第75話 エスパシオの街
ティエラの目が覚めた頃には、身体がまた動くようになっていた。
そうして、ソルと二人で地下水道を後にすることになったのだった――。
外に出ると森が拡がっており、木々の隙間からウルブの都の城壁がのぞいている。城壁は、登る太陽とは反対側の西側にあった。
野営をしていたグレーテルとアルクダの二人と合流し、再び四人になった一行は、森の中の小道を抜け、エスパシオの街を目指す。
本来なら街道から南へ向かった方が近い。
だが、宰相ノワ・セレーネらの手が回っている恐れがあった。
そのため、森を抜けることにしたのである。
道中――。
猪や狼、蛇といった動物や、それらに類似した魔物などをソルが凪ぎ払っていく。
彼が剣を振るうたびに、紅い髪がまるで揺れる炎のように見えた。
グレーテルは、短刀を投げて闘うのだが――。
なぜか、その刃が時折ソルを掠める。
「おい! グレーテル、俺に当たるだろ、気を付けろ!」
「ソル様の反応が鈍いんじゃないですか〜?」
二人とも軽口を叩きながら闘うだけの余裕があった。
(ソルはともかく、グレーテルはメイドなのになんで闘えるのかしら? 王女――姫付きのメイドだから、護衛ができる人が選ばれているってこと……? 全然覚えていないわね……)
ちなみに糸目の男アルクダは、とにかく逃げ回り、魔物が落とす金貨などを拾ってまわるのが常である。
そして、ティエラはと言うと――。
彼女の身に付けているペンダントが、淡い光を放つ。
彼女の亜麻色の髪がふわりと揺れた。
光と共に風が巻き上がったかと思うと、ソルの腕に着いていた傷が瞬く間に消えていく。
「ありがとうな」
ソルがティエラに笑顔を向けた。
彼女も微笑み返す。
「ソル様、良かったですね、愛しの姫様に怪我をなおしてもらえて〜〜グレーテルも、見てたらニヤニヤしちゃいます〜〜」
「はぁ……ったく、だいたい俺に出来た傷はお前の短刀が原因だろうが……」
しかし、ソルに言われたグレーテル本人は気にしていない様子だった。
グレーテルは、ティエラに向かって満面の笑みを浮かべてくる。
「少しだけ、姫様が癒しの魔法を思い出されて良かったです~~」
そう――。
今朝目覚めた時に、ティエラは記憶をまたいくらか取り戻していた。
(つまり……)
記憶を取り戻すきっかけに関して、ソルの読みが当たったということだ。
(まさか、ソルとの口づけで記憶が戻るなんて……!)
――昨晩の地下室での出来事を思い出して、ティエラは恥ずかしくなってくる。
一方、ソルは平然とした様子だ。
(自分だけがはしゃいでいるようで、なんだか不公平だわ……)
ティエラが記憶を喪う以前にも、自分達は日常的に口づけ合っていたのかもしれない。
(というよりも、日常的に口づけたりしてたってことよね……)
そう考えると、目の前にいるソルを直視出来ないのだった。
※※※
一行が到着した頃には夜も更けていた。
ウルブの都からエスパシオの街まで、丸々一日をかけて到着したことになる。
街の門番として立っていた騎士に偽の通行証を見せたところ、なんなく通る事が出来た。
顔が割れている恐れがあったので緊張していたが、夜闇がうまいこと四人の素性を隠してくれたようだ。
ちなみに偽の通行証は、アルクダが昨晩作ってくれていたものだった。
「文書偽造とか鍵穴を解除したりとか、僕は得意なんですよね~~」
アルクダの物騒な発言に、ティエラはどう対応して良いものか戸惑ってしまう。
「す、すごいですね、アルクダさん」
ティエラはアルクダに声をかけたが、なぜだかソルが返答した。
「あんた、アルクダを無理に誉めなくて良いぞ」
「え? どうして?」
アルクダがこっそり、ティエラに話しかける。
「ソル様は意外と焼きもちを妬くので、あんまり僕のことを誉めないで下さいよ……仕事増やされたくないんですよ……僕は……」
ティエラとアルクダが二人で話していると、ソルから声が掛かる。
「聞こえてるぞ。行くぞ」
アルクダの声量はかなり小さかったはずだが、ソルには聞こえていたようだ。
ソルはやや不機嫌そうだった。
(アルクダさんの言う通り、私がアルクダさんと話してるのを見て、ソルは焼きもちを妬いたの?)
その真相は、ティエラには分からなかった。
※※※
フロースが教えてくれたモニカという女性に会うために、ティエラ達は教会を目指している。
(モニカさんはどんな女性かしら――? フロース叔母様と同年代なら三十代から四十代かしら?)
モニカの特徴についてまでは、フロースは教えてはくれなかった。
(以前、グレーテル達がエスパシオの街を回ったことがあるそうね……)
街の奥にある教会まで、グレーテルがティエラ達を案内してくれたのだった。
※※※
教会は夜更けであっても様々な人を受け入れてくれる。
そのため、その門戸は深夜であっても開いていたのだった。
巨大な扉を、四人は押した。
軋む音を立てて、扉が開く。
「――いらっしゃいませ」
奥から若い修道女が現れた。
(みたところ、二十代前半……若い修道女のようね)
彼女は修道女らしく黒いベールを被っている。そうして、小動物を思わせる丸い榛色の瞳をしていた。
ティエラは、その若い修道女に声をかける。
「夜分遅くに申し訳ございません。こちらにモニカさんという女性はいらっしゃいませんか?」
「モニカ……ですか?」
若い修道女は、ティエラに問い返す。
「はい、そうです」
ティエラが首を縦に振った。
それを見て、修道女の小さな唇が開く。
「フロース様からうかがっております」
ティエラの黄金色の瞳を、若い修道女は榛色の瞳でじっと見つめてくる。
そして、彼女はこう答えた。
「私がモニカ。この修道女を管理している者です。どうぞ中へお入りください。姫様――そして剣の守護者様とそのお連れの皆様」
そう言って、若い修道女――モニカは、四人に向かって微笑みかけたのだった。




