12 古の都市、現る
かなりお世話になっている水路を逆にたどって皇都の外に出たあたりで、巴愛が目を覚ました。我に返ると昴流に背負われていたので、かなり慌ててしまった。
「す、昴流!」
「あ、起きました?」
昴流が首を捻って巴愛を見上げる。瑛士たちも傍にいたが、真澄はまた気を失ってしまっているらしい。最近は起きている時間のほうが短いな、と寂しく思いつつも、急いで巴愛は昴流の背から降りた。
「ごめんね、重かったでしょ」
昴流と巴愛は身長差がそんなにない。一七〇センチ近い女を一七五あるかないかの昴流が背負うのは相当つらかったはずだ。だが昴流はにっこりと笑った。彼は女性に対して「重かった」などという無神経な男ではもちろんなかった。
「大丈夫ですよ。それより有難う御座いました、巴愛さん」
昴流がそう言うと、横を歩いていた黎も頷く。
「私も礼を言う。君のおかげで、私も小瀧も命を救われた」
正直言って、戦っていた時のことを巴愛は良く覚えていない。それくらい必死で、黎と昴流が危ないと感じると、すぐ彼らを守るように術が発動していた。佳寿が結界壁を破ったときは後頭部に一撃がつんと喰らったような衝撃が襲ってきて、そのまま倒れてしまったのである。
昴流も黎も、「あまり危険なことをするな」とは言わずに、巴愛の活躍に礼を言ってくれた。戦力として認めてくれたということだろうかと思い、少し嬉しくなる。
街に到着して預けていた馬と再会したところで、瑛士が巴愛と昴流を振り返って告げた。
「李生と会ったぞ」
「李生さん……!? 良かった、無事だったんですね!?」
巴愛が顔を綻ばせる。瑛士が頷く。
「恐ろしいくらいいつも通りだったよ」
「天崎部隊長らしいですね……」
昴流もほっとしたように微笑む。瑛士が奏多を見やった。
「奏多と宙にとっては、十五年ぶりの再会だったんだよな」
「はい。お互い一目でわかるくらい変わってませんでしたけどね」
奏多は瑛士の馬の鞍に真澄を乗せる手伝いをした。
「けど……少し羨ましいと思いました」
「李生のことがか?」
「はい」
「どのへんが羨ましいんだ? 牢屋に入っていることが?」
久しぶりに奏多の話の重要な部分が抜かされている。奏多は苦笑した。
「忠誠を誓える人がいることです。兄皇陛下と弟皇陛下に対する李生の忠誠は、微塵も揺らぐ気配がなかった。そんな風に思える相手がいることも、揺らがない忠誠心を持っていることも、全部羨ましい。俺は青嵐が嫌だと言うだけで、今ある青嵐から目を背けていただけみたいですね」
「……主君なんて、作ろうと思って作るものじゃないさ。忠誠心も、強制されて抱くものじゃない。奏多が守りたいと思った相手が現れて、その人に忠実であろうと思えれば、それでいいんだ。焦る必要はない」
奏多は静かに頷く。
街を出て大山脈へ向かう道すがら、手綱を操りながら片手で器用に狼雅に通信を入れ始めた黎を見て、ああそういえばと瑛士が昴流に言った。
「昴流、圭也にも会った」
「え!?」
昴流がぎょっとする。蛍が首をかしげる。
「瑛士に斬りかかったあの人のこと……?」
「ああ、あいつは小瀧圭也って言って、昴流の兄貴だ。上から二番目のな」
知尋がふっと笑みを浮かべる。
「物覚えが悪いのに、そういうところは覚えているんだね」
「生憎俺は、人の顔と名前はすぐ覚えられるんですよ」
瑛士がむっとして反論する。何万人といる侍従のなかに所属する、昴流の兄三人のうちの真ん中を覚えているのは、確かにすごいことだ。瑛士が特に覚えられないのは道である。
「斬りかかるふりをして、俺に矢吹の動向を教えてくれた。流石お前の兄貴だ、知恵が回るし行動が早い」
侍従である彼が自由に動けたのは、青嵐軍によって今も働かされているためだろう。広くて設備の多いあの皇城で生活するには、侍従である彼らの力が必要なはずだった。何より、敗戦国の人間を使役することに躊躇う者はいないだろう。
昴流は呆れたようにため息をついて頭を掻く。だがその表情はどこか嬉しそうだった。
「もう……っ。無茶ばっかりなんだから、うちの兄弟は……」
けれど、何もしなかった十年前のクーデターの時よりはずっといい。行動を起こしたのは昴流と姉の咲良のみで、他の兄弟は無頓着だった。今回行動したのがひとりの兄だけでも、以前よりずっと良かった。真澄と知尋に恩を感じている証拠だろう。
通信を終えた黎が瑛士に告げる。
「竜戯湖の水抜きは完了したそうだ。で、湖底に巨大な都市が沈んでいたらしい」
「それが深那瀬だな……」
感慨深げに瑛士が呟く。湖底に眠っていた巨大な古代都市がいったいどういうものか、瑛士には想像できない。
