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和装の皇さま  作者: 狼花
壱部
25/94

22 人質、その決意

 巴愛が意識を取り戻したとき、彼女は手首と足首をそれぞれ縛られた状態で床に転がされていた。板張りの床で、酷く身体が痛い。室内を見渡すとカウンターやテーブルがあり、どうやら飲食店の店内のようだと気付く。


「あら、お目覚めね、お嬢さん」


 女性の声がして、巴愛は顔を上げた。そこには二十代半ばに見える女性がいた。女性だが袴を着用し、腰に刀も帯びている。


「誰……?」

「ふふ、いずれ兄皇陛下に嫁ぐはずだった女よ」

「!?」


 おぼろげだった巴愛の意識は一瞬で覚醒した。その女、喜納加留奈は巴愛の前にしゃがみこむ。


「思いもよらなかった、って顔しているわね。本来なら皇はとっくに正妃も側室も迎えているべき年齢なのに、兄皇陛下はそうなさらなかったもの。だから私は候補に過ぎないけれど、もっとも有力だったのは確かよ」

「どうして、そんな人が……真澄さまを殺そうとするの?」

「決めたのは私の父よ。短気な人でね、自分の思い通りにならないとすぐ怒るの。兄皇陛下があまりに聡明だから、頭に来てしまったのよ」


 加留奈は巴愛の顎に手を添え、顔をあげさせた。


「貴方、急に湧き出したくせに相当陛下に大切にされているのね。どうやって取り入ったの?」

「あ、あたしは取り入ってなんか……!」

「ふうん、まあどうでもいいけど」


 そう言って立ち上がった加留奈は、巴愛に背を向けて嘲るような笑みを浮かべた。


「父は陛下を殺せと言ったけど、私はそうするつもりはないわよ。あれほどお美しくて凛々しい殿方を殺すなんて、ちょっと勿体ないもの。だからね、陛下がここへ来たら貴方を人質にしてこう交渉するわ。私を正妃に迎えたら貴方は自由にする、でも拒んだら貴方を殺すってね」

「え……!?」

「ふふふ、陛下はどちらを選ぶのかしらね。もし貴方を選んだら、兄皇陛下は私を正妃にしなきゃいけないのよ。究極の選択じゃない?」


 巴愛はぐっと目をつぶった。――嫌だ、そんなの。あたしを助けるために真澄さまを辛い目には遭わせられない。


 昴流はどうしたのだろう。確か瑛士が来てくれたのだから、きっと無事なはず。では咲良は。真澄は――?


 そうだ、皇都を出るとき知尋から神核をもらった。火を思い浮かべれば、知尋が制御した通りの術が発動すると。これを使って、自力で逃げるしかない。





★☆





 ようやく姿を現した喜納公爵の娘、加留奈は、巴愛を人質にして静頼の酒場に立てこもった。真澄以外の立ち入りを禁じ、瑛士も無闇に突入できない。


 昴流はかろうじて無事な家に寝かせ、瑛士も顔見知りの町医者が治療に当たっている。治療と言うか、手術というべきだろう。体内に残ったままの銃弾を取り出さなければならないのだ。


 酒場と、建物を守る傭兵を遠目に見つつ、瑛士は苛立ち交じりに髪の毛を掻き回した。交渉相手に真澄が選ばれたからには、真澄が戻ってきてくれなくてはならない。


 その願いが通じたのか、大通りをこちらに真澄が歩いてきた。瑛士がはっとして顔を上げ、走り寄りかけて足を止めた。真澄は意識を失っているのか、ぐったりした咲良を抱きかかえていたのだ。真澄の顔は沈痛で、その袴の裾は血で汚れている。


「真澄さま……ご無事で?」

「ああ……私はな」


 真澄はそう言い、咲良を路肩の壁に寄りかからせるように下ろす。咲良の胸にある銃痕を見て、瑛士は悟った。何も言えなくなった瑛士に、真澄が告げる。


「『きっと大丈夫』……咲良は、私にそう言ったよ」

「真澄さま……」

「昴流には、『泣くな』とも。……昴流はどうした?」

「かなりの重傷を負って、いま治療を受けています」

「そうか。何としてでも、昴流には生きてもらわなければな……咲良の最後の言葉を、伝えなければならんのだから」


 咲良を撃った傭兵たちは、残らず真澄が冥土に叩き落とした。ひとりだけ昏倒に留めてやったのは、巴愛がどうなったか、喜納加留奈はどこにいるかを問うたからである。おかげで真澄は正確な情報を得てここまで来れたのだ。


