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和装の皇さま  作者: 狼花
壱部
19/94

16 諜報員、発覚

「何者だ。姿を見せろ」


 真澄は静かにすら聞こえる声で、もう一度誰何した。だが大体の場合、出てこいと言われて素直に出てくる者は多くないだろう。


 巴愛には何も見えなかったが、どうやら真澄の目にははっきりと、侵入者が身をひるがえして逃亡を図ったところが見えたらしい。突如として真澄は着物の懐に手を入れ、抜きざまに腕を振った。飛んで行ったのは三本の短剣で、とん、と立て続けに壁に突き立った音がした。それと同時に「ひっ」という悲鳴が聞こえる。


 真澄は巴愛に「ここで待て」と告げ、声がしたほうへ歩き出した。その途中、無造作に掌を天井の大きなシャンデリアに向けた。一気に謁見の間が明るくなる。どこかにこのシャンデリアのスイッチがあるはずなのだが、真澄はその手間を省いて直接神核を点灯させたのだ。なんという荒業だろう。


 侵入者は中年の男だった。恰好からして騎士ではないようだ。真澄が投じた短剣はその男の着物の裾だけを見事に貫き、男は無様な格好で壁に縫い付けられていた。


「……お前は、喜納(きとう)公爵の傍仕えだったな」

「あ……は、はい、左様で……」

「騙してなりすましたのか? それとも合意の上か?」


 真澄は肝心の「ここで何をしていたのか」ということを問わなかった。すでに真澄は、その答えを知っているということだ。


「公爵閣下の……ご依頼でした……」


 か細い声を聴きながら、真澄は床に落ちている機械を拾った。小ぶりの立方体の機械だ。おそらく、録音装置であろう。


「録音内容はどうした」

「もう送信してしまいました……」

「……だろうな」


 真澄が嘆息する。と、ばたばたという足音が聞こえてきた。真澄が振り返る。


「巴愛、隠れろ」


 巴愛ははっとして、傍にある太い柱の陰に引っ込んだ。それと同時に、玉座の間に数人の人間が飛び込んできた。玉座の間の明かりがついたことに気付いたのだろう。


「真澄さま!? いったい何があったのです?」


 瑛士の声だ。確か瑛士は今夜、皇城本棟の警護に当たっていた。彼と数人の部下が真っ先に駆けつけたのは当然である。


 何事かと問うた瑛士だったが、捕えられた男を見てすぐ理解したようだ。真澄は録音機を瑛士に渡す。


「聞きたいことは聞いた。明日、朝一番で送還させろ」

「はっ」


 その言葉に、項垂れていた男が顔を上げる。


「殺さない……のですか?」

「……私を監視していたのなら、私がそういう部分で甘いことを知っているのではないか?」


 殺しを好まない、のではなく、甘いと真澄は表現した。そこに真澄の優しさと怒りの葛藤が見て取れる。殺しても誰も文句は言わず、むしろそれが妥当なのだ。一国の皇を騙し、監視し、その情報を売り払っていたのだから。


 男がぼろぼろと涙をこぼした。嗚咽交じりに謝罪する。


「申し訳……ありませ……っ」

「謝るな。詫びるくらいなら指示に従うな。自分のやったことに誇りを持て。お前は見事に、この鳳祠真澄を出し抜いたのだからな。……帰ったら、家族にでも聞かせてやれ」


 瑛士の部下が男を連行していく。残ったのは瑛士だけだ。


「喜納公爵に出頭状を出しましょうか?」

「……いや、いい。のらりくらりとはぐらかされるだけだ。知尋と矢須を起こしたくはないし……このことは公にしない。だが、対策は考える必要があるな」

「そうですね。……巴愛は俺が部屋までお送りしましょうか」

「少しだけ話がある。私がここまで連れてきてしまったのだ、私が送るさ」


 瑛士は頷き、謁見の間を出て行った。


 真澄は両の拳を握りしめた。自分の迂闊さを呪いたい。巴愛の身を心配するあまり、自分の身辺をおろそかにしていた。自分こそ、大勢の人間に命を狙われ、監視される立場だというのに。


 喜納公爵はこの玖暁でも指折りの貴族で、十年前のクーデターでも巧みに失脚から逃れ、いまだに権力を握っている狡猾な男だ。表面上は真澄に忠誠を誓っているが、いつか自分の娘を真澄に嫁がせようと目論み、それが駄目なら真澄を殺害することすら考えているだろう。