「湖底へ降りる足場も設置済みだ。どうする、大山脈を越えたらそのまま向かうか?」
瑛士は自分の背に身体を預けている真澄をちらりと見やる。身体は熱く、呼気も荒い。もう真澄は限界に近いのだろう。
「……そうしよう」
瑛士の言葉に、黎も無言でうなずいた。
★☆
真澄が意識を取り戻したのは、大山脈で最初の野営地でのことだった。黎が管理者と話をつけ、小さな小屋をひとつ貸し切った。ベッドに寝かせていた真澄が身体を起こしたことに気付いた一行は、食べかけだった夕食の皿を置いて駆け寄った。
真澄の身体が傾き、ベッドから落ちかける。知尋が兄の身体を支える。
「真澄!」
「……こ、こは」
「大山脈の途中ですよ。あと四日です、それで真澄の呪いは解ける……」
知尋はそう言い聞かせ、それから真澄の身体が異常に火照っていることに気付いた。真澄の瞳は焦点も虚ろで、ぼんやりとしている。
「酷い熱……真澄、寝てください。体力をこれ以上消耗しないように……」
「――眠ったら、二度と目が……覚めない気が、する」
「大丈夫、ちゃんと私が起こしてあげます。だから、ね……?」
知尋の声が震える。泣きそうな声だ。何でもかんでも面白がり、どこまで本気か分からない、そんなふうにいつでも余裕を失わない知尋が涙をこらえて真澄に語りかけている。それが真澄の容体の悪さを物語っていた。
真澄はふと笑みを浮かべた。ほんのわずかな微笑みだったが、長く旅をしてきた仲間たちにはすぐ分かる。
「なあ……知尋。ごめんな……」
「何がですか?」
「……なんでもだ。謝っておきたかった……けど、もう気持ちに整理はつけた。俺は、お前を信じる」
急にそんなことを告げた真澄に、知尋は瞬きをした。が、後ろにたたずんでいた黎が顔色を変える。真澄はゆっくり手を伸ばし、知尋の手を掴んだ。強く握ったつもりだが、いまの力では知尋には痛くもなんともない。
「何があっても……お前は、お前を見失うな。辛いときは、意地を張らず助けを求めろ。何者にも、縛られるな……」
黎が沈鬱な表情になる。『知尋が矢吹の手に落ちているかもしれない』という可能性から来る、真澄の願いだ。必ず、最後の神核を手にしたところで奴は干渉してくるだろう。それを少しでも阻止できれば。真澄の言葉で、知尋が解放されたら。真澄は信じると決めた。大山脈で知尋と再会したときに素直に喜べず、疑いの目で見ていたことを詫びて、そして信じると告げたのだ。
知尋が激しく首を振った。
「……それは、別れの言葉のつもりですか? 私は真澄のそんな言葉、聞きたくありません!」
「皇都で、お前は俺に別れを告げただろうが……これで、おあいこだ」
痛いところを突かれた知尋が黙る。真澄は自分の腕に視線を落とす。完全に赤く染まっている紋章を見て、ゆっくり目を閉じる。
「あと四日か……間に、合えば……」
真澄はそう呟き、意識を失った。無言でそれを確かめた知尋はそっと兄をベッドに寝かせ、巴愛を振り返った。
「……巴愛。真澄の傍にいてやってくれる?」
「え……」
「人は、愛する人が傍にいると、不思議と頑張れるものだからね」
知尋はそう微笑み、その場を離れてしまった。
なんとなく無言でみなはそれぞれの準備に取り掛かったが、槍を磨いている黎の傍に昴流が歩み寄った。黎が見上げると、昴流は黎の傍に膝をつく。そして酷く小さな声で、尋ねた。
「黎さん。弟皇陛下に何か秘密があるんですね?」
「! ……さすがにお前の目はごまかせないな」
「ええ、僕は宙より目が利きますよ」
悪戯っぽく笑った昴流に、黎も頷く。昴流も宙も人の顔色を読むのが得意だが、昴流のほうはそれが仕事だったのだ。僅かな違いもすぐに見抜かれてしまう。
「私にも、何が起こるのかの確証はない。けれど兄皇陛下と同じだ。信じる」
「……信じる、ですか」
「お前は信じられないか?」
問い返された昴流は毅然として言った。
「信じています。弟皇陛下のことも、弟皇陛下を信じるとおっしゃった兄皇陛下のことも」
「ああ、それでいい」
黎は目を閉じる。――真澄は黎に知尋のことを託した。何かあったら斬ると伝えてある。もしものときは、迷わずそうするつもりだ。そうなれば、ここにいる皆との関係は最悪なものになるだろう。
……それでも。瑛士や昴流に、忠誠を誓う自国の皇を斬らせるような真似は、させたくない。
真夜中。皆が寝静まった時間になっても、巴愛はずっと真澄の傍にいた。時折その熱い手を握って、頬に流れる汗をぬぐってやって。病気で寝ている人の傍にずっと座っているのは、祖母の看病で慣れている。それに、そんなに嫌なことでもなかった。
