13 最後の神核と不吉な予感
昇降機は広く、十人以上が乗ってもまだ余裕があった。大勢引き連れていた彩鈴騎士たちは地上の警備に残されたので、深那瀬に降りることになったのは真澄たちだけだ。
「下に着くまで十分近くかかる。まあ、座っていてもいいんじゃないか? お前ら全員、疲労困憊って感じだぞ」
狼雅は真澄を壁際におろして昇降機を操作した。がたんと大きく揺れてゆっくり下に下がっていく。即席で設置したといっていただけあって、乗り心地は最悪である。だが文句は言えない。揺れから身を守るためにも、結局皆はそれぞれ壁に背を当てるようにして座り込んだ。狼雅に言われた通りみな連日の強行軍で疲れ果てていたのだが、そのなかで奈織だけは目をきらきらと輝かせている。奏多が微笑んだ。
「楽しそうだね、奈織」
「だって、実在するかも怪しかった幻の古代都市だよ!? 歴史専門じゃないけど、心は弾むって!」
「真澄さまも多分、大喜びしただろうなあ……」
瑛士が呟く。狼雅は隣に座らせた真澄をちらりと見やり、腕を組んだ。
「いまの真澄の様子は、実験台にされたうちの諜報員と症状が似ている。高熱が続き、殆ど意識を失ったまま、数日後に死んだ」
「兄皇陛下も、限界が近い……」
黎の言葉に、沈黙が舞い降りた。狼雅は溜息をつき、向かい側に座る奏多や宙、蛍を見やった。
「にしても、だいぶ人数が増えたな」
奏多がにっこりと微笑む。彩鈴の国王相手でも物怖じしないのは度胸ではなく、鈍いだけである。
「玖暁騎士の天崎李生の友人ですよ」
「ほう、友に頼まれて助力したのか? つまりそれだけの実力があるということだ。名は?」
「青嵐神聖国騎士団、第十三連隊小隊長、桐生奏多と申します」
奏多の正式な身分を聞いたのはこれが初めての気がした。すると狼雅がにやりと笑う。
「桐生といえば、前の青嵐騎士団団長も桐生姓だったな。その息子か」
「良くご存じで」
「この程度はな。で、そっちは弟か」
「ええ、弟の宙です」
宙は軽く狼雅に頭を下げた。基本的に礼儀正しく真面目な少年なので、国王に対する委縮はないにしろ、相応の挨拶はできる。次に視線を向けられた蛍は短く名乗った。
「蛍」
「そうかい」
狼雅は頷いただけで、それ以上何も聞かなかった。不思議そうな顔をしている蛍に、狼雅は笑って見せる。
「真澄や黎が信じた相手だ、俺にはそれで十分さ。まあ全部終わったら、色々聞かせてもらうがな」
「……有難う」
「礼には及ばん。にしても、真澄って奴は本当に他国の人間すら惹きつける力があるんだな。まったくたいしたもんだ」
これは狼雅が前々から感じていたことだ。真澄は敵だった者とすら手を取り合うことができる寛容さがあり、幅広い層の人間を重要な役職に就かせている。だからこそ天崎李生は真澄に深い恩義を感じ、彩鈴の諜報員だった男は器量の大きさに心を打たれて真澄に忠誠を誓い、あれほど頑なだった黎とここまで打ち解けた。狼雅が特に驚いたのは、黎が宙や蛍と話していたことだ。あの年頃の少年少女が黎は一番苦手なのだが、驚くべき進歩だった。それもやはり、仲間として打ち解けることができた証なのだろう。
巴愛は失礼にならないよう注意しながら、狼雅を見やった。諜報国の国王というからどんな人かと思えば、真澄以上に国主らしくない人だ。真澄と知尋が手をこまねいていた理由が分かる。まあ多分、良い人なんだろうけど。
昇降機が止まった。湖底に着いたのだ。扉に最も近かった瑛士が昇降機を開け、外に出た。その脇をするりと奈織が駆け抜けていく。
「うっわあっ! すごい、すごい!」
奈織は状況も忘れてはしゃいでいる。気持ちはわかるがなあ、と瑛士が思った瞬間に、黎が「落ち着け」と鉄拳を下す。
「これが……本当に三〇〇〇年も前の都市なんでしょうか」
昴流が大きな建物を見上げている。狼雅の言った通り、所々崩れてはいるが殆ど劣化しておらず、ひょっとするとまだ人が住めるのではないかと思うほど、都市の形は立派なものだった。だがどことなく寂しい。絵の具一色で塗りたくってしまったかのように、どの建物も灰色に染まっていたからだ。灰色の石造りの建造物というわけではない。本当に、この都市のすべてが色を失ったようだ。
