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和装の皇さま  作者: 狼花
参部
59/94

7 逸る心、動かぬ身体

 真澄の怪我は軽傷で、包帯を巻いて治療が済んだ。その横で騎士たちが、襲撃してきた少年王冠の遺体を片付けている。その様子から目を逸らしつつ、真澄が呟く。


「仲間を返せ、か……」


 王冠のほとんどは嘉斉の呼びかけもあって、ほぼ無傷で捕えられている。いずれ落ち着けば彼ら捕虜は解放し、青嵐へ還すつもりだった。だが襲撃してきた少年は、真澄が捕虜を処刑すると思っていたのだろう。


 仲間を返せと復讐を挑んだ少年は返り討ちに遭った。彼が返してほしかった仲間は、少年の仇をとろうとする。――戦争は、そうやって負の螺旋を作り出す。玖暁も、青嵐も。特定の誰かを憎むのではなく、国家そのものを憎む。そうして戦いは激化の一途をたどってきた。


 その螺旋を、どこかで誰かが断ち切ってやらなければならない。


 できるか、私に。――真澄は己に問いかける。即位してから願い続けてきた、青嵐との和平。一気にそこまでいかなくとも、せめて停戦条約を結びたい。だが、だからと言って真澄は青嵐に対して譲歩するつもりがないし、中立の彩鈴に仲介を頼むこともしたくない。真澄は本来相互主義者なのだ。やられた分はやり返す。黙ってやられる趣味はない。いらぬ戦争を憎んでも、結局戦争を続けているのは真澄なのか。


 数年前から、青嵐の王は矢吹佳寿の傀儡になっていると聞く。もし今回の騒動が終わり、佳寿が滅んだら――その時は、青嵐王を会談の席に引きずり出せるかもしれない。


 真澄が難しい表情で考え込んでいると、巴愛が兄皇の腕に触れた。はっと我に返って巴愛を見ると、巴愛が微笑んだ。


「……歩けますか?」

「ああ、有難う。大丈夫だ」


 真澄は頷いて踵を返した。巴愛と、仕事を終えた昴流が付き従った。真澄が昴流に尋ねる。


「昴流、騎士団はどうしている?」

「制圧確認が済んだところです。今度こそ、見落としはありません」

「そうか。……まあこれだけ広いのだ。大事にならなくてよかった、それでよし」


 昴流は神妙に頷く。


「知尋たちは食堂で昼食を摂っている。ふたりも行ったほうがいい」

「真澄さまは?」

「私は食事よりも、少し横になりたい気分なんだ……どうにも最近、やたら疲れがたまりやすくてな」


 昴流は心配そうな顔をしたのだが、巴愛はいつもと変わらずに了解してみせた。


「分かりました。じゃあ、あとでお部屋までご飯持っていきますね」

「……有難う、そうしてくれると助かる」


 真澄が頷き、角を曲がって部屋へ去って行った。それを見送った巴愛が昴流を振り返る。


「――あたしね、やっぱり駄目だった。神核で人を殺せなかった」

「……それが普通ですよ」


 昴流が答えた。騎士とは、戦争においては「人を殺すこと」が仕事の人間だ。「守るために」などと言い繕っても、それが事実だということを昴流はわきまえている。


「仮にあたしが神核で戦ったとしても、みんなには到底敵わない。だったらせめて、攻撃じゃなくて防御に徹してみようと思うの」

「防御……結界壁(けっかいへき)、ですか」


 そう言う名前であることはたった今知ったが、要するに以前この砦の城壁上で神核術士部隊の者たちが、敵の攻撃を防ぐために使っていた透明な壁のことだ。そのあとには静頼で昴流が、風の神核を使って同じことをしていた。


「怖いからっていう理由はすごくずるいと思うけど……でも、少しはあたしも強くならなきゃ」


 巴愛がそう決意を口にする。昴流は微笑んだ。


「僕たち、やたら突撃する人が多いですよね。御堂団長は勿論、黎さんも奏多さんも案外そうですし、弟皇陛下は防御術より攻撃術を好まれている。巴愛さんが防御の要になってくれるのなら、心強いですね」

