15 騎士の誇り
こんなにも仲間たちが分断されたのは初めてのことだった。
黎らが大山脈で事故のあった現場へ向かってから、一日が経とうとしている。真澄は目覚めず、王都依織の賓客室の一室で眠ったまま。巴愛はずっとその傍に付き従い、瑛士もひとり悶々としている。昴流は、こういってはなんだが暇を持て余しているところだ。
おかげで、狼雅の話し相手にされている。国王がこうも簡単に出歩いているのも不思議だが、その暇つぶしの相手が他国のただの一騎士であるというのはどうなのだろう。さすがに真澄はそこまでではなかった。
「うちの諜報員は、あの状態になって二日しかもたなかった。今日で真澄は五日目。本当にたいしたもんだな、あいつの生命力は」
「……やっぱり、その人の意志の強さとかは関係あるんでしょうか」
「そりゃそうだろう。例えば呪いに絶望して生きる希望を見失っていたら、その分早く呪いは進行する。あとは……薬なんかじゃ症状は抑えられねえだろうが、それでも何かの足しにはなるんじゃないか」
昴流が頷くと、狼雅は腕を組んで昴流を見やった。
「ところでお前、御堂と共に前騎士団長の教え子だったんだってな?」
「え? あ、はい」
「神谷桃偉は弟子を取らんことで有名だったが、その神谷が選んだのなら御堂とお前は見込みがあったということなんだろうな。実際、お前らの実力は抜きんでている」
「い、いえ……桃偉さんが御堂団長と僕を指名したわけではありません。僕はあくまでも『家族』として桃偉さんに拾われました。御堂団長は、弟子にしてほしいと桃偉さんに必死で頼み込んできたんです。それで折れた桃偉さんが、どうせだったら僕も、と」
「御堂の図々しさはその頃からか」
容赦ない狼雅の言葉に昴流は苦笑する。確かにあのときはすごかったなあ、と思い出す。「剣を教えてください」と毎日頼み込んでくる少年瑛士を、桃偉は「駄目駄目」と言って木刀で追っ払っていた。追っ払うと言ってもぼこぼこにするわけでなく、軽く肩や腹を打ち据えるだけである。それでもめげなかった瑛士の熱意に、桃偉は根負けしたのだ。――昴流と咲良の口添えが効いた、という部分もあっただろう。あれだけ必死な瑛士を物も言わずに追い返すのは、子供ながらに理不尽だと思ったのだ。
が、それまで桃偉の家族として咲良とともに世話になっていた昴流まで剣を習うことになるとは思わなかった。昴流はもっぱら家の掃除やら料理やらを任されていて、やっていることは桃偉と出会う前の侍従としての生活と変わらなかった。要するに気分の問題であるが、まさか「おい、これ持ってみろ」と木刀を渡されてからとんとん拍子で騎士になってしまうとは、昴流自身が予想していなかった。
「お前らは神谷から、剣をなんと説かれたんだ?」
「……『剣は殺すものだ。斬るべき人間がいなければ剣は剣としてなりたたない。ただしそれで守れる命がある。お前たちはそれを信じて戦え。そして自分が奪った命のために生き延びろ』と」
「立派な言葉だ」
狼雅は素直な称賛を口にした。瑛士は守るために殺すという、一見矛盾した信念を行動で示している。御堂隊の特攻姿勢にはそういう訳があった。その中にあって昴流は巴愛の護衛に選ばれた。守るために戦うのが護衛だ。昴流は師の言葉の通り、守れる命を守ろうと必死になっている。
「御堂が煮え切っていないな」
「は?」
またしても唐突に話題が代わる。
「もやもやしたまま、あの男らしくない。お前、ちょっと喝を入れてきたらどうだ」
「と言われましても」
「まあ頑張れ」
狼雅は勝手に話題を振り、勝手に話題を終わらせて立ち去った。頭を掻いた昴流は、喝を入れられるかどうか疑問ながら瑛士を探すことにした。
