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記憶喪失の癒し姫と白金の教育係と紅髪の護衛騎士  作者: おうぎまちこ
第3部 大地の章

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曇り鏡




 エスパシオの街を旅立った日の晩――。


 ティエラは空に浮かぶ月をみていた。




※※※




 記憶を喪ったまま城で過ごしていた頃。


(あの時とは違って、城の外に出てからは、どんどん思い出せることが増えてきている……)


 ソルが気付いたことは、正解だった。

 彼と口づけると、断片的にだが記憶の一部が戻ってくる。

 このことがわかったのは大きな収穫だった。


 とは言え、失われた記憶は、まだたくさんある。

 特に、直近の出来事に関しての思い出が少なかった。

 幼少期の記憶は、確固としつつある。

 そもそも、二~三歳頃までの記憶というのは曖昧だ。だから、取り戻せているとは言い難い気もする。



 優しかった父親のことを、彼女は思い出した。身体の弱い国王だった。

 変わり者だった叔父である大公についても、朧気ながら浮かぶ。

 可愛がってくれた叔母のこともそうだ。



 五つ上のソルと、昔からずっと一緒に過ごしていたことは、よく思い出せている。


 だが、婚約者であるルーナが成人した頃――。

 私が七~八歳ぐらいの時に、彼とは婚約したはず――。

 けれども、どうしてもその辺りから、現在に至るまでの記憶がまばらだった。


 幼い頃から、私はルーナを慕っていた。

 そのはずだが、思い出そうとすると頭が軋む。


(それがどうしてかは分からない)


 婚約者で歳上のルーナの気を引きたくて一生懸命だった。けれども、彼がどうにも掴み所がなかったのは覚えている。

 とても優しいのだが、なんとなく相手にされていないような。

 どう考えても、自分の片想いだったような気がしている。


 何かの祝いの場で、貴族の令嬢から何か言われたことがある。

 その時、とても傷付いたのも覚えている。


 件の令嬢は、ルーナの手により不運な目にあったそうだ。


 祝いの前後で、ルーナに何か心境の変化があったのかもしれない。


 なんとなくその頃から、ルーナが私に優しく、甘やかしてくるようになった気がしている。

 とは言え、それこそ妹のようにだが――。


 さらに数年が経ち、ソルが成人した。

 彼は大人になったこともあり、国境での戦争へと向かった。

 長期間彼と離れることになったのは、私が生まれてから初めてだったはずだ。

 剣の守護者とは言うが、ソルも戦争自体は素人だった。

 当時の私には、もしかしたら、彼ともう会えなくなるかもしれないという考えがよぎったのを覚えている。

 ソルが不在の頃、ルーナがそばにいたらしい。


(だけど、なぜかルーナと一緒に過ごした記憶をまだ思い出せていない……)


 ソルを待っていた間、気が気ではなかった。

 毎日彼の無事だけを祈った。

 振り返れば数ヶ月。

 それだけだったが、それで充分だった。

 ソルが生還した時に、どれだけ喜んだだろうか。

 そして自分にとって、ルーナ以上にソルがどれだけ大事な存在だったのか。

 気づくにはそれだけの期間で良かったのだ。


 それからはまた、頭に靄がかかったかのように覚えている事が少ない。

 婚約者であるルーナがいた。

 けれども、ソルへの気持ちがどんどん大きくなっていたのは間違いないのだが……。


 どうしてだか、ルーナに関しての記憶があやふやだと気づく。

 記憶を失なう前の彼は、記憶を失って以降のように、私に愛を囁いていただろうか。

 それすらも思い出せない。


 それとも――。


 国王暗殺の首謀者であると考えられるルーナ。

 記憶を失ってからは、彼から騙されていただけだったのだろうか。

 御しやすくするためにと、自分を慕っていたように振る舞っていただけなのだろうか。

 二月程度だったが、頼るすべのなかった私の心を支配するには、それこそ十分だった。



 全てが嘘ではないと思いたい。

 でも何が真実かも分からない。

 彼の自分への想いすらも。



 ソルと一緒にいて、彼への気持ちも思い出しているのに。


 月をみると、どうしてもルーナへの想いに揺れてしまう。


 そんな私のことに気付いているとは思うが、ソルは何も言ってはこない。


 それが胸を、より苦しくさせる。


「ルーナ……」


 月は雲に隠れ、彼女に答えを教えてはくれなかった。




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