「……あ、あたしそこまでできるかな?」

「どうせやるなら、そのくらいの覚悟でやりましょうよ。乗馬の練習もありますし、僕がとことんお付き合いしますから」


 昴流の言葉に、巴愛は表情を改めた。


「分かった。頑張る」


 ふたりはそうして食堂へ歩いて行った。



 天狼砦に滞在するときに使用する自室に戻り、真澄は深く息をついた。部屋の中を見回す。前回の戦いが終わってから初めて足を踏み入れたが、王冠に荒らされた様子はない。もっとも、荒らされてもたいしたものは置いていないのだが。


「……疲れた……な」


 口から本音がぽつりと飛び出した。扉に背を当て、ずるずると床に座り込みそうになる。


 何も考えられない。巴愛がいたときは気合で意識を保っていたが、本当は今にも倒れそうに朦朧としていた。もう皇がどうのこうのではなく、疲れた、痛い、辛いの三拍子である。


 今までは身体がだるいだけだった。なのにどうして、こんなにも頭がふらふらしている? 呪いの症状が進んだということなのだろうが、これではいよいよ、自分は仲間たちの荷物になってしまう。


 億劫に立ち上がり、室内の扉を開けて寝室に入る。眠れば治るのではないかと思ったが、事は風邪とは違うのだ。おそらく無駄だろう。それでもどこかに倒れ込みたくて、真澄は寝台に歩み寄った。


 あと数歩、というところで世界がひっくり返ったような気がした。身体が痛い。知らないうちに、床に横転してしまったようだ。


 眩んでいる視界の中に、自分の右腕が映る。やや赤い呪いの紋章。いよいよ、自分の生の終わりが近づいてきたのか。


 皇都に戻らなければ。青嵐を追い返して、李生や矢須を助けて、国を甦らせなければ。やることはたくさんあるのに、どうして身体が言うことを聞かない――?






★☆






 広い、というよりは広大といった表現のほうが適切だろう。天狼砦づめの騎士たちが一斉に食事を摂れる大食堂に整然と並べられた長テーブルの一角に、知尋たちは座って食事を摂っていた。これと全く同じ規模の食堂があと四つもあると聞かされれば、宙など目が回ってしまう。


 宙の隣には空の食器が並んでいて、空席だ。真澄と巴愛、昴流の分である。それを見た宙に、蛍がぽつりと尋ねる。


「……心配?」

「あ、うん……」


 宙は視線を戻し、目の前にあるスープをスプーンですくって口に運んだ。


「俺、こんな大人数で生活したことなくてさ。でも最近、それが当たり前になってきて。だから全員揃ってないと、なんか不安になる……」

「宙はみんなに懐いてるもんね」

「な、懐いてるっていうか……一緒にいると楽しいんだ。兄皇さまは玖暁のこととか教えてくれるし、巴愛さんも料理の支度とか手伝わせてくれるし、昴流のこともふたりめの兄さんみたいに思ってる……大人数っていいよな、やっぱり」


 蛍が頷く。


「私も、こんな賑やかなのは初めて」

「蛍の故郷はどんななんだ?」

「……小さい集落。私より年下はいない」


 蛍の表情が若干陰った。彼女の一族はもう滅びの一途をたどりつつあるということだ。


「周りはみんな大人だったから、一緒に遊ぶ友達もいなかった」

「……今からでも間に合うんじゃない?」

「え?」

「蛍は大神核を守るのが使命なんだろ。でも兄皇さまの呪いを解くためには大神核を消滅させなきゃいけない。っていうことは、全部終わったら蛍の仕事終わりじゃないの?」


 宙の言葉に呆気にとられたらしい蛍が呟く。


「……そういえば、全部終わった後のこと、考えてなかった」

「集落、出てみれば。一族見捨てられないなら、ほんの一時期だけでもさ。それで人の多いところに行けばいい。彩鈴には奈織も黎さんもいる。あれで黎さん、結構優しいし。玖暁には兄皇さまも弟皇さまもいる。青嵐には……まあ、多分俺と兄さんがいる。今の状態だとお勧めできないけど……とにかく、色んなとこを見て回りなよ。きっと楽しいぞ」

