6 正々堂々とは何ぞや
真澄の傍に仲間が集まってくる。真澄は真っ先に、瑛士に支えてもらっている知尋を振り返った。
「知尋、大丈夫か?」
「大した傷ではありませんよ。真澄こそ大丈夫でしたか? 術が解けてしまいましたから、急な反動があったでしょう」
真澄は首を振って大丈夫だと答える。珍しくしゅんとした様子の奈織が口を開いた。
「真澄に城壁上の王冠を頼まれたのに、あたしったらすっかり油断しちゃっていて……ごめんね、真澄、知尋」
「あの状況では仕方のないことです。気に病まないでください」
知尋がそう微笑む。
と、そこへ宙、蛍に加えて巴愛と昴流が現れた。最初に気付いたのは瑛士だ。
「おっ、みんな無事だったか」
「宙、蛍。ご苦労だった」
真澄がふたりを労うと、蛍が真っ先に口を開いた。
「私、殆ど何もしなかった。全部宙のおかげ」
「いや、そんな大したことしてないって!」
宙が慌てて否定する。瑛士が苦笑いした。
「お前らふたりとも、もう少し胸を張ってもいいと思うんだがな。それだけのことをやったんだぞ」
宙は恥ずかしそうに笑って頭を掻いた。奏多が巴愛らに尋ねる。
「ふたりはどこへ?」
「宙たちと合流した後、城壁上から陛下を狙う王冠を見つけたので、制圧に行っていました」
「……よくそこまで機転が利くねえ」
奏多は顎を撫でた。
「さてと……私は負傷者の手当てをしてきますね」
知尋がそう言い、瑛士の支えを断った。真澄が引き留める。
「待て、自分の傷を先に治療してからに……」
蛍が知尋の前に立ち、傍にある石段を指さした。
「知尋、そこ座って」
「え?」
蛍にそんなことを言われたことがないので、知尋は戸惑いながらも石段に腰を下ろした。蛍がその傍に膝をつき、赤く血が滲んでいる知尋の肩に手をかざす。
傷の部分が淡く光を発する。一同は驚愕して目を見張った。それはまさしく、知尋が使う治癒術とまったく同じだったのだ。
「はい、終わり」
蛍が立ち上がる。知尋は袖をまくり、そこに傷がないことを確認した。奈織が興奮したように身を乗り出す。
「すごいっ、蛍も治癒術使えたんだね!」
「知尋ほどうまくないけど、傷を塞ぐくらいなら」
「治癒術使える神核術士は弟皇さまだけだと思ってたぜ」
宙も呆然としている。と、当の知尋が微笑んだ。
「世界は広いのです。私一人だけしか使えないというわけありませんよ。それよりも有難う、蛍」
知尋はなんら動じていないようだ。知尋と親しい者たちからすれば、治癒術が知尋の特許でなくなってしまったような感覚なのだが、本人にそんな気持ちはさらさらなく、むしろ治療役が増えたことを喜んでいるようだ。
「そうか、考えてみれば蛍は神核を生み出した古代人の末裔なんだもんね。人より扱いに慣れていて当然かあ」
奈織はそうひとりで納得している。
そのあと、知尋は手伝いをするといった蛍とともに負傷者の治療に当たり、真澄は瑛士を伴って天狼砦駐在部隊司令官と打ち合わせに向かった。昴流も玖暁の騎士として砦の片付けに追われている。もっとも疲れているはずの者たちが忙しくしているのだが、残った面々にやるべきことはなく、邪魔にならないよう砦の空き部屋で大人しくしているしかなかった。
「……それにしても奏多、君のあの武術はなんだ?」
黎が唐突に問いかけ、奏多は首を傾げる。
「なんだ、と言われても……あれはもともと父に習った武芸なんですよ。どちらかというと俺は刀よりも肉弾戦のほうが得意なんです」
「ほんと、見かけによらないよなあ?」
宙の言葉にはみな頷くしかない。
「相手の抵抗を削ぐには手や足の骨を折るのが手っ取り早いですからね。少ない動作でどれだけ無駄なく骨を砕くか、父には徹底的に叩き込まれました。多人数を相手取るときは、もっぱらあれを使うんですよ」
「……ほう、手っ取り早いか」
黎が意味ありげに呟く。確か瑛士が「殺したくないからだろう」と言っていたが、どうやら違ったらしいな、と内心で思う。賭けに勝った気分だ。
「……手足が使えなくなったことで命だけでも取りとめてくれたら、それでいいと思っています」
その言葉に黎が僅かに目を見張る。瑛士の考えも、奏多はきちんと持ち合わせていた。残酷な手法ではあるが、そうすることでそれ以上戦闘に巻き込まれるのを避けさせる、ということだ。
