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和装の皇さま  作者: 狼花
参部
71/94

19 特別授業、英語、家庭科、歴史

 真澄たちが軍議を行っている間、他の面々は自由に王城の中を散策していた。巴愛もぐるっと辺りを見て回った。巴愛は見知らぬ土地を一人で足の向くまま歩くことが結構好きなのだ。適当に歩いても元の場所まで戻って来られるので、これはある種の才能だと思う。


 巴愛が脳内で勝手に「休憩スペース」と名付けただだっ広い賓館の広間に着くと、そこには宙と蛍がいた。テーブルを挟んで置かれている長ソファに向かい合って座り、何やら話をしている。蛍は元々あまり表情を変えないが、宙がやけに真剣な顔つきだ。別に盗み聞きするつもりもないのだが、巴愛が傍に歩み寄っていってもふたりとも気付いてくれないので、結果盗み聞きになってしまう。


「――Right(合ってる)?」


 宙の口から出たのは、まだ若干ぎこちない英語である。蛍が少しだけ微笑んで頷く。


Great(すごい)!」

「そ、そっか。良かった……って、うわっ!?」


 そこでようやく宙が傍に立っている巴愛に気付いた。当然のこと、向かい側にいる蛍は最初から巴愛の存在に気付いていた。


「巴愛さんっ、いたなら声かけてくれよ!」

「あ、ごめんごめん。すごく真剣だったから」


 巴愛が微笑んで謝り、宙は顔を真っ赤にして頷く。恥ずかしかったらしい。まあ、合っているのか分からない発音を誰かに聞かれるのは恥ずかしいものだ。


「言葉の勉強? 上達したみたいね」


 蛍と宙がちょくちょくこうした会話を交わしているのは見た。が、どれも発音練習だったので、文章としての宙の英語を聞いたのは初めてだ。巴愛よりずっと綺麗な発音だった。


「宙、覚えるの早いんだ。ちょっとしたことなら、もう話せる」


 蛍にまで褒められ、宙はむずがゆそうに身体の至る所を掻き毟っている。宙は十七歳だというから、現代では高校二年生である。それにしては小柄だし素直で可愛い弟タイプで、なんとも珍しい。俗にいう「草食系」というわけでもなく、なんと分類していいか分からない高校二年生だ。


 たった二つ下なだけなんだよなあ、と巴愛が感慨深げに宙を見やる。と、そんなことに気付かない宙は話題を逸らそうとわざとらしく大声を上げた。


「な、なあ巴愛さん! もう夕飯の支度するんじゃないの?」

「え? あ、そうね」


 巴愛は窓の外の景色に視線を送った。もう日が傾いて、あたりは茜色に染め上げられている。ここは国王の住む城なのだから、客人である巴愛が食事を用意するのはまったく違うというか、他の者からすれば「狼雅はなんて失礼な人間だ」と思われかねないが、巴愛が好きでやっていることなので仕方がない。一生涯で二度と食べられないと思うほど豪華なフルコースもいいけれど、やはり慣れ親しんだ味のほうが好きである。ちなみに黎から彩鈴の郷土料理なようなものを教えてもらったのだが、どうやらここは現代でいうところの中国大陸、その西部のようだ。四川やら青海やらである。要するに激辛料理が主流ということだ。他のあらゆる文化が途絶えてしまおうと食文化だけは根強く残っているらしく、彩鈴に中華系の雰囲気はまったくないのに、食事だけ中華である。


 宙が立ち上がり、巴愛に向きなおった。「コホン」と空咳をして、やけに改まった顔である。巴愛もなんとなく緊張してしまう。


「……ええっと」


 宙はそう前置きし、こういった。


Shall() I() help(お う) you()?」

「おおっ」


 感激した巴愛が目を輝かせる。宙が手伝いを申し出たことが、ではなく、その見事な英語にだ。


Yes,please(お願い)!」


 通じたことにほっとしたらしい宙が肩を落とす。巴愛が笑って宙の肩を叩く。


「大丈夫だって、自信を持ちなよ。ちゃんと分かるから」

「そ、そうかな……有難う」

「ところで本当に手伝ってくれるの?」

「あ、うん勿論」


 今時、夕飯の支度を自分から手伝ってくれる高校生っている? と巴愛は見知らぬ誰かに心の中で問いかけてみる。いるだろうけれど、とにかく巴愛の同級生では思い当らない。しかも血縁ではないのである。いや、だからこその絆もあるだろうけれど、宙が人懐っこい性格であることは変わりない。


「私も手伝う」


 蛍も立ち上がった。彼女は料理が得意ではないどころか、てんで駄目だった。包丁すらまともに握れず、初日に見かねた奏多が彼女から包丁を取り上げていた。なので蛍が手伝うのは、主に器具の用意や配膳である。


 厨房に到着してすぐ、巴愛は蓄えられている野菜や肉類を確認する。さすがにこれらの材料は城の使用人たちが集めてくれた。調理器具もばっちり揃っているので、作ろうと思えば大抵のものは作れる。


