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和装の皇さま  作者: 狼花
弐部
41/94

15 世界の生きた証

 冷たい雨が身体を叩く。最初にそれを感じてからほんの十秒ほどで、雨は豪雨に替わった。


 まず両目をうっすらと開いた。見えるのは土と草、そして雨粒。土の匂いが鼻を突く。どうやら地面に倒れていたようだ。


 緩慢な動きで地面についた両手に力を入れ、膝をつき、身体を起こした。薄青だった着物は雨と土で元の色を失っている。潔癖症なところもあるのでいつもなら許せないが、立ち上がる気力がなくて、早くも水たまりと化した泥の中に座り込む。


 ここはどこだ。そう思って辺りを見回す。すると、雨のカーテンの向こうにうっすらと巨大な建物が見えた。それが皇都・照日乃だと言うことに気付き、混乱していた頭はさらに混乱した。


 顔を暗い空に仰向ける。もうずぶ濡れなのだから、今更気にしなかった。どうやら時刻は夜のようだが、黒雲のせいで何とも言えない。


 どうしてこんなところに。自分は死んだはずだった。死ぬつもりであそこにいた。死ななかったとしても、敵に捕らわれたはずなのに。


 ああそうか――自分は逃げたのだ。どうやってここまで来たのか記憶が途切れるほど夢中で、守るべきものをすべてなげうって、脱出してきたのだろう。なんて愚かで、弱い人間なのだろうか。兄に大口叩いた自分が、結局何も守れないなんて。


 それでも――こうして生き恥を晒しているままなら、自分にできることをしなければ。味方を見捨てたと詰られても、まだ自分には責任がある。


 ゆっくりと立ち上がり、皇都に背を向けた。彩鈴へ。どれだけ前かは分からないが、兄たちがここを通ったはず。追いかけよう。いまは、そうすることしかできない――。





★☆





 狼雅に真澄が呼び出されたのは翌日の朝のことだった。が、その内容は呼びに来た黎すら知らないようで、「何やら火急の知らせだそうです」としか分からなかった。真澄が黎とともに執務室に入るやいなや、室内にいた狼雅が大声を上げた。


「おい、真澄! 朗報だ!」

「どうされたのですか」


 真澄は寝起きなので少々反応が鈍い。最近は特に朝頭が回らないのだ。


「大山脈の玖暁側の関門に今朝方、若い男が傷だらけで倒れこんできたそうだ。情報部の奴らが言っているんだ、間違いない、そいつは知尋だ!」


 真澄が唖然とした。さすがに目が覚め、なんとなく黎と視線を見交わしてしまう。


「知尋……が?」

「ああそうだ、お前の弟だ」

「怪我の程度は……」

「傷は多いが致命的ではない。それよりむしろ衰弱しているようだ。二日前の夜から玖暁一帯は豪雨だったからな、それに打たれて弱ったんだろう」

「そう……ですか」


 真澄が頷く。狼雅は拍子抜けしたように真澄を見やった。


「なんだ、反応が薄いな。喜んでいるのは俺だけか」

「いえ、なんというか……どう喜べば良いのか、よく分からなくて」

「不器用だな、まったく。知尋は今こっちに向かって山越え中だ。三日もすればここに到着するが、どうする?」


 真澄はきっぱりと言い放った。


「会いに行きます。今すぐ」

「よし、その調子だ。黎、同行しろ」

「承知しました」


 黎が頷き、真澄は身を翻した。


 部屋に戻ると、真澄は室内にいた瑛士らに呼びかけた。


「瑛士! 出掛けるぞ」

「え、こんな朝早くどこへ?」

「知尋を迎えに、だ」


 瑛士が目を見開き、巴愛と昴流が顔を見合わせた。奈織が飛び上がる。


「知尋、見つかったの?」

「大山脈をこちらへ向かっているらしい。怪我をしているようだ」


 瑛士がすぐさま刀を手に取り、真澄に手渡す。


「あの激戦の中、皇都を脱出できたのですね。……良かった。巴愛、昴流、支度しろ。知尋さまを迎えに行くぞ!」

「はい!」


 すると、奈織が前に進み出た。


「あたしも行く! いいでしょ、兄貴?」


 真澄の後ろにいた黎は、苦々しげに頷いた。渋ったのは真澄だ。


「いや、だが……これ以上妹御を私たちの問題に巻き込むのは」

「奈織はこれでも医学の心得があります。加えて、その知識は私も及ばないほど豊富です。武芸も昔から私が仕込んできました。――多少なり陛下のお役に立つことは、私が保証します」

