5 名将、相打つ
巴愛は昴流に連れられ、砦の中の廊下を走っていた。すべての騎士が真澄らの迎撃に駆り出されている今、外に隠れているよりも内部にいたほうが安全だと昴流が判断したのだ。その思惑通り、廊下に人気はない。
「懐かしいな、ここ」
巴愛が辺りを見回して呟く。昴流が頷いた。
「はい。僕たちが初めて巴愛さんと出会った場所ですしね」
「うん……なんか色々あったよね」
巴愛は言いながら、昴流の腕に嵌められた神核バングルを見やった。赤と緑の神核が嵌められている。炎と風だ。
「どうやったら神核を攻撃に使えるの?」
「……使いたいんですか?」
「……せめて護身用にと思って……」
昴流は速度を緩め、少し黙った。
「仕組みは、火をつけたり水を出したりするときと同じですよ。願えばいいんです。具体的に……あの男を火だるまにさせたい、とか、雷落として感電死させたいとか」
本当に具体的だ、と巴愛は思い知る。
「でもまあ、護身は必要ですよね。……では、これを」
昴流はバングルから炎の神核を外し、巴愛に渡す。
「無理はしないでくださいね。神核を戦いで使うのは、辛いことですから」
「有難う……分かってる」
巴愛が頷いたとき、前方から激しい刃鳴りが響いてきた。昴流がはっとして刀の鞘を握る。
「巴愛さん、下がって」
昴流がそう言って抜刀の構えになる。それと同時に、何者かが廊下の角を曲がって飛び掛かってきた。
抜刀した昴流は、その何者かを弾き飛ばした。横合いから飛び掛かってきた二人目が攻撃を仕掛けてくるより早く、昴流の刀は相手の喉元に突きつけられた。
「昴流! 待って、宙と蛍だよ!」
巴愛の声で昴流が我に返る。最初に吹き飛ばしたのが宙で、刀を突きつけているのが蛍だった。宙が埃を払って立ち上がる。
「いてて……昴流って強いんだな。いつも瑛士さんと黎さんばっかり戦ってたから、あんまり目立たなかったけど」
「急に斬りかかっておいて失礼な言いぐさだな、まったく……」
昴流はぼやき、刀を収めた。そして「失礼した」と蛍に頭を下げる。
「どうしてこんなところにいるんだ?」
昴流が問うと、宙が言う。
「兄皇さまたちと合流しようと思ったんだけど、解放した玖暁騎士で階段が埋まっちゃってて。別の道から行こうと思ってたんだ」
「そうか……なら、こっちだ」
そう言った昴流はそのまま前進する。そこには宙らが叩きのめしたらしい王冠が伸びていた。
少し駆けていくと、窓から真澄らの姿を確認することができるようになった。それはちょうど、真澄と敵指揮官の睨みあいだった。宙があっと声を上げる。
「あの人、やっぱり……!」
「やっぱり、なに?」
蛍が問うと、宙は腕を組む。
「見知った奴が何人かいたから、そうだとは思っていたんだ……いま兄皇さまと睨みあっているあいつが、この隊の隊長。兄皇さまとは……なんというか、好敵手みたいな間柄らしいんだ」
「……それなら、敵だけど悪い人間じゃないんだね」
真澄が認めた好敵手なら、人間ができているはずだ。
「ああ、王冠の中じゃ一番まともさ。特務師団長に一番近いって言われていたし……良識的で正々堂々って感じの人なんだ。俺も、あの人のことは尊敬していたよ。俺の父さんとも、仲良かったしな」
宙の言葉は過去形だった。佳寿が現れるまでは、の話なのだろう。
「……正々堂々、か。それはおかしいな」
昴流が皮肉っぽく呟く。宙が首をかしげると、彼は苦笑した。
「王冠として正々堂々を名乗るなら、神核エネルギーを注入して身体能力を引き上げることすら許されないはずだ」
「……そうだな、まったくそのとおり」
宙が重々しくうなずく。
真澄と王冠の間に戦闘はなく、ふたりが睨みあっているのを敵味方混じって見守っているという、異様な光景があるだけだ。しばらく無言で互いを見合っていた真澄と王冠だったが、先に口を開いたのは真澄だった。
