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和装の皇さま  作者: 狼花
壱部
20/94

17 前日、それぞれの覚悟

 あの夜から不安な日々を過ごしてきた巴愛だったが、拍子抜けするくらい毎日はいつもと同じだった。ただいつもより少し、昴流と咲良が共にいる時間が多いと思うくらいだ。そして海への視察も巴愛の同行も変更はないらしく、ついに出発を明日に控えた。真澄は視察という仕事で行くのだが、巴愛はただの観光なので気楽なものだ。


「ふふ、どのお着物を持っていこうかしら。せっかくのお出かけだもの、やっぱりお洒落しないと」


 咲良は楽しそうに、巴愛に着せる着物を選んでいる。今までに買い集めた着物がすべて部屋中に広げられ、足の踏み場がないほどだ。少々行儀が悪いながらも、昴流はソファの上に足を上げて小さくなっている。ソファの足元にまで着物が拡げられているのだ。


「そう言って着物選びはじめて、何十分経ったと思ってるんだよ? 今日中に荷物は積まないといけないんだから、急いでほしいんだけど」

「まあ昴流、短気ね。この程度で辛抱できないようじゃ、人にお仕えすることなどできないわよ」

「なんでそうなる! ……ああもう、本当に女の人は身支度が長いんだから……」


 どの世界、どの時代でも、こういうことはお決まりらしい。いつも通りの会話に苦笑しつつ、巴愛は一着の着物を手に取った。それは真澄からもらった、真澄の母の着物だった。なんだか勿体なくて、初日以降一度も袖を通していなかった。


 じっと見ていると、咲良が手元を覗き込んできた。そして微笑む。


「……やっぱり巴愛さんは、それが一番お似合いですよね」

「そ、そうですか?」

「はい。じゃあ、それを持っていきましょう」


 一つ決まると、そのあとはとんとん拍子で四日分の服が決まった。あとはそれらを詰めた鞄を、昴流が荷台に積みに行くだけである。


 散らかした服を片付け始めた巴愛を残し、昴流と咲良は廊下に出た。咲良は鞄を昴流に手渡しながら微笑む。


「よろしくね、昴流」

「はいはい。……大丈夫なのか、姉さん?」


 昴流に問われた咲良は、若干笑みを変化させた。


「大丈夫よ、決まっているじゃない」

「何が起こるか分からないんだ。ただ確実に、相手は兄皇陛下を殺すつもりでいるんだろう。必ず巻き込まれる」

「何事もなければ、それがいいわね」

「姉さん」


 昴流が姉の腕を掴む。その力の強さに、咲良は弟が本気であることを悟った。


「ごめんなさい、楽観視しているつもりじゃないの。でもね、何事もなければいいって思うのは本当よ。兄皇陛下や巴愛さんの命が狙われるなんて……そんなの悲しいじゃない」

「……自分の心配は、していないんだな」


 ふっと息をついて、昴流は姉の手を離した。


 昴流と咲良は、今回のことを重く受け止めている。しかしそれでも巴愛の前ではいつもの通りに振る舞っていたのだ。彼女を安心させるために、わざとである。


「貴方はどうなの、昴流。相手が巴愛さんを殺そうとしたら……」


 咲良の質問に、昴流は毅然として答えた。


「勿論、命をかけてお守りする。任務だからではなく、僕自身の意思で」


 そこには一切の迷いがなかった。いっそ清々しく昴流は笑った。


「今まで何度も戦場に出て、命の取引をしてきたんだ。死ぬのは怖くないさ。それよりも、貴族の馬鹿馬鹿しい思惑で陛下や巴愛さんが命を落としてしまうほうが、ずっと怖い」

「そう……」

「僕は姉さんのことも守る。死なせないから……誰も」


 咲良は頷き、軽く弟を抱擁した。


「有難う。でも覚えておいて、私も貴方と同じ気持ちよ。守りたいもののために命を投げ出すのを、恐れてはいないわ。だからもし私に何かあっても、それは貴方のせいじゃない」

「姉さん……」

「巴愛さんに危険があったら、必ず駆けつけて来なさいよ?」

「当然だ」


 昴流は頷き、そっと姉から離れた。そこからはもう沈鬱な空気はなく、いつものふたりの調子に戻った。昴流は軽く片手をあげ、荷物を持ってその場を後にしたのだった。


 同じ頃、真澄は執務室で李生の報告を聞いていた。室内には知尋と瑛士もいる。李生の報告のほとんどは喜納公爵が雇った幾つもの傭兵、盗賊団の人員や戦力、思考傾向からの行動予測など、事細かなものだった。普通、貴族が私的に雇った人物は皇であろうとそう簡単に調べ上げることはできない。それを李生は、公爵の屋敷に潜入したりせずとも、膨大な資料をかき集めて照合したのである。とても一週間でできることではないのだが、それをやってしまうあたり彼はすごい。しかも、不法侵入等の違法行為は何一つしていない。


