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和装の皇さま  作者: 狼花
壱部
12/94

9 帰還、裏口より入城

 翌日も朝早くから行軍は再開された。早起きが得意ではない巴愛は寝ぼけ眼だったが、昴流は朝からしゃっきりしている。勿論、一晩外で過ごしたことなどおくびにもださない。


 やがて周りの風景は草原だけでなく、民家が見えるようになってきた。その傍には田畑が広がり、この光景は巴愛も父の実家で目にする田舎の光景だ。これからはこんな光景が続くのだという。


 昴流の言った通り二日目も終盤に差し掛かると巴愛も馬に慣れた。二日目は無難に終わり、残すところあと半日という行程になった。


「皇都って、どんなところ?」


 尋ねると、昴流が首を捻りながら答えた。


「豊かなところですよ。賑やかだし、明るいし、環境もいい。陛下たちのお人柄がそのまま反映されたような街です」

「じゃ、なんで首傾げてるの?」

「ああ、いや……皇都に戻ると、色々大変だろうと思いまして」


 よく理解できずにいると、昴流が片手を手綱から放し、前方を指差した。


「巴愛さん、見えてきましたよ。あれが玖暁皇都『照日乃』の城壁です」


 言われて顔を上げると、灰色の高い城壁が見えた。皇都は周囲を城壁に囲まれた城市である。城壁を少し飛び出して見える豪華な塔が、皇城の敷地内に立つものなのだそうだ。


「すごい城壁……」

「さすがに天狼には劣りますけど、それでも都市の城壁としては近隣でも最高の強さでしょうね」


 後ろから速い馬蹄の音が聞こえてきた。振り返ると、殿(しんがり)を務めていたはずの李生が駆けてきていた。


「天崎部隊長!」

「混乱を避けるため、皇都の中に入ってから軍とは別行動を取る。俺についてきてくれ」


 どうやら休憩のときにでも、真澄からそう指示されたようだ。戦と無関係としか思えない女が軍の中にいたら、誰でも怪しむだろう。


 巨大な皇都の城門をくぐったところで、李生と昴流の操る馬は行軍の列を外れた。皇城へ一本でつながる大通りから脇道に入り、民家が立ち並ぶ路地を駆ける。馬にしがみつきながら視線を上げると、先程より近くに皇城がある。なんて綺麗なのだろう。お伽噺に出てくるような、中世のお城そのものだ。


「僕たちの勝利はすでに皇都に伝わっています。さっきの大通りの両側にずらっと民衆が並んで、凱旋を出迎えているんですよ。そういう歓声に応えるのも役目なので」


 昴流がそう説明してくれた。どこにいってもファンサービスは必要なんだな、と思う。


「貴族たちの目も兄皇陛下らのほうを向いているので、今のうちに別の入り口から皇城に入ります。こそこそと隠れるようなことをして申し訳ない」


 前を行く李生の言葉に、巴愛は首を振った。


「あたしのせいで迷惑かけるわけにいきませんから、大丈夫です」


 そう、芸能人のスキャンダルとはわけが違うのだ。巴愛も真澄も命を狙われるかもしれない。


 李生が少し微笑んだような気配がした。


 皇都は皇城を頂上にしたピラミッド型をしている。上層は貴族街、中層は市民街、下層が住宅街である。身分がはっきりと分かれているようで、真澄なら「平坦な街がいい」とでも言いそうだ。城門から皇城へ至る大通りはなだらかな上り坂なのだが、李生が通っている迂回路、つまり住宅街を抜ける道は階段が多い。おそらく技術的には馬で階段を上がるのは造作もないのだろうが、一応街中なので馬は下りている。


 玖暁は別名「騎馬の国」とも呼ばれ、馬が多いのだという。民衆の移動手段はほぼ馬に限られ、いわゆるタクシーやバスのような馬車が街中を往来している。物資運搬も馬頼みなので、馬車を引いて歩いていてもまったくおかしくなかった。しかも李生たちは騎士である。


 間近に迫った皇城はとにかく巨大だった。一言で言うなら「優雅」に尽き、石造りの造りが歴史を感じさせる。内心で大阪城やら姫路城やらを連想していた巴愛は、ひとりで苦笑した。


 皇城を囲う城壁には、正門以外にもいくつか通用口がある。李生が向かったのは正門の東、皇城敷地内に隣接して建てられた騎士団本部に続く入り口だった。皇城の門としては小ぢんまりしているその門の前に、ひとりの門番兵が立っていた。李生が近づくと、その門番兵は仰天して飛び上がり、敬礼をした。