瑛士は真澄にあてがわれた部屋の外の廊下にたたずんで、窓の外を睨み付けていた。昴流が歩み寄ると、瑛士が振り返る。
「昴流か。どこに行っていたんだ?」
「国王陛下の話し相手にされていました」
「はは、そいつはお疲れさん」
瑛士が笑ったが、その顔は明らかに疲れている。昴流はそのまま黙って瑛士の隣に立つ。瑛士も同じように黙っていたが、ややあって口を開いた。
「黎たちは……間に合うかな」
「信じるしかないと思います。これ以上のストレスをかけると、兄皇陛下の症状の進行に影響が出てしまうだろうとおっしゃっていましたから」
「……だな」
瑛士が頷く。それから深く息をついた。
「真澄さまは助かる、死なない……俺はそう信じなきゃいけないのにな。違うことを……考えてしまうんだ」
「違うこと?」
「巴愛が言うんだよ。ずっと苦しそうにして、うなされているってな。俺はそんな真澄さまが見ていられなくて……楽にして差し上げたいと思ってしまう」
楽にする。真澄を苦痛から解放する――それは真澄を「殺す」という意味だ。
昴流はもちろん、瑛士がそのことで悩んでいるのを察していた。真澄に生きてほしいと願うのは簡単だ。だがそれはこちらの身勝手な願いであり、これ以上の苦痛が続くならいっそ死なせてほしいと思う者もいる。真澄もそれは覚悟していたように思える。
その思いは昴流も理解できる。だが、そんなのは瑛士らしくない。馬鹿正直にひとつのことを目指し、諦めない――それが瑛士だ。
「兄皇陛下が楽になっても、御堂団長は永遠に楽にならない。兄皇陛下は団長にそんな業を背負わせるのを良しとしないはずです。おっしゃっていたんでしょう?『自分が死んだら玖暁を頼む』と」
昴流の言葉に瑛士は思い出す。「玖暁を頼む」、そして「知尋を信じてやってくれ」。
真澄は予想していたのだろうか。知尋とああいう形で戦うことになってしまうことを。
信じる。それは御堂瑛士が持つ最大の武器。
『信じるだけじゃだめだぞ。ちゃんと努力して行動しないとな。ま、瑛士は考えるより先に行動するタイプだから、心配はないか』
かつて師がそう言った。
『我が玖暁皇国は騎士の国。戦わずして負けを認めることは、我らの矜持が許さぬ』
かつて真澄がそう言った。
『生きることを、諦めない』
真澄の言葉を思い出した瑛士は、顔を上げた。
「……よし!」
瑛士が気合いの声で己を奮い立たせた。昴流についてこいと告げ、瑛士は真澄の部屋に入った。真澄のベッドの傍に立っていた巴愛が、あっと声を上げて駆け寄ってくる。
「今呼びに行こうと思っていたんです!」
「どうした?」
「真澄さまが目を覚ましたんですよ」
興奮した様子の巴愛に、瑛士はにっと笑った。
「そりゃよかった。丁度いい」
瑛士はそのまま真澄のベッドの横に立つ。薄く目を開けた真澄はぼんやりと天井を見つめたままで、瑛士の姿が映っていない。
「真澄さま」
呼びかけると、真澄の瞳の中にやっと瑛士が映る。昴流と巴愛もその傍に歩み寄った。
「真澄さま。貴方は玖暁の皇だ。戦いを他人に任せて安全な場所にいるのは耐えられない。……そうですね?」
「瑛士さん……!」
ただの誘導尋問である。巴愛が瑛士に呼び掛けたが、昴流が黙って巴愛を抑えた。
瑛士の言葉に真澄は目を閉じた。それは頷きだ。
「行きましょう。たとえこれが貴方の生の終わりであっても……どうせ死ぬなら、こんな異国ではなく玖暁の大地で死んでください」
瑛士にしては、なんてきつい言葉だろう。だがそれは玖暁の誇りからくる言葉だ。誇りなんて命を懸けるほどのものじゃない。確かにそうだろうと瑛士も真澄も思っている。それでも彼らにとって誇りは守るべきものだ。玖暁に生まれ、玖暁を守る騎士であることに、みな誇りを持っている。真澄もそれを大切にしていた。