「しばらくぶりだな、嘉斉殿。まさかこの天狼砦で、貴方に出迎えられることになるとは思わなかった」
「その口ぶり、私がここにいることは先刻承知だったようだな」
真澄は少し笑みを浮かべた。敵将として、この嘉斉は好ましい人物だ。敵でなければ、相談事でも持ちかけられそうな間柄になれたかもしれない、と心のどこかで常に思っていた。
「なぜ攻撃をやめさせた?」
「あのままではただの消耗戦。人の血が多く流されるのは、私の趣味ではない」
嘉斉はそう言った。その考え方ことごとく、真澄と同意見だ。ゆえに思いも強い。ゆえに、ふたりは互角だった。だが。
「……心根は変わっていないようだが、残念だ。正々堂々の戦いを信条としていた貴方が、まさか騙し討ちで勝利を手にしていたとはな。所詮貴方も、矢吹の力には逆らえぬか」
真澄の声には皮肉が強い。対する嘉斉は目を閉じた。
「まさにその通り、返す言葉はない。先に卑怯な手を使ってこの砦を奪ったのはこちらだ。兄皇、貴殿が砦を取り戻すのは至極当然。そしておそらく、この戦いは我らの負けだ」
真澄はぴくりとも表情を動かさない。
「とはいえこちらも簡単には退けぬ。これ以上の犠牲を出さないために……我らふたりで雌雄を決するとしないか?」
それに驚愕したのは真澄の仲間たちだ。
「私が勝てば、玖暁と青嵐の戦争は幕を閉じる。貴殿が勝ったときは、是非私の部下に寛大な処置を願いたいものだ」
嘉斉がそう言って刀を抜く。真澄は微動だにしない。
大勢の犠牲を出さないために、真澄と嘉斉の決闘で勝負をつける。結果は嘉斉が死ぬか、真澄が死ぬか、相討ちか。最高でも二人しか死者は出ない。
だが、真澄側に明らか不利だ。真澄は体調が万全ではない。そして真澄が命を落とせば、玖暁の未来そのものが断たれてしまう。
奈織が瑛士を心配そうに見上げる。
「あの嘉斉とかっていう王冠、強いの?」
「……もう何年も前から、真澄さまと何度も剣を交えている相手だ。だが、決着は今までついたことがない……」
「それだけではない。私が聞いた話ではあの男、前皇陛下とも剣を交え続け、前皇に深手を負わせたらしい」
黎がそう補足する。豪傑で知られた真澄と知尋の父、真崎は武芸において負けを知らなかった武皇だ。その真崎と互角以上に戦ったのなら、相当の手練れである。
「それが神核エネルギー注入のおかげだったとしても……矢吹が出てくるまでは、完全に嘉斉さんが青嵐最高の剣士だったんですよ」
奏多の言葉に、奈織も沈黙する。
瑛士が前に進み出た。
「真澄さま、どうか退いてください! 今の真澄さまでは……!」
真澄は肩越しに振り返り、微笑んだ。
「……これ以上の犠牲を出したくないのは、私も同じだ」
「真澄さま……」
「それに、いつもの『兄皇の真澄』はこの勝負を受ける。せっかく私を信じてくれていた彼らを、失望させたくはないからな」
砦の騎士たちは、真澄の身に何が起こったのかを知らない。そんな彼らからすれば、真澄がこの勝負を受けなかったら妙に思うだろう。人の目があるところでは、真澄は「皇」として立っていなければならないのだ。
「嘉斉殿。この勝負、お受けする」
真澄はそう言って刀の柄に手をかけた。それを見た奈織が知尋を振り返る。
「知尋っ、真澄が刀を……!」
言いかけた奈織が口を閉ざした。知尋は目を閉じて【集中】をしていたのだ。
真澄がゆっくりと刀を抜く。もはや刀は持てなかった真澄だが、この時は普通に刀を握っていた。真澄はちらりと知尋を振り返る。
目を開けた知尋は小声で呟く。
「刀の重さは私が制御しています。真澄が刀を持てなくなったのは、刀の重さに腕の力がついていけなくなったということですから。刀が軽ければ、真澄は普段通りに戦える」
