2 急転する日常
真澄を夕食に招待した、その数日後。お返しとばかりに、今度は巴愛が昼食に招待された。真澄と知尋を始め、瑛士、李生、そして昴流まで呼んだらしく、昴流が「な、なんで僕まで!?」と狂喜と疑問の狭間であたふたしていた。真澄、知尋、瑛士はよく食事を共にするらしいが、そこに李生と巴愛、昴流が加わるのは初めてだ。
「いつもはなんやかんやと理由をつけて断る李生が、よく今日は承諾したな」
真澄がからかうように、斜め向かいに座った李生に言う。まだ食事は運ばれてきておらず、広い卓は整然としている。場所は皇城の本棟で、真澄が諸侯をもてなすときに使う晩餐用の食堂だという。
「まあ……あまりお断りするのも失礼だろうと思いまして……」
「普通なら一回目を断った時点で失礼だと思うけど?」
知尋に言われた李生が苦い表情になる。それでも辛抱強く李生を誘うものだから、ついに真澄らの熱意に折れたというところである。
「ただでさえうるさい廷臣たちを、さらに騒がせたくなかったので」
「なに気を遣ってるんだ。そんなこと言ったら、俺だって騒ぎの元だぞ?」
瑛士が肩をすくめた。瑛士は平民でありながら騎士団長になった男だ。平民も亡命人も、どちらも皇の傍に控えていて快く思う廷臣は少ない。
「そういえば、知尋さまも瑛士さんも、なんだか久しぶりですね」
巴愛がそう言うと、知尋が微笑んだ。
「そうだね、ここ数日少しばたばたしていたから」
「ばたばた?」
「静頼の復興事業のお手伝いだよ。瑛士は力仕事担当で、軽く十人分くらいの成果はひとりであげたよね」
静頼の話が出て巴愛は息をのんだが、みな話を暗い方向へは持っていかなかった。
「しかし、知尋さまに土木技術や建設技術まであるとは思いませんでしたよ。職人を呼ぶのに時間がかかるからって、まさか自分で設計からやり直すとは……しかもその合間に、消失した海底遺跡の資料やサンプルの再生までこなすなんて……知尋さまは神核研究者ではなかったのですか?」
「そういうのを『広く浅く』というはずだが、知尋の場合はどれも一定以上の深さまで極めるんだな……恐れ入るよ、まったく」
真澄も感心を通り越して呆れ顔だ。知尋が微笑む。
「別に物知りなことは悪いことではないでしょう?」
「まあ、それはそうだがな」
「……そういうわけで私は数日間皇都を空けていたけど、その間のことはちゃんと知っているよ。例えば、真澄が巴愛と一緒に買い物に行き、その日の夜は巴愛が夕食を作ってふたりだけで食事をした、……とかね」
真澄が丁度口に含んだ水を吹き出しそうになり、巴愛がむせる。真澄が動揺して声を荒げた。
「どうしてそれを!?」
「――昴流!」
真澄より先にからくりを悟った巴愛が、隣に座る昴流に詰問する。巴愛の予定を知っていたのは、昴流だけなのである。ぎくりとした昴流は冷や汗を浮かべつつも、こう反論した。
「へ、陛下に質問された以上、僕には包み隠さず報告する義務があるんです!」
「くっ……」
短い声とともに顔をそむけたのは李生だ。彼の肩は僅かに震えており、必死で笑いをこらえていることが一目瞭然だ。知尋はさらに続ける。
「良いではありませんか、手作りの料理を振る舞ってくれるなんて。もうみんな知っていることですから、早くくっついてしまえばいいのに」
「みんな知ってるって、何をだ!?」
「お互いを意識しまくっていることですよ。思えば、戦場のど真ん中で出会ったというところから運命的ですよね」
「……そういう雰囲気に流されるのは、ちょっとな」
つい真澄はぽろっと本音を口に出した。知尋は微笑み、それ以上からかうのをやめた。――真澄はこれまで、多くの人間関係に悩んできた。そんな真澄に必要なのは、巴愛のように真澄のすべてを肯定し、受け入れてくれる女性の存在だ。巴愛という心のよりどころを得て、真澄にも人並みに幸せになってほしいのだ。