「兄貴……」


 奈織が唖然としている。そんな風に認められているとは思わなかったらしい。黎はじろりと妹を見やる。


「大山脈は彩鈴領内ですし、危険はないでしょう。それに、ここまで来て手を引くような奥ゆかしい妹ではありません。陛下の邪魔をしないうちに、手元に置いておきたいと思うのですが、いかがでしょうか」


 瑛士がにやりと笑った。なんだかんだ言っても、手綱をつけておきたいくらい妹を大事に思っているということだろう。


 同じことを見抜いたらしい真澄が微笑んで頷いた。


「勿論だ。これからも知恵を貸してくれるなら心強い」

「まっかせといてよ!」


 奈織が頼もしく胸を張った。黎がすかさず「調子に乗るな」と拳骨を入れる。


 それぞれ騎乗して王都依織を出て、大山脈への道をたどる。勿論巴愛は真澄の馬に同乗した。


「真澄さま、お身体の具合はどうですか?」


 巴愛が首を捻って真澄を見上げると、真澄は微笑んだ。


「今日は調子が良いよ。有難う……ああ、見てみろ、巴愛。あれが竜戯湖だ。あの湖の下に、古代の都市が眠っている」


 来たときは馬車の中、しかも眠っていたのであまり周囲の景色を見ていない。広大な湖。本物を見たことがない人なら、海かと間違えるほど巨大だ。光る水面では美しい鳥が悠々と泳いでいる。まさに竜も戯れると言われる竜戯湖だ。


「でもなんで竜なんですか? 昔は竜がいたんでしょうか?」

 

 巴愛は問うてから、竜が存在しないということを一番よく知っているのは自分だと気付いて沈黙した。同じことを思ったようだが、真澄は説明してくれる。


「玖暁の鳳凰の話と同じだ。竜は想像上の生き物だよ。ただ一説によると、この湖に落ちた雷が天へ昇る竜のように見えたことから、ここには竜が住まい、そしてその竜はかつて滅ぼされた深那瀬の人々の化身だと言われたそうだ。だから彩鈴の民は竜を怒らせないようにと、この湖を大切にしている」


 ネス湖のネッシーみたいなものかな、と巴愛は大雑把に考えた。


「よくそんなおばあちゃんの昔話みたいな伝承知ってるねえ、真澄」


 奈織が話に混ざってきた。彼女は乗馬だけならひとりでこなせるようだ。巴愛も暇を見て乗馬を覚えなければ、と心に決める。


「……昔、少しの間皇という責務から離れ、一介の考古学者として彩鈴に滞在したことがあるんだ」

「ええっ!?」


 巴愛と奈織が同時に驚く。


「ほんの二か月だ。狼雅殿の世話になりながら、自分の足であちこちの遺跡を見て回ったよ。自由気まま、という暮らしを満喫した」


 真澄が懐かしそうに呟く。


「楽しかった。だが、それだけだ。私が探したかったものは、彩鈴では見つからなかった」

「真澄さまが探したかったもの?」

「探したかった、知りたかったのは、世界の滅びの前のことなんだ。勿論、世界中のどこを探しても、もう何の資料も残っていない……それは分かっている。それでも諦めたくなかった。世界が滅びを迎える前に、確かにここに生きていたという人々の証を、見つけたかったんだ。世界の滅びが、人間の傲慢さによってもたらされたものだとしても――神核を生み出した者たちは、未来に希望を繋いでくれた。私たちは同じ過ちを繰り返さぬよう、歴史を知らなければならないと思う」


 歴史について語る真澄は、いつになく饒舌だった。彩鈴は世界の滅びを免れた古代人たちの国だった。その国では、それ以前の歴史は何もないのである。出てくるのは、彩鈴帝国がどうして建国されたか、どうして解体されたか、その頃の暮らしはどうだったか。こういってはなんだが、真澄はそんなものを知りたかったのではない。どうして世界は滅んだ。何がきっかけで、何が原因だった。神核を生み出した人たち以外の人間はどうなった。かつてこの大地はなんという国だった――?