祖母を看取ったときも、こんな感じだったなと巴愛は思い出す。病院のベッドに寝かされた祖母は日に日にやせ細り、四〇度近い高熱が数日間続いた。だから巴愛も覚悟していた。覚悟をしていたなかで、祖母は逝ったのだ。巴愛の目の前で。
「……っ、う」
真澄が呻く。巴愛は少し感傷的になっていた。祖母の臨終と同じような光景が繰り返され、必死に泣くまいと思っていた巴愛の涙腺が緩んでくる。
急に真澄が咳き込んだ。巴愛が身を乗り出すと、真澄が薄目を開けた。
「真澄さま……!」
「……水……くれないか……?」
真澄の要求にすぐさま巴愛は応じた。あらかじめ用意しておいた桶から水を汲み、コップに入れたものを真澄に渡した。真澄はそれを受け取りかけたのだが、あまりに力が入っていない手に気付き、巴愛が真澄の手ごとコップを支え、水を飲む手伝いをした。これも祖母のときにやり慣れたことだ。
「落ち着きました?」
「……ん」
真澄はかすかに頷いた。ほっとしたのもつかの間で、真澄は身体の平衡を失って巴愛のほうへ倒れてきた。巴愛が慌てて抱き留める。
「真澄さま……」
巴愛が呟く。真澄の頬に、一粒の涙の滴が落ちた。それに気づいた真澄がゆっくり目を開ける。
「巴愛……泣いて……?」
「ごめん、なさいっ……」
巴愛は慌てて涙を拭った。だが、止めようと思えば思うほど涙があふれてくる。
「泣かないって、決めてたんです。家族が亡くなってあたしがうじうじ泣いてたら、いつも笑ってた家族に会わせる顔がないからっ……だから、祖母が死んだときで泣くのは最後にしてたんです。でも、真澄さまたちと出会って、あたし、泣いてばっかり……っ」
意識が朦朧としている真澄が、巴愛の言葉を理解できたかは分からない。理解できていなくてもいい、と思っていた。だが、真澄はぽつりと問いかけた。
「後悔……してる、か?」
「! いいえっ!」
「良かった……」
真澄はほっとしたように微笑む。
巴愛はようやく涙を拭い去った。そして、意識を失ってしまった真澄をベッドに寝かせ直す。
「……真澄さまは、傍にいるだけでいいって言ってくださいましたけど。やっぱり辛いです……傍にいるだけで、何もできないのは」
巴愛はそう呟き、眠っている真澄にそっと口づけた。命の灯が消えようとしている真澄に巴愛ができることは、何も思いつかなかった。
★☆
大山脈を越え、竜戯湖が見えてきた。と、湖の傍に大勢の人が立っているのが分かり、瑛士が眉をしかめる。
「おい黎、ありゃなんだ」
瑛士が問いかけると、黎が肩をすくめた。
「騎士団だ」
「そいつは見れば分かる」
奈織が「おや?」と首をかしげて身を乗り出した。そして兄を振り返りながら前方の騎士の集団を指差す。
「兄貴、あれ王さまじゃない?」
「なに!?」
さすがの黎もそれにはぎょっとした。確かに奈織が見たのは国王の狼雅で、のんびりと佇んでいたのだ。瑛士らがその傍に馬を止めて歩み寄ると、呑気にも手を振ってくる余裕だ。
「何をしているんです、こんなところで」
黎が問題児を叱るような口調で狼雅に問いかける。狼雅は腕を組んだ。
「出迎えさ。加えて竜戯湖の水を抜いて深那瀬をお目にかかれるんだ、そりゃ行くに決まってるだろ」
「貴方と言う人は……」
「それよりも、見てみろ。こいつが古代都市、深那瀬だ」
狼雅が顎でしゃくった先に、巨大な窪地がある。覗き込んでみて、皆言葉を失った。目測なのでよく分からないが、五〇〇メートルほど下に拡がる小さな都市。ミニチュアサイズにしか見えないが、良く見てみれば建物がずらりと並んだ灰色の都市群だ。
「水に浸かってたってのに、腐敗がほとんど進んでいないようだ。これも大神核のおかげなのかね。研究者たちに手は付けさせていない。俺たちが最初に足を踏み入れるわけだ」
狼雅の言葉に黎が我に返った。
「俺たちって、狼雅さまも下に降りるつもりですか!?」
「おう」
狼雅はこともなくそう頷き、真澄を瑛士からひょいと引き取った。瑛士が驚いていると、狼雅がにっと笑う。
「何かあったとき、お前たちにゃ戦ってもらわんとならんからな。真澄のことは俺に任せろ」
「……分かりました、お願いします」
瑛士が頷く。真澄を抱え直し、狼雅は少し離れた場所にある昇降機を見やった。
「即席だが昇降機をつけさせた。あれで一気に下りるぞ」
「さすが彩鈴……」
宙が呆れたように呟く。蛍は知尋を振り返る。
「知尋、大神核の力、感じる?」
「……ええ、少しですけど」
知尋が不安げに湖底の都市を見つめた。何か言いたそうだったが、彼は自ら首を振った。
「とにかく、行ってみないことには始まりませんね。行きましょう」
歩き出した知尋の背を見つめていた蛍も、すぐにそのあとを追った。




