20 季節外れすぎる雪
神都は、重々しい雰囲気に包まれた雪の街だった。
「雪……」
真澄が呟き、目の前に落ちてきた雪を掌に掬った。この日、神都の重厚な城壁が見えたあたりからちらほらと雪が降りてきていた。南国である玖暁では、勿論雪など降らない。彩鈴の山岳地帯では雪が降ることも時々あるらしいので、真澄と知尋、瑛士、昴流だけが雪は初体験だ。
というかそんなことはどうでもよくて。
「な、なんで雪降ってるんですか!? 玖暁はまだ真夏だったじゃないですか!」
巴愛はそのことで頭がいっぱいだ。たった数十日間の旅で青嵐に来て、まるで南半球と北半球のように季節が真逆なのだ。異常気象にもほどがある。
「世界の滅び以降、この大陸は気象が崩れてしまってな。今なお異常気象が時々起こる。この時期に青嵐で雪を観測するのも、そう珍しいことではない」
真澄がそう言ってくれたが、やはり現代の常識に慣れた頭はそう簡単に納得してくれない。だが納得しなければならないので、もやもやは残るが巴愛は口をつぐんだ。
「寒くないですか、真澄?」
知尋が気遣って声をかける。だが、そう言っている知尋のほうこそ血の気のない顔をしている。
「私は平気だ。お前こそ、他人の心配より自分の心配をしとけ」
知尋が苦笑して頷く。
城門をくぐるときに馬は降り、旅をする者のために設けられている馬房に馬を預けた。人の多いところであまり顔を晒したくないので真澄も知尋も後ろに下がっていたが、さすがに市民は玖暁の皇の顔は知らないだろう。
徒歩になってとりあえず市街を歩いていくと、黎がやや上を見上げた。
「あれが王城です」
視線の先に、巨大な城がある。だが玖暁の皇城ほどの優雅さも、彩鈴の王城ほどの荘厳さもない。ただ重苦しいだけだ。
「隣接している高い塔が第一研究所。その奥に小さく見えるのが、第二研究所です。まだだいぶ距離がありますね」
真澄らが狙う大神核のある、第二研究所だ。
「これだけの大人数で行動すると目立ちます。二手に別れませんか?」
知尋の提案に真澄が頷く。
真澄、知尋、瑛士、巴愛、昴流の五人と、黎、奈織の二人に別れた。人数的に平等ではなかったが、「兄妹で観光、という態を装いますよ」と言って黎は奈織を引き受けて行った。
互いに街を散策し、第二研究所の近くにも行ってみる。合流は街の中央の広場ということにした。人通りも多いので、そういうときは紛れてしまったほうが良い。
目的地である第二研究所は郊外にあるので、研究者でもないのに傍に寄るのはかなり難しい。
知尋が遠方から研究所の様子を見やる。視力が異常なまでに良い知尋だからこそ探れる距離だ。
「どうだ、様子は?」
「……正面には七人が警備についています。施設の敷地内にも巡回兵がいますね。青嵐騎士が多いようですが、王冠の姿もあります」
「王冠か……まあ、そこに何かあると証明しているようなものだな」
「正面から切り込むのは無理そうですね」
真澄は頷き、その場を離れる。こういう諜報事は彩鈴の兄妹に勝てるはずもないので、任せることにする。そのために、黎は奈織のみを連れて行ったのだろうから。
人通りの少ない路地に入る。住宅のみが並び、日もあまり差していない。
「これが神都の下町か……廃れているな」
真澄がポツリとつぶやく。瑛士が頷いた。
「重税やら重労働やらを強いられているらしいですからね」
「ああ……にしても、これが本当にこの国の首都なのか? どうしてこんなに人気がない……」
その時、また真澄の右腕に激痛が奔った。
「っ!?」
「真澄さまっ!」
巴愛が真澄の傍に駆け寄る。真澄は痛みに耐えるように堅く目を瞑った。
「……また、こんな時に……ぐっ!」
真澄は引きずられるように地面に膝をついた。ここに人通りがないのが救いである。
知尋が真澄の右腕に巻いた布を取る。呪いの紋章の色は、やや赤くなっていた。
「色が変わってきましたね……」
知尋が真澄の痛みを和らげるように術を使う。さすがに今回は眠らせるようなことはしない。瑛士が真澄の身体を支えてやる。
「……有難う、知尋……楽になってきた」
真澄がそう言って知尋の手を収める。あまり術を使っては彼の身体に障るのだ。
みながほっと息をついた。――そんな不意を突いた声がかけられた。
「兄さんたち、どうしたんだい?」
瑛士がはっとして振り向く。そこには、十六、七歳の少年が佇んでいた。その服装は――忘れもしない、王冠の着物。
「王冠……!?」
昴流が目を見開く。王冠の少年は不思議そうに首を傾げる。