 そんな人間に、巴愛の存在が知られてしまうとは――。


 巴愛を亡き者にする、というのは一番手っ取り早い。しかしそれで真澄が皇から退くことはない。だったら巴愛を拉致し、彼女の身の安全と皇位を取引しようとするか。もしくは、真澄が自ら助けに来いと言うか。選べるか、彼女の命と自分の立場を。


 無理だ――自分の立場が、巴愛の命より重いとは決して思えない。きっと真澄は巴愛を選ぶ。そうなったら、真澄はたったひとりの女のために国を背負う責務を放棄した、堕落した皇と蔑まれる。それで真澄が死んでも、同じことである。


「……あの、下衆が……ッ」


 真澄の口から、彼らしくない、口汚く相手を罵る言葉が飛び出した。二人きりになったので真澄の傍に歩み寄った巴愛は、その呟きを聞いてびくりとした。


「真澄、さま」

「! ……ああ、すまん。今の言葉は忘れてくれ」


 真澄は我に返り、巴愛を振り返った。


「大丈夫ですか?」

「私はなんともない。巴愛こそ……怖くはなかったか」


 尋ねると、巴愛は首を振った。真澄はふうっと息をついた。


「……あの男はな。昼間話した、彩鈴の諜報員だ」

「あの人が……」

「奴は、玖暁の貴族の傍仕えだった。もう五年ほどになる……長いこと顔を合わせていたから、まさか彼が諜報員だとは思いもよらなかった。そう仕向けるのが、奴らは得意だからな。例えば……昴流が諜報員だったとしても、なんらおかしくないくらいだ」


 勿論昴流は違うぞ、と真澄は念を押す。


「彩鈴が情報を売る相手は殆どが国相手だが、時々個人にも売ることがあるんだ。もっぱら富豪だがな。だからつまりあの男は、喜納公爵という男が彩鈴から雇った密偵だったということだ。私の動向を把握するためにな」


 それで真澄の最初の質問の意味が分かった。「騙した」というのは、真澄や公爵を監視するために、その公爵すら欺いて側近になりすましていた、ということだ。「合意の上」とは、公爵がそれを知っていて使っていたということになる。そして彼の場合は後者だったのだ。


「不注意だった。よりにもよって喜納に、巴愛の存在を知られてしまうなんて……」

「真澄さま……」

「奴はいずれ必ず行動を起こす。もし巴愛を人質にでも取られたら、私は……」


 巴愛はそっと、震える真澄の腕に触れた。真澄が驚いて巴愛を見つめる。


「その時は、真澄さまご自身の命や名誉を選んでください」

「なっ……!?」

「あたしは元々、ここに存在するはずのない人間ですし……真澄さまがどんな決定をしようと、あたしは恨んだりしませんから」

「巴、愛……」


 真澄は茫然と呟いた。いつもなら「そんなことを言うな!」と言うところだ。だが何も言えなかった。なぜかは分からない。だが、そんな悲壮な決意を固めている巴愛に愕然としたのだ。


 公爵がしかけてくるとしたら、間違いなく後日の視察のときだ。その時、万全の態勢を整えねばならない。





★☆





 朝になり、真澄は早々に知尋と矢須、瑛士を執務室に呼んだ。この執務室は皇城の本棟にあり、謁見の時以外のほとんどの時間を、真澄はここで過ごしている。


「夕べそんなことが……起こしてくだされば良かったのに」

「いや、そうするには非常識な時間だったからな。それで瑛士、あの男は城を出たか?」

「はい、一時間ほど前に何事もなく」


 瑛士の報告に真澄は頷いた。


「堂々と事に及んだ諜報員も諜報員ですが、真澄さまも少し不注意でしたな」


 矢須に叱られ、真澄は目を閉じた。


「……反省している」

「仕掛けてくるなら、視察の時でしょうね。巴愛を誘ったんですよね?」

「ああ……」


 弟の問いに、真澄は頷く。知尋が腕を組む。


「……私も同行しましょうか? 危険が大きすぎます」

「いや。あの視察は予定通り私と瑛士の隊、そして巴愛と咲良を伴って向かう」


 真澄はきっぱりと告げた。矢須が厳しい顔で唸る。


「あえて公爵の思い通りに事を運び、公爵を引きずり出しますか……」

「そういうことだ。……知尋、お前には公爵の足止めを任せるぞ」

「……分かりました」

「瑛士、喜納とつながりのある貴族や集団を李生に探らせろ。あいつは絶対に自分の手を汚さない。傭兵なり何なりを雇っているはずだ。彩鈴の諜報員と直接契約できるほどだからな」