「今日は散々聞いて聞き飽きましたが、俺のやり方は卑怯そのものですよ。戦場で騎士として命を捨てる覚悟をしている者たちに、敗北からの死ではなく苦痛だけを残させてしまっていますから。それは多分、嘉斉さんのような生粋の武人には侮辱以外の何物でもないのでしょうね」
奏多はそう言って、勝手に自分たちで用意した茶をすする。
「甘い、ですかね。俺はやっぱり」
奏多の独語に、黎は首を振った。
「……人が人を殺していいわけがない。君の考えは確かに甘いだろうが……私は、そういう甘さが気に入っているよ」
「意外ですね。時宮さんは現実主義だとばかり思っていましたが」
「最近、そう思うようになった。……人間は順応する生き物だからな」
真澄や知尋、瑛士、みなが「人を殺したくない」と考えている甘い人間だ。戦場においてその考えは命取りだが、だからこそ得られる強さがある。黎はそれに感化されてきているのだ。
年長ふたりがやや真面目な話をしている間、宙が巴愛と奈織を相手に話をしていた。
「この砦の騎士の団結力ってすごいな。兄皇さまと弟皇さまって、ほんとに慕われてるんだ」
「あれだけ親身でカリスマ性のある国主なんて、そうそういないからねえ」
奈織の言葉に宙が頷く。
「青嵐が、とまでは言わないけど、せめて特務師団がああいう組織だったら良かったのになあ」
「あの嘉斉って人はどうだったの?」
巴愛の問いに宙は首を捻った。
「嘉斉さんは良い人なんだけど、騎士道一本って感じの人だからさ。今日もそうだったけど、正々堂々ってちょっとやかましいっていうかね。……戦争で正々堂々なんて、通用しないだろ? そいつはせいぜい、決闘止まりなんだよ」
痛烈な宙の言葉に、巴愛が呟く。
「正々堂々、か……」
それからしばらくして、急に巴愛は椅子から立ち上がった。宙が巴愛を見上げる。
「あれっ、どうしたの?」
「ちょっとお散歩。座ってるの、疲れちゃって」
それを聞いた黎が腰を浮かせかける。
「ひとりで平気か?」
「はい、そんな遠くに行きませんから。ぐるっと一回りしてくるだけです」
巴愛はそう微笑み、部屋を出た。
★☆
二か月ほど前、今年に入って最も長かった戦争が玖暁の勝利で終わった。しかしその時、砦へ引き上げる玖暁騎士の中にたったひとり、青嵐の工作員が混じっていた。戦後処理でごたごたしていた騎士たちに、何万という騎士の中に見慣れぬ顔がひとつあることに気付けというのも無理な話ではあるが、これは完全に玖暁側の落ち度である。
その工作員は砦の様子をきっちり把握したのち、砦中に薬品をまき散らした。液体のそれは空気に触れるとたちまち煙となり、それを吸った人間の意識を混濁させてしまう危険な薬品だ。その煙はこの広大な天狼砦の隅々まで充満し、玖暁騎士は一人残らず倒れた。
そこに王冠が突入してきたのだ。彼らは意識が混濁している玖暁騎士を易々と捕えた。玖暁騎士が意識を取り戻した時、そこは地下牢で、砦は王冠が乗っ取っていたという図だ。
おかげで、双方とも負傷者はゼロ。完璧な無血開城――したかったわけではないが――だったというわけである。
――という説明を、真澄と瑛士は砦責任者の狭川部隊長と副司令官の高峰部隊長から聞いた。狭川は長年にわたって砦を守るベテランで、高峰も若いながら立派な騎士だ。狭川は深く真澄に頭を下げる。
「陛下に任されたこの砦を守ることができず、面目御座いません! 処罰はいかようにも受け入れます」
真澄は苦笑して手を振った。
「今ここでお前を罰してどうなるというわけではない。それより、今度こそ天狼砦を任せたぞ」
「はっ! ……して、陛下。一体何があったのでしょうか? 照日乃が陥落したらしいということは、王冠たちから漏れ聞いていたのですが……」
真澄の視線を受け、瑛士が一連の出来事を説明した。衝撃は大きかったようで、狭川はしばらく黙考していた。ようやく頭の中で整理がついたのか、戸惑いながら口を開く。
「陛下は呪いを受けて皇都を脱出したあと彩鈴に身を寄せ、呪いの解き方を探すべくこのあと皇都に戻られる……ということですか?」