「騎士団の天崎だ。陛下より任務を預かり、一足先に戻った。通せ。そしていま見たことは他言無用に願おうか」

「はっ、はい、勿論です。誓って口外いたしません!」

「賢明だ。そうしたほうがお前の今後のためだな」


 李生の言葉は立派な脅しとして通用しそうなものだった。門番は糸の切れた操り人形のようにかくかくと頷き、慌てて門を開けて通した。


 厩舎に馬を預けながら、巴愛は茫然と呟く。


「李生さんの言葉は、本当に強い力があるんですね。まるで脅しみたいでした」

「まあ、脅したんですけれどね」


 あっさりと李生が認めた。


「あの門番兵は騎士団の人間ではなく、貴族どもの私兵でした。あのくらい脅してやらないと、ああいう輩は口が軽くて敵いません」

「あ、はは……」

「それはともかく、こちらへ」


 李生が歩きだし、巴愛と昴流は慌てて後を追った。


 広すぎる芝の庭を横断する。色とりどりの花が咲いているほか、大きな噴水まであった。庭だけでこれだけ入り組んでいたら、内部はどうなっているのだろう。これからここに住むのだと思うと期待もあるのだが、少し不安だ。


 真澄らの出迎えをしているのか、人の気配は殆どなかった。皇城内に入るのも裏の通用口を使い、すぐそばにあった昇降機に乗る。砦のものよりずっと静かで、これなら現代でも通用しそうな乗り心地だ。


 昇降機は四階で止まった。昇降機を降り、長い廊下を歩く。途中で一度渡り廊下があり、棟を移動したようだ。渡り廊下は屋外だったが、きちんと屋根がついていた。


 四階の渡り廊下を歩いてきたのだが、行く先の棟ではそこは一階だった。地形の段差の影響で、前の棟の四階が次の棟の一階になっているのだ。その別棟の周りにも、また庭がある。


 皇さまのいる城といえば、後宮なんてものが付き物だ。もしかしてここにもそういうものがあるのだろうか? それはそれで構わないのだが、真澄が側室を何人も抱えていたりしたら……多分、あたしはショックだ。


 別棟の二階へ昇降機で上がり、降りた先のある部屋の前で李生は足を止めた。振り返り、巴愛に言う。


「ここが兄皇陛下のお部屋。その隣が弟皇陛下のお部屋です」

「そうなんですか」


 扉と扉の間隔を見れば、それぞれの部屋がどれだけ広いのかが一目瞭然だ。


「これから巴愛殿の部屋に行きますが、最低限陛下のお部屋からの道は覚えておいてくださいね。……小瀧、お前もだぞ」

「はい」


 昴流が頷く。巴愛が驚いて振り返った。


「昴流も道知らないの?」

「この辺りは皇族やそれに列する方たちの住まいなんです。まあ、現在使っているのは両陛下のお部屋のみですが……そんなところに、ただの騎士である僕は来られませんよ」

「そ、そんなところにあたしは住んでいいの……?」


 不安げな声の巴愛に、李生が頷いた。


「皇城の中では、ここが最も安全な場所です」

「そうなんですか?」

「普通、皇の私室近辺は警護や巡回が厳しくなります。しかし陛下はそれを好まない。たとえ守ってくれるためとはいえ、扉の前に立たれては落ち着かないと」


 言いそうである。巴愛も同感だ。まるで立ち聞きされているようで、プライバシーも何もない。


「それゆえに、ここは本当に陛下の信頼を受けた者しか立ち入れません。御堂団長か俺か、宰相殿か、それくらいです。夜間の警備も俺の部下が行います。なので……どこの誰とも知らない者の目に巴愛殿が映ることはないのです」


 李生は言いながら、また渡り廊下を渡って隣の棟へ移った。


「兄皇陛下は日中業務でこちらにはおられませんが、弟皇陛下はお部屋におられることが多いです。だから昼間も心配はいりません」


 渡り廊下を渡った先の扉の前で、李生が止まった。


「ここが巴愛殿のお部屋です」


 李生は言いながら、懐から一本の鍵を取り出した。


「か、鍵なんていつの間に?」

「兄皇陛下から合鍵の隠し場所を教えていただいて、先程拝借しました」


 拝借した素振りは全くなかった。李生さんはもしかしてスリとかできるんじゃないだろうか、と思っている途中で、李生は鍵を開けた。


 室内はとんでもないくらいに広かった。くるぶしくらいまで埋まりそうに毛が長い絨毯が敷かれ、大きなテーブルとゆったりとしたソファ、それとは別に椅子とテーブルのセット、壁際には小規模なキッチンシンクが取り付けられていた。窓がたくさんあり、とても明るい。その窓の一つから外のテラスにも出られるようだ。


 室内にはもうひとつ扉があり、その先には幼いころ憧れた天蓋つきの大きなベッドがあった。つまり寝室である。


「う、うわ……すっごい」


 巴愛は茫然とする。そこでふと気づいた。この部屋のインテリアが、暖かい色で統一されているのだ。カーテンは薄いピンクだし、ベッドのシーツの模様も可愛らしい。つまり女性的な部屋なのだ。キッチンまであることだし。


