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和装の皇さま  作者: 狼花
壱部
11/94

8 改革の過去、そして帰路

 翌朝気が付いたら、巴愛は自室のベッドに寝かされていた。昨日いつ寝たのだろう、と思いつつ、そういえば酒宴で外に出て、と思い出す。


 真澄と話して、そのまま――眠ってしまったらしい。


 ひゃあ、と巴愛は両手で顔を覆った。皇の目の前で眠ってしまうなど、なんてことをしてしまったのだろう。真澄が気にしなくても、巴愛は大いに気にする。


 じゃあ、誰が部屋まで運んでくれたのだろう。真澄なのか、昴流なのか、それともまったく違う人か。


 扉がノックされた。答えると、昴流が顔を出した。巴愛が寝起きだということに気を遣って、室内には入らず敷居に立っている。


「おはようございます! 大丈夫ですか? 二日酔いとかないですか?」

「うん……平気」

「そうですか。ま、グラス一杯の葡萄酒で二日酔いになったら相当なんですけどね」

「あ、あの、誰があたしをここまで運んでくれたの?」

「ああ、僕がお運びしました」


『男に気をつけろ』と言った本人である。ある意味、一番安心だったのでほっとしたのもつかの間、昴流が顎をつまんだ。


「しかし驚きましたよ。外に出てみると巴愛さんが陛下にもたれかかって気持ちよさそうに……」

「いやぁ、言わないで!」


 巴愛は悲鳴を上げて耳を塞いだ。昴流は笑った。


「すみません、冗談ですよ。あのあと陛下が『無理に飲ませてすまなかった』と言っていましたよ」

「うう……」


 巴愛が呻く。そこではたと思う。昴流とは出会って二日目だ。なのにどうして、何年もずっと一緒にいたような気がするのだろう。それだけ昴流が親しみを持てる相手だということだろうか。


「さあて、調子はいいみたいですから普通に食事できますよね? 朝食を取りに行ってきますから、顔を洗うなり何なりしといてくださいねー」


 昴流は軽い足取りで廊下を去って行った。昴流だってしこたま飲んだはずなのに、どうしてあんなに爽やかな顔しているのだろう。やや不満だったが、むくれても仕方ないことである。ベッドから降りてシーツを整え、部屋の隅に置かれている水桶から掌で水をすくって顔を洗う。室内に蛇口はあるのだが、神核仕掛けなので術の使えない巴愛には使用不可だ。そのため、昴流が水桶に水を満たしておいてくれているのだ。昴流は無造作に蛇口をひねっているようにしか見えないのだが、ひねる動作の間に【集中】を行っているそうで、巴愛がひねっただけでは水は出なかった。


 洋服は替えがないので、二日間同じTシャツにジーンズをはいている。いや、替えはあるのだがどれも男物だというので遠慮した次第である。ちなみに風呂だけは誰よりも最初に入れてもらえて、夕方の四時くらいの早風呂だった。お湯を張るには火と水の神核を両方使い、しかも大量の湯が必要なので、相当時間がかかる大変な作業らしい。スイッチ一つでお湯を張ってくれる現代とはまるで違う。


 昴流が持ってきてくれた朝食も、昨日とあまり変わりのないメニューだった。しかしパンより米派の巴愛は、やはり白米が恋しくなる。米はあるのかと聞いてみると、「あるにはあるが高価」だそうで、どうやら庶民の手には簡単に手に入らないらしい。まあ、米より小麦のほうが使い勝手はいいのだろう。


 食事を終えたあと、窓から下を見てみると、わらわらと騎士が集まっていた。そこに真澄を見つけて胸が高鳴ったが、戦争は終わったと言ってもやはり忙しそうで、会う暇などなさそうだ。


 真澄と知尋の周りには騎士が大勢いて、みな和気あいあいと話をしているように見える。とても一国の皇さまと臣下たちの様子には見えない。


「真澄さまたちって、騎士にすごく人気なのね」


 自然と「真澄さま」と呼んでしまったことに、巴愛は気付かない。昴流は勿論気付いたが、そのことには一切触れなかった。


「あのお人柄ですから。それにお二人は、騎士に望まれた皇ですので」

「それ、昨日李生さんも言ってた。どういうことなの?」


 昴流はテーブルを拭きながら答えた。


「前皇、つまり兄皇陛下と弟皇陛下のお父上のことですが……あの方はこの玖暁をめちゃくちゃにしてしまいました」

「めちゃくちゃ……?」

「前皇陛下は戦に秀でた武皇でした。青嵐との戦いに興じるあまり、国内の政治を放棄したのです。すべて廷臣任せにし、その廷臣たちもみな好き勝手に権力をふるいました。民は重税、重労働を強いられ、一日に何人が不当な罪で投獄され、処刑されたことか。地方の治安は悪くなり、夜盗がのさばった。中央では貴族たちの権利が増大し、賄賂や不正行為が横行した。その状況の中、皇は戦争を繰り返したのです。国は疲弊し切り、活力を失っていました」