そうしている間に、食事が運ばれてきた。イタリアンのフルコースか、フレンチのフルコースか、内心でわくわくしていた巴愛だったが、出てきた料理を見て呆気にとられた。それは野菜の煮つけだったのだが、明らかに和食だ。続いて出されたのは典型的な味噌汁。海藻のサラダに、鳥の照り焼き、そして寿司。そのあとはぜんざいらしきデザートに、食後の緑茶。オードブルからすべて順番に出てきたが、内容は質素な日本食だった。特に、米が出てきたのは驚いた。
「あの、なんでお米……?」
思わず質問すると、真澄は持ちなれないらしい箸を手にして言った。
「前に咲良が言っていた。巴愛の世界での主食は米だったようだとな。だから、一度くらいは米の食事をさせてやりたいと」
「咲良さんが……?」
「静頼に行った時も、刺身で食うよりも酢飯に乗せたほうが好きだ、と零していただろう。これは寿司……と言うんだったな。こういう料理の存在はこの世界にも残っているから、再現してみた」
かつての食事である和食も、箸も、ちゃんとこの時代に残っているのだ。真澄らも、多少その知識は持っている。真澄が魚では干物が好きなように、細々と食文化は続いているのだ。
「一年に一度くらい、食事で贅沢しても罰は当たらないだろう?」
真澄が微笑み、巴愛は嬉しそうに頷いた。しかし、食べる前にひとつ問題があった。
「……巴愛、箸ってどう持つんだ?」
瑛士が頭を掻きながら尋ねる。少なからず教養のある真澄たちや昴流はともかく、平民の瑛士や李生はそのあたりの知識を持ち合わせていなかったのである。
それでもなんとか食事は進んだ。刺身が苦手だった真澄など、寿司を「美味いな」と言って食べていた。刺身を食べ慣れている瑛士も「これもありだな」と満足げだ。巴愛にしてみれば、ご飯とお味噌汁と言うセットが本当に嬉しかった。味噌は普通に売っているので味噌汁は作れても、やはり白米がなければならないのである。渋い顔でぜんざいを口に運んだ李生は見物だった。
平穏が破られたのは、食後のお茶を楽しんでいるときであった。
★☆
「お食事中失礼いたします! 両陛下に火急のお知らせがございます!」
その声とともに、ひとりの男が食堂に入ってきた。真澄が茶を卓に置いて――さすがに湯呑ではなかった――振り返った。
「何の用だ?」
「彩鈴王国の使者と名乗る者が参りました」
「彩鈴の……?」
真澄がきょとんとする。
「今このようなときにか」
真澄の午後の公務にはまだ時間がある。それを知ってか知らずか今すぐ会いたいとは無礼にもほどがあるだろう。
とはいえ、真澄はそこにこだわりはない。「このようなとき」とは、玖暁が青嵐に勝利し、かつ真澄の暗殺事件が収束したばかりという、いまの状況のことを言っている。
彩鈴王国は中立国なので、一方に不利な情報だろうが構わず提供する。実は、その情報が戦争の火種になることは少なくないのだ。あまり、真澄としては彩鈴の使者の話は聞きたくない。
「はい。宰相閣下が引き取られるようおっしゃられたのですが、火急のことなので陛下に取り次げの一点張りでして……一応彩鈴の正式な書状も持参しているので、宰相閣下も無下にはできず」
「それだけ重要な話でしょうか?」
知尋の疑問に真澄は何とも言えない表情で首を捻る。
「まあ、会ってみれば分かることだ。知尋、行くぞ――」
「それが陛下、使者殿は内密の話ゆえに兄皇陛下のお耳にのみ入れたい話だとかで……宰相閣下は使者殿を応接の間に通されました」
これにはさすがに真澄が眉をしかめた。
「妙な話ですね」
瑛士が腕を組む。
「この国は両皇が治める国家です。ことさら真澄さまおひとりなどと呼びつけるのは不審を招きます。慎重な彩鈴にしては疑わざるを得ない行為ですよ」
