25 神なる炎、入手
「どうやら王冠ではないようだな」
内心の動揺を隠して真澄はそう言う。だが、刀は収めない。
襲いかかってきたのは確かに彼女だ。しかも武器を持っていないから、恐らく素手で飛びかかった。その速さと拳や足の威力は、油断ならない。
「私は確かに真澄だが、私に何か御用かな」
飛びかかられても対処できるように足を開く。と、少女は両手を挙げた。戦う気はない、という意思表示だ。
「王冠だと思って攻撃しちゃっただけ。ごめんなさい」
真澄はそれを聞き、ゆっくりと刀を収める。少女も手を下ろした。
「こんなところで何をしている?」
「探し物」
「というと?」
「貴方が探しているのと同じもの。呪い、かかってるんでしょ」
なぜ知っている、と誰もが思ったが、真澄はその疑問をスルーした。
「……私たちが騒動を起こした混乱に乗じて、君も乗り込んだのかな?」
「違う」
少女は首を振った。
「何日か前、ひとりで忍び込んで捕まった。でも、施設の動力が落ちて拘束具が外れたから、逃げた」
「ほう、良い度胸をしている。……その『探し物』、見つけてどうするつもりだ? 私にも譲れない事情がある。事と次第によっては、押しとおらせてもらうが――」
穏やかな口調で真澄が言うと、また少女は手を挙げた。
「目的は違うけど、結局同じことする」
「どういう意味だ?」
「私が神核を集める。そうすれば、貴方の呪いが解ける」
真澄が目を見張った。瑛士が身を乗り出した。
「それは本当か!?」
「瑛士、反応すべきはそこではない。……どうして、私の呪いのことを知っているのだ? どうして呪いを解こうとする?」
安直な瑛士を真澄が黙らせる。一息に信用するには、まだ足りない。少女があまりに『知りすぎて』いることが、逆に不審だった。
「貴方に呪いを施すことに成功したって、研究者たちが自慢しているのを聞いた。ついでに、私もその実験台になりそうになっていたから」
「……ふむ」
「貴方に会ってすぐ分かった。貴方から強い魔力を感じる。だから、気付いた。それだけ」
片言でしか話せない少女は、どこかもどかしそうだった。会話に慣れていない、そういう雰囲気だ。
「その呪いは、非道なこと。許すわけにはいかない。助けるために、神核を集めなきゃならない。それが使命」
「使命ね」
「呪いを解く方法を、私は知っている。貴方が信じてくれなくても、私は勝手にやる」
少女は真澄を見上げた。強い意志を込めた目だ。
「……でも、連れて行ってくれるならその方が手っ取り早い。一緒に行かせて。必ず、助けるから」
真澄はしばらく少女を見つめたが、やがてふっと微笑んだ。
「……分かった。では詳しいことは先へ進みながらでも話してくれるかな。時間が惜しい」
「そんな安易に信じて大丈夫ですか?」
知尋は疑念を捨てられないようだ。それもそうだと思うし、慎重な性格の知尋ならなおさらだ。
「ただでさえ私たちは手がかりの少ない旅をしているんだ。信じてみることで、何か見つかるかもしれないだろう? 敵でないなら、それでいい」
そう言われると、知尋にそれ以上の反論はできない。
「じゃあこっち。場所は知っているから」
少女はそう言ってくるりと踵を返し、元来たほうへ歩き出した。
真澄は少女と歩を合わせた。真澄だからついていけているが、小柄な少女にしてはかなりの早歩きである。宙など半ば小走りだ。
「……君はなぜ、たったひとりでここへ忍び込んだんだ?」
「火の大神核『神炎』を取り戻すため」
「やはり大神核だったのか」
「知っていてここに来たんじゃないの?」
「残念ながら私たちの間では予測でしかなくてな。それで、それをなぜ君が取り戻す? 君は何者なのだ」
少女は迷いなく角を曲がっていく。知尋が黙っているから、方向は正しいのだろう。
「私は純血の彩鈴帝国人の末裔。大神核を守るのが役目」
「純血の彩鈴帝国人の末裔……?」
「私のご先祖は深那瀬に住んでた」