「そこでしゃがんでる人、怪我でも――」
瑛士が巧妙に真澄の姿を隠していたが、僅かな隙で少年に、真澄の顔が見えてしまったようだ。
少年が息を飲む。「玖暁の」と言いかけた少年を、一瞬で地面に組み倒したのは瑛士だ。
王冠は人工的に神核のエネルギーを体内に取り入れた人間。たとえ少年であっても、その戦闘能力は計り知れない。そう思って瑛士が飛び掛かったのだが、案外あっさり少年は抑えつけられ、もがいてはいるが脱出できないことに違和感を覚えた。もう少し手ごたえがあってもおかしくはないのだが、どうしたものか。
「うっ……わ、ちょっ、やめて……!」
「すまんな。だが王冠に正体を悟られるわけにはいかなくてな。潔く逝ってくれ」
「待った、そんな宣言されて素直に逝けるかってーの! ってか、あんた俺のこと殺す気ないでしょ!」
「いや? 俺は殺す気満々だ」
「……そうはっきり言われても困るんだけど……とにかく、なんで殺すつもりの人間に『お前には死んでもらう』って宣告するの? それめっちゃ残酷じゃん、そんなの言われたって準備できねえし……! あんただったらこんな風に組み倒さないで、即座に斬るはずだろ。こんなにべらべら喋らせておくのも変だ!」
少年が必死にそう言うが、瑛士は困ったような顔をする。うしろで知尋が吹き出す。
「見破られているね、どう気分は?」
「……だいぶ複雑です」
瑛士が息を吐き出す。子供を手にかけたくないという弱さを、当の少年に見破られてしまっていたわけである。
少年はまたまくし立てた。
「俺は確かに王冠だけど、信じてくれ。味方だ」
「どうやって信じろと?」
「もし俺が敵だったら、とっくに大声あげて他の王冠を呼んでる! 俺、今ここにいる人みんなが誰か分かってるんだよ。俺はあんたたちを探してたんだ」
「ほう、誰だっていうんだ?」
「あんたは、騎士団長の御堂瑛士さん! 後ろにいるのが兄皇さまと弟皇さま! それと小瀧昴流さん、そんで九条巴愛さん、だろ!」
ほとんど喚くように言っているが、それは正確だ。真澄がぴくりと表情を変えた。
「……なぜ、巴愛と昴流の名を知っている?」
昴流は瑛士の部下の一騎士にすぎない。巴愛にしてみれば、存在そのものを隠してきたのだ。その名を知っていることは驚きというよりも怪しい。
「ふうん、俺たちが神都に紛れ込んだだろうから探せって言う、矢吹とかいう奴からの命令か?」
「俺はあんな奴の命令なんて聞かねえッ!」
少年の声が怒気をはらんだ。どうやら本気で癇に障ったらしい。佳寿を嫌うその声が演じられたものだとは、真澄には思えない。
「矢吹はいま玖暁だ! 玖暁侵攻と研究所護衛のどっちかに人員割かれて、他に王冠は残ってない!」
「ならお前はなんだ?」
「誰が矢吹の命令なんか聞くか! 俺は警備に残されてたけど、サボってんだよ!」
「あまり褒められたことではないなあ」
もうやけくそらしい。瑛士が呆れたように呟く。
しかし、とどめはそこで来た。
「天崎李生さん」
少年の口から飛び出した名に、みな言葉を失った。
「李生さんと手紙をやり取りしていたのは、俺の兄さんだ」
「なに……?」
「あの人、天狼砦が陥落する前日、兄さんに手紙を出してた!『自分はここで死ぬかもしれない、それでも陛下だけはお守りする』って! 李生さんは、兄皇さまたちが彩鈴経由で青嵐に来るかもしれないって予想してたんだよ!」
真澄が前に進み出る。
「天狼砦が陥落する前日? どうして李生はそのことを……」
天狼砦は、たった半日で陥落したのだ。前もって李生がそれを知っていたはずはない。知っていたら即座に話してくれたはずだ。
「うちの兄さんが情報流したからだ! 王冠総動員で玖暁を攻めることになった、でもそれがいつかは分からない。ただ王冠は本気で玖暁を滅ぼすつもりだ、って!」
「お前の兄とは一体……?」
「兄さんは青嵐騎士団の人間だ! それも結構地位が高い」
青嵐の戦力はふたつに分かれている。騎士団と王冠、正式名称は特務師団だ。騎士団は前線で戦い、王冠は国王の傍に仕えたり要人警護をしたりする――というのが本来の役割なのだが、ここ数年でそれは覆りつつある。王冠が戦闘でも最前線に出るようになり、権力を拡大したのだ。比例して、騎士団の権力は縮小された。今では完全に騎士団という組織は王冠の陰に隠れている。
しかし兄が騎士団で弟が王冠とは。対立しているふたつの組織に兄弟で所属するなど、少し考え難い。