「今回、静頼(せいらい)地方に傭兵団――まあ実態はただの盗賊ですが、それが二つほど終結しつつあります。人数はおよそ五十。それを率いるのは紛れもなく喜納公爵の次女、喜納加留奈(かるな)です。彼女の姿も街中で目撃されています。さらに、大量の銃を公爵が彩鈴から輸入したのも確かなようです。ただ、それらがどこに保管されているのかは不明ですが……」

「静頼の民はどうしている?」

「民衆の大部分はこのことに気付いていません。元々夜盗の類が少ない平和な地方ですから、そういった危機は薄いようです。喜納公爵に取り込まれている様子もありません」

「ふむ……」


 真澄は机の上に広げた地図を睨む。それは明日から視察に向かう、静頼の街の地図だ。人口はおよそ二五〇〇。住民のほとんどが水産業に従事し、海と樹海に挟まれた小さな田舎町である。しかし玖暁に出回る海鮮類の七割はこの静頼で水揚げされたもので、この地方でのみ「刺身」という生魚を食べるという文化がある。海に面しているとは言えども、貿易港ではないので、魚以外に特産物もない。そんなところになぜ真澄が行くのかと言うと、その静頼の海の底に古代の遺跡が発見されたからである。調査は始まったばかりなのでどれくらい古代なのか分からないが、巴愛が生きた時代ほど古くはないだろう。だが、歴史を紐解く重大な遺跡だ。そういった歴史に関心が強い真澄は、頻繁に調査を視察に行くのだ。


「それだけの大人数が街中に潜むのはまず無理そうだな……怪しいとなれば街の周囲を囲むこの樹海だが、瑛士、どう思う?」


 真澄は瑛士に質問を投げかける。というのも、この瑛士こそ静頼で生まれ育った人間なのである。護衛を瑛士に任じたのも、真澄が久々の里帰りを演出してやろうと思ったのだ。


「そうですね……確かに広い森ではありますが、子供が普通に入って遊んだり、薬草なんかを摘みに住人が入ることもまあまあありましたから、武器の保管や隠れ場所には不適切だと思いますよ」

「瑛士も樹海で遊んでいたくちか?」

「ええ、そりゃもう毎日のように」


 その答えに一同苦笑し、そして話を戻す。


「だとしたら隣町かな。大した距離もないし、かなり大規模な都市だ。身を隠すにはうってつけだと思うが……」

「そうですね、私もそう思います。けれど念のため、李生には引き続き調査を頼むよ」

「お任せを」


 知尋の言葉に李生が答え、それからやや気がかりそうに報告する。


「……それから、未確認の巨大な積み荷が夜間、公爵の屋敷から運び出された記録があります。方角的には静頼の方向なのですが……それについても調べを進めます」


 頷いた瑛士が腕を組んだ。


「では当面は、街道方面の警備を強化しましょう。念のため皇都の防衛もさせます。……それにしても李生、お前はどうやってこれだけの情報を調べられるんだ?」

「どうやっても何も、こつこつと目撃情報を集めているだけです。主に金の動きですが……これ以上は俺の活動に関わるのでお教えできません」


 李生がふっと笑みを浮かべる。真澄が地図を畳みながら尋ねる。


「危ないことはしていないだろうな?」

「ご心配なく。そんなことをすれば真澄さまたちの顔に泥を塗ることになりますから、あくまでも合法的にやっていますよ」


 実際には、公爵家の財務を担当する側近に多少の金をちらつかせてやったこともあったのだが――とは、李生は言わなかった。


「それならいいんだ。……さてと、私も支度をしなければならんな」


 真澄はそう言って椅子から立ち上がった。知尋が兄に声をかける。


「真澄。私は喜納公爵から言質を取ります。そのために真澄を陥れるようなことを言いますが……許してくださいね?」

「ああ、構わんさ。ただ、面と向かっては言わないでくれよ。さすがに落ち込むからな」

「ご冗談を。で、そのとき李生にも手伝ってもらいたいことがある。色々頼んで悪いけど、いいかな」

「大丈夫です。忙しすぎるほうが、気が紛れます」


 李生が紛らわしたい気は、真澄らが狙われているのに護衛できない、という苛立ちと不安である。そのことを悟っている真澄は、李生の肩を叩く。


「必ず生きて帰ってくる。だからそう心配するな」

「……信じます」


 李生の言葉に真澄は頷き、執務室を後にした。





★☆





 翌朝、皇城の城門前に荷馬車と馬車がそれぞれ一台、そして二十名ほどの護衛の騎士が整列していた。この日の巴愛の服装は浅葱色の着物で、咲良がプレゼントしてくれた髪飾りをつけている。真澄のほうはいつもの袴姿である。やっぱりその姿のほうが真澄は凛々しくて素敵だ。見送りには知尋と李生が立っている。


