第64話 癒しの力
肉をつんざく音が部屋の中に響いた――。
同時に、部屋の窓が割れる音も響きわたる。
遠くで男の呻き声がした。
覚悟を決めて目を瞑っていたティエラだったが、痛みはいつまでも襲っては来なかった。
恐る恐る目を開けると、そこには――。
「ソル!」
――ティエラの身体を覆うようにして、ソルの姿があった。
彼女を庇った彼の左肩に、ナイフが突き刺さっている。
苦痛に耐えるような表情をソルは浮かべていた。
(どうしたら良いの……?)
ティエラは混乱する。
「ソル! 大丈夫か?!」
女騎士アリスの叫びが、遠くから聞こえてきた。
割れた窓の下には、短刀が刺さった男が倒れている。ティエラにナイフを投げた彼は、みっともなく痛みで声をあげていた。
割れた窓が、よりいっそう大きな音を立てる。
何者かが侵入し、ガラスを踏み砕く音が鳴り響いた。
窓から入ってきた人物を一瞥し、ソルは叫ぶ。
「――グレーテル! 殺すな!」
そこにいたのはメイド服を着た一人の少女だった。
短刀の刺さった男の首筋へと、グレーテルと呼ばれた彼女は、新たな短刀を立ているところだった。
グレーテルはソルに言われ、ぴたりと動きを止める。
さらに彼女とは別に、男が窓から這い上がってきた。
(糸目の男、確か――アルクダと呼ばれていた人……)
「はあ、グレーテルさん……勢いよく木から窓に飛び移ったので慌てましたよ……」
ぜえぜえと肩で息をしながら、アルクダは倒れているソルの方を見やる。
「やっとソル様に会えたと思ったら、なんか肩にナイフとか刺さっちゃってますし――」
「アルクダ……いいから、どうにかしろ」
ソルはなんとかといった様子で、アルクダに訴えた。
アルクダと呼ばれた青年が、困ったように返す。
「僕、癒しの魔法は出来ないんですけど……」
そこに――。
「――私が応急処置に当たろう」
アリスが率先して声をかけ、ソルに近づいた。
「包帯の代わりになるよう、清潔なリネンを割いてくれ」
アリスはアルクダに指示を出す。
彼女はグレーテルに声をかけ、座ったままのソルの衣服を一緒に脱がせた。準備が整った後、ソルに刺さる短刀を一気に引き抜き、急いで割いた布を傷口に当てる。
(アリスさん、応急処置には手慣れているみたい……騎士達が怪我をする事が多いから……)
ティエラは、何も出来ない自分を歯がゆく思った。
ペンダントについている鏡の神器を、彼女はぎゅっと握る。
(私には、元は癒しの力があったというけれど……)
だが今のティエラは中途半端にしか記憶を取り戻せていないため、力を行使することが出来ない。
「――毒だ」
アリスの口から不穏な単語が出てきた。
ソルの肩先を見ると、ナイフが刺さっていた部位が赤黒くなっている。
「誰か! 癒しの魔術を使えるものか、医者を!」
「僕が呼んできます!」
アルクダが部屋から走り去る。
苦しそうな呼吸をするソルを見て、ティエラは涙が込み上げてきた。
(私が、ソルの名前を呼ばなければ――)
「姫様」
近くに来ていたグレーテルが、ティエラを呼ぶ。グレーテルはティエラのそばに寄り添った。
グレーテルに視線を送りつつ、ティエラはペンダントを先程よりも強く握った。
(自分に力が本当にあったとするのなら、今ここで力を使いたい――)
ティエラはソルを見つめた――。
(ソルがいなくなるかもしれない――)
悔しさと恐怖で、ティエラは胸が苦しくなる。
彼女の黄金の瞳から涙が零れ落ち、鏡の神器を濡らした。
すると――。
――鏡の神器が淡く光りはじめる。
グレーテルがはっとする。
アリスも光に気付いた。
神器から光が溢れだし、どんどんその強さを増していく――。
ソルは、ぼんやりとその光を眺めていた。
光はティエラとソルを包み込む。
――しばらくすると、光は消失した。
ソルの肌から赤黒い部分がなくなっている。まるで何もなかったかのように、彼の傷口も消えてしまっていた。
(力が、戻ったの――?)
「ティエラ、ありがとな」
ソルに声を掛けられたティエラの瞳からは、また涙が溢れ出す。
アリスが感嘆の声をあげる。
「今のが、姫様の癒しの力……強い光だった」
グレーテルも嬉しそうに、ティエラに声をかけた。
「姫様! 力を取り戻したのですね! グレーテル感動です~~」
自分自身でも突然力が使えたことに、ティエラは驚く。
「ソル様!」
開いた扉から、医者を連れてきたアルクダとフロースが現れた。
ティエラとソルをみて、フロースが尋ねる。
「こやつらは、お前達の知り合いかえ?」
「おばさま……実は山で襲われて……」
「そうか……」
フロースは何か考えているようだった。