知尋は最初から分かっていたのだ。真澄はこの勝負から逃げないと。
知尋は顔を上げ、不安げな瑛士に告げる。
「瑛士。今は真澄を信じて見守りなさい」
有無を言わさぬ言葉に、瑛士は頷いた。
久々に、腕と刀が一体になる感覚だ。真澄はそう思いながら身構える。刀が重くて引きずられていたのが嘘のようだが、それも一時的なことである。あまり長引かせれば知尋に影響が出る。
間合いを取りながら、ふたりは睨みあう。嘉斉がふっと笑った。
「玖暁の前皇は孤独な戦いの覇道を進み、その息子である貴殿は人と共に生きる道を進んでいる。まるで真逆の理念だが、貴殿ら親子には何か共通する信念のようなものがあるような気がするな」
「……父に信念などというものがあったのか、私には分からない。だが私は、父とは別の道を行く。貴方の言った通り、私は人と助け合い、共に生きる。これまでも、これからも。……父とは違う玖暁の在り方を、是非貴方には見届けてもらいたいな」
真澄の言葉に、嘉斉は笑う。
「死後の世界からこの世界を見ることができるなら、見届けられるだろうな」
この戦いはどちらかが死ぬまで続くのだ。生きて見届けることはできない。
苦しいくらいの緊張状態が続く。そして、真澄と嘉斉が地面を蹴ったのは同時だった。
二人の刀が激しく交わる。真澄の刀にまったく鈍りはなかった。対する嘉斉も、激しく真澄を攻めたてている。
あっという間に真澄は完全に防御に回った。嘉斉の攻撃を受け止めることに専念している。だが真澄本人も含め、味方は誰も焦ってはいない。相手の出方を探るために防御を固めただけであって、劣勢なわけではない。そのことを、嘉斉も仲間たちも悟っていた。
何度目かの斬撃を真澄が受け止める。その瞬間に真澄は強く嘉斉を押し返した。よろめいた嘉斉を、今度は真澄が追い込む。
「すごいですね、兄皇陛下は……勿論神核エネルギーを注入したはずなのに、一歩も引かないなんて」
奏多の言葉はやはり主語が抜けている。神核エネルギーを注入したはずなのは嘉斉で、当然事実だった。
二人の実力は完全に拮抗していた。――そう思っていないのは、当人たちだけだ。
「っ……は、ぁっ……」
刀が軽くなって戦えるようになったとはいえ、呪いは消えていない。真澄の身体はかなり衰弱していて、すぐに身体が動きについていけなくなる。息があがり、姿勢が崩れる。
「……兄皇。調子が悪いのか」
嘉斉が刀を休めてそう尋ねた。真澄は呼吸を落ち着かせ、笑みを浮かべる。
「明らかに動きが鈍っているぞ」
「……だったら、どうする……? 正々堂々ではないから、やめるか……?」
真澄の問いに嘉斉は答えない。
「無理だろう。やめれば、王冠も玖暁騎士も納得しない」
真澄はそう言って刀を構え直す。
どうやら嘉斉は、真澄の呪いの存在を知らないようだ。彼は佳寿に信用されていないらしい。佳寿にしてみれば、これほど実直な男は使いにくいはずだ。だからわざわざ砦に残していった、ということだろう。
「続けるぞ……」
真澄の言葉で、嘉斉も刀を構える。知尋や瑛士が固唾を呑んで見守っている。
その時、パンと乾いた銃声が聞こえた。
その場にいた全員が、音のしたほうを振り向いた。
聞こえたのは確かに銃声だ。銃を構えている者は見当たらない。撃たれた者も――。
「知尋さまっ!」
瑛士が叫んだ。奏多が支えている知尋の右肩に、鮮やかな赤い鮮血が滲んでいた。
「奈織、上だ!」
黎が叫び、奈織がすぐさま銃を構えた。城壁上にまたひとり、王冠が狙撃銃を構えて立っていた。城壁上にいた者の眠りが解けたとは考えにくいから、真澄らを狙撃するため下から上がったのだろう。奈織がそれを撃ち、王冠を倒す。
それを見ていた昴流が宙たちを振り返った。
「あれは狙撃部隊の増援だ……城壁へ行く! 急ぐぞ!」