真澄が目を見張った。どう驚いていいのかいまいち分かっていないらしい巴愛に、知尋が説明する。
「彩鈴帝国の民は、【魔大戦】で多くが犠牲になりました。生き延びた者も確かにいたでしょうが、今となっては他の血と混じって純血など存在しないはず……実は瑛士に隠し子がいると言われたほうが、まだ真実味があります」
「知尋さま、いまさらりと俺を見下しましたね?」
瑛士がじろりと知尋を見やったが、知尋は徹底的にスルーした。
「つまり君のご先祖は遡れば、神核を生み出し、世界の滅びを回避した者たち……彼らが興した帝国の血を細々と守り続けてきたということだな」
彩鈴帝国を作ったのは古代人。その古代人たちは、巴愛の時代の人間の末裔だ。つまり巴愛のずっと未来の子孫が、この少女なのだ。
真澄に問われ、少女が頷く。
「私の他にもいっぱいいる。彩鈴の山奥で古代の文化を大事にして生きている。普段使っている言葉は異国の言葉だから、この言葉あんまり得意じゃない。……言葉遣い、おかしくない?」
心配そうに尋ねられ、真澄は微笑んで首を振った。それにしても古代の文化とは。奈織がいれば大喜びで食いつきそうな話題である。勿論、真澄も考古学者の血が騒ぐというものだ。
「大丈夫だ、ちゃんと分かる。……では、大神核を守るとは、具体的にどういうことだ?」
「別に何もしない。大神核が誰の手にも触れないように見守ってきただけ。なのにこの間、青嵐の人が『神炎』を奪った」
「だから取り返しに来たのか」
「うん、忍び込んだときまではそのつもりだった」
「ん? なら今はどうするつもりだ」
「貴方は『神炎』の力で呪いを受けている。それを解くためには『神炎』があるだけじゃ駄目。『神炎』を消滅させるしかない」
反応したのは知尋だ。
「神核を消滅させる? そんなことが可能なのですか?」
神核の中に込められた魔力が尽きれば、神核はただの石と化す。しかしそれは「消滅」とは言えない。粉々に砕いても、削っても、神核は消滅などしない。
「私が消滅させる手順を知っている。だからそれで消す」
「……できるとしても、それほど強大な神核を消してしまっていいのでしょうか?」
その問いは昴流だ。
「ただ奪われたなら取り返して封印するだけで良かった。でも、青嵐は神核の力を使ってしまった。そうなったらもう手が付けられなくなって、神核が暴走する。大惨事になる前に、消すしかない」
「成程な……」
「けど、ひとつ問題がある。『神炎』だけを消滅させることはできない。残りの二つも手元にある時、つまり三つ一緒じゃないと消滅させられない」
「……玖暁と彩鈴にある他の二つも、同じように集めなくてはならないのか?」
真澄が眉をしかめる。瑛士が舌打ちしたげな顔になる。
「これで真澄さまの呪いが解けると思っていたというのに……!」
「……彩鈴のものは、後程狼雅殿にお話ししておけばいい。ひとつひとつ、やれることをやるしかないだろうな」
真澄は冷静にそう言った。
真澄たちは階段にたどり着いた。きちんと上へ続いている。踊り場に足を踏み入れた瞬間、下から人の気配が上がってきた。瑛士がはっとして身構えかけ、すぐに緊張を解く。
「御堂」
聞こえたのは黎の声。黎と奈織、奏多の制御室組が、階段を使って上がってきたのだ。
「無事みたいだな。昇降機の動力まで落としてほしくなかったが」
「無茶言わないでってばあ。……ん、ところでそっちの人は?」
奈織が目ざとく少女に気付いた。真澄が微笑む。
「助っ人だ」
「何か真澄って、知らないうちに仲間を増やしてるよね」
「まったくな」
というのはもっぱら宙と奏多のことで、再会した兄弟は顔を見合わせた。
「まあとにかく、施設設備は完全に機能を停止しています。奈織さんがロックまでかけてくれたので、当分の間は復旧しないでしょう」
奏多の言葉に真澄は頷いた。
「目的はこの上だ。行くぞ」