「まあ、そういうことだ」
「でしたら、是非砦の騎士をお連れ下さい! 玖暁を取り戻すためにも」
狭川の言葉は至極もっともだったが、真澄は首を振った。
「今はまだだ。彩鈴からも兵をお借りすることになっているから、そちらとも合わせなければならない。だが今彩鈴は青嵐と交戦中だ。とても玖暁に出せる兵力などないだろう」
「しかし! 十人にも満たない少人数で皇都に向かうなど、危険が大きすぎます!」
「危険だからこそ、少人数で行く。玖暁に残された戦力は、ここにいる者ですべてだ。それを無為に失いたくない」
「せめて陛下はここに残られるべきでは……」
「私の生を繋ぐためにみなを危険に晒すのに、私が行かないでどうする?」
真澄にそう問い返され、狭川は困ったように瑛士を見やった。瑛士は「諦めろ」という具合に肩をすくめて見せる。
「せめて僕を単騎でお連れ頂けませんか。お役に立って見せます」
高峰が申し出たのだが、真澄は首を振った。彼の実力は申し分ないが、いま高峰には天狼砦の防衛に努めてもらわなければならない。解放されたばかりの二部隊の騎士を狭川が一人でまとめるのは無理があった。
「狭川、高峰、信じろ。必ず私はもう一度この砦に戻り、玖暁を取り戻す戦いのため挙兵する。そう遠くない未来にだ。だからそれまでに、虜囚生活で鈍った騎士を鍛え直しておけ。それにここは青嵐本国からの増援を防ぐ重要な要だ。私が戻るその時まで、天狼砦を死守してほしい」
その指示に、腹を括ったふたりの部隊長は頷いた。真澄が言い出したら聞かないのはもう分かっている。どんなに無茶な指示を出されようと、結局それをやり遂げてしまうのが彼らの主君なのだ。真澄が必ずと言ったなら、その未来は実現する。
真澄と瑛士は狭川たちとの話を済ませ、広間へと戻った。先ほどまで負傷者であふれかえっていたその場は、いまはがらんとしている。その壁際に座り込んでいるのは知尋で、付き合うように蛍も座っていた。
「知尋さま、また酷い顔色ですよ」
瑛士の言葉に、知尋は顔を上げてうっすらと微笑んだ。
「気を失っていないだけ、いつもよりましでしょう?」
「そう言う問題ではないと思うが……」
真澄も困ったように笑った。知尋は壁に手をついて立ち上がる。
「大丈夫です、ちょっと休憩していただけですよ。蛍がいてくれたので楽でした」
蛍もその場に立ち、知尋を見る。
「知尋の悪い癖。ひとりの怪我を完全に治すまで治癒術かけていたら、いくら魔力があっても足りない。塞ぐくらいで終わりにしておかないと」
指摘された知尋が頭を掻いた。
「……分かってはいますが、どうしても」
言い出したら聞かないのは知尋も同じだ。
四人で黎たちが待つ部屋に向かうと、すぐ賑やかな奈織の声が出迎えた。
「お帰りー! お話終わったの?」
「ああ、一通りは済んだ。待たせて悪かったな」
真澄はそう言ってさっと室内を見渡す。そして人数が足りないことに気が付き、眉をひそめた。
「……昴流と巴愛はどこに行ったんだ?」
「昴流は騎士団に交じってお仕事。巴愛さんならさっき、散歩するって出て行ったけど……そういえばちょっと戻ってくるの遅いかな」
宙が首を傾げる。真澄が苦笑した。
「散歩、か。迷っていないと良いんだが。……探してくる」
真澄はそう言って踵を返した。知尋が肩をすくめる。呆れた表情だ。
「真澄の心配性は治りませんねえ……まあそれはともかく、お昼にしませんか? 料理人たちが、即席でしょうが昼食を作ってくれていますから。三人には悪いですが、温かいうちに食べさせてもらいましょう」
★☆
真澄は、真っ先に騎士宿舎のほうへ向かった。巴愛が自由に行ける場所といえば、最初に出会ったときあてがった部屋周辺しかないはずだ。思った通り巴愛は、祝宴が行われた会場の外にあった、あの大きな岩の上に座っていた。
「巴愛」
声をかけると、巴愛ははっとして振り返って驚きに目を見開いた。
「ま、真澄さま!」
「長い散歩だな」
真澄は微笑み、あの時と同じように巴愛の隣に腰を下ろす。
「今この状況下でひとりになるのは、結構危険だぞ。砦を制圧したと言っても、これだけの規模だ。どこに残党が潜んでいるともしれない。しかも、これほど奥まったところだと尚更な」