 真澄の瞳は怒りに満ちている。無差別に街を襲ったこと、咲良を殺したこと、昴流を傷つけたこと、巴愛を人質にしたこと。それらすべてが真澄の中で煮えたぎっているのだ。ここまで苛烈な感情をあらわにした真澄を見るのは、瑛士も久々だ。


 落ち込むのは、あとだ。――それは常々、真澄が戦場で自分に言い聞かせてきた一種の自己暗示である。生きてさえいれば、落ち込む時間なんていくらでもある。今は、今を乗り切るためにできることをしなければならない。


「巴愛はあの中か」

「はい。相手は真澄さまとのみ交渉をすると」

「分かった、では行こう。瑛士、いつでも突入できるよう待機しておけ」

「了解しました」


 真澄は堂々とした足取りで酒場に近づいていく。無防備なように見えて、実はまったく隙がないことを、多少なり武芸を学んでいる者はみな悟るだろう。


 真澄の姿を確認した見張りの傭兵たちが道を開けようとした、その瞬間――爆発が起こった。


 三発目の砲撃か、と真澄は爆風に煽られながら思った。しかし砲撃ではない。酒場に大きな火柱が上がっているだけ――「だけ」と表現するのはおかしいが――であって、それは神核の力だった。しかもこの術の感じは、知尋の術に似ている。


 なんにせよ、真澄がこの好機を見逃すわけがなかった。すぐさま真澄は振り返り、控えていた瑛士に叫ぶ。


「瑛士! 周りの傭兵を捕えろ!」


 勿論瑛士も心得ていた。真澄は本日何度目か分からない炎の中に突っ込んでいった。


 急に巴愛を中心とした火柱が立ち上り、加留奈はすんでのところで火あぶりにされるという事態を免れた。明らかに捕らわれの少女が神核術を発動させたのである。身動き一つできない少女にしたたかな報復をくらい、加留奈の余裕は崩れた。


「何をするのよッ、この小娘ッ」


 ヒステリックに怒鳴った加留奈は、巴愛の腹を思い切り蹴った。巴愛が激しく咳き込み、身体を縮める。さらに暴力を振るおうとした瞬間、加留奈に冷ややかな声がかけられた。


「そこまでにしてもらおうか」


 加留奈は驚愕で、巴愛は安堵でその声の持ち主を見た。巴愛が目を閉じる。


「真澄さま……!」


 真澄はゆっくりと歩を進める。


「喜納加留奈。少しやりすぎたな……」

「兄皇陛下……ふふ、それ以上近寄らないで頂こうかしら」


 加留奈が表面上は余裕を取り戻し、刀を抜いた。その切っ先を巴愛の首元に当てる。


「私は父とは違くてよ。取引をしましょう。この子の安全と引き換えに私を正妃に迎えるか、それとも拒んでこの子を見殺しにするか。まあ、甘い貴方のことだから答えは分かり切っているけれど……」


 だが真澄は、そんな加留奈の提案を無視して歩を進める。圧倒的優位にいるはずの加留奈の言葉を無視され、加留奈は逆上寸前になる。


「近寄らないでと言ったはずよ!」

「私がその言葉に従う理由はない」


 真澄の言葉酷く短く、明快だった。


「敢えてどれかを選ばねばならぬのなら、私は第三の道を選ばせてもらおう」

「第三の道?」

「巴愛は生かして返してもらう。お前の要求は受け入れない」


 加留奈は刀を構えて真澄の前に立った。真澄が初めて足を止める。


「退け」

「なあに、女だから手を出したくないとでも言う気? 本当に甘い人ね」

「違う。お前では、私の相手にならない」


 その言葉の意味を悟るのに、加留奈は三秒ほど時間を要した。みるみる顔を恥辱で真っ赤にし、刀を振りかぶった。


「……このっ、言わせておけば!」


 加留奈は刀を振り下ろしたが――そこに真澄の姿はない。ふわりと跳躍した真澄は、空中で抜刀した。


 確かに彼女の技量は、女としては一流といって問題ないだろう。だがその腕は真澄の足元にも及ばない。それも同時に確かなことであった。


 真澄は刀の刃を返した。――別に真澄がここで彼女を斬殺しても誰も文句は言うまいが、一応皇に裁判権はない。ここを生き延びても彼女には死刑という将来しか残っていないが、せめてもの猶予である。