階段を駆け上がって五階へ向かう。廊下に出ようとした瞬間に銃声が鳴り、一行は慌てて階段の陰に身を隠す。銃声はしばらく続き、ぴたりと止む。
「自分から『ここが怪しいです』って言っているようなもんだな」
宙が呆れたように呟く。瑛士がふっと笑って刀を抜いた。
「まあいい。こそこそやるのは性に合わんからな。堂々と突破して目的の物を頂戴するとしよう」
「どこの野盗ですか」
奏多もまた苦笑を浮かべて突っ込む。知尋が眉をしかめた。
「しかし、これだけの銃弾の中を突破するのは……」
「忘れたのか、知尋。瑛士は『銃弾の一刀両断玖暁騎士記録』の保持者だぞ」
真澄がにっと笑う。奈織が愕然とする。
「なんなの、それ……」
「書いて字の如くだが」
「そういえばありましたね、そんなもの……」
昴流も溜息をつく。豪速で飛来する銃弾を刀で両断する。一歩間違えれば即死、良くても大怪我必至である。
「なんか、案外どうでも良さそうなことやってるんだねえ、騎士団長様が……」
「ふん、銃弾斬りなら私もやったことがあるな」
黎が腕を組み、奈織が目を見張った。
「ってえ、兄貴まで!?」
奈織は無視し、黎が瑛士に目くばせする。瑛士がにっと笑って腰を浮かせた。
「行くか」
「ああ」
二人の騎士は刀と槍を構え、呼吸を合わせた。
そして二人同時に陰から飛び出した。凄まじい速さで、廊下の一角を封鎖する王冠たちに肉薄する。隊長らしき男が上ずった声を上げる。
「う、撃てぇっ」
その声と同時に、王冠たちが一斉に銃を撃った。瑛士がにっと笑う。
「王冠は刀一本で戦うってのが信条じゃなかったのか? 時代は変わるもんだな!」
抜剣の勢いそのまま、瑛士は飛来した銃弾をまとめて切り払った。真っ二つになった銃弾がばらばらと床に落ちる。それだけで王冠たちは竦みあがった。
瑛士が真っ直ぐ切り込んでくる。銃弾などかすりもせず、かする可能性のあるものは両断された。大雑把に振り回しているように見える瑛士の刀だが、実は至極正確だ。
「すごいですねえ、御堂さんは」
奏多がのんびりと称賛すると、真澄がふっと笑った。
「戦いのことになると、頭がキレる男だからな」
「というより、あれは単なる野生の勘、本能ですよ。計算も何もありはしない、『振るってみたら当たった』です」
さらりと斬り捨てたのは知尋である。真澄ががくりと肩を落とす。
「知尋。……それがたとえ真実でも、瑛士の威権に関わるから口に出してやるな」
「そうでした、私としたことがつい。『思慮深くで冷静沈着な騎士団長』と……それが瑛士の化けの皮でしたね」
ははは、と面白そうに笑っているあたり、まったく悪いとは思っていない。少女が目を丸くしている。
「ここって、敵陣じゃないの?」
「うん、敵の真っ只中だな」
宙が腕を組む。少女が首を傾げた。
「賑やかなんだね」
「緊張感がないってだけですよね……?」
巴愛が困ったように微笑んだ。
「突っ込んでくる男に銃口を集中しろ!」
隊長が悲鳴じみた声を上げる。瑛士はそれでも臆さず、真っ直ぐ駆け抜ける。
瑛士に気を取られた王冠たちは、途中で忽然と消えた黎に気付かなかった。
瑛士が刀を振りかぶって王冠たちに斬りかかった。だがその一瞬無防備なところを、他の王冠が狙撃しようとする。
「私を忘れてもらっては困るな」
冷ややかな声と共に、長大な槍が王冠たちを薙ぎ払った。瑛士と並走していたはずの黎だ。途中で速度を落とした黎は瑛士に砲火を集中させ、自分は大きく迂回して横から踊りかかったのだ。二人の間では、そんな暗黙の作戦が成立していたのである。
瑛士と黎の連携で、廊下を封鎖していた護衛士は壊滅した。真澄らが階段から廊下に出た瞬間、階段の下から「上だ、走れ!」という声と階段を駆け上がる音が聞こえてきた。はっとした真澄に代わり、奏多が刀を抜く。
「階下へ蹴落としたらすぐ行きます、先へ行ってください」
「分かった、頼む」
真澄はそう言い、知尋に向き直った。
