11 無礼にも程がある
この、どうにも怪しい時宮奈織という人間を信用するか否か。真澄は少し考え込み、それから顔を上げた。結論は案外簡単に出た。
「――信じる」
「ありゃ、意外とあっさりだね」
「こうなっては信じるしかない。それで裏切られたとしても、信じた私の責任だ」
奈織は真澄を見上げ、にっこりと笑った。
「優しいんだねえ。あたし、怪しさ全開だと思うんだけど」
「同じことを二度言わせるな。……索敵国家彩鈴の、この情報網には恐れ入った」
真澄が溜息をついて目を閉じる。
「んじゃまあよろしくねっ、真澄」
「ま、真澄さまを呼び捨てに……!」
瑛士が信じられないといった様子で頭を抱える。奈織は気にした様子もなく、真澄もそういうことは頓着しない。
「んで、そっちの騎士さんたちは?」
「俺のことは知ってんじゃなかったのかい」
「あたしに当てさせちゃっていいの?」
むうと呻いた瑛士が頭を掻く。
「御堂瑛士だ」
奈織に視線を向けられた巴愛と昴流が答える。
「九条巴愛です」
「僕は小瀧昴流」
「はいはーい、よろしくねえ、みんな!」
おかしな人間が加わったものである。
瑛士が馬から降りて昴流に手綱を握らせ、その後ろに奈織を乗せた。が、そのやり方は奈織の服の襟首を掴んでひょいと持ち上げるやりかたで、まるで子犬のようである。なんだか瑛士はこの少女を困ったがきんちょのように思ってしまうのだ。当の奈織は「女性にそんな扱い」と怒るわけでもなく、片手で自分を持ち上げた瑛士を「すごーい、力持ちだねー」と称賛した。どうやら、女性扱いされないことに不満はないようだ。昴流が徒歩になった瑛士に声をかける。
「団長、僕が歩いたほうが……」
「いいんだよ、乗っておけ。俺みたいなごつい奴より、お前のほうがそのお嬢さんだっていいだろ」
「はあ……」
「お前、本気で俺の性格が変わったとでも思っているのか?」
瑛士に問われ、昴流がぎくりとする。それを聞いた真澄が苦笑した。
「瑛士は元々こんなだよ。騎士団の前では仮面を被っていただけだ」
「そうそう、そう言うことだ。そりゃまあお前は今でも俺の部下だけど、もうそんなのはどうでもいいだろ。普通に喋ってくれていいんだぞ。別に名前を呼び捨ててくれても構わんし」
昴流は肩の力を抜いた。瑛士は厳しい教官で畏怖の対象だったが、案外気さくな性格なので驚いていた。まあ、この人はこういう人だったと納得しなければならないのだろう。兄弟子とはいっても、昴流と瑛士はそれほど話をした仲ではなかったのである。昴流が瑛士の隊に配属されて、「あ、そういえば」みたいな感じで交流ができたのだ。
「……分かりました。有難う御座います」
「おう」
「昴流、これからは李生の苦労が身に染みて分かると思うぞ。こんな騎士団長をずっと傍で支えてきたんだからな」
真澄の軽口に巴愛が微笑み、瑛士は憮然としたのだった。
と、奈織の目が、少し前を歩く馬に乗る真澄の右腕にとまった。正確には、そこにある呪いの紋章に。
「あれ、真澄その腕どうしたの?」
出会って数分で気安くなったものである。真澄は一瞬考えこんだ。色は痣のようだが、痣というには形が整いすぎている。仕方がないので――
「あ……ああ、これは刺青だ」
「んなっ」
後ろで瑛士が気絶しそうな顔になる。巴愛も昴流も沈黙している。
「へえ、皇さまが刺青?」
「ん、ちょっとした好奇心が……」
あったわけがない。
「結構真澄ってイケイケなんだねえ……って、いたっ!」
奈織の後頭部に思い切り拳骨を落としたのは、横を歩く瑛士である。乗馬している奈織の頭に、徒歩の瑛士は手が届く長身なのである。奈織が頭を押さえて呻いている隙に、激しく瑛士が真澄に首を振る。真澄は苦笑して肩をすくめ、すまんと口の動きだけで謝った。巴愛が真澄を見上げる。
「真澄さま、刺青……」
「入れてないし、入れたくもないから、安心しろ」
きつい山道だが、さすがに馬でも登れるほど道は整備されている。山が生活から切り離せない彩鈴の民だからこそ、環境は完璧に整えておくのだろう。
瑛士はまだ奈織の素性を疑っているようで、しつこく彼女の正体を探ろうと質問を繰り返していた。必然的に真澄と巴愛と昴流も黙り、暗黙のうちに全員が奈織の話を聞くことになっている。