「伝承によると深那瀬の中央に大きな大聖堂があって、そこに大神核を納めていたって聞いた」
蛍の言葉に、宙が顔を上げる。
「じゃあ、あれを目指すんだな」
視線の先に巨大な塔が見えた。やはり灰色だ。
その大聖堂を目指し、通れる道を探しながら一行は進んだ。宙は物珍しげにあちこち見ており、大聖堂の奥に見える立派な建物を見て蛍に尋ねた。
「なあ、あれ城か?」
「うん。彩鈴帝国の皇帝が住んでいたお城」
「へえ……」
年少組の会話を聞いていた狼雅はその後ろを歩きながら、ぽつりと呟く。
「三〇〇〇年ぶりの帰郷、か。そんなことより起きろよ、真澄。お前、いま目を開けなかったらあとで死ぬほど後悔するぞ」
支えている真澄にそう呼びかける。と、その願いが通じたのか真澄がゆっくり目を開けた。
「ん……」
「おお、ほんとに起きたのか。言ってみるもんだな」
「誰――え、あ、狼雅殿……!?」
真澄がぎょっとしたように声を上げる。と、真澄はバランスを崩して地面に膝をつき、ひきずられて狼雅もその傍にしゃがむ。仲間たちが足を止めて振り返り、慌てて駆け寄ってくる。
「おいおい、大丈夫か」
「す、すみません……けれど、どうして貴方が……?」
「別にいいだろ、俺がここにいたって」
まったくそのとおりである。
「……ふむ、もう歩くのは無理そうだな。どれ、掴まれ真澄」
狼雅はいとも簡単に真澄を背負ってしまった。意識朦朧なんて吹っ飛んでしまい、真澄は酷く動揺した。
「ちょっ……!?」
「暴れるなこら」
「こ、こんなお見苦しい姿で……狼雅殿の手を煩わせるわけには」
狼雅はにっと笑い、肩越しに真澄を振り返った。
「ここまで俺がお前にしてやれたのは、彩鈴国王って言う権力を使ってやることだけだ。だがな、『俺自身』もお前の助けになりたいんだよ。これくらい、させてくれ。それに理解しとけ、お前はもう遠慮とか抵抗とかできないくらい弱ってるんだ。黙って負ぶわれてたほうが互いのためだぞ」
そこまで言われてしまうと真澄も反論できなくなる。
「昔はよくこうやって遊んだじゃねえか。お前も知尋も俺の背中を気に入ってふたりして昼寝したろ。俺はよーく覚えてるぞ」
「ろ、狼雅殿……」
真澄が真っ赤になり、聞こえてしまった知尋が咳払いをする。狼雅は真澄らより十歳以上年上で、互いの国を訪問した際は狼雅が双子の面倒を見てくれたのだ。
「それよりちゃんと起きとけよ、真澄。お前が恋焦がれていた深那瀬の街並みだ。目に焼き付けておけ」
狼雅の言葉に、真澄は改めて周囲の景色に目を向けた。そのまま沈黙し、感慨にふける。だが狼雅はそれだけにとどまらなかった。
「しかし重くなったなあ、真澄。背は俺のほうがまだ高いようだが」
「あ……当たり前でしょう。あれから、何年経ったと思ってるんです……?」
声を出すのさえ苦しい真澄に、容赦なく狼雅は話しかける。通常の病人ならば「寝かせてやれ」とでもいうところだが、真澄が意識を失ったら次目を覚ますのはいつになるか分からない。できるだけ話しかけて、意識を保ったままにしておきたいのだ。
「そりゃそうだな。俺もただのおっさんになってきた。お前はまだ誕生日を迎えるのが嬉しい質か?」
「私だって、もう二十三です……」
「二十三で即位十年目なんてそうそういないぞ。どこの国の王子も、二十歳過ぎてからやっと即位が始まるんだからな」
「十年目といっても、大層なものじゃありませんよ……今だって私は、悩んで、間違えて、そんなことばかりだ……」
自分が玖暁を変えると意気込む気持ちは確かに強かったが、逆に自分のような子供が国を預かっていいのかと悩むことも多かった。それを知っている狼雅は、束の間黙る。当時は十三歳の少年ふたりに重荷を背負わせるな、と本気で玖暁に対して憤りを感じたことがあった。真澄と知尋のしっかりとした為政を見てその気持ちも和らいだが、彼らはたった一度しかない少年時代を、政治だけのために費やしたのだ。もっとたくさん遊んだり騒いだりしたかっただろうに、彼らは「我慢」することに慣れてしまった。