「了解です」


 瑛士が頷く。真澄が李生を指名したのは勿論訳がある。彼こそが、この玖暁における最高の諜報員なのだ。技術的には彩鈴に劣るとしても、貴族ひとり探るのに不自由はしない。それに、まさか騎士団の主席部隊長が自ら諜報活動を行うなど、誰も思いはしないのだ。


「瑛士自身は、隊の中から精鋭を選抜して護衛に組み込んでくれ。矢須も、このことが喜納を含めた諸貴族に知られないように箝口令を」


 本来ならば、喜納が諜報員を使って真澄を探っていた、という一事だけで彼の立場は追い詰められる。だがどうせしらを切られる。無理に糾弾することもできるだろうが、それは時間の浪費だ。


 引き返せないところまで引き付け、そして叩く。それが真澄の考えだ。


 その時、机の上に置かれていた機械が、ピーピーという機械音とともに赤く点滅した。これは彩鈴が造った通信機、いわば電話である。真澄がスイッチを入れると、スピーカーから雑音交じりに男性の声が聞こえてきた。


『よう、真澄か? 俺だ』


 矢須がぎょっとしたように声を上げた。


「彩鈴の国王陛下……」


 真澄が眉をひそめる。


「何の御用でしょうか?」

『通信機越しのお前の不愉快そうな顔が目に浮かぶぞ。どうもうちの情報部の人間が、とんだ失態をやらかしたようじゃねえか。まさかあの男に皇のプライベートを盗聴する勇気があったとは思わなかったが、事が大きすぎるんでな、こうして連絡したってことだ』


 王の口調としては軽すぎるものである。年齢は真澄と知尋より十は年上だ。以前巴愛にも言ったが、彼と真澄たちは古い付き合いである。が、それが親しい関係であるとは一概に言えない。特に、知尋にとっては。


「さすが耳が早いですね、送還した諜報員はまだ玖暁領内でしょうに。あとどれだけの諜報員を我々の身辺に潜ませているのか、いっそお教え願いたいですね」


 真澄に無礼を働く者は、一様に知尋の敵だ。真澄に偉そうな口を利いたり、馬鹿にしたりして良い人間など、知尋の中では存在しないのだ。


『はっはっは、相変わらずだな、知尋。これでも色々努力しているんだが』

「どの口が努力を語って……? 貴国の情報部の一体誰が、個人からの賄賂を受け取って諜報員を派遣したんです!? 国の承認なく個人と諜報員を契約させるのは条約違反ですよ」

『犯人の目星はついているから、そう焦るな、あとでしょっぴいてやる。確かに元凶は、彩鈴の管理不行き届きにある。が、個人と諜報員を接触させてしまうような隙を玖暁が見逃していたことも、また事実だな』


 知尋がむっとしたとき、真澄が弟を抑えた。


「仲介人を挟まず直接私に連絡を入れたということは、これは内密の通信ですね?」

『よく分かってるな。俺がこうして連絡して、お前に言おうとしていることは俺の独断であって、国の意思じゃない。つまり中立という彩鈴の意思に俺は背いているわけだ。今から言うことに嘘はねえし、金もとらん。で、こうやって喋っていることが誰かに見つかったら俺の王位が揺らぐんで、本題に入らせてもらうぞ』


 彩鈴国王の口調は、若干真面目なものに替わった。


『もう分かっているだろうが、今回情報を流していた相手は喜納公爵だ。情報は公爵と俺、どちらにも送信されてきている。まあ「トモエ」とやら言う謎の女については、俺の胸のうちだけに留めておいてやる』

「……そいつはどうも。それで続きは?」

『公爵は傭兵団を幾つも雇っているんだが、その中には盗賊や山賊の類も含まれている。で、なんとそれを仕切っているのは公爵の実の娘だ。これがただもんじゃない』

「真澄に嫁がせようとしていた娘が、盗賊の頭目だなんて……」


 知尋は嘆かわしげにつぶやいた。


『それだけの実力があるんだよ。その娘にも盗賊にも。それで、お前が行こうとしている地方に、今その娘は滞在中らしい。つまり今回のことがなくても、最初からそこで真澄を襲おうとしていたってことだ』

「……喜納公爵は、もはや真澄さまに娘を嫁がせるよりも殺すほうに力を注いでいたということですね」


 矢須が腕を組んだ。


『そうだ。しかもその盗賊たちは彩鈴から大量に銃を買っている。流通を止めようと思ったが、間に合わなかった。もはやかなりの武器を持っているぞ。騎士団の一小隊くらいの戦力はあるだろう』