昴流が身を翻し、巴愛と蛍がそれに続く。背中は宙が守った。このあたり、宙は騎士としての心構えがしっかりしている。
城壁へ上がると、昴流が思った通り、銃を手にした王冠たちが続々と集まってきていた。昴流が刀を抜いてそれらを斬り捨てる。宙と蛍もそれぞれ王冠を打ち倒す。
昴流らは迅速な判断で真澄の背を守ったのだった。
知尋が銃で撃たれた肩を抑えて顔を上げた。
「銃弾が掠っただけです……それより、真澄が……!」
瑛士がはっとして真澄を振り返る。
真澄の手から刀が落ちた。引きずられるように真澄も床に膝をつく。知尋の術が解け、一気に刀の負荷がかかったのだ。今まで気力で抑え込んでいた疲労も、激しい呼気とともに吐き出される。
「っ……う」
嘉斉が真澄に刀を向ける。それを見た瑛士が我慢の限界とばかりに怒鳴った。
「貴様! その状態で剣を向けるのが『正々堂々』かっ!」
嘉斉が動きを止める。すると、黙っていた奏多が前に進み出た。知尋は奈織に任せている。
「嘉斉さん。今から貴方に攻撃しますね、構えてください」
奏多は堂々とそう告げた。その姿は一瞬で消える。嘉斉がはっとしたとき、奏多は既に嘉斉の真後ろにいた。
奏多は嘉斉の足を払い、嘉斉を俯せに転倒させた。嘉斉の右腕を持ち上げ、右肩に膝を乗せる。その状態のまま、奏多は嘉斉の右の肩に置いた自分の膝に、全体重をかけた。
嫌な音がして、嘉斉の右肩の骨が砕けた。嘉斉がさすがに苦痛の声を上げる。
「城壁から狙撃された時点で、もうルール違反ですからね。一応、俺は正々堂々と攻撃をしかけましたから」
「き……桐生殿!? なぜ、ここに……」
「俺は今、兄皇陛下に協力していますから。たとえ父の友だった嘉斉さんが相手でも、俺は容赦しませんよ」
真澄が刀を杖代わりにして歩み寄ってくる。嘉斉は苦しげに呻く。
「矢吹殿に逆らうのはやめておけ……あれは、我々の手には負えない……」
「受け入れて生きるのは簡単だが、私には責務があるのだ」
真澄が静かにそう告げる。
「嘉斉殿。部下に降伏を呼びかけてくれ」
「な、に……?」
「彼らは貴方に忠実な王冠だ。私が降伏を呼びかけようと、貴方の指示以外には従わぬはず。……私は人を殺すのも人が殺されるのも嫌いだ。だが戦場においてその感情は捨てている。降伏を選ばぬのなら、完全に追討させてもらう」
真澄の目は真剣で、しかしそれ以外の感情はない。降伏してくれと切に願っている感情もなく、淡々としたものだ。
嘉斉はしばらく黙り、それから口を開いた。
「青嵐の王冠たち……武器を収め、武装を解除しろ」
王冠たちは指揮官の様相に抵抗の意思を挫かれたのか、大人しく捕虜となった。
こうして天狼砦は、再び玖暁の手に戻った。
解放された玖暁騎士たちの中には当然軍医もいて、真澄はすぐさま敵味方を問わず治療に当たらせた。怪我人は多いが、死者や重傷者は少ない。戦争というよりむしろ『喧嘩』や『暴動』というべき乱闘だったので、大体の傷は打撲傷であった。重傷者は骨折者が圧倒的に多く、奏多が容赦なく肩の関節を外したり砕いたりした者ばかりだ。
かくいう嘉斉も、手痛くやられた。軍医が肩を固定しているところを見て、瑛士が奏多を見る。
「……あれ、大丈夫なのか?」
奏多は苦笑を浮かべる。
「まあ、完全に壊したわけじゃないから治るんじゃないでしょうか」
真澄は騎士に連行される嘉斉を見つめた。
「……死に場所を奪った私が憎いか?」
嘉斉は皮肉っぽい笑みを浮かべ、首を振った。
「まさか。……これで貴殿が言った通り、貴殿が導く玖暁を見届けることができるからな。それに最初に言っただろう。先に卑怯をしたのは、我々だとな……」
だからこの結果は潔く受け入れるということだ。
「……部下たちへの寛大な手当て、感謝する」
嘉斉はそう言ってその場を去った。




