていたのよ。男が女の恰好はさすがにしなかったけどね! ちゃんと、女物の男の服があったんだから」


 意味が分からなくなってきた。ズボンを男の服とするのなら、女物のズボンがあったという意味だ。


「男女差別しすぎよね。なんで女子は制服でスカート穿かなきゃいけないのよ。あたしだってズボンが良かったのに」


 別に巴愛に男装の趣味があるわけではない。ただ、冬場の制服のスカートは地獄だと思う。男子は良いよなあ、とつくづく思っていたのである。


「昴流、そんなこと言わないで一言褒めりゃいいんじゃないの?」


 傍にいた宙が耳打ちした。昴流が頭を掻き、巴愛に言う。


「すみません、僕の価値観を押し付けてしまって。その……お似合いです、本当に」


 そう言うと巴愛はじとっとした目で昴流を見やったが、ふと目を和ませた。


「うん、じゃあ許してあげる」

「あ、有難う御座います」


 謝らなかったら許してくれなかったのかなあ、と昴流は末恐ろしくなる。やっぱり女性の容姿に触れるときは相応の覚悟が必要だ。


「……そういえば宙、君は補給隊の配属なのかい?」


 昴流が宙に尋ねた。配属、なんて固い言い方をしたが、戦力である宙は前線に出ると思っていたのだ。ここには宙、蛍、奈織がいる。蛍は武器を持たない徒手空拳の人間だから騎士に交じって攻撃できないし、奈織の銃は平坦な道では使いどころが難しいから分かるが、宙はどうしたことか。


「俺も前線に出るつもりだったんだけどね。兄皇さまに『お前は後方を守る要になってくれ』……なんて言われたら、さ」


 実際はさらに後方に高峰の部隊がいるから、後方を守るのは彼に任せておけば大丈夫なのだ。それでも真澄がそう言ったのは、宙を安全なところに置いておくためだ。彼はまだ若い。それに大規模な戦争に参加したことがない。奏多などは覚悟ができているが、もし宙が怪我でも負ったらこれから先の人生に影響が出る。年下扱いされたことに宙も当然気付いているが、それが真澄たちの優しさなのだということも分かっている。そのため、反論はしなかった。自分が未熟なせいで怪我をしても、それは宙の責任だ。だがそれで奏多たちに心配をかけることはできない。巴愛と同じだ。せめて足手まといにならないようにと身を引いた。


 昴流は瞬きをして宙を見る。


「……前から思っていたけど、宙は聞きわけが良いね」

「へ!?」

「宙くらいの年頃なら、体力が有り余って力も伸び盛りだから、絶対自分も戦うんだ! くらい言いそうなんだけど」


 それは巴愛も思っている。活発そうな雰囲気とは逆に、慎重だし思慮深いし真面目だ。いわゆるギャップである。すると宙は首を振った。


「聞きわけが良い……んじゃないよ。俺、怖いんだ。口では戦うとか言っても、本当は怖くて仕方ない。だから、兄皇さまに下がっていろって言われた時、実はほっとしたんだ。……臆病、だよな」

「怖いということを素直に口に出せることは、ひとつの勇気であり強さだと僕は思うよ」


 昴流がそう言う。そのやけに実感籠った言葉に、宙は驚いたように顔を上げた。


「僕は初陣の時、『怖くない、怖くない』って恐怖を抑え込んで戦場に出たんだ。でもいざ敵の前に立つと、あまりの恐怖で身体が動かなくなった。そのあとで桃偉さんにむちゃくちゃ怒られたよ。『無理なら戦場に出るな、足手まといだ』ってね」


 昴流は苦い笑みを浮かべた。


「だからね、無理に恐怖を抑え込む必要はないよ。時には避けることも必要だ」

「……けど、避け続けたらそれは逃げたことになるだろ?」

「ああ。けど、避けもせず突っ込むのは勇気ではなく、ただの無謀だ。そして宙の言うとおり、避け続けたら逃げになる。避けることと逃げることの明確な線引きはできないだろうね」

「じゃ、昴流はどこからが逃げることだと思うんだ?」

「覚悟を決めたら、かな」


 宙が首を傾げる。


「戦う覚悟を決めたのに戦いを避けたら、それは逃げだ」

「うん」

「でも、自分にはできないと分かって刀を置くのは、逃げじゃない」

「……うん」


 自分には無理だ。それは一見逃げのようだが、己の力量を弁えた結果だ。無理だと分かっていても刀を置かないと、戦いはついて回る。


「早く覚悟を決めろ、なんて僕は言える立場じゃないし、誰も宙にそんなことは強制できない。宙はゆっくり考えればいい。戦争に参加するには避けて通れない道だから」

「……分かった、有難う。やっぱ、昴流ってなんだかんだでちゃんとした騎士なんだな」

「君ね、色々余計だよ」


 途端に昴流はむっとする。それを見て巴愛がくすくすと笑った。



 それから少しすると日も暮れてきて、今日の行軍はこれで終了となった。部隊規模で食事を摂り、巴愛たちは高峰隊と面々と共に食事をした。そのあと巴愛は奈織、蛍とともにひとつのテントに入ったのだが、奈織が「探し物がある」と夜闇の中に出ていってしまった。しばらくはそのままにしておいたのだが、あまりに帰りが遅いのでさすがに心配になった。