「奈織、お前歳はいくつなんだ」
「十八だよ。ちょっと前まで学生だったんだけどねえ」
「学生か。彩鈴の教育機関ってのはどうなっているんだ?」
それには真澄も興味がある。彩鈴は情報を売るのが仕事だが、自国のことは何一つ教えてはくれない。彩鈴というのはかなり閉鎖的な国である。
「まあ、普通に街で暮らしている人は大体学校行くよ。義務って訳じゃないけど、国から資金も援助してもらえるし」
「義務じゃないってのが意外だな。諜報員の国じゃ、教育は絶対だと思っていたんだが」
玖暁は六年間の教育が義務化されている。そこからさらに学びたい者は上の学校へ行くが、そこまでするのは学者志望くらいである。学費は全面的に政府が援助しているので、どれだけ貧しかろうと学校へは行ける。なので玖暁の識字率は近隣諸国でトップだ。そのあたりは、かつての日本の教育を受け継いでいるのかもしれない。
優秀な人間の知能は、優秀な教育から。数多くのすぐれた諜報員を抱える彩鈴では当然のことだろうと思われたのだが。
奈織は頭を掻いた。
「んー……まあそうなんだけど。例えば真澄はさ、玖暁の皇城に彩鈴の諜報員が潜んでいて、そいつが彩鈴に情報を流しているのを見つけたらどうする?」
話を振られた真澄はすぐに答えた。
「その諜報員は強制的に彩鈴へ送還する。諜報というのは見破られずにやるものだ。実際、そういうことは少し前にあった」
「そうなんだよねえ。玖暁は安全なんだよ。とりあえず殺しはしないでしょ。たとえ一国のトップの傍に忍び込んでいても」
「青嵐は違う、と言いたいわけか」
真澄の言葉に奈織が頷く。
「青嵐に潜入した諜報員は命がけだよ。見つかったらその場で斬り殺されるもん。そうやって死んだ人が数えきれないくらいいるの。それでも彩鈴側はそれが仕事だから、諜報をやめるわけにはいかなくてね」
厳しい話にみな沈黙している。
「それにね、これはまたちょっと違った話だけど、諜報って余計な知識がないほうがうまくいくのね。自分の先入観入らないから、ありのままを報告できるってわけ」
奈織はそこで言葉を切り、真澄を窺うようにちらりと見やった。
「ここまで言えば、真澄はあたしがどう結論付けようとしているか分かる?」
「……つまり、いつ殺されるか分からないような人間のために施す教育などないわけだ。むしろその無知が有利になる、そういうことだろう」
「流石だねえ」
奈織が微笑んだ。最後まで彼女は和やかだ。
「そういうわけで、青嵐へ送られる諜報員には貧民層の人間が選ばれることが多いんだ。その諜報員が生きて報告を続けている限り、その家族にはお金が渡されるから、喜んで家族を差し出す人もいるくらい」
「酷い話……」
巴愛が俯いて呟く。奈織も同意する。
「そうだね。この国も、そういうドロドロした裏仕事しなくてもやっていけるような産業とかあれば良かったんだけど。年中気候が安定しなくて土壌環境も悪いから農業も牧畜も無理。神核の鉱山も、掘りつくされて殆ど残ってない。唯一は水産業と林業くらいかなあ。それでも、お魚は玖暁の静頼産には敵わないしね」
図らずも自分の故郷が賞賛され、瑛士がまんざらでもない顔をする。昴流が先ほどから淀みなく説明をする奈織に感心の声を上げた。昴流自身もかなり説明好きな性格だが、奈織には及ばないらしい。
「奈織さんって、神核の研究者なのにそういうことにも詳しいんですね」
「やだなあ、これは常識だって!」
そこまで突っ込んだ常識があるだろうか、と真澄と瑛士は顔を見合わせた。
しばらく進むと、急に平坦な道に出た。そして現れたのは洞窟である。昼間とはいえ洞窟内は真っ暗で、抜けた先の景色は一切見えない。
「これを抜けるのか?」
「そうだよ」
奈織が元気よく返事をする。
「しかし暗いな」
「今時明かりを点ける神核持ち歩いていない人なんていないもん。人通りが多いわけじゃないし、四六時中洞窟の中照らしてたら神核勿体ないじゃん。神核の効力だって永遠じゃないんだし、神核って高いんだよ」
後ろで瑛士と奈織がそんな話をしている。真澄は瑛士を振り返った。
「残念ながら私はその神核を持っていない。瑛士、明かりを」
「分かりました」
「えー、嘘でしょー」