 今の状況からは想像もできない話に、巴愛は言葉を失った。


「それでも、前皇陛下を支持する人もいたのですよ。廷臣たちです。皇に任された権力をかざして、好き勝手なことができましたからね。彼らにとっては政治に秀でた有能な皇より、愚かな皇のほうを歓迎していたのです。だから他の者が不満を持っていても、逆らうことはできなかった。廷臣は皇の代弁者でしたからね」

「けど、ついに不満が爆発した?」

「はい。騎士団の前団長が騎士を束ね、革命を起こしたんです。その旗印が兄皇陛下と弟皇陛下でした。騎士団は次期皇であったおふたりと、宰相殿を味方につけ、皇城を襲ったんですよ。皇を殺し、新しい時代を拓くために」


 巴愛はちらりと窓の外を見つめる。そこにはまだ真澄がいる。


「じゃあ……真澄さまは、自分の父親を殺すことを……騎士団に許したってこと?」

「……そうなりますね」


 どきりとした。真澄がそんな風に指示を出すなんて信じられなかった。だが巴愛の価値観ではそうだが、この世界ではそれほど驚くことでもないのかもしれない。つまりその状況としては、貴族たちが権力をふりまく中世ヨーロッパの独裁政治のようなもので、騎士たちはその現状を覆すために革命を起こしたという、巴愛も知る過去の出来事と同じだ。


 真澄と知尋は、新しい世界と虐げられる民たちのため、革命の手助けをしたのだろう――。


「しかし、襲撃は失敗しました。相手は戦の皇です。襲撃は事前に予知され、貴族の私兵たちに待ち伏せされた騎士団は敗走。首謀者の騎士団長は、謀反人として処刑されました」

「……」

「騎士団長は玖暁全土における悪政からの解放の象徴でした。その死は騎士だけでなく、活力を失っていた民衆にも影響を与えたんです。騎士団長の意思を継いだ御堂団長を中心とした騎士団、そして皇都の民衆たち。このふたつが皇城を襲い、前皇陛下は自ら腹を切りました。そして兄皇陛下と弟皇陛下が皇位についた……これが、十年前の軍事クーデターと、それに続く市民革命ですよ」

「十年も前なの?」

「はい。兄皇陛下らは当時十三歳でした」


 十三歳。まだ巴愛には両親と弟がいた。中学生になって、新しい友達と出会って、新しい教科である英語に四苦八苦していたころだ。たった十三歳で真澄と知尋は国の運命を背負うことになったのだ。どれだけ辛い決断で、どれだけ重い責任だろう。


 悪政皇の息子として、最初は期待されていなかった真澄と知尋だが、彼らは敏腕だった。民の心を取り戻すことを第一にし、すぐ民に歓迎されるようになったのだという。紛争中だった青嵐軍を退かせることにも成功し、軍才も示した。


 まだ少年だから傀儡にできる、とたかをくくっていた貴族の廷臣たちは、すぐ手痛いしっぺ返しを食らった。真澄と知尋によって数々の汚職、不正、賄賂を暴かれ、失脚に追い込まれたのだ。廷臣は総入れ替えされ、新しい体制が整った。地方の治安も回復に努め、時には真澄らが自ら足を運び、復興の指揮を執ることもあったという。とても十三歳の少年たちの仕事とは思えないほどハードなことを、彼らはやってのけたのだ。


 真澄たちを傀儡にすることを諦めた貴族たちは、今度は真澄に取り入るか、真澄らを失脚させるか、どちらかの道を選んだ。そのどちらの貴族も、真澄らにとっての「敵」である。


 現在玖暁は、騎士派と貴族派で割れている。騎士派の先導で玖暁が立て直されたのだから、騎士派の優勢は明らかだ。だが騎士団の中にも貴族派の人間はいて、すべての騎士を信用することはできない。だから真澄と知尋の傍には、必ず瑛士か李生が控えているのだ。


