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和装の皇さま  作者: 狼花
壱部
22/94

19 夕焼け空、思いを馳せ

 一晩明けて日の光のもとに照らされた海辺の街は、人口が少ないながらも活気ある街だった。漁師の街だというから高齢の人ばかりかと思ったら、意外にも若い人や子供が多く、いかにこの街の漁業が盛んかということを実感する。玖暁では農業離れや漁業離れはないのだという。自分が作った、あるいは釣ったものが市場に出回るというのは、若い人にとっても誇りなのだとか。玖暁での食料自給率は一〇〇パーセントを超えている。


 真澄は昼ごろから瑛士らとともに資料館へ向かった。真澄がそういう発掘事業に関心があるとはなんとなく意外だったが、ともかくも巴愛は咲良と昴流とともに街中へ向かった。咲良も昴流も本当に普段通りで、買い物でテンションが上がっている女性陣を昴流が苦笑いを浮かべながら見守っている。


「よくアクセサリーひとつでこれだけ時間を潰せますねえ」


 昴流が呆れを通り越して感心したように呟く。巴愛と咲良が見ているのは貝殻を糸で繋げたような簡素なものだが、現代では見たことがないくらい美しい色の貝殻なのだ。貝殻同士がぶつかるたび、しゃらしゃらと凛とした音がする。その音も貝殻の種類や大きさによって変わるので、色々と試していたらだいぶ時間が経ってしまったようだ。


 結局気に入ったものをひとつ購入し、三人は店を出た。さて次は、と咲良が行き先を考え始めたところで、もう店巡りは飽きたらしい昴流がやや慌てて口を挟んだ。


「折角なんですから、海を見に行きましょうよ。漁港じゃなくて、ちゃんとした浜辺の場所を御堂団長に教えてもらったので」

「あらあら、これ以上の荷物持ちは御免だって顔ね」


 姉にはすぐさま見破られて内心でどきりとしたが、昴流は見事に表情を変えないで微笑みを保つ。海など見ていても楽しくもなんともないのは昴流とて分かっているが、本当にそれくらいしかこの静頼には特徴がないのである。


 とはいえ他にすることもないので、巴愛たちは昴流の案内で海へ向かった。そこへ行くには少しだけ樹海を通るから用心しろ、と瑛士に忠告されていたので、昴流は警戒しながらそこを歩いた。しかし暗いイメージの樹海はとてもそんなことはなくて、日差しが差し込む明るい雑木林といった印象でしかなかった。当然、もっと奥に入れば話は別である。


「実のところ、海を見るのは初めてなんです」


 世間話のつもりで昴流が言った。巴愛が首をかしげる。


「そうなの?」

「はい。巴愛さんはあるんですか?」

「子供のころ、よく家族で海水浴とか行ったよ。あたしたちにとっては、海は身近なものだったから」


 日本は海に囲まれた島国だ。それでなくとも、海の映像や画像は至る所で見る。今の世界ではゆっくり海に遊びに行く、などということはできないのだろう。


「もう少し気温が高ければ、水着にもなれたでしょうに、ちょっと残念ですね」


 咲良が朗らかに言う。この世界での水着ってどんなのだろう、と軽く巴愛が想像したところで、樹海の道は終わった。固い土の地面は柔らかな砂になり、海のさざなみが響く。海面に光が反射してきらきらと光っており、その様子は夏を連想させた。見渡す限りが砂浜と水、典型的な浜辺だ。


 久々の海に巴愛は息をついたが、昴流の感動もそれなりのものだったようだ。


「これが海、ですか。すごいですね。そういえば海の水は塩辛いと聞いたことがありますが、本当なんでしょうか?」

「試してみたら?」


 巴愛に促された昴流は頷いた。が、掌ですくって飲もうとしたので巴愛が慌てて止め、指を水につけて舐めるくらいにしておけと告げる。そしてその通りにした昴流がまた目を見開く。


「本当にしょっぱいですね」

「地表の水の九十七パーセントくらいは海水なんだって。だから生活に使える水はほんの僅かで。……でも神核で水が手に入るこの世界なら、水不足なんてないのよね」

「現段階ではそうですが、神核の力も永遠ではありません。今は豊富な神核の鉱脈も、いずれ尽きます。それは遠い未来の話かもしれませんが、確実なことです。ですから兄皇陛下は今のうちから神核に替わるエネルギーを見つけて、それを後世に残してやりたいとお考えだそうです」