奈織が唖然とする中、瑛士が騎士に支給される神核バングルを外して真澄に渡した。奈織が身を乗り出す。
「真澄、神核ひとつも身につけてないの?」
「いや。ここにある」
そう言いながら真澄は自分の左腕を持ち上げた。奈織はそれで悟ったらしい。
「成程、腕に埋め込んであるのねえ。確かにそうすれば神核を装着するバングルとかいらないから良いけど、神核が精神と強く結合する分神核の威力が強まって、比例して神核が暴走することもあるんだよ。真澄、今までそういうことなかった?」
「あったら私はいまここにいないだろうよ」
神核の暴走は、ここ数年で一度も聞いたことがない。しかしそれは凄まじいことだそうだ。一般に出回っている神核でも、町ひとつ吹き飛ばす力はある。真澄が生まれるより前に玖暁のある町で炎の神核が暴走し、町や周辺の森林をすべて焼き尽くしたということがあったらしい。そこは今でも荒地で、真澄も一度その光景を見たことがある。神核は普通にしていれば暴走などしない。するのは、奈織が言った通り直接身体に埋め込んでいる場合だ。
そして暴走する確率は、埋め込まれた人間よりも埋め込む作業をした人間の腕によって左右される。そのあたりのことを巴愛は反芻した。
「この腕に埋め込んでくれたのが、腕の良い神核術士だったからな」
「誰?」
真澄は少し言葉につかえ、それから答えた。
「――知尋、だ」
「ああ、弟皇さま……ん、そういえば弟皇さまはどうしちゃったの?」
「気づくのが遅い……」
瑛士が肩をすくめた。とはいえ、奈織が気づいていないことに真澄たちが気づいていなかったのも確かだ。なかなか察しが良いので気づいているものだと思い込んでいた。
「真澄と比べたら弟皇さまは表に出ないっていうか、影がちょっと薄かったからさ」
言い終わる前に瑛士の拳骨が落ちていた。今回のものは今までで特大に痛くしておいた。奈織は懲りることを知らず、痛いと言いながらもすぐ立ち直った。
「弟皇さまが優秀な神核術士ってのは、ほんとにほんとのことだったんだね。あたしも会ってみたかったな。真澄とすごく仲良かったって言うのもほんとだよね?」
過去形にしたところで、奈織はもう分かっているのだろう。真澄は目を閉じた。
「ああ。……大切な弟だ」
洞窟が近づいてきた。真澄は【集中】して神核術を発動させ、火をぼんやりと灯した。足元くらいの視界は確保できた。
「暗い……」
巴愛がぽつりと呟く。真澄がそっと尋ねた。
「怖いか?」
「え? ……ええっと……」
「大丈夫だ、心配するな」
真澄はそう言うと、巴愛の手に自分の手を重ねて強く握った。巴愛は顔を真っ赤にする。
真澄は前を向いたまま後ろの瑛士と昴流に指示する。
「瑛士、昴流、道が狭い。私の後ろについて一列で続け」
実際は馬二頭くらい並んで歩ける幅なのだが、どうやら真澄は自分の背で瑛士に隠したいことをしているらしい。にやにやしながら瑛士が「はい」と応じ、昴流もぴったりと一列に並んで洞窟に入った。
僅かに日の光が差し込んでいた入り口部分から少し奥に入っただけで、頼りは真澄が持つ神核の光だけだ。巴愛が拳を握ると、その上に手を重ねていた真澄も力強く拳を包み込んでくる。巴愛の手を軽々と包み込めるほど、真澄の掌は大きいのだと巴愛は実感した。
「……夜とか、暗い部屋にひとりになると……時々、自分が一人ぼっちなんだってことに気付いて怖くなるんです。だから、暗いところとか狭いところとか、駄目で……」
巴愛が言い訳するように呟く。真澄が少し笑った気配がした。
「大丈夫だよ」
先程と同じように、真澄が囁いた。右手だけで手綱を操っているので不安定だが、玖暁屈指の乗馬の達人で、戦場では両手を離して足だけで馬を捌く実力の持ち主だ。
洞窟が若干上り坂になっている。しばらく緩い傾斜を登っていくと、日の光が前方に見えた。洞窟の出口だ。
闇に慣れた目は、急激な明るさの変化によって視界を奪われた。すると、巴愛の真後ろで真澄が息をのむ気配がした。ようやく目が慣れた巴愛が顔を上げると、そこには絶景が広がっていた。
そこにあるのは巨大な渓谷だった。どこまでも緑が続いている。遠くには滝もあり、白い水しぶきを濛々とあげている。
「綺麗ですね……」