「すみません……すぐ戻るつもりだったんですけど、考え事してて」
「考え事?」
「え、ええっと……」
実を言うと考え事などなくて、ただぼうっとしていただけだ。ひとりになるとやってしまう、巴愛の癖だ。なんと言い訳しようかと考え、咄嗟に出てきた話題を振る。
「宙が言ったんです。戦場で正々堂々なんて通用しない、それは決闘止まりの信念だって」
「相変わらず宙は、そのあたりをきちんとわきまえているな」
真澄は素直に感心した。巴愛も頷く。
「正々堂々とか、卑怯とか、それってなんだろう……って思ったんです。考えてみればどれもこれも卑怯のような気がして、もしかしてこの世界には、本当の意味で正々堂々なんてないんじゃないかって」
こう思ったのは本当だ。真澄はしばらく腕を組み、太陽の光に目を細めながら言った。口から出たのは非常に真面目な答えで、巴愛の咄嗟の思い付きに真剣に向き合ってくれている。
「……正々堂々と卑怯の確実な線引きは誰にもできないだろう。正義と悪と同じように、人によってそれは変わる。ただし、戦場にはそのどちらも存在しない。あるのは、勝利か敗北、ふたつにひとつだ」
「勝利か敗北……」
「どんなことをしようと勝ちは勝ち、負けは負けだ。そこまでの過程に卑怯があろうとな。……私だって同じだ。卑怯だろうが強引だろうが、なんだってやる。一の命と千の命、どちらかを選べと言われたら迷わず、千の命を選ぶ。少なくとも、皇としての私は」
真澄は卑怯とは無縁の、毅然とした人だ。そう巴愛は信じているからこそ、その言葉は胸を突いた。
真澄は皇だ。国を統べ、すべての民を守るべき存在。常に、自国の勝利を最優先にしなければならない。そこに私情はないのだ。
「自分が選んだことを、後から悔いることはしない。……正々堂々というのは、自分の選択がどんな結果になろうが受け入れる、という姿勢のことかもしれないな」
真澄はそう言って声音を和らげ、笑みを浮かべた。
「ただ、ひとつ思うことはある。戦場では勝利か敗北かどちらかしかない。だが、必ずしも勝利が生に繋がり、敗北が死に繋がるわけではないと思うんだ」
「……はい、そうですね」
巴愛は頷いた。敗北し、逃走する敵を真澄は追わない。それで不意打ちを受けることになろうと、真澄は決してその考えを曲げなかった。負けて得た生であろうと、生きている限り何とかなる。敵同士で、命の奪い合いをしている間柄ではあるが、生きるということに関してはみな純粋で、しかし貪欲であってほしいのだ。
「――巴愛と出会って、二か月か。不思議だな、あの時のことはつい昨日のことのように思い出せるが、長年一緒にいたような気もする。……色々なことがありすぎたせいだな」
真澄は不意にそう呟き、目を閉じた。
「……この国は、何と言う国だったんだ?」
唐突な問いに巴愛は目を見張り、それから答えた。
「日本です」
「ニホン……」
「海に浮かぶ、小さな島国でした」
真澄は瞳を開ける。底抜けに明るい青空を見上げながら、また尋ねる。
「話すのが遅れてしまったんだが……この間の、静頼の海底遺跡からある石碑が見つかった。『キョウト』と書かれていたんだが」
「京都……」
「知っているか?」
「都市の名前ですよ。天皇……今でいう皇さまが住む場所を、大昔は『京』って言ったんです。だから京都」
真澄はそれを聞き、頷いた。
「……君の世界の面影を、ひとつ発見することができたな」
「……はい」
巴愛も微笑む。真澄は岩から降りた。巴愛に手が差し出され、その手を借りて巴愛も地面に降りる。
「そろそろ昼時だ、もう戻ろう。最初にも言ったが、騎士の手を逃れている敵がいるかもしれない」
そう言った瞬間、ばっと何者かが茂みから飛び出した。真澄と巴愛がはっとして振り返る。
「く、玖暁の兄皇! みんなを……返せぇっ」
それは年若い王冠だった。震える手で銃を掴み、真澄に銃口を向けている。王冠が引き金を絞ると同時に、真澄は巴愛を抱きかかえて地に伏せた。
巴愛に覆いかぶさるような状況になった真澄は、ふっと笑みを浮かべる。
「……ほら、言っただろ?」
「ま、真澄さま……!」