「よし、今日はカレーにしよう!」

「おー!」


 宙が嬉しそうに頷いた。彼は「カレーは飲み物だろ?」の代表である。


 とはいえ、勿論この世界にカレーのルーやカレー粉なんて便利な代物は存在しない。この世界でのカレーはスパイスの調合からきちんと作る大掛かりな料理で、現代のようなキャンプの定番ではない。そのため日本の食卓のように頻繁に夕食がカレーということはまずないのだ。


 巴愛はタイムトリップする前、カフェでバイトをしていた。結構古くから続く趣ある喫茶店といった様相で、ランチメニューの本格カレーが名物だった。巴愛はそのカフェに長いこと務めていたので、一からカレーを作ることができる。スパイスなどもこちらに来てすぐ目星をつけてある。


 ところで、米が主食ではない玖暁では「カレーライス」ではない。パンにつけて食べる、いわゆる「ナン」である。なのでジャガイモや人参がごろごろ、といったカレーはいただけない。


「宙、玉葱みじん切りにして。あと、トマトと茄子。小さく切ってね。トマトは湯剥きするんだよ」

「ういっす。あ、蛍、そこのまな板取ってくれるか?」

「はい」


 その微笑ましい様子に、なんだか巴愛は小学生のころのキャンプ体験を思い出した。


 宙の手際は見事なものだ。いつも手伝ってくれるので信用している。兄の奏多がかなりの料理上手なので宙はそこまでではないと思い込んでいたのだが、これがまったくの偏見だった。料理が上手という以外は日常生活がだらしない奏多を毎朝起こしていたのは宙だそうで、朝食と夕食の支度もすべて宙。奏多の料理上手はただの趣味だったのだ。


 趣味だったら自分でやれよ、と思うのだが。朝は眠気に勝てないそうで、夜は宙より帰宅がずっと遅いのだそうだ。あれでも騎士団の幹部だからさ、末席だけど、とは宙の言である。


 宙が野菜を切っている間に、巴愛はカレー粉の調合を手際よく済ませた。本来は一週間くらい熟成させるものだが、思いつきで夕食をカレーと決めたのでそんな暇はない。玉葱をきざんで涙が出ると言うお決まりの展開になっている宙に苦笑しつつ、残っている茄子を手早く角切りにする。何せ約十人分だ。野菜の量も半端ではない。


 それだけの量を作れそうな大きな鍋を蛍に探しに行ってもらっている間、巴愛は隣でトマトの皮を剥いている宙に問いかけた。


「宙、蛍のこと好きなの?」

「ぶっ!?」


 急に後頭部をぶん殴られたかのように、宙がよろめいた。てっぺんから下まで綺麗に剥きかけていたトマトの薄い皮が、途中で無残にぷっつり切れる。


「なッ……な、な、なな……!?」

「分かりやす……」


 巴愛が苦笑する。


「おっ、俺は別にっ……そんなつもりじゃっ」

「どうしたの?」


 ひょっこりと蛍が厨房に顔を出す。途端に宙が飛び上がる。


「うわあっ!?」

「?」


 宙はトマトを抱えたまま床にしゃがみこむ。巴愛はそんな宙の様子をスルーして蛍に尋ねた。


「蛍、お鍋あった?」

「これじゃまだ小さい?」


 蛍が持ち上げた鍋を見て、巴愛が頷く。


「うん……ちょっと小さいかも」

「じゃ、もう少し探してみる」


 蛍がそう言って踵を返す。それを見てから、床にしゃがんでいる宙の腕を掴んで立たせる。


「ほら、いつまでしゃがんでるの」

「と、巴愛さんがあんなこと聞くから! ていうか、根拠なに!?」

「根拠って……見てれば分かるって言うか」


 そう、見ていれば分かる。青嵐の研究施設で出会ったばかりのころから、宙は蛍のことを気にしていた。天狼砦を攻略する際について行くと宙が言ったときは、「ああ心配なんだなあ」と巴愛は思ったものだ。


 とどめは、英語を習いたいと言い出したことだ。


 宙は努力家だ。一度極めると決めたものは、必ず極めようとする。が、一切興味が湧かないことには絶対努力しない。宙はそう言う人間だ。だから、宙がどれだけ英語の習得に真面目なのかが分かる。


 それだけ蛍と意思疎通をしたいということか。


 顔を真っ赤にした宙は、トマトの皮むきを再開しながらぽつっと尋ねた。


「……みゃ、脈なしだと……思う?」

「そんなことないよ」


 巴愛がそう言うと、宙は今度こそ赤面して沈黙した。


「と、ところでさ、巴愛さんって考古学者か何かなのか?」

「え? 違うけど」

「そうなの? 蛍の言葉のこととかすごく詳しいから、そうなんじゃないかって話してたんだけど」


 そういえば、このことは誰にも話していなかった。瑛士が黎にだけは説明したようだが、他の者は一切聞いてこなかったから、巴愛も忘れていたのだ。みな、人の過去など関係ない――ということだろうか。