「――ひとりで?」


 蛍が宙を見つめる。その意味ありげな視線に、宙はどきりとした。咳払いして、宙がもごもごと言う。


「……俺で、いいんなら……一緒に行くよ。お、俺もほら、色んなところ見たいし!」

「期待していいの?」


 顔色ひとつ変えずに念押ししてくる蛍に、宙は大きく頷いた。


「ああ、約束だ」

「……うん」

「じゃあ、俺もひとつ頼みがあるんだけど」


 蛍が無言で首をかしげる。


「この間巴愛さんと話してたろ。普段使ってる言葉は、今喋っているものじゃないってさ。だから蛍の言葉、教えてほしいんだ」

「……どうして?」

「巴愛さんも言ってただろ、この言葉で表現しにくいことがあったらって。蛍にばっかり合わせてもらうの嫌だから、俺も蛍たちの言葉で蛍と喋りたいんだよ」


 目を見張った蛍は、ふっと目元を和ませた。


「Thank you」

「ん?」

「意味は、『有難う』」

「さん……きゅう?」

「ちょっと違う」

「さんきゅー」

「もうちょっと」

「サンキュー」

「そんな感じ」


 なんともアバウトな――これも英語である――発音練習だったが、宙はひとつ言葉を覚えたのだった。


 その時、ガシャンという食器の音が響いた。びくりとした一同が振り返る。宙など、また奏多がぼうっとしていたのではないかと思って「兄さん」と呼びかけようとしたのだが、食器をひっくり返した人物を見て唖然とした。


「熱ッ……」


 熱いスープがかかった左手を抑えていたのは黎だったのだ。


「お、おい、大丈夫か時宮!?」


 瑛士がタオルを取って、テーブルの上や服の裾に飛んだスープをふき取る。あまりに予想外の人物が予想外のことをしたため、食卓でありがちな光景ではあるが驚きも大きい。黎が苦笑いをした。


「ああ……すまんな、少し気が緩んでいて……」


 知尋が駆け寄ってきて、火傷して赤くなっている左手に治癒術をかけ始める。普通だったら「ドジだなあ」とでも言いそうな奈織が、心配そうに兄を見ている。


「兄貴……」

「大丈夫だ、奈織。そう心配するな」


 その様子を見た瑛士は、少し眉をひそめた。


「時宮……もしかして、お前……?」


 黎が食器をひっくり返したのは、運悪く袖が引っかかったというわけではなかった。「そこに食器があるとは知らず」に手を伸ばし、当たってしまったようだったのだ。


 ある仮説を思いついた瑛士がそれを口にしようとしたとき、食堂に巴愛と昴流が入ってきた。そちらに意識がいってしまい、瑛士は言うタイミングを逃してしまった。


「ああ、ふたりとも。真澄は?」


 知尋が尋ねる。


「疲れたから休みますって。お食事は後で部屋まで持っていきます」

「そう――」


 奏多が二人分の食事をもらってきてくれて、巴愛と昴流がややみなに遅れて食事を始める。その際スプーンが足りなかったのは奏多だから仕方がないのだった。






★☆






 食事を終えたあと、知尋と巴愛は比較的食べやすい料理を持って真澄の部屋へ向かった。知尋がついてきたのは、真澄の容態を見たいからということである。


 真澄の要望で、部屋の前に衛兵などは立っていない。部屋を守ってくれる人間とはいえ、やはり私室の声を聞き取れる距離に他人がいることを、真澄はあまり好まないのだ。そういうわけで、知尋が扉をノックする。返事はない。もう一度強めに叩いたが、やはり物音ひとつしなかった。