そんな風に笑っていられる状況ではないはずだった。真澄は身体を起こし、ゆっくり接近してくる王冠を見やった。立ち上がろうとして、真澄が小さく呻いた。右足に銃の貫通痕があり、じんわりと鮮血が滲みだしていたのだ。
「怪我……!」
「掠り傷だ」
真澄はそう言ったが、とてもそうとは思えなかった。真澄の表情は険しいし、足を引きずっている。
「巴愛、逃げろ。誰か呼んできてくれ。私が時間を稼ぐから……」
小声でそう指示されたが、巴愛は首を振った。ここに真澄を残して行ったら、今の真澄は殺される。そんなことはできなかった。
神核を使うんだ、と、巴愛は己に命じた。懐から昴流にもらった炎の神核を取り出す。――だが、【集中】できなかった。この少年が殺される様を、巴愛は願うことができなかったのだ。
これが、神核を使う恐ろしさだ。巴愛は騎士でもなんでもない、ただの女子大生に過ぎなかった。そんな巴愛に、人殺しはできない。
だって、相手はあたしより年下の。それこそ、死んだ弟の湊と同じくらいの。ほんの少年なんだもの……。
そうしている間にも少年は銃を構えたままじりじりと近づいてくる。真澄が巴愛を抱きかかえたとき、急に少年が前のめりに倒れてきた。
少年が地面に俯せに倒れる。その背中には深い袈裟懸けの跡があった。視線を上げると、血刀を手にした昴流がいた。
――ああ、斬ったんだ。昴流は、宙と同じくらいの少年を、躊躇うことなく。
それが騎士という名を賜ったときに背負う、重い業だ。
「昴流……!」
「おふたりとも、ご無事で!?」
昴流が駆け寄ってくる。巴愛が頷くと、昴流はほっと息をついた。
「良かった……すみません、騎士たちの制圧が不完全でした。いま、軍医を呼んできます!」
昴流はそう言って駆け去った。真澄はほっと息をつき、傷ついた右足を地面に投げ出した。
「やれやれ、この程度の傷で大袈裟な……」
「この程度じゃないです……」
巴愛が俯く。真澄は彼女の手に神核が握られていることに気付き、それごと巴愛の手に自分の手を重ねた。
「巴愛、君に戦いの神核は似合わない」
「……でも、あたし足手まといになりたくないんです。だからせめて、自分のことくらい自分で面倒見なきゃと思って……」
「足手まといになどならんよ。俺としては……君が傍にいてくれるだけで、十分なんだ」
「――え?」
瞬きをした巴愛に、真澄は顔色一つ変えず穏やかな表情のまま続ける。
「君が傍にいて、俺に話しかけてくれて、笑っていてくれるだけで……俺は自分のやるべきことを思い出せる。まず『生きよ』とな」
「……ほんとに、それだけでいいんですか」
「納得いかないか? ……それなら、ひとつ欲しいものがある」
淡々と言った真澄に、巴愛は特に何とも思わずに頷いた。
「あたしが持っているものならいいんですけど」
「ああ、巴愛じゃないと駄目だ……」
真澄はそう呟き、巴愛の華奢な身体を抱き寄せた。「あれ」と不思議に思う間もなく、巴愛の唇は真澄の唇で塞がれていた。
優しいキスは数秒間で終わった。呆然としている巴愛に、真澄が囁く。
「これが俺の気持ちだ……分かったか?」
「……は、はい、すごく」
巴愛は頷き、真澄がそこでやっと顔を真っ赤にした。
「あ……その、無理矢理、ごめんな。なんというか、ほっとして気が緩んだというか……」
巴愛が苦笑する。自分でも驚くほど、落ち着いていた。
「真澄さま、落ち着いて」
「……ええと」
「あたし、怒ってないですよ。むしろ嬉しいです……」
「……そう、か」
真澄がふっと力を抜く。
「――正直、俺の命がどこまで持つか、俺にも分からない。だがそれでも、俺は諦めない。君とともに生きたいんだ、これから先を……」
巴愛はそっと自分の唇に触れる。キスは初めてじゃない。高校時代に付き合った彼氏がいた。その時は本当に好きだった。家族を失った空白を埋めるように、彼は巴愛に優しくしてくれた。だがそれでも、大学進学で別れてしまった。
あの時より、ずっとずっと。巴愛の心は高鳴っていた。
「……ほんとに、傍にいるだけでいいんですね?」
「ああ」
「じゃ、あたし離れません。何があっても」
巴愛がそう宣言して微笑むと、真澄も優しく微笑んでくれた。