 急に真面目くさった、といったら始終真面目な昴流に申し訳ないが、彼は神妙な面持ちで巴愛を振り返った。


「巴愛さんの時代に神核なんてものはなかったんですよね? 何のエネルギーを使っていたんですか?」

「えっと……電気の力」

「電気? 雷のことですか?」


 咲良も首を捻る。巴愛は苦笑いを浮かべた。巴愛が砂浜に腰を下ろすと、他の二人も自然とその傍に座る。


「確かにそうなんだけど、雷そのものじゃないよ。ある行動をして生まれた電気をエネルギーに変えて使うの。色々あるけど、例えば火力発電なら、石炭とか石油……っていうものを燃やすと電気ができるのよ」

「ものを燃やすと電気が生まれるんですか!?」


 昴流が驚いたように声を上げる。巴愛は頭を掻いた。


「ええっと、だからね。水を熱すると水蒸気ができるでしょ。その水蒸気は上に上がって行って、その先には発電機っていうものがあるの。こう、ぐるぐる回る奴で……それを水蒸気が持つ力で動かして回すことで運動エネルギーができて、それを更に別の場所で電気エネルギーに変えて……って、もう訳わからなくなっちゃったじゃない」


 巴愛に説明させるのは無理がある。彼女は発電や電気について高校生の理科程度の知識しか持っておらず、発電所の職員でも研究者でもなかった。


「他にもあるのよ。太陽の力を使う太陽光発電とか、風の力を使う風力発電、水を使う水力発電。ともかく、何かを『動かす』っていう力が電気になるの」

「そうなんですか……なんだか大変そうですね」


 昴流が腕を組む。神核ひとつですべてのエネルギーを賄えるこの世界では、どれも大変そうに聞こえるだろう。


「でも電気なら、兄皇陛下がお得意ですよね」


 咲良の言葉に、今度は巴愛が首をかしげる番だった。


「どういう意味ですか?」

「ある程度上位の神核、大体は攻撃用のものですが、それらを扱うには色々と制限があるのです。体質的に炎の神核と相性が良い人もいれば、逆にまったく使えない人もいます。昴流は風属性の術はよく使えますけど、地属性のものは殆ど使えませんしね。弟皇陛下はまさに例外で、光属性の神核が特に得意というだけで、どれも問題なく使用できます」

「あ、じゃあ真澄さまは雷属性ってことですね」

「はい」


 咲良が微笑む。そこで巴愛には新たな疑問が浮かんだ。


「でも、真澄さまが神核を持っているところ見たことありませんよ? 昴流や瑛士さんや李生さんは腕に神核のバングルつけているし、知尋さまはブレスレットみたいなの持ってたけど」

「ああ、兄皇陛下は左腕に神核を埋め込んでいらっしゃるんですよ」

「う、埋め込む!?」


 巴愛はぎょっとした。腕に埋め込むと言われたらグロテスクなことしか考えられなかったのだが、どうやらこの世界ではそれほど驚くべきことではないようなのでなんとか落ち着きを取り戻す。昴流が苦笑しながら説明した。


「神核を身体に埋め込むことで精神に直結し、【集中】から術の構築スピードが速くなって術もより強力になるんです。敵の攻撃がきた時、『身を守る術を発動させなければ』というのと『危ない!』と思うのでは、危ないと思うほうが断然早いですよね?」

「そ、そうね、咄嗟には動けないもの……」

「身体に神核が埋め込んであると、そういう咄嗟の感情に反応してくれるんです。ですから、咄嗟の対応でしか神核を使わない兄皇陛下にはぴったりなんですよ」


 ただし、と昴流は笑みを収めた。


「感情の動き次第で、神核はすぐに暴発をします。精神に直結していると、その危険も増すというわけですが」

「だ、大丈夫なの……?」

「大丈夫じゃなかったら兄皇陛下はいまここにいらっしゃいませんよ。指先くらいの神核でも、爆弾並みの爆発をしますからね。神核を身体に埋め込んだことによる暴発は、埋め込まれた人よりも埋め込む作業をした人の能力に影響されるんです」