 刀の峰が加留奈を強く打った。悲鳴すら上げられずに喜納加留奈は床に倒れた。外の傭兵を捕えたらしい瑛士が中に入ってきて、その身柄を押さえる。真澄は無言で加留奈に背を向けた。「お前の負けだ」とか「相手が悪かったな」と声をかけて敗北を認識させてやるほど、真澄は親切ではなかった。


 ぐったりと倒れている巴愛の傍に膝をつき、手首足首を縛る紐を解こうとして、面倒になって引きちぎる。そしてそっと巴愛を抱き起こす。


「巴愛」


 名を呼ぶと、うっすらと巴愛は目を開いた。


「あ……真澄、さま……」

「遅くなってすまなかった。……掴まってくれ」


 巴愛は素直に、真澄の首に腕を回してしがみついた。真澄は巴愛を抱いて立ち上がり、建物から外に出た。あたし、いまお姫様だっこされている――と、こんなときだというのに巴愛は少し感動した。


 真澄は損壊の少ない場所に向かい、家の壁に寄りかからせるように巴愛を下ろした。街は騎士たちの必死の消火作業で、火災はすべて収まっていた。灰色の煙が僅かに立ち上り、焼け焦げた匂いがするだけだ。消火といっても放水ホースなどないだろうから、水の神核術であろう。


 真澄の手が巴愛の腕に触れる。そこは先ほど銃弾が掠ったところであり、昴流が止血のために布を巻いてくれていた。


「撃たれたのか?」

「銃弾が掠っただけで……」


 巴愛がそう言うと、真澄はまるで自分の怪我であるかのように辛そうな顔をした。巴愛がはっとして尋ねる。


「昴流と咲良さんは……?」

「昴流ならいま治療を受けている。きっと無事だよ」

「良かった……咲良さんは?」


 答えは無言だった。巴愛の心を不安がよぎる。顔を上げ、真澄を見つめる。


「真澄さま……?」

「――咲良は亡くなった」

「え……」

「胸を撃たれて、死んだ」


 刹那、感情が抜け落ちてしまったかのような空虚が巴愛の中に生まれた。真澄が巴愛の肩に片手を置く。


「……巴愛」

「――あたしが、来たから」

「ん……?」

「あたしがこの世界に来たから、こんなことになったんですね。昴流は大怪我して、咲良さんは殺されて、この街の人も……」


 巴愛の口から、そんな言葉が飛び出した。真澄はぐっと歯を食いしばり、ゆっくりと首を振る。


「それは、違う」


 否定すると、一気に巴愛の顔に感情が戻った。巴愛は肩に置いた真澄の手をぐっと掴む。


「だってそうでしょう!? あたしがここに来なければ昴流はあたしの護衛にされることもなくて、諜報員にあたしの存在がばれることもなくて、こんなことにはならなかった!」

「『自分がいなければ』なんて考えるな。それは遡れば、人類の誕生にまで戻ってしまう」

「だって……!」

「――私が間違えたんだ」


 真澄が言う。


「巴愛がここに来て私は、君が私の傍にいることで君に迷惑がかかると思った。だから巴愛の存在を隠したんだ。それが間違っていた。結局、私は貴族に騒がれることを恐れた臆病者に過ぎなかった。その臆病が、臣下にこれほどまでの計画を実行させる隙を生み出した」