「兄さんは騎士団から青嵐の軍事を是正するつもりなんだ。だから敢えて権威の弱い騎士団に入った。俺が王冠なのは……適正ありとみなされて、強引に回されたんだよ。まだ見習いだから、神核エネルギーの注入は殆どされてないよ」
みなの内心の疑惑を、少年は自分から説明した。
「兄さんは兄皇さまたちを探していたんだよ。李生さんの信頼に応えて、みんなに協力するために」
語りつくしたのか、少年はふうと息をついた。真澄がはっとあることに気付いた。
――『神都の下町に住む、桐生という男です』
李生は確かそう言った。李生はやはり分かっていたのか、真澄たちが青嵐に向かい、自分の旧友と会うと言うことを。
「……お前たち兄弟の姓は?」
問いかけると、少年が答えた。
「桐生だよ」
それを聞いた真澄の表情が和らぐ。知尋が兄を見やった。
「真澄……」
「ああ。――瑛士、放してやってくれ」
瑛士は頷き、少年を解放して立ち上がった。真澄が歩み寄り、起き上がった少年に手を差し伸べる。少年は驚いたように真澄を見上げた。真澄は微笑む。
「手荒な真似をして悪かったな」
「う、ううん……信じてくれるのか?」
「ああ。お前たちのことは李生からも聞いていたんだ。とりあえず、お前の兄さんに会わせてもらえるか?」
少年もほっとしたように微笑んで頷き、真澄の手を借りて立ち上がった。
「勿論、そのつもりだよ。有難う、兄皇さま。俺は宙。えっと、よろしくお願い……します?」
いきなり言葉遣いが敬語に変わった。あまりにも言い慣れていないようで、真澄が苦笑する。
「お前が一番、話しやすい口調で構わない」
「あ……うん。有難う」
照れたように宙が赤面した。腕を組んだ瑛士が溜息をつく。
「どいつもこいつも気安すぎる……」
「まあ、いいんじゃありませんか? こんな賑やかな子、子供の頃の真澄以来です」
知尋が困ったような笑みを浮かべる。他の者は疑問がありそうだ。古参の瑛士でさえ、真澄と出会ったのは比較的「落ち着いた」ころだったので、それ以前の真澄のやんちゃっぷりは知らないのである。
「余計なことは言わなくていいっ」
真澄がむっとして叱る。知尋が苦笑した。
「失礼しました」
明らかにからかっている顔だ。昴流が話を戻した。
「兄皇陛下、そろそろ黎さんと奈織さんと合流する時間ですよ」
「ああ、そうだったな。宙、連れと合流してから案内してもらえるか?」
「うん」
宙は快く頷いた。
広場に行くと、すでに黎と奈織がいた。ふたりともすぐ宙に気づき、黎はあからさまに怪訝そうな顔をした。無理もない、宙は王冠なのだ。その視線に気づいた宙は、特徴的な暗い赤の着物を脱ぎ棄てた。その下には、真澄らが身につけているのと同じ形の袴を穿いていた。自分のことを王冠だと怪しんでいる黎の目の前で制服を脱ぐことで、敵意はないと示したのだ。
「……その少年は?」
「協力者、かな。李生が助力を頼んでいてくれた。もう私たちの素性は知られている」
真澄の言葉に黎は驚いたようだ。
「天崎殿が、ですか……なかなか抜け目のない方ですね。さすが御堂の右腕を務められただけのことはある」
「おいこら、言いたいことがあるなら目を見てはっきり言え」
「まあ、真澄たちが信じたなら大丈夫じゃない?」
瑛士の反論もスルーし、警戒心の欠片もなく真澄の名を出した奈織は、その場で兄から鉄拳をもらう。しかし奈織の言葉には同意なので、黎も頷いた。
「えっと……俺、宙っていうんだ。助力を頼まれたのは俺の兄さんのほうなんだけど」
宙は黎の前で緊張しているらしい。親しみやすい瑛士とは異なり、黎にはやはり威厳というものがあるらしい。瑛士が頷く。
「これからその兄貴のほうに会いに行くってことになった」
「そうか、分かった。……さて、二度手間は好まないので、私の挨拶は君の兄上の前でさせてもらう」
「あ、じゃああたしもそういうことで」
奈織がすぐさま立ち直って兄に同乗した。
宙が案内したのは、住宅地の一角にある普通の家屋だった。他の家より少し規模は大きいが、たいした差はない。
宙は玄関を開け、室内に向かって呼びかけた。
「兄さん、お客!」
宙はだいぶ用心深く、ただ来客だということだけ告げた。その声に応じて部屋の奥から現れたのは、真澄や知尋と同年代か、少し上の青年だった。
客だと言われた時点で、彼はその正体を見破っていたらしい。室内に招き入れられた真澄らを見ても驚いた顔はしなかった。
宙が玄関の扉を閉めてしっかり閂までしたのを見届け、初めて青年が口を開く。
「お待ちしていました。……ご無事で良かった」
青年はそう言って微笑む。その服は、確かに青嵐騎士の着物だった。