「知尋、神核はどこだ?」
知尋は廊下の奥を指さした。
「この奥です」
真澄は頷き、駆けだした。瑛士と黎が先頭に立って襲いかかってくる王冠を斬り倒す。
角を曲がると、そこは突き当りになっていた。扉が一つあるだけだ。
「この部屋……ですね?」
瑛士の問いに、知尋が頷く。奏多も早々に追いついてきた。瑛士はドアノブを回し、ゆっくりと押し開けた。
室内は暗く、誰もいなかった。その中で、ぼんやりと赤い光が浮かんでいる。混乱の中で置き去りにされたらしい、巨大な神核だ。
「これが大神核……『神炎』」
黎がポツリとつぶやく。と、真澄が右腕を抑えた。知尋がはっとして振り向く。
「痛みますか?」
「……いや、痛みはない。ただ……疼くんだ。嫌な予感しか、しない……」
真澄の額にはうっすら冷や汗が浮かび、顔色も青褪めていた。
奈織が歩み寄る。そして、その神核をじっくりと眺めた。
「へえ、こりゃでっかいねえ。こんな神核、初めて見るよ」
呟きつつ、奈織が『神炎』を手に取った。少女が進み出て、じっと神核を見つめる。
「……うん、本物。これが大神核」
瑛士はほっと息をついた。
「目的は達成だ、長居は無用。さっさと脱出しましょう」
「そうしたいのは山々だが、どうやって? 王冠は続々とここへやってくるぞ」
黎の言葉に、瑛士がむっと唸る。真澄は格子の嵌められた窓に近づき、刀の一撃で格子を砕いた。
「兄皇さま?」
宙が声をかける。真澄は刀を収めて窓を開け放った。風が吹き込んでくる。兄皇は振り返り、微笑んだ。
「飛び降りようか」
「んな無茶な! 地上五階だぜ、ここ!」
「なに、大したことはないさ」
「ある! 大したことある!」
宙がそう叫んだ時、部屋の外の廊下で激しい足音が響いた。黎が眉をしかめる。
「一刻の猶予もありませんね」
「下の安全を確保します」
そう言って真っ先に身を躍らせたのは昴流だ。巴愛には真澄がいるし、殿を瑛士が務めるなら最初に飛び降りるのは部下である自分だ、と昴流は己に課していた。
「奈織!」
「はっ、はい!?」
急に呼ばれた奈織が硬直する。黎は奈織の服の襟首を掴んだ。黎は奈織を担ぎ、窓枠に飛び乗った。
「あっ、ちょっと、兄貴ぃっ」
「うるさい、舌を噛むぞ」
黎はそう一喝し、窓枠を蹴って飛び出した。瑛士がそれを見送って呆れたような顔になる。
「実の妹の扱いがこの上なく悪いな……」
「瑛士、殿は任せた」
「はい、真澄さま」
瑛士が頷く。真澄は巴愛の手を引いて引き寄せた。
「ちょっと失礼」
真澄はそう先に言って、巴愛の身体を掬い上げた。巴愛が真っ赤になる。人生二回目のお姫様抱っこだ。
「ひゃあ、真澄さま……!?」
「下へ降りるまでの辛抱だ。掴まってろ」
真澄はそう言い、巴愛を抱き上げたまま窓から飛び降りた。真澄は高いところが苦手なはずなのに、こういうときは大丈夫なのである。巴愛のほうも、ジェットコースターのようなものが大好きなので、怖くはない。
「あのふたりはまったく、こんな時まで笑わせてくれるんだから」
知尋が微笑んでからそれに続く。
「兄さんっ、俺は一人で平気だよ。だから……」
「いや、残念だけどそう言うわけにはいかないな。一応俺も、兄貴だし」
奏多はいやがる宙をひょいと肩に担いでしまった。歳の差があるとこうなるのが理不尽だ。
「待ったぁ! 瑛士さんや黎さんや兄皇さまなら安心できるけど、兄さんは安心できないぃ! だったら頭から突っ込もうが俺一人で降りるぅっ」
「酷い言い草だな」
奏多はそう言って、軽く床を蹴って部屋を飛び出した。
「お嬢ちゃん、俺に掴まると良い」
瑛士がそう少女を呼ぶと、少女は首を振ってまっすぐ窓に近づいた。
「ひとりで平気」
そう言って、他の皆と遜色のない身のこなしで窓から飛び降りた。瑛士が頭を掻く。
「結局、格好つかないのは俺だけか……」
ぼやきながら、殿の瑛士が部屋を脱出した。