「兄皇陛下に施術をしたのは、勿論弟皇陛下です。あの方に勝る神核術士はおりませんから、兄皇陛下は大丈夫ですよ」


 咲良もそう言ったので、巴愛はほっと息をついた。そこでふと、話を最初まで遡ってみる。真澄は雷属性の神核を使うらしい。なら、巴愛の携帯を充電できるだろうか――と、いささか短絡的な想像をした。巴愛の携帯は充電切れにならないよう、電源を落としている。いつかこの世界の技術の発展に役立つかもしれないから、その時まで使えるようにしておきたいのだが。


 とても命を狙われている者とその護衛であるとは思えないほど、三人はのんびりと時間を潰していった。


 真澄はといえば、彼も瑛士とともにのんびりと過ごしていた。海辺の資料館で、遺跡調査の責任者から事細かな説明を受けつつ、海底の遺跡から引き揚げたものを興味深げに見ている。だがその殆どは、用途が全く分からないものばかりだった。


「おそらく海底の遺跡は、大きな都市の残骸だと思われます。人間の遺骨らしきものも発見されました。いま鑑定結果を待っていますが、おそらく再生暦以前のものではないかと」

「世界の滅びの前、か……五〇〇〇年もの間、誰にも知られずに海底に眠っていたのだな」


 世界が滅びを迎え、神核の力によって再生したとき、神核のあまりの力に世界は天変地異を起こしたと言われている。地形が大きく変化し、いくつかの島は沈没し、それ以前の文明や技術はすべて無に帰した。再生暦は、世界が再生するという意味でもあったが、人間が文明をはじめからやり直すということでもあった。しかし神核という強大なエネルギーがあったため、技術的には殆ど発展しなかった。そして今、再生暦以前の技術の発展を真澄は目の当たりにしている。


「……引き揚げたものは調査に使っても構わんが、人骨は速やかに供養しろ。再生暦以前も、この世界に住んでいたのは同じ人だ。調べる必要はない」


 真澄はそう指示する。一部では「再生暦以前に住んでいたのは我々人より知能で劣る生き物」と主張する歴史学者もいるが、巴愛を見た今、というよりもとから真澄の中にそんな仮説はない。


 ――巴愛は、一体何年前の世界を生きたのだろう。世界が滅びを迎える前にも、それなりに魔力やら神核やらという存在は解明されていたはずだ。だが巴愛はそれを知らない。万単位で、過去のことなのだろうか。どちらにせよ、ここは正真正銘、地球の日本の未来の姿だ。それを見ることができるなどすごいかもしれないが、巴愛の世界にあったはずのものは軒並みこの世界では失われている。なのに巴愛のほうこそ過去の人間だなどと――自分の住んでいた場所が滅んでいるなど、残酷すぎる。だったらいっそ異世界だったほうが良かったかもしれない。


 巴愛だったら、これが何かわかるだろうか。真澄はぼんやりとそう考えた。そしてそれは、巴愛にはすぐさま分かるものだった。某会社の据え置きゲーム機のコントローラーである。すっかり汚れて色などほとんどわからないが、形ですぐに判明するのだ。それは海に沈んだ都市に、ゲーム好きな子供が住んでいたことを物語っていた。


「しかし、生まれ育った街の海の底に街が沈んでいるなんて思いもしませんでしたよ」


 資料館を出たときはもう空は茜色に染まっていた。だいぶ長いこと資料に没頭していたようだ。瑛士が凝り固まったらしい身体を伸ばしながら言う。真澄も隣を歩きながら頷く。


「可能性がなかったわけではないからな。後回しにしていた調査をしてみたら案の定、というわけだ」

「都市の跡……そう言うのを見るのは、ちょっと寂しいもんですね」

「そうだな。生活の欠片だけが残っていて、そこに住んでいた者はもうどこにも存在していない。過去の歴史を知るのは嬉しいし楽しいが……終わりを迎えたとき、彼らがどのような思いを抱えていたのかを考えると、居たたまれないよ」


 瑛士は真澄を見やった。


「今更ですが、意外ですね。真澄さまがこれほど歴史に興味がおありだなんて」

「まあ、知尋の影響があるな」

「知尋さまですか? 確かに歴史もお詳しいですが」

「知尋が博識なのは昔からだが、最初知尋は神核の研究分野に興味をもってな。知尋が理数系に行くのなら私は逆を行こう……と思って歴史に手を出したら、思いの外はまってしまった」