「……今度、世界地図描いてあげますね」


 巴愛がそう告げる。


「あたしに分かることなら、なんでも話します。だからこの世界に残してください。あたしたちが生きた世界の『証』を」

「……ああ、必ず」


 真澄が頷いた。


 暗くなる頃には大山脈の麓に到着し、その日はそこで一晩明かした。翌日も早くから旅を再開し、黎の出迎えを受けたあの休憩所にたどり着いた。


「ここで弟皇陛下の到着を待ちましょう。明日にはお会いできるはずです」


 黎の言葉に真澄は頷いた。それを見ながら、奈織が巴愛に尋ねる。


「ね、知尋ってどんな人? あたしのイメージじゃ、気難しいって感じなんだけど」

「そ、そんなことないわよ。確かに厳しい時もあるけど、すごく優しくて暖かい人。それに、結構場の空気を盛り上げようとして面白いことも言ってくれるし……」

「ああ、他人をからかうのが好きな人だ」


 苦々しく瑛士が言った。何度瑛士が知尋のおふざけの対象になったことか。


「知尋さまは容赦って言葉を知らないからな、戦場じゃ真澄さま以上の暴れっぷりだ。笑顔でとんでもないことをしでかしてくれる……」


 瑛士は真澄だけでなく知尋にも振り回される苦労人である。


 知尋という青年は不思議な性格をしている。生真面目かと思えば冗談好きであり、慎重かと思えば豪胆、厳格かと思えば穏やかだ。相手によって性格を使い分けている訳でもなく、まったく真逆のふたつの性格を持つのが、「知尋」という個性なのだ。


 慣れるまでは、結構苦労した記憶が瑛士にはある。兄である真澄にしてみれば、知尋は「分かりやすい」らしいが、瑛士にはいまだによく分からない。巴愛は好戦的な知尋の一面をあまり見たことがないので、彼女のなかで知尋は「優しい人」にとどまっているのである。


 その時真澄は、休憩所の奥まったところで刀を構えていた。刀は後ろに引いて刃は地面に向いている。無形の位。これが真澄の鳳飛蒼天流の「後の先」をとる構えの基本形だ。


 右足を一歩踏み出して刀を振り上げる。その動きのまま右足を軸にして反転し、刀を振り下ろす。


 その瞬間、剣の重みに引きずられて真澄の身体がぶれた。あわや前のめりに倒れかけてつんのめったところを、なんとか踏みとどまる。


「……大丈夫ですか?」


 いつから見ていたのか、黎が傍にいた。真澄は刀をおろし、やれやれと首を振った。


「大丈夫……ではないな」

「軸足がぶれましたね。刀を真っ直ぐ振り下ろせていません。そのせいで、刀に引きずられたのでしょう。それに、振り下ろす腕力が不足しているようです」


 ずばりと厳しく黎が指摘した。真澄自身分かっていることなので、素直に頷く。


「剣をまともに振るえないのが、何よりも悔しい。戦いで足手まといになるのは耐えられないからな……」

「まともに振るえていないというのは兄皇陛下の元々の腕から見た基準です。今でも、並みの騎士よりずっと安定しています。うちの部下たちなど、戦い慣れしていないので素人同然です」


 部下を散々にこき下ろしているが、「真澄の元々の腕」を知っているところが、今更ながら恐ろしい。


「瑛士の教えの賜物だ」

「御堂は玖暁騎士団流の使い手でしょう。違う流派から学べるものですか?」

「ふむ……では、教えという言葉は訂正しよう。瑛士が私の練習相手になってくれた。技自体は、父の戦いを見て覚えた」

「見て……?」


 黎が目を見張った。目で見て技を再現できるなど、かなりの使い手だ。やはり武皇の血は争えないらしい。


「そういう黎こそ、瑛士と派手にやりあったそうではないか。こう言ってはなんだが、我が国の騎士団長を相手に一歩も引かぬとは、たいしたものだ。あれだけ饒舌に試合の内容を話す瑛士も久々だった」


 瑛士と黎が試合を行った結果は、決着がつかず引き分けとなった。黎は身の丈ほどある槍を利用して瑛士は近づけないと思われたが、瑛士はいとも簡単に間合いに滑り込んだ。そして大振りな黎の技の隙を突いて瑛士が攻撃したが、黎は巧みにそれらを防いでしまう。そんな感じで、一向に勝負がつかなかったのだ。


「……いえ、あれは私の負けでした。私は御堂がどのような戦略を持ち、どのような技を使ってくるのか、事前に知っていた。しかし御堂は私の戦法など知らない。それであそこまで追い詰められてしまったのですから……」