 そしてその瑛士が選んだ護衛の昴流。彼は確実に「白」なのだ。


 けれども、昴流は「貴族の侍従をしていた」と言ってはいなかったか。それはどうなのだろう。聞いてみたいのだが、それではまるで巴愛が昴流を疑っているようなものだ。


「……何か、聞きたいことがありそうな顔してますね」

「え?」


 急に言われ、巴愛が昴流を見る。彼はにっこりと微笑んだ。


「奉公人ですから、人の顔色を窺うのは得意なんですよ。……僕が貴族に仕えていた、ということについてですよね?」

「うん……気を悪くさせてしまったら、ごめんね」

「大丈夫ですよ。まあ、身の上を話さないわけにもいきませんからね」


 つまるところ、身の潔白を証明するというわけだ。


「僕が仕えていたのは、皇都の大富豪の家でしてね。兄皇陛下に取り入ろうとする人たちです。そしてクーデターが起こる前までは、国の財政を握って不正行為を繰り返していました」


 少年だった昴流が見抜けるくらいだ、他の者たちもそれに気づいていただろう。だが大貴族に逆らうことは誰にもできず、見て見ぬふりをしていたそうだ。


 侍従家の子供は一人前になるために、他家に修行へ行くのだという。そして昴流が向かったのは、これも皇都の大貴族・神谷(かみや)家だった。その家も昴流が仕える家とさして変わりはなかったが、対応はこの上なく酷かった。毎日地獄のような労働を強いられ、昴流は心身ともに限界に達していたという。


「でも、その神谷家には騎士がいたんですよ。神谷桃偉(とうい)さん……先程お話した、クーデターを主導した前騎士団長です」

「そうだったの……!?」

「はい。桃偉さんは自分の家族がしている不正行為を許さなかったんです。僕は桃偉さんに救われて騎士になりました。あの人の生き様に憧れて……」


 昴流の表情は悲しげだ。そうだ、その神谷桃偉という騎士団長はもう亡くなっているのだ。打倒しようとした皇その人に。


「桃偉さんは僕の師であり、父でした。いま、やっとあの人が望んだ時代が訪れた。今度は桃偉さんが守ろうとした兄皇陛下らを……桃偉さんの遺志を継いだ陛下を、お守りしたいんです」


 成程、と巴愛は納得する。クーデターを起こした前騎士団長は完全な親真澄派だ。その桃偉に恩を感じている昴流も必然的に同じ考えを持ち、真澄に好意的なはずだ。だから「白」……それが昴流が真澄や瑛士の信頼を得た理由だろう。


「兄皇陛下と弟皇陛下の元で、僕が仕えていた貴族も神谷家も失脚しました。それでもなお出世しようとあがく姿は、なんというか見苦しいですよね」


 昴流が苦笑する。巴愛が顔を上げた。


「昴流の家族は……?」

「母は昔病で亡くなりましたが、兄弟は陛下の温情で皇城に勤めています。みな元気ですよ」

「そう……みんな、色んな事情を抱えてるのね」


 巴愛が窓の外に視線を送ると、もうそこに真澄たちの姿はなかった。


「一番辛い事情を抱えているのは、きっと僕なんかじゃなくて天崎部隊長ですよ……」


 昴流がぼそっと呟いた。李生がどのような事情を抱えているのか気になったが、尋ねられる雰囲気ではなく、巴愛は黙り込んだ。





★☆





 翌日、ついに騎士たちは皇都『照日乃』への帰路につくことになった。


 天狼砦から南に、馬の旅で三日。数時間で帰れるのかと思ったら三日もかかると聞き、巴愛が呆然としたのは言うまでもない。しかも馬車などないので、巴愛は昴流の乗る馬に便乗させてもらう形となった。


 人生二回目の乗馬だが、前回は真澄に助けられたときであって、殆ど覚えていない。昴流に支えてもらって何とか鞍にまたがったが、想像以上の高さにおっかなびっくりだ。そう思っていたらいきなり後ろに昴流がひらりと乗ってきたので、またしても驚く。昴流は巴愛を抱きかかえこむような態勢で手綱を持ち、異性がそんな風に接近してきたことがないので、巴愛の心臓は早鐘を打ちっぱなしだ。