「やっぱりお休みになっているんでしょうか」


 巴愛がそう呟き、知尋も頷いた。が、引き返しはしなかった。そのまま知尋は、部屋のノブを掴んで扉を開けた。


 綺麗に片付けられた室内に真澄の姿はない。寝室に続く扉は開かれたままだった。知尋が寝室に向かい、息を呑んだ。その後ろから寝室を覗き込んだ巴愛も目を見張る。


 床に真澄が倒れていたのだ。


「真澄!」

「真澄さまっ」


 知尋は持っていた食事の盆を棚に置き、すぐに真澄を支えて起こした。巴愛もその傍に膝をつく。


 真澄がうっすらと目を開いた。焦点が知尋の顔の前で結ばれ、かすれた声が弟を呼んだ。


「知尋か……」

「どうしたんです? ……また呪いの症状が?」

「いや……発作じゃなかった。だが、酷い眩暈がして……いつの間にか倒れていたようだ」


 真澄はそう言って自分の額に手を当てる。知尋は巴愛を振り返った。


「巴愛、瑛士か昴流を探してきて。ふたりのどちらかに軍医を呼ぶように伝えてくれる?」

「はい!」


 呪いの症状でないなら、知尋にできることはない。頷いた巴愛が部屋を駆けだしていく。知尋は真澄を支えて立ち上がり、そっと寝台に寝かせた。毛布を掛けてやりながら問う。


「本当に発作ではないんですね?」

「ああ……まあ、呪いの一種なのは確実だが……今までは身体がだるい以外に影響はなかったのに……頭のほうにまで、影響が出始めたんだろう……」


 日に日に衰える真澄を、知尋は直視できなかった。少し前まで、あれだけ元気だったのに。たったこれだけの日数で、真澄はまともに生きることさえ難しくなりつつある。


 巴愛が見つけたのは昴流だったらしく、彼と一緒に軍医が駆けつけてきたが、きちんとした治療法は分からなかった。とりあえず真澄に薬を飲ませ、休ませるしかない。


 本日二度目の世話になった軍医に真澄は礼を言い、軍医が部屋を出て行った直後、真澄は苦しげに息を吐き出した。知尋はその傍に椅子を持ってきて座る。


「少しは、楽になりましたか?」

「……少し、な」


 真澄はそう言って、閉じていた目を開いた。


「俺の調子が良くなるまで砦は出ない……とか言うなよ?」

「……」

「呪いを解くまで、身体のだるさも頭痛も消えてはくれないだろう。無駄な時間を過ごさずに、早く皇都に行こう」

「それで大丈夫なんですか?」

「明日になれば、この感覚にも慣れるだろうさ」


 呪いを受けた直後の身体のだるさを受け入れたように、意識を朦朧とさせる頭痛も受け入れる。そんな強さがどこにあるのだろうと知尋は不思議で仕方ない。


「……きっと、これから更に真澄の身体は衰弱していきます。少しでもおかしいと思ったらすぐ私に言うこと。それが条件です」


 真澄はふっと微笑んだ。


「……ああ、約束する」


 知尋も少し笑みを浮かべ、真澄が目を閉じたのを見てそっと部屋を出て行った。


 廊下には巴愛が不安げに佇んでいた。邪魔にならないようにと外に出ていたようだ。彼女に問われる前に、知尋が答えた。


「薬を飲ませたから、これで少しは落ち着くと思うよ」

「そうですか……」


 だが不安な表情がちっとも晴れない巴愛を見て、知尋が少し身をかがめた。巴愛と目線を同じ高さにする。


「巴愛。……どうか笑っていて」

「え?」

「以前にも、私はこうやって頼んだね。皇都で別れたとき」


 知尋が皇都に残り、巴愛らが脱出する間際。涙は苦手だから笑っていて、と知尋はそう言ったのだ。


「あの時は私自身のわがままだったけれど、今度は真澄のためだ。きっと今の真澄なら、君のために生きようと思うだろう。真澄が生きることを諦めないように、声をかけ続けてやってね」

「……はい」


 巴愛は頷き、少し笑みを浮かべて見せた。


 自分の笑顔が真澄の活力になれるかは分からない。だがそれでも、真澄は傍にいてくれと言った。巴愛もずっと真澄の傍にいたい。真澄がいてくれれば、きっと巴愛は笑顔を作ることができるだろう。

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