「この部屋、もともとは誰の部屋だったんですか?」


 問うと、李生が微笑む。


「陛下の母上のお部屋だったそうです。陛下を生んですぐ亡くなられたらしいのですが……当時のまま、ずっと残されてきたのです」

「真澄さまたちの……」


 あんな傑物を生んだのは、どういう人だったのだろう。


「外の廊下の突き当たりにある部屋には、夜間俺か俺の部下が控えています。これからは小瀧もそうなるでしょう。何かあったら、すぐお知らせください」


 李生は部下たちのことがあるのでと、その場で去った。残った昴流はというと、戸口に立ったまま一歩も中に入ろうとしない。


「昴流、どうしたの?」

「……砦の部屋とは訳が違うので、入りにくいんですよ。これからここが巴愛さんの部屋になるんですから、色々私的なものも増えるでしょう?」


 どうやら、女の部屋には入りにくいらしい。巴愛が腕を組んだ。


「昴流に見られて困るようなものを、あたしが出しておくわけないじゃない。そこまで不用心じゃないわよ」

「そ、そうですか……けど、やはり生活していく中では、女同士でしか話せないこととかありますよね? そう言う時のために、同性のお世話係りとか必要じゃありません?」

「……まあ、それは確かに」


 親しい女の友達は、確かに欲しいかもしれない。けれどお世話係りなんて面倒な身分じゃない人が良い。別に巴愛は姫君でもなんでもないのだから。


「ここに、侍女以外の女性は存在しないので仕方ないんですよ」


 昴流の言葉で「そうなのか」と納得する。


 同性の知り合いが出来れば、心強いかもしれない――。


「……ひとり、推薦したい者がいるのですが」


 昴流がそう言ったので、ぱっと巴愛は表情を明るくする。昴流が推薦するのだから、信頼できる人に違いない。


「だれ?」


 そう尋ねたが、なぜか昴流は困ったような表情で答えようとしなかった。





★☆





 沿道から投げかけられる歓声に手を上げて応えながら、真澄たちは皇城の正門をくぐった。馬を降りて入城すると、ホールにずらっと人間が整列していた。最前列は、正直顔も見たくない廷臣たちだ。その後ろに、留守を任せていた騎士の部隊、主だった侍女たちが並んでいた。


 白髪の老人が進み出た。だいぶ年を取っているが、腰は伸びていて足取りも軽い。老人が真澄と知尋に頭を下げた。


「お帰りなさいませ、陛下。このたびの勝利と無事をお祝い申し上げます」


 彼が、真澄と知尋が最も信頼の置く宰相、矢須(やす)桐吾(とうご)である。真澄と知尋の年齢の三倍以上を生き、その人生の大半を皇に捧げてきた。真澄の祖父の時代から皇に仕えてきた最古参だ。母を早くに失い、父に見向きもされなかった双子にとって、矢須は祖父であり、教師でもあった。今でこそ物腰は穏やかだが、「怒ると怖い」典型的な人物で、新人騎士たちは必ず「宰相殿の前で粗相をするな」と先輩たちに釘を刺されているとか。


 悪政皇として悪名高い真澄と知尋の父の側近でもあったが、矢須は皇に愛想を尽かして見限っていた。今の世が荒れ果てていようと、その次を担う真澄と知尋のためにと、王者の心得を徹底的に矢須は叩き込んできた。そのおかげで、双子は見事な政治手腕を振るえている。長年皇に仕えてきた家柄の人間として、クーデターに参加するなど家の面汚しとなじられたこともあったが、真澄の一声でそれは収まり、彼は兄皇、弟皇のもとで宰相という役柄についていた。


 いまはこの矢須が、害をなさんとする廷臣たちの抑止力になっている。


「ああ、長く城を空けてすまなかった。留守をご苦労」


 真澄は言いながら、矢須に手を差し出した。矢須が真澄の手を握った瞬間、真澄は矢須の着物の裾に小さく折りたたんだ紙を滑り込ませた。それに気づいた矢須は一瞬ぴくりと反応したが、すぐ何事もなかったかのように笑顔を見せた。


「いえ、陛下に比べればこの程度、何ほどのこともございません」

「また謙遜を」


 真澄は微笑み、手を離す。


「なんにせよ、さすがに少し休みたいな。知尋が辛そうだ」


 真澄の横に立つ知尋は顔を上げて微笑む。その笑みは辛そうというより、したたかな笑みだ。


「眠れば、多少は良くなります」

「そうだな。……では、私たちは部屋に戻っているからな」


 ことさら、真澄は「部屋に戻ること」を告げた。矢須が心得たとばかりに頷く。真澄は整列している廷臣たちを見やる。


「お前たちも、出迎えご苦労。業務に戻ってくれ」


 真澄はそう言って臣下を散開させ、知尋を伴って居住区へ向かった。


 一人になった矢須が、真澄から渡された「重大な用件あり」というメモ書きを読み、誰からもいぶかしがられない程度に急いで、真澄たちの後を追った。

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