「ちょっと見てくる。蛍はここにいてね」

「うん」


 蛍の頷きを背に、巴愛はテントから出た。その場で左右を見回すと、すぐそばの雑木林の陰に奈織の後姿があった。ほっとしてその傍に歩み寄り、しゃがんでいる奈織に声をかける。


「奈織、何をしているの?」

「あ、巴愛? いやあ、さっきちらっと見えたんだけどさ」


 そう言った奈織が、手に持っていたものを巴愛に見せる。それは、巴愛には「雑草」としか呼べない草の束だった。


「何、この草」

「これは痛み止め、これは毒消し、そんでこっちは解熱。彩鈴だと大山脈までいかないと手に入らない貴重な薬草だから、つい見かけると集めておかなきゃって気分になっちゃうんだよ」

「へえ、こんな雑草みたいなのに、すごいのね」

「あっはっは。薬草が雑草みたいにぼーぼー生えてるの、玖暁でもこの辺りくらいだよ」


 巴愛は苦笑し、奈織の薬草集めを手伝うことにした。それくらいあちこちに生えている薬草で、すぐ大量に集まった。


「もうこれくらいでいいんじゃないの?」

「あー、ちょっと待って。最後にあそこの一本……」


 奈織が欲を出して、雑木林の奥にあった薬草を掴んだ。その瞬間、奈織の足元が崩れた。


「えっ!?」

「奈織ッ!」


 巴愛が素晴らしい敏捷性で駆け出し、奈織の手を間一髪で掴んだ。


 そういえば、さっき高峰が言っていたような気がする。この雑木林の奥には巨大な段差、もはや崖があるから立ち入るな、と。今更思い出しても後の祭りである。夜ということもあって、崖がどのくらいの高さか、まるで分からない。


「と……巴愛……!」

「奈織、そっちの手、貸してっ」


 巴愛が左手を差し出す。奈織も宙ぶらりんになっていた右手を巴愛に伸ばした。


 だが崖の際に立っていた巴愛の足元の地面も限界だった。足元で嫌な音がするのを巴愛は聞いた。はっとした瞬間、巴愛の足元まで崩れた。


 と、そこに、巴愛の奈織を呼ぶ声を聞いた蛍が駆けつけてきた。しかし蛍が見たのは、もんどりうって巴愛と奈織が落下するまさにその瞬間だった。蛍が駆けだす。


「巴愛! 奈織!」


 彼女も崖から身を躍らせようとしたとき、その肩を誰かが掴んで押しとどめた。


「人を呼んでッ」


 聞こえたのはその声だけで、その人物は蛍以上の速さで、しかも躊躇うことなく跳躍し、崖から飛び降りた。その人物が小瀧昴流であることに数秒ののちに気付き、蛍は急いで身を翻した。



 丁度その時、真澄は屋外にいた。ぴたりと動きを止め、背後を振り返る。正面に立って抜き身の刀を肩に担いでいた瑛士が、拍子抜けしたように瞬きをした。


「どうかしましたか?」

「……いや。風に乗って、巴愛の声が聞こえた気がした」


 それを聞いた瑛士が苦笑を浮かべる。


「真澄さま、本当に最近どうしようもなくなってきていませんか?」

「知尋にも言われたよ、それ」


 真澄はふんと鼻で笑う。さすがに空耳だろう。久々の瑛士との稽古で、疲れ果てているだけだ。以前の自分とは程遠い。早く体力を取り戻さねばならない。


「瑛士、続けよう」

「はい……って、ん?」


 再び瑛士が拍子抜けしたような顔になる。つられて真澄も振り返ると、蛍が駆けてきていた。


「真澄!」

「どうした蛍、こんな時間に……?」


 真澄が問うと、蛍は息を切らせたまま告げた。


「巴愛と、奈織が、崖から落ちた」

「!」

「昴流が、それ追いかけて、一緒に」


 瑛士が刀を収めた。


「真澄さま、確かこの近辺には野生の狼が多数生息していたはずでは」

「……崖下は狼の巣窟だ」


 真澄の表情が険しくなる。


「瑛士、下に降りれる道を探せ。一刻も早く探し出すんだ」

「ま、真澄さまはどうするおつもりで?」


 分かっているのだが、一応瑛士は尋ねた。


「昴流と同じだ。蛍、案内してくれるか」


 要するに、飛び降りるつもりである。

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