 巴愛の身体がぐっと引き寄せられた。何が起こったのか分からず、真澄が強く巴愛を抱きしめているのだということに気付いたときは頭が混乱した。


「今度は、間違えない」


 囁くような、しかし強い決意が、巴愛の耳に聞こえる。


「誰が何と言おうと、俺が君を守る。俺が、この手で。もう二度とこんな目には遭わせない……だから傍にいてくれ、巴愛」


 聞きなれない、「俺」と言う響き。けれど真澄の言葉はやはり強く心に響いた。


 今のは愛の告白ですか? ――そう聞きたくなる内容の言葉だったが、きっとそういう責任からくる言葉なのだろう。


「はい……」


 真澄に抱きしめられたまま、巴愛はそう答えた。真澄がさらに腕に力を込める。


「……もう、あんなことは言うなよ」

「あんなこと……?」

「自分はここに存在するはずのない人間だから、俺の命や名誉を選べ。皇都を出る前、そう言ったな」

「ああ……」

「次言ったら、許さないからな」


 巴愛は頷き、急激に襲いかかってきた睡魔と安堵感に身を任せたのだった。





★☆





 李生とその部下が静頼に到着したのは、その日の夜だった。本来なら一日かかる行程を半日足らずで駆けてくるなど、やはり李生の隊はとんでもなかった。だが彼もさすがに事態に間に合うことはできなかった。代わりに李生は大量の医薬品や食料などの物資を持ってきてくれた。


 最初に静頼の街を見たとき、李生は息を詰まらせた。一部を除いて建物は破壊され、焦土と化していた。どれだけ無差別な攻撃が行われたのかは、想像したくもない。焦りが膨れ上がったときに真澄と瑛士の無事な姿を見て、李生は心底ほっとした。だが犠牲を聞かされ、純粋にほっとすることはできなくなった。


 護衛として率いていた二十人の騎士のうち、一人が砲撃の直撃を受け死亡、二人が住民を助けようとして死亡。住民の中でも死者が十人にのぼった。騎士が尽力した結果であるから、これはもうどうしようもない。そして咲良が銃撃を受けて死亡した。ちなみに、瑛士の家族はなんとかみな無事だった。街の住民は皆騎士の誘導で隣町に避難し、静頼に残っている騎士たちは辛うじて損壊を免れた宿に集まっていた。


 いま砲撃が行われた神谷の別荘に人がいないことは確認してあったが、絶対に砲撃台を作動させた者がいる。それが傭兵のひとりか神谷家の誰かかは分からないが、李生はその者を捕えるようにと部下を送った。さらに、皇都にいる喜納、神谷、両家の人間を一人残らず検挙した。


 自分でも気づかなかったが、真澄は案外火傷を多く負っていた。あれだけ炎の中に突っ込めば当然である。喜納加留奈が「美しくて凛々しい」と評した顔に怪我はなかったが。そういうわけで瑛士に包帯を巻いてもらいつつ、李生を見やる。


「苦労をかけてすまないな。有難う、李生」

「いえ……ところで、巴愛さんと小瀧は?」

「巴愛なら、部屋で休んでいるよ。昴流も一命は取り留めたそうだ」


 瑛士が息を吐き出す。


「ともかくも、これで終わったんですね……」

「このような謀反を抱かせたのは、私の力不足であり、弱さだった。それは重く受け止める」


 真澄は目を伏せた。元々この静頼は親真澄派の人間が殆どだ。彼らは今回の事件の責任を真澄に求めようとはしないだろうが、やはりそれとこれとは違うのだ。


「喜納の謀反をきっかけに蜂起しようとでもする輩は、問答無用で叩きましょう」


 瑛士がそう言ったが、真澄は首を振った。目を見張っている瑛士と李生に、真澄が言う。


「前に巴愛が言っていたことがある。自分に逆らう者を皆殺しにし、圧力や法を吹っ掛けるのは、歴史上でもっとも悪とされた行為だ、とな。独裁恐怖政治、と言っていたが、それでは私も同じになってしまう。だからまずは、話をしようと思うんだ。どれだけ時間がかかっても、ゆっくり語らう時間がほしい」

「真澄さま……」

「思えばこの十年、国の再興を第一としてきて、あまり個人と向き合う機会はなかった。丁度いい時期だ。……喜納は、許さないがな?」


 瑛士は苦笑し、気遣うように言う。


「……なんとも、損なお人ですね」

「ああ、まったくだ。だが決して無駄ではないさ」


 真澄の表情には色々な思いがある。安堵、悔恨、罪悪感、責任。だがこの辛さを知った真澄は、同じことは繰り返さない。きっと真澄の地位は確固たるものになるだろう。瑛士も李生もそう思った。

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