 それでも行軍が進むにつれ、巴愛も慣れてきて、周りの景色に目を配る余裕ができてきた。見渡す限りが広大な平原で、とても自然豊かな景色だった。


「良い景色だろう?」


 そう声をかけて馬を寄せてきたのは、騎士団長の御堂瑛士だ。巴愛は迷わずに頷いた。


「はい。こんな綺麗な草原を見たの、初めてです」

「近代化が進む今でも、ここらの自然にはまったく手が付けられていないんだ。伴って野生の獣なんかもよく出る」

「ええっ」


 野生の獣と聞いて声を上げると、瑛士が笑った。


「心配しなくても、巴愛殿の周りは俺の直属の部隊が囲んでいる。万に一つも襲われる心配はないよ」

「あ、有難う御座います……ところでその、あたしのことは巴愛でいいですよ? 殿、なんて呼ばれるの恥ずかしくて……」

「ああ、そいつは失礼した。じゃあ、巴愛と呼ばせてもらうよ」

「はい。……で、瑛士さんは騎士団長なんですよね?」

「一応な」

「騎士団長って、何するんです?」

「全騎士を束ねるのが役目だが」

「……あたしの印象だと、瑛士さんは騎士の仕事しているより、真澄さまの傍にいることのほうが多いような気がして」


 そう言うと、瑛士は瞬きをした後笑った。笑いながらも馬の歩調が乱れないのはさすがだ。


「良く見ているな。うちの騎士団はそれぞれの部隊がほぼ独立していてな、たとえば李生の部隊は、李生本人が戦況を判断して決断を下し、直接指揮をする。俺は奴らに大まかな策を伝えるだけなんだ」

「それって大丈夫なんですか?」

「ああ。部隊長はみんな優秀なんだ。部隊ごとに分かれているから個性が生まれて、それぞれの役割が自然と決まる。俺も直属の部隊があるが、部下の一人に指揮は任せているからな。俺はもっぱら、真澄さまと知尋さまのお目付けだ」


 お目付けに回っている瑛士でも、騎士たちから尊敬されるのは、やはりそれだけ瑛士の実力と人望があるということなのだろう。昴流など一言も話さずに、緊張で硬くなっていることだし。


「だからまあ、俺のことは騎士団長とか思わずに、気軽に話しかけてくれ。なあ、小瀧?」


 瑛士に問われた昴流がびくりとし、ぎこちなく笑みを浮かべる。


「そ、そうですね、団長」

「ふむ……お前はもうただの一騎士じゃなくなったんだから、もっと堂々と構えていればいいだろう」

「いえ、長年の癖はなかなか抜けないということで……」


 やれやれと瑛士は肩をすくめた。


「まあなんでもいいが……もうしばらくで今日の行軍は終わるからな。それまであと少しの辛抱だ」


 瑛士はそう言い、馬の速度を上げて駆け去った。


 息を吐き出した昴流を、巴愛は首を捻って振り返った。


「瑛士さんのこと、怖いの?」

「……団長は今でこそあんなに大らかですが、訓練中は鬼そのものなんですよ」

「そ、そんなふうには見えないなあ……」

「一日のメニューはきついし、ちょっと足を止めようものなら即座に怒鳴られてメニュー追加されるし、もう散々ですよ……」


 相当きついらしい、ということは巴愛にも理解できた。


 夕方に行軍は終わり、街道から外れたところに軍は陣を張った。小学生の時以来のキャンプ、という印象しか巴愛にはなく、始終和やかなものだった。


 が、巴愛を悩ませているのは尻にはしる痛みだ。慣れない乗馬で痛めたようだ。


「僕も騎士になりたての頃はそうなりましたよ。回数を重ねれば慣れますから」


 昴流はそう言って励ましてくれた。


 夜になって、巴愛ひとりのために張ってくれた小さなテントに入るとき、ふと気になった巴愛は昴流を振り返った。


「昴流はどこで寝るの?」

「ちゃんと部隊の仲間たちと一緒に寝ますよ。ご心配なく」

「……そう。じゃあ、また明日」

「はい、おやすみなさい」


 巴愛がテントの中で横になった気配を確認した昴流は、腰帯から刀を抜き取った。そしてそのテントから少し離れたところに置かれた木箱に寄りかかって地面に座り、片膝を立てて刀を抱えた。巴愛に言ったのは彼女を安心させるための嘘で、本当は一晩、ここで巴愛のテントを守りながら夜を明かすつもりだったのだ。


 すっかり野営地は静まり返った。肩に毛布がかけられたことに気付いた昴流は、はっとして閉じていた目を開け、腰を浮かせながら振り返った。真後ろに人が立っても気付けなかった。どうやらうとうとしていたようだ。そこにいたのは李生だった。火の神核で足元を照らしながらここまで来たらしい。


「夜は冷える。風邪を引いては、彼女に見張りをしていたと気付かれるぞ?」


 李生がそう微笑み、昴流は申し訳なさそうに頭を下げた。


「そうでしたね……有難うございます、天崎部隊長」

「それと、見張りというのは寝ずにやるものだぞ」

「すっ、すみません……以後気をつけます」


 李生は頷き、その場を歩み去った。彼は陣内の見回りをしていたのだ。部隊長自らが、というところだが、それが李生の「当然」だった。しかも彼は、直属ではない部下のために毛布を持ってきてくれる。


「……敵わないなあ」


 昴流は思わず、ポツリとつぶやいた。そして毛布を体に巻き付けて目を閉じ、周囲の気配に気を配ることを再開した。

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