「……なあ真澄。いいこと教えてやろう」
「……なんですか?」
「青嵐の非人道的な兵器開発、それを使用した侵略戦争に、うちの堅物どもがようやっと重い腰を上げた。青嵐への情報提供は取りやめになり、玖暁へ兵を出すことで合意した」
真澄が僅かに目を見張る。
「が、俺はこれだけで終わらせん。玖暁へ送り込んでいる諜報員をすべて引き上げさせる。そのうえで彩鈴は玖暁復興の援助をする」
「……有難いですが、そんな余裕があるのですか」
「言ってくれるねえ。間違ってないけどな。確かに彩鈴の財政は厳しい。復興援助といってもたいしたことはできんかもしれん……それでもこれは、俺の誠意の表れだ。玖暁が復興したあとは……玖暁と、友好協定を結びたいと思っている」
狼雅の言葉に、真澄はくすりと笑った。
「協定を結んで、玖暁から何を持っていくつもりです?」
「分かってらっしゃる。が、大それたことを頼むわけじゃないさ。貿易の手伝いをしてほしいだけだ」
彩鈴が他国とやりとりしているのは「情報」だけで、他に貿易などで接点を持つ国は玖暁か青嵐しかなかった。玖暁からは食料や神核を輸入し、青嵐へは機械製品を輸出していた。
「黎に渡した、小型通信機があったろう。もう少しであれをもっと改良して、だが民衆でももてるくらい安く作ることができそうなんだ」
「……それを玖暁の取引相手に、玖暁の推薦とともに売りつけたい?」
「ご明察。なんなら一〇〇〇台くらい玖暁にお試しでくれてやる」
「そういうことなら、喜んで……」
真澄が疲れたように目を閉じる。
「何にしても……まずは、青嵐を退けなければ、なりませんね……」
「ああ。……安心しろ、真澄。たとえお前の命が尽きても、玖暁は必ず取り戻してやる」
真澄は小さくうなずいた。
色々な道を行ったり来たりして、ようやく大聖堂の前までたどり着いた。そこで宙が根本的な質問をする。
「大聖堂って、何を祀ってたんだろうな?」
「昔は神様でもいたんじゃないか?」
適当に瑛士があしらう。と、真澄が苦笑交じりに訂正する。
「神ではなく、聖堂に祀るのは偉大な為政者や聖人君子だ……かつての彩鈴帝国は国教を定めていなかったというから、まあ皇帝の廟と考えるのが妥当かな……」
こんな時でも、好きなことの話をされると真澄も反応してしまうのである。どうやらキリスト教なんてものはなくなってしまったようだな、と巴愛は認識する。キリスト教においての聖堂は、ミサや礼拝を行う施設のことだ。聖人君子の廟であるという考え方は、東アジア文化圏でのことである。
「知ってますか、瑛士さん。聖堂って別名『御御堂』って言うんですよ。瑛士さんの御堂です」
「へえ、そうなのか。というか巴愛、それを俺が知らないと確信して質問したんだったら意地が悪いぞ」
「あはは、すみません」
御堂という自分の姓のルーツを知った瑛士は「墓の名前か……」と微妙な顔である。御堂とは仏教における寺の別名であり、カトリック教における聖堂のことでもある。瑛士さんの祖先は寺の住職だったりして、なんてありえないことを巴愛は少し考える。まだ日本人に姓がなかったころ、「田んぼの中に住んでいるから田中」とか「川の上流に住んでいるから川上」とか、結構適当に名字を自分で決めていたという嘘か本当か分からない話を、いつか聞いた気がする。
黎が巨大な扉を押した。三〇〇〇年間閉じていた建物だというのに、扉はすんなり開いた。中の空気はひんやりしており、見た目通り天井が異常に高い。奥には僅かに残ったステンドグラスの鮮やかな欠片が飛び散り、その下に礼拝台のようなもの、そこに至るまでの道には壊れかけた長椅子が並んでいる。廟とはいったものの、これではまるきり教会である。
「あの台座の傍に……大神核の力を感じます」