真澄が少し笑みを浮かべた。
「……任、せる」
「はい、任されました」
瑛士が言葉とは裏腹な明るさで頷き、昴流を振り返る。
「昴流、巴愛、出かける支度だ。俺は国王陛下に伝えてくる」
瑛士がそう言って部屋を駆け出していく。巴愛が戸惑ったように昴流に言う。
「出かけるって、これ以上真澄さまは……!」
「諦めたくないんですよ、御堂団長は。このままここで兄皇陛下の死を待つのが、耐えられないんです。そう思っての決断です。……巴愛さん。分かってあげてください」
巴愛は俯いた。真澄の症状は、必死で介護をしたって治りはしない。だったら悔いなく生きたい。――そういう意味であると、巴愛も理解していた。
「……巴愛。行かせてくれ」
真澄がか細い声で告げた。
「私の……我が儘だ」
その笑みを見て、巴愛も決心した。
★☆
狼雅は瑛士の顔を見ただけで、「行くのか?」と問いかけてきた。素直に頷くと、にっと笑って彼は言った。
「それでこそ玖暁騎士だな」
「はあ、そうですか?」
「ああ。案内人がいるだろう、こっちで用意する。城門で待ってな」
瑛士は一礼し、真澄らの部屋へ戻った。
そのまま王城の城門に向かうと、馬が四頭で引く大きな馬車が止まっていた。その傍には見たことのある青年騎士がいた。
「あっ、御堂騎士団長!」
「おお、なんか懐かしい顔だな」
それは以前、栖漸砦へ向かう際に護衛を務めてくれた五人の彩鈴騎士のうちのひとりだった。瑛士が稽古をつける際、昴流と戦わせたあの新人である。
「時宮騎士団長らが向かわれた地点への案内を務めさせていただきます。どうぞ、皆さま馬車に」
瑛士が背負っている真澄とともに馬車に乗る。中は広々としていて、真澄のために分厚い毛布も敷き詰められていた。真澄をそこに横たえ、瑛士と昴流、巴愛が足を延ばして座れるだけの余裕があった。狼雅はこういう部分で本当に太っ腹である。
またお世話になります、と昴流が頭を下げて馬車の中に入る。巴愛もそのあとに続いたが、入れ替わりで瑛士が外に出た。馬車の扉を閉め、御者席に座って手綱を取った騎士の隣に座る。
「隣、乗らせてもらっていいか」
「え、あ、はい、構いませんが、よろしいのですか?」
「馬車で揺られるのは好きじゃなくてな」
そう言って瑛士は騎士の隣に座ったが、騎士はかちこちに緊張で固まっている。この年頃の新人によく見られることである。
馬車が動き出す。瑛士は騎士の緊張もお構いなしに話しかけた。
「お前、名前は?」
「はっ……ええと、田柄和希と申します」
「年齢は?」
「二十歳です」
おお、二十歳か……と瑛士はその初々しさが羨ましくなる。といっても瑛士もまだ二八なのだが、もうすぐ三十路の自分からすれば二十歳は遠い昔である。
「悪かったな。玖暁の俺たちのためにわざわざ出てもらって」
「いえ! またお会いすることができると分かって、自分から志願致しましたので」
「なんだ、そんなに会いたかったのか?」
からかうように瑛士は言って笑う。が、赤面して俯き沈黙した若い騎士を見て、「おいおい」と呆れた。まるで瑛士を大人気アイドルであるかのように思っているらしい。
「あの……ひとつ、お聞きしたかったことがあるのです。だから」
「なんだ?」
「突然で申し訳ないのですが……騎士とは……誇りある仕事ですか?」
その思いつめた顔に、瑛士も田柄を見やる。
「確かに突然だな。どうしてそんなことを聞く?」