「……相手のことを知っているのは反則ではない。むしろ知ろうとしなかった者のほうが愚かだ。だから私も、敵の技術は逐一報告を命じているよ」


 真澄はそう言うと腰を低く落とした。先ほどとは別の構えで、素振りを行う。小ぶりだが隙のないこちらの構えのほうが、体幹は安定している。


「……それは青嵐の構え?」


 黎の目に狂いはなかった。


「ああ。説明するまでもなかろうが、李生から学ばせてもらった」

「青嵐騎士だった父を持つ、瑛士団長の懐刀ですね」


 李生は他国の人間からするとそう言う立場だったのか、と真澄は感心してしまった。


「青嵐武技・瞬刃流……青嵐騎士の中ではもう途絶えた流派ですね。いまだに使っているのはよほどの古参です」

「李生の父は、その瞬刃流の師範だったという。李生はその父から学んだそうだよ。青嵐の動きは素早い。その動きを捌くには自分も身につけるしかないと思ったのだが……邪道かな?」


 真澄の問いに、黎は首を振った。――つまり真澄は、黎が瑛士に対して卑怯をしたと思っていることは自分もしている、と示してくれたのだ。


「いえ、そんなことはありません。さまざまな戦い方を心得ていれば、それだけ変幻自在な剣技を究められます。……ところで、先ほどから私が思っていることを言ってもよろしいでしょうか」

「なんだ?」

「今このようなとき、このような場所で剣の稽古をしなくてもよろしいのではありませんか?」


 真澄は苦笑した。もっともである。


「そんなことは分かっている。けど、何かしていないと落ち着かないんだ。……それに、一日でも刀を抜かないと、どんどん衰えていくような気がして怖い」

「衰え、ですか」

「今はまだわずかだが、確かに動きが鈍くなっている。いずれ私は戦うことも立つこともできなくなるかもしれない」


 真澄はそう言って刀を収めた。


「瑛士も巴愛も昴流も分かっていて、放っておいてくれている。だから黎、狼雅殿に私を見ていろと命じられたのかもしれないが、貴方もそんなに気を遣わなくてもいいぞ?」


 それを聞いて、黎は我に返った。主従は絶対だ。主君に発言を許可されるまで、臣下は一言たりとも喋ることは許されない。狼雅はそんなことを気にしないから黎も遠慮なく口を開いてしまうが、他国の皇である真澄に対しても、求められていないのに声をかけてしまった。


 普段から狼雅によってそのあたりを徹底されていないことと――それだけ真澄が主従という壁を低くしている、というのが理由だろう。


 黎は真澄に頭を下げた。急に仰々しくなる。


「失礼いたしました」

「え、いや、怒っている訳じゃないぞ」

「いえ、まるで世間話をするかのような口を利いてしまって……剣の指摘までして、差し出がましいことをしました」

「……なんだ、そんなこと」


 真澄が苦笑いを浮かべた。


「そう形式を気にしなくてもいい。あまり主従を強調されるのは好かない、普通に接してくれたら有難いな」

「普通、ですか」

「ああ。私にとって瑛士たちは臣下ではあるが、それ以上に仲間であり友だから。色々型破りで付き合いにくいと思うが、慣れてほしい」


 付き合いにくいどころか、下手をすれば敬語を忘れそうなほどである。


 真澄の他に――臣下と目線を合わせ、同じ歩幅で歩こうとする君主がふたりといるはずがない。それはひとえに、真澄が皇である前にひとりの「騎士」だからだ。


 真澄は「休憩だ」と言ってその場を去り、黎も表へ戻った。と、妹が声をかけてくる。


「あれ、兄貴、なんでそんな難しい顔してるの?」


 眉間に皺でも寄っていただろうか、やはり妹には分かってしまうらしい。


「……主と従の間にあるべき壁がなければないで、難しいものだと思ってな」

「んー……何言ってんの?」


 説明するようなことではなかったので、黎は片手を振って「なんでもない」と言った。


 ああいう人柄だから瑛士たちの忠誠を集め、狼雅にはないであろう絆を作り上げることができたのだろう。真澄と自分の間にある、越えてはならぬはずの壁を、私も瑛士らのように越えていいのだろうか――と、黎は自問した。


(まったく、どうして他国の皇との関係でこれほど悩んでいるのだろうか)


 そう思わないでもない。


 とりあえず、諜報国の王にしては豪快すぎる狼雅と同じくらい、真澄は黎にとって好ましい為政者と思えた。


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