「留守は任せてください。真澄の代理くらいなら、私にも務まりますから。矢須と一緒に何とかやっていきますよ。李生もいますしね」


 知尋の笑みはいつもと変わらない。死の危険がある場所へ兄を送り出す弟の表情とは思えないほどだ。李生も頷き、短く告げる。


「お気をつけて」

「ああ、有難う。それじゃ、行くとしようか」


 真澄もあっさりとしたものだった。身をひるがえして、愛馬の元へ向かう。巴愛も続こうとして、不意に腕を掴まれた。驚いて振り返ると、知尋が巴愛を引き留めていたのだ。


「知尋さま……?」

「これを、渡しておく」


 囁いて知尋が巴愛の掌にねじ込んだものは硬く冷たい。一瞬でそれが神核だと悟った。


「使わなければそれでいい。でも、もし何かあったときには火をイメージして。蝋燭に灯る火でも、火災のときの炎でも、何でもいいから。そうすれば、私が制御した通りの術が発動するだろう」

「火の神核……」

「きっと、それは君を守ってくれるよ。だから君は、君の安全だけを考えて。真澄たちのことは、心配いらないからね」


 真面目な顔だったのはそれだけで、巴愛の手を離した知尋はぱっと元の明るい表情に戻った。巴愛にひらひらと手を振り、彼女を見送る。


 巴愛は咲良とともに、馬車に乗る。本来なら真澄が乗るべきなのだろうが、真澄は生憎とそういうのを好まない。なので巴愛たちが使うことになったのだ。馬車のすぐ横を並走するのは勿論昴流である。


 出発した馬車と騎兵の後姿を見送った知尋は、さっと踵を返した。それに李生が無言で従う。


「……ふふっ」


 知尋の唇から笑みが漏れる。それを見た李生が肩をすくめた。


「楽しそうですね、知尋さま……」

「不謹慎なのは分かっているけどね。目障りな障害物を自分の手で叩き落とせると思うと、ね」


 知尋とは、こういう好戦的な人である。


「真澄なら大丈夫です。殺したって死ぬ人じゃありません。それよりも、さっさと喜納公爵を潰しておかないと」


 優しいだけの見た目に騙されると痛い目に遭う、この人を敵に回してはいけない、と李生は身に染みて知っている。


「さて……じゃあ、始めましょうか」


 知尋はそう呟き、臣下の者に喜納公爵を至急呼び出すよう命じた。





★☆





 急に弟皇に呼び出された喜納公爵は、内心の焦りをおくびにも出さずに登城した。ここまで計画が無難に進んでいる身としては肝が冷えた。一応の身なりを整えて城に向かうと、使用人が言伝を伝えてきた。知尋が待っているのは応接間だという。仕事上での呼び出しならば執務室がお決まりだった公爵としては、焦りが絶頂に達した。しかし応接間に入った瞬間、公爵は拍子抜けした。


「いらっしゃい、喜納公爵。急に呼び出してすみません」


 近年にないほど、好意的な笑みで知尋は公爵を迎えた。呆気にとられた公爵が我に返り、貴族として最高の礼をする。


「いえ、陛下のお呼びとあらばこの喜納、いついかなる時でも馳せ参じます」


 我ながら嘘くさいと思っているし、実際知尋も嘘くさいと軽蔑している。が、お互いに本心は隠している。


「そんなにかしこまらないで。……そう言えば、公爵の付き人が急な病で入院したとか。その後、経過はいかがでしょうか?」


 そんな設定はいま初めて聞いた。付き人はここ一週間会っていない。しかし通信報告は「毎日滞りなく」送られてきているので、きっと真澄について行っているのだろう。実際、指示した通りあの男は真澄の情報ばかりを送ってきている。


 何をどう勘違いしているのか知らないが、公爵は知尋の勘違いに乗っかることにした。


「ええ、最近遅くまで仕事を頼んでしまっていたので、心労が祟ったのだろうと。たいしたことはないようです」

「それならいいのですが。まあ、今日はそんな話をするつもりはないんです」

「はあ、と言いますと……」

「せっかく真澄がいないのです。もっと有意義な話をしましょうよ。例えば、どうやって真澄を皇位から引きずりおろすか、とか……」


 公爵はあまりのことにぎょっとした。完全に真澄に心酔している知尋の口から、そんな言葉が出てくるとは思わなかったのだ。


「どうです? こういう言い方をしてはなんですが、手を組みませんか?」


 あでやかな笑顔とともに知尋が発する甘い毒。公爵は目を白黒させるしかなかった。

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