「敢えて同じものを学ばなかったのは、さすが負けず嫌いですね」

「なんとでも言え。無関心よりはいいだろう」


 真澄は笑って肩をすくめた。ここで知尋がいるなら「勉強自体手を出そうと思いもしない瑛士に言われたくないでしょうねえ」とでも言ったかもしれない。無関心は、そっくりそのまま真澄の父である前皇と同じになる。師とは呼びたくないが、父を反面教師にしている真澄としては、決して真似てはいけないのだ。


 大通りを歩いていると、路地から一人の男性が現れた。歳は三十代だろうか。彼はあっと声を上げて瑛士に手を振る。


「おい、瑛士!」

「……ん?」


 瑛士が目を丸くした。男性は大股で瑛士の前に歩み寄った。そうして並ぶと、大柄な瑛士と釣り合うくらい彼もまた背が高くがっちりしていた。


「なんだよ、こんな時間まで。とっととうちに顔を見せに来いって――」


 言いかけた男性は隣にたたずむ真澄を見て仰天し、硬直した。瑛士がすぐさま説明する。


「真澄さま、すみません。俺の兄です」

「ああ、瑛士の……」


 真澄が瑛士の兄に視線を向けると、硬直が解けた兄は突如として慌てはじめた。


「けっ、兄皇陛下! こ、これはまた、御前で無礼を……」

「いや、気にすることではない。瑛士にはいつも世話になってばかりで」

「いいえ、とんでもない、こんな馬鹿が陛下のお役に立っているなんてお世辞にも……」

「見てもいないくせに、なんてこと言いやがる」


 瑛士が苦虫をまとめて噛み潰したような表情で呟く。真澄は微笑んだ。それから若干笑みを悪戯っぽいものに変化させ、瑛士を見やる。


「家族に顔を見せに行けと言ったにもかかわらず、どうやら行っていなかったようだな? 午前中は時間があったというのに」

「あ!? いやあ、それは……」

「その罰だ、行って来い。親に孝行しない者はいつか後悔するぞ」

「ならば、真澄さまもご一緒に……?」

「私はいい。家族の団らんを邪魔するほど無粋ではないからな」


 そう言って真澄は瑛士の兄に軽く頭を下げ、その場を立ち去ろうとした。瑛士が慌てて追いすがる。


「真澄さま、宿への道はお分かりで?」

「皇都の路地裏に比べれば、どうやったって迷えんぞ、この街では。もし私が迷子になるのではないかとでも思っているなら、本気でぶっ飛ばす」

「あ、あはは、失礼しました……」


 真澄は苦笑し、その場を立ち去った。瑛士の兄が呆気にとられたように呟く。


「俺なんかに頭下げて……お優しいんだな、兄皇陛下は」

「――お優しくて、強い方だよ」


 瑛士はふうっと息をついた。彼は真澄の笑みに隠された僅かな孤独感を察していた。だがせっかく真澄が気を遣ってくれたのだ、さっさと両親の顔を見て護衛に戻らなければ。


 宿への道すがら、真澄は夕焼けの空を見上げた。こんな夕方に暇になるのは本当に久々で、見上げる空はいつも早朝の空か夜空だった。黄昏時の空は寂しくて嫌いだったが、こうしてみると悪くない、と思う。


 ――皇とは孤独だ。


 いつか、父がそんなことを言っていた。孤独だからこそ強くあれ、と。思えばあれが、父が真澄に残した唯一の訓示だったのかもしれない。


 俺は別に孤独なんかじゃない。知尋もいるし、瑛士も矢須もいる。今は守らねばならない巴愛もいる。これで孤独などと言ったら、罰が当たる。だが、ああいう家族の絆を見ると、父の言葉が蘇る。真澄と知尋の関係は兄弟ではあるが、とても一般的な兄弟の間柄とはいえない。兄上とでも呼んでもらえればそれらしかったが、生憎双子ではそういうことも憚られる。だからといって、友人という関係ではない。


 親に孝行しないと後悔する、か。俺が何を言うという感じだな。俺は欠片も、親に孝行などできなかったのだから。


 真澄は苦い顔になった。――やはり夕焼け空は嫌いだ。この雰囲気は、人を感傷的にさせる。足早に宿に戻ったのだが、その帰りを待っていた巴愛が静頼の魚を使ってパイを焼いていてくれたと知り、なんだか心が安らいだ。気分が沈んでいるときに嬉しいことがひとつあるだけで不安が吹き飛ぶほど、自分が単純な人間だったと思い知った。

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