「あ、言いにくいことだったら……ごめん」


 宙がさっと謝ったので、巴愛は慌てて首を振った。


「謝らないで、別に言いにくいことじゃないから。……なんて説明すればいいんだろうと思って」


 皮を剥いたトマトを、宙は慣れた手つきで切り分けていく。


「宙、タイムトリップって信じる?」

「タイム、トリップ? 時間旅行?」


 英語習いたての宙が見事に直訳する。


「未来から過去へ、逆に過去から未来へ移動しちゃうこと」

「できたらすごいな」

「うん。……つまりそういうこと!」

「え!? なにがそういうこと?」


 宙が混乱したように首を捻る。そこへ新たな鍋を持って蛍が戻ってきた。


「巴愛、これでいい?」

「ああ、有難う」

「次はどうしよう?」

「うーん……じゃあサラダ用のレタスでもちぎってもらおうかな」


 蛍が頷いて取り掛かる。宙が切り終えたトマトを巴愛に渡しながら、蛍に尋ねた。


「なあ蛍、蛍も知りたいよな? 巴愛さんがどこから来たのか」


 蛍が顔を上げ、巴愛を見やった。それから小さくうなずく。巴愛は鍋に油を引きながら「うーん」と唸る。


 ――真澄は、人に教える必要はないと言ったけれど。この子たちは信用しても大丈夫だろう。


「蛍、世界が滅んだのは西暦の六〇〇〇年代だって言ってたよね?」

「うん……」

「あたしはね、西暦一九九三年生まれだよ」

「え!?」


 蛍が目を見開く。巴愛は挽肉を鍋に入れて炒めながら答える。


「それから四〇〇〇年で世界が滅び、再生して、いまは再生暦五〇〇〇年なんだよね。あたしは本来なら、九〇〇〇年近く前に死んでいるはずの人間だよ」

「どうして、そんなことに?」

「それが分からないの。普通に歩いていたはずなのに、気付いたら戦場に倒れていて、真澄さまに助けられた」


 本当は普通に歩いていなかったが、とは言わない。


「だから、タイプトリップ。時間移動しちゃったってこと。だからあたし、みんなからすればすんごいお婆ちゃんなんだよね」

「そっか、だから……」


 宙が呟く。巴愛が西暦を知っていておかしくない、なんせその時代の人なのだから。それに馬の乗り方や神核の扱い方を知らず、ずっと昴流に教えてもらっていたことも納得する。その時代に乗馬という習慣はなく、神核も存在しなかった。


「じゃあ、言葉は?」


 蛍が問いかけた。


「あれは英語。世界の共通語みたいなものだよ。英語を知っていれば、大抵の外国人と話せるんだ。あたしが暮らしてた頃、学生は絶対に英語を習わなきゃいけなかったんだよ。まあ、あたしは成績低かったから大したこと喋れないけど」

「世界の滅びの前……」

「ピンとこない?」

「うん……」

「そうだよね。あたしも……自分が生きてた頃の世界が滅んでいるなんて、信じられないもの」


 その言葉で蛍が顔を上げた。蛍たちにとってみれば、世界の滅びは周知の事実だ。だが巴愛にとっては生活した時代で、滅びの兆候なんて皆無だったのだ。地球温暖化がどうの、オゾン層破壊がどうの、問題はたくさんあったがそれらすべて遠い未来の話だと思っていた。


 神核の力で世界の滅びを回避したのなら、オゾン層の代わりを神核が果たしているということだろうか?


「どんな世界?」


 宙が尋ねる。


「物がいっぱいで、人もたくさんいて……今よりずっと機械技術が発展してて。戦争がない国だった」

「帰れるの?」

「無理だって。少なくとも、今はまだ」

「じゃあ……帰れるようになったら、帰るのか?」

「帰ってほしいの?」

「ち、違う! 帰ってほしくないから……聞いてる」


 こんな真面目な話をしながらも、せっせと夕食作りが進んでいることにみな感心する。


「巴愛さんにとっては、巴愛さんが暮らした時代が一番なはずだろ。この世界はこんなにも戦争ばっかりで、不便だろうから。けど……俺勝手だけどさ、お別れしたくないんだ」

「宙……」


 巴愛は苦笑した。それからそっと宙に耳打ちする。


「……それじゃ、あたしに告白しているようにしか聞こえないけど?」

「!? いやっ、だからそうじゃなくてっ……兄皇さま! 兄皇さまが悲しむ! 勿論、俺たちも悲しい! なあ、蛍!?」


 急に話を振られた蛍は、動揺せずに頷く。巴愛は微笑み、きっぱりと断言した。


「帰らないよ」

「……ほ、ほんとか?」

「うん。帰りたくない」


 現代では孤独だった。家族がいなくて、頼るべき親戚もいなくて。この世界に来て、たくさんの家族を見つけた。もう今更、失いたくない。


 何より、もう一度孤独になったら、きっと巴愛は耐えられない。


「良かった……」


 宙が安堵したように呟く。


 こんなにも、自分がいなくなって悲しんでくれる人がいる。


「有難うね」


 巴愛はぽつりと呟き、それから暗い話はこれで終わりとばかりに声を明るくした。


「ほら、ふたりとも手が止まってる! 宙、なんか適当におかず作って!」

「ええっ、適当にって」


 また厨房に和やかな雰囲気が戻ってきた。

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