知尋の言葉で蛍が頷く。その台座に向かって歩きだし、黎がさりげなさを装って知尋の傍についた。真澄は狼雅の背から降ろしてもらい、彼に支えてもらいつつも自分の足で歩く。
台座の上に大神核らしきものはない。さてどこだと瑛士が腕を組むと、傍にしゃがんでいた蛍が立ち上がる。その手には、青い神核が握られていた。ステンドグラスの破片のなかに混ざっていたようだ。なんとも乱雑であるが、長いこと水の中にあったのだから仕方がないことである。
「これで全部そろったんだな……で、蛍? こいつどうやって消すんだ」
神核は元々かなりの硬度を誇る鉱石である。瑛士が本気で斬れば刀でも割れるだろうが、床に落としたくらいでは絶対に砕けない。しかも蛍は「砕く」のではなく「消す」といった。跡形もなく消し去ることなど、瑛士にはそのやり方が思いつかない。
「消すための術があるの。とりあえず、後の二つもここに並べて」
蛍が言うと、知尋が持っていた大神核のふたつを取り出し、台座の上に置いた。青嵐の研究施設で手に入れた炎の大神核『神炎』、玖暁で李生から手渡された雷の大神核『神雷』、そしていま入手した水の大神核『神水』。この3つがやっと揃ったのだ。
緊張が高まる。黎は槍を握り直した。本当に、このまま何事もなく終わるのか? それならそれでいいが、用心するに越したことはない。
蛍が台座の前に進み出て息をつく。そして呪文のようなものを唱え始めた。初めて聞く言語にみな神妙な顔つきだ。巴愛だけはそれが英語であると気付いたが、それで理解できるかというと無理である。
――その蛍の声が耳に入ってきた途端、知尋が大きく目を見張った。記憶の片隅へ追いやられていた、何かとてつもなく悪い記憶がいま戻ってこようとしている。知尋は無意識に胸を押さえた。
「……弟皇陛下?」
黎が低い声で呼びかける。知尋は蒼白な顔で黎を振り返った。
「顔色が悪いですが……ご気分が悪いのですか?」
「わ……分からない……けど、何かすごく嫌な感じがする……」
鼓動の激しい音が、内側から聞こえてくる。同時に、鋭い頭痛が知尋を襲った。呻き声を上げて、知尋は床に膝をついた。
辺りの状況が分からなくなる。真っ黒な空間のなかで、何か声がする。聞いてはいけない、と思って耳を塞いでも、その声は徐々に大きくなって迫ってくる。
『ひとつ、やってもらいたいことがあるんですよ』
誰の声だ。聞き覚えがあるのに、思い出せない。しかもこれは、いつのことだ?
『いずれ貴方は兄皇陛下らとともに、深那瀬に足を踏み入れるでしょう。そこで三つの大神核が揃う。その時』
頭が痛い。気分が悪い。それ以上、何も聞きたくない。
『貴方は魔力の制御を失って暴走する』
★☆
「知尋さま! どうしたんです、しっかりしてください!」
瑛士の声が聞こえ、知尋ははっと我に返った。気付けばみなが知尋のまわりに集まっていた。蛍も術を中断している。
身体が熱い。痛い。苦しい。この辛さから逃れる方法を、自分は知っている。
膨大な魔力に身を任せ、
すべてを焼き尽くしてしまえばいい。
それが一番楽で、気持ちがいい。
戦場で強い術を使って敵を虐殺するのは、燻っている自分の強すぎる魔力を外に出すことができる唯一の行為だった。それによって意識を失うことなんて関係なく、ただその時の快楽を求めた。それが知尋の、好戦的な性格を形作るきっかけだった。まるでそれは麻薬のように知尋の身体を蝕み、彼は魔力の高ぶりと戦いを求めた。
けれど――いつだって理性が働いた。そんなことをしたらいらぬ殺生をすることになる。戦うのは楽しいけれど、人を殺すのは嫌だ――そんなことを考え、自制した。
今もそうだ。このままここで魔力を解放したら、みんな死んでしまう。それは駄目だ。抑えろ。
しかし、その自制はむなしく、破壊衝動が勝る。
だから残された最後の理性で、知尋は叫んだ。
「は……離れて! 今すぐ、私から離れて、逃げなさいッ!」
それが最後で、知尋の理性は吹き飛んだ。