「彩鈴は策謀高い国でもあります。それだけ重大なことだという意思表示ということもあり得るかと」
これは李生だ。瑛士も李生も、すっかり騎士の顔に戻っている。知尋も真面目だ。
「真澄。会う必要はないと私は思います。今日は引き取らせて、後程彩鈴側へ確認すれば……」
「しかし相手は彩鈴の書状を持っている。これで無下に扱えば玖暁が彩鈴を疑ったという問題になり兼ねない」
彩鈴の国王は、別に気にしないだろう。そういう性格だというのを誰もが知っている。気にするのは、王に繋ぐまでの間に話をやり取りすることになる彩鈴の廷臣たちだ。
知尋はもどかしそうに訴える。
「書状など、今の技術では偽装など容易なことです。もし何かあったら――」
「知尋、私はいかなる状況で、明らかに罠だと分かっていてもあえてそれに突っ込んだ。そのやり方を、お前は私らしいと言うだろう。違うか?」
反論できずに知尋が押し黙る。真澄が微笑み、椅子を引いて立ち上がった。
「大丈夫だ、そう厄介なことにはならぬさ。さて……すまないが私はこれで退席させてもらう。瑛士、李生、巴愛、昴流、ゆっくりしていってくれ。知尋、後は頼む」
「はい。……お気をつけて」
真澄が兵士とともに部屋を出て行くと、知尋は冷めた茶を口に含んだ。乾いた喉を湿らすような動作だ。重苦しい沈黙が二十秒ほど続いたのち、知尋が揺るぎない口調で瑛士を呼んだ。
「瑛士」
「はい」
「真澄を頼む」
瑛士が頷いた。知尋は視線を李生にも向ける。
「李生は応接間の窓に面した中庭に待機を。もしも使者殿が窓を破って飛び降りでもしたら――すぐに取り押さえなさい」
「心得ました」
李生も立ち上がったところで、瑛士が昴流に指示する。
「昴流、お前はここを動くなよ。知尋さまと巴愛を任せたからな」
「はい!」
瑛士と李生は揃って部屋を飛び出した。巴愛が不安そうに知尋を見上げる。
「知尋さま……」
「……私は人よりだいぶ心配性な質でね。ここまですることもないと思うけれど、やっぱり心配だから。大丈夫、真澄が馬鹿みたいに丈夫なのは知っているでしょ?」
知尋の言葉に、巴愛はほっとして頷いた。
応接間への廊下を歩く道すがら、耐えかねたように真澄に随行する兵士が不安の声を漏らした。
「もし使者殿が陛下に危害を加えようとしていたら……」
真澄が前を向いたまま答える。
「大丈夫だ。瑛士が後ろについている」
驚いた兵士が振り返ったが、廊下には誰もいない。姿が見えないほど距離を置いて瑛士は護衛しているのだ。真澄は最初から分かっていた。
応接間に到着すると、扉の前に立っていた兵士が真澄に敬礼して扉を開けた。室内はテーブルを挟んでソファが置かれ、観葉植物が置いてあるだけの質素なものだ。壁際にはまたひとり兵士が立っている。使者は真澄が入ってくる寸前に起立し、真澄に深く頭を下げた。
「正規の手続きも踏まず押しかけた非礼をお詫びするとともに、寛大な処置を有難く思います。先の青嵐神聖国との戦い、そして先日の内乱においては、兄皇陛下のご無事を、我が王に代わりましてお祝い申し上げます――」
「ああ、遠路をご苦労だった。それで、私に話とは?」
長ったらしい挨拶は好きではない。自分がソファに座ってから使者に椅子を勧め、使者が腰を下ろす。
「お話の前に、重大なことですのでお人払いをお願いします。室内はもちろん、廊下も完全に封鎖して頂きたく思います」
真澄は壁際の兵士に目を向けた。
「そういうことだ。下がっていい」
「はっ」
兵士が真澄に敬礼し、部屋を出て行った。
「これで良かろう。さて、本題に入ろうか」
使者は頷き、持参している荷物の中から小さな木箱を取り出した。――そこで真澄はさりげなく相手を観察した。以前彩鈴の王と会話したことは、暗黙のうちに「なかったこと」という認識になっている。あれは真澄と王個人の間であった「密談」なのだ。だから「以後どうだ?」などという文書がないのはいつものことである。