「クーデターのやり直しでもする気でしょうか」


 真澄の言葉に、通信機の向こうで王が笑った。


『だとしたら間違いなく失敗だな。喜納公爵が、お前たち以上の人望の持ち主とは思えん。それに何より、お前たちが負けてあいつが玖暁の皇になったら、俺たち彩鈴が玖暁をぶっ潰してやる』

「そういうことを言うから、貴方は知尋の目の敵にされるのですよ」


 真澄が苦笑交じりに言い、反論しようとしていた知尋が押し黙った。言いようを替えれば、彩鈴の王は真澄たちの仇を取る、と言ってくれているようなものである。


『違いないな。真澄、お前のことだからあえて罠の中に突っ込んでいくんだろうな。止めはしないぞ。俺に止める権利はないし、これ以上の情報を提供できないのが悔しいところではあるが』

「相手の戦力が把握できただけでも十分です。わざわざ危険を冒してくださってありがとうございます」

『なあに。お前のプライベートを覗くような野暮なことをした詫びだ』

「あのですね……」

『その辺の言い訳は、あとで聞いてやるさ。今はとりあえず、お前たちの無事を祈ってるぞ』


 通信は一方的に切れた。真澄がスイッチを切ると、知尋が溜息をつく。


「やはりよく分からない人ですね」

「私たちを心配してくれたのさ。詫びというのは、本当のことだと思うぞ。あの人は昔から、見えないところで玖暁を贔屓にしてくれていたしな」


 諜報国の王ではあるが、あの人こそが諜報をもっとも嫌う人だと、真澄も知尋も知っている。だが知尋の共感する気持ちとこれとは別なのだ。


「瑛士、今の情報も鑑みて護衛の再編に当たってくれ。ただし相手に悟られないよう、ごくさりげなくな」

「なるべく、そうします」


 瑛士はそう言って部屋を出た。細かいことや集中することが苦手な瑛士に、さりげなくなんてことを要求するのは無理があるというものだ。それを自他ともに認めているから、みな苦笑した。矢須も執務室から出ていき、残ったのは知尋だけだ。


「……真澄」

「ああ」

「私たちは巴愛を巻き込みました。隠してきて、隠してきて、それがいま裏目に出たということでしょう。ここまでずっと軟禁状態にしていたことが知られれば、それはそれで問題になります」

「分かっている」

「もし巴愛の命を盾にとられた時、真澄はどうしますか」


 真澄は顔を上げた。知尋は静かに、そこにたたずんでいる。


 それは昨日からずっと考えてきた。どうすればいいのだ。選べない。自分は皇としては脆弱な意思の持ち主だ。本来なら天秤にすらかけられない選択なのに。


「……巴愛は、自分を選ぶなと言っていた」

「それで、二択を迫られた時、真澄は迷いなく巴愛を捨てられるのですか」

「違うッ! 俺はっ……!」


 つい、昔の口調が出てしまった。


「選べるかッ! 俺の名誉などより、巴愛の命のほうが大切に決まっている! 俺は、あの子を――守りたくて」


 と、知尋が笑みを浮かべた。


「……良かった。素が出ましたね」

「……!」

「真澄、私たちは皇です。民を守り、国を守るのが仕事です。けれどその義務に自分の気持ちを押しつぶされないようにしてほしいのです。鳳祠真澄という人間は、自分よりも他人を選び、全よりも目の前の個を大事に思ってしまう。そういう人でしょう」


 知尋は真澄の前に歩み寄った。


「名誉や地位なんて蹴飛ばして、巴愛を守ってください。必ずですよ。それが、あの子を助けた真澄の義務です。足りないところは私やみなが補います。……いいですね?」


 良くも悪くも感情的な兄を持つ知尋は、幼いころから自分の役割をわきまえていた。真澄が躊躇うことを、自分が代行するのだ。戦場で味方を見捨てられない真澄に、「諦めろ」というのが知尋の役目だった。感情が高ぶる真澄の鎮静薬なのだ。だが知尋はいま、あえて真澄を嗾けている。そうでないと、皇の義務に飲み込まれかけた真澄は本当に巴愛を見捨ててしまいそうなのだ。それは知尋の仕事であって、真澄がすべきことではない。真澄はただ真っ直ぐ前を向いていてほしい。そうやって互いを補いあうことが、自分たちが双子の皇として君臨する意味だと思うのだ。


「……分かった。必ず守る。……有難う、知尋」

「はい」


 真澄の言葉に、知尋はにっこりと微笑んだ。

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