思わずつぶやくと、後ろにいた瑛士もほう、と声を上げた。
「まさに大自然、って感じか」
「ここはまだ玖暁が近いから、自然豊かなんだよ。この後はこの渓谷をひたすら降りていくんだよ」
奈織の説明も半ばで、真澄はすっと馬首を変えて道を進み始めた。なんだか身体が強張っているような感じがする。息を飲んだのは感動したからかと思い込み――巴愛ははたとあることに気付いた。小声で真澄に尋ねる。
「真澄さま、もしかして高いところ……」
「……あ、ああ。この光景をゆっくり楽しみたいところなんだが……どうにも落ち着かない。すまないな、巴愛。見物は私がいない時にゆっくり頼む……」
巴愛はだいぶ控えめに尋ねたが、結局のところ真澄は高所恐怖症である。少年時代はやんちゃだった真澄なので、その少年らしい遊びのせいで宙づりになったことがあり、それ以来駄目なのだ。前々から克服しようとしていたのだが、いまだに努力は報われない。それでも、だいぶましになったほうだ。
「この先に開けた場所があるから、そこで休憩しようね」
と、奈織が後ろから指示を出した。
奈織が休憩を指示した場所にはたくさんの人がいた。小ぢんまりとしているが多くの小屋が所せましと並んでいる。キャンプ地のようだ。
「大山脈の中にはこういう休憩場所がいくつもあってね。みんなここを中継地点にして山越えをするの。休憩は勿論、野営もここでしないときついよ。ここになら年中管理の人がいるし、道端で寝たら危ないしね」
さすが政府が丸々管理している山というだけあって設備は整っている。ちょっとした物資なら売店が出ているようだ。
それぞれ休憩を取るために別れた真澄は、転落防止の柵の傍に歩み寄り、渓谷を眺めた。決して下は見ない。遠くを見るだけだ。
「真澄さま、そんな際に立って平気なのですか?」
瑛士が問いかける。彼は勿論、真澄が高所恐怖症であることを知っている。
「下は見ていない」
真澄は憮然として言った。瑛士は笑みを浮かべ、そっとその傍を歩み去る。真澄が「ひとりになりたい」という雰囲気だったのを察したのだ。
「……やはり、かなりお疲れになっているな」
瑛士が少し離れたところにいた巴愛と昴流の傍に向かい、そう小声で言った。昴流も頷く。
「食欲もないようですし……さっきの山道も、辛そうでしたね」
「無理もないな……ご自身の命を削られてから体調も万全ではないようだし、その矢先に知尋さまと皇都を失って……元気を出してください、なんてとても言えん」
「あのさー」
急に奈織が話に割って入った。
「真澄の調子が悪そうなのはあたしにも分かるよ。顔色悪いしね。でも、本当はどうでも、真澄は何でもない風を装って普通にしているからさ、心配するのは陰からにしておいて、瑛士たちも普通に真澄に接するのがいいんじゃない? 辛いことにわざわざ『辛いですか』なんて聞かれるほうが、余計に辛くならない?」
「……道理だな」
瑛士が不本意そうに同意する。主君を心配する癖が染みついているので、どうしても気遣う方向にしか考えられないのだ。
「偉そうに言ったけど、これ兄貴の受け売りなんだよね」
奈織の言葉に巴愛が首を傾げた。
「奈織さんのお兄さんですか?」
「うん。あ、呼び捨てで良いよ、巴愛。敬語もいらないし。……で、兄貴はね、『辛いことをわざわざほじくり返して今の気持ちを尋ねられたら、辛いに決まっている。相手にはそれを悟らせたくないんだから、変に気遣うな』って、あたしに説教してきたんだ」
「なかなか芯が一本通った考えだな。皮肉屋とも取れるが」
「まあね、口が悪くて説教好きな人だよ。もっとも、それあたしに対してだけらしいけど」
やれやれと奈織が肩をすくめた。
「歳が十近くも離れちゃってるし、親いないし、あたしに対する責任感強すぎて堅物になっちゃったって感じ?」
「奈織より十年上ってことは、俺と同年か。ちょっと会ってみたいな。お前みたいな野良猫をどう躾けたのか興味がある」
「酷ーい、今日出会ったばかりの人に言う言葉?」
「その言葉、そっくりそのままお返しする。お前って奴は会った瞬間から真澄さまを呼び捨てて、無礼にもほどがあるっ」
と言いつつ、なんだかんだで瑛士と奈織は仲が良いような気が巴愛にも昴流にもするのだった。