「先日、青嵐に潜入している我々の仲間が、一度に連絡を絶ちました」
「ほう」
「彼らは青嵐の軍事施設に潜入していましたが、どうやら正体が露見し、処刑されたようなのです。彼らが最後に報告してきたのは、青嵐政府が巨大な神核を発見し、軍事転用を企んでいる、ということでした」
「巨大な神核?」
「通常使われる神核の、何百倍ものエネルギーを秘めているそうです」
真澄が表情を険しくする。玖暁以上に青嵐は神核の技術が進んでおり、もはや神核は大量殺人の道具でしかなくなっている。加えてそれだけの強さを誇る神核を戦争に使われては、一国が滅びかねない。
「今は実験段階として、そのエネルギーの一部を銃弾として転用していますが、その巨大な神核はとんでもない性質を持っていることが判明しました。『呪い』です」
「呪い……ね」
急に飛び出た単語に真澄は呆気にとられた。真澄は呪術の類を絶対的に信じるわけではない。だが人の思いは強いから、憎しみが力になることはあり得るかもしれないとは思っている。しかしそれはあくまで「人の心」だ。神核が人間に呪いを刻むとは、いったいどういうことだろう。
「その神核のエネルギー弾を身に受けると、黒い痣のようなものが浮かびます。日が経つとその色が赤に変化し、最後には死亡する。そういった恐ろしいものです。そして……これがその現物です」
使者が小箱を開け、中から拳銃を取り出した。どうやら青嵐は、彩鈴から買った拳銃を転用したようだな、と真澄は思う。差し出された真澄はそれを受け取り、じっと観察する。作りは普通の神核の力を弾薬に替えた神核銃と変わりはない。
「……なぜ、情報員がみな殺されたというのに現物を持っているのだ?」
「これを奪い、命からがら帰還した者が一名おりました。彼はその銃の実験台にされ、帰国して二日後に呪いで死亡しました」
「それをなぜいま私に告げる? これを軍事転用し戦争に使う日が近いということか?」
「仰せのとおりです。玖暁が滅びるほどの戦争、我々としても見過ごせません。王のお考えで、こちらを持参したというわけです。もし機銃にでも転用され、その砲撃で大勢の者が一度に呪いを受けたら、手を汚さずに大量虐殺ができる。そんなものを放っておくことは……」
「違うな」
「は?」
真澄の断言に使者が聞き返す。真澄はその使者を真っ直ぐに見つめた。
「彩鈴は私に情報を提供しただけではない。暗に『その呪いの神核銃を壊せ』と要求しているな」
「……陛下のご深慮、感服いたします」
「とぼけるな。私が侵略戦争を忌み嫌っていると、彩鈴の王陛下はご存じのはずだ。私が意思を曲げることがないということも。……何を企んでいる?」
いよいよ真澄との雰囲気が険悪になってきた。使者は小さく息をついた。
「……実は」
使者の手が、テーブルに置かれた例の銃に伸びる。真澄がはっとした瞬間、使者の手が一瞬で銃を奪い取って構えていた。
銃口の先は真澄だ。座っていた真澄は咄嗟に立ち上がり、使者の男と距離を置いた。
「貴様……」
真澄が使者を睨み付ける。もうこれではっきりした。相手は玖暁の情報員などではなく、それに偽装した青嵐の刺客だったのだ。
「私に武器を向け、ただで済むと思っているのか?」
「いえ……しかし私は、命と引き換えにある任務を帯びておりますので」
刺客がそう言った瞬間、真澄の身体は金縛りにあったように硬直した。怖気とは無縁の真澄が、ぞっとした寒気を感じる。何か得体の知れぬ力が、真澄を縛り付けた――この場に知尋がいれば、神核の力だと見抜けただろう。
刺客が銃の引き金を絞る。その瞬間、赤い閃光が真澄を貫いた。それと同時に、窓硝子が激しい音と共に割れた。