「うちの家は、代々諜報員として活躍してきた家系なのです。父も祖父も青嵐へ諜報で赴き、生きて帰ってきました。僕も同じように諜報員として情報部に入れられそうになりましたが、僕はそれに反して騎士になりました。それからは勘当状態です。諜報員と言う誇りある仕事ではなく、なぜ騎士という粗野の集まりに足を踏み入れた、玖暁でもいいから諜報に行って国の役に立て、と」
どうやら諜報員の中では、青嵐に行くことが一番の名誉らしい。玖暁はそりゃあ安全であろう。真澄も知尋もなんだかんだで寛容なのである。
「諜報員であることの名誉が僕にはどうしても分からないんです。でも、それだったら騎士の誇りとはなんだろう。僕は……ただ諜報員になりたくなかったから、対である騎士団に入団したにすぎなかったんです」
「そうだなあ……」
この手の質問は一番瑛士が苦手とするところである。しかし思い悩む後輩に言葉を贈るのは先輩の務めであるし、厳密には後輩ではないが、何か答えてやらねばならないと自分に課す。
「俺も諜報員であることの名誉は分からん。が、強いてあげるなら……これからの時代、情報は何より貴重なものになるだろう。それらをいち早く入手することで、その国は一気に有利になる。まあ、そういうことに携われるのが誇りかもしれんな」
「でも、卑怯じゃないですか?」
「卑怯だ。俺は大嫌いだ」
瑛士はきっぱりと断言する。
「お前はさっき、騎士は誇りある仕事かって聞いたな。くさいこと言うが、俺は仕事だから騎士をやってるんじゃないぞ。騎士って言う仕事じゃなくたって誇りは持てる。誇りを持って騎士道を歩めば、そいつはもう騎士だ」
「御堂騎士団長の誇りは?」
「守るべき人の傍に仕えられることだな。別に騎士団長であることには誇りも名誉も感じない。ただ、真澄さまと知尋さまの傍であの方たちを守れるのが、俺の一番の誇りだ」
「守る……こと」
田柄が呟く。瑛士は頷いた。
「『刀は殺人の道具。だが戦うために戦うな。守るために戦い、そして斬れ。その罪はいずれ清算される。それを甘んじて受け入れろ』。これが俺の師の言葉だ。諜報員は目に見えない『情報』なんて代物を扱っている、それはすごいことだ。だが情報で自分を守れるか? 他人を守れるか? 守りたい人を守れるか? 騎士は守れる。殺人という業と引き換えにな」
瑛士の言葉に、田柄は沈黙して聞き入っている。
「俺も何人を殺したか分からん。戦争だ、仕方なかったというつもりはない。ただ守りたいものがあった。そのために俺は、人を殺す罪を背負うことを決めた。悩みはしない。逃げもしない。これが俺の覚悟で、生き方だ。他人から見れば、これが誇りなのかもしれん。……まあ要するに、だ」
瑛士は表情を和らげ、田柄の肩を叩いた。
「お前が胸張って騎士だと名乗れるなら、それが誇りだ。何を守るのかは、お前が決めろ。家族でも、友達でも、恋人でも。守りたい人を守るために戦うなら、お前は立派な騎士だ。付け加えると、彩鈴の国王は諜報制度を嫌っている。そのうち規模縮小が決定するそうだ。情報部を選ばなかったお前は正しい」
「……有難う御座います。努力します」
田柄が微笑んで頷いた。瑛士が肩をすくめる。
「こういうことは直属の上官に聞くもんじゃないのか」
「いえ、やはり騎士といえば玖暁の方と思っています。彩鈴での騎士は、『仕事』ですから。僕も……仕事ではない騎士を目指します。御堂団長や、時宮団長のように」
「黎を目指すのはいいが、俺のことは見習わないほうがいいぞ。名ばかりの騎士団長だからな」
「滅相もない!」
憧れる者と憧れられる者。異国の騎士同士だが、持ち前の「年下に懐かれる特性」を如何なく発揮した瑛士は田柄和希という彩鈴騎士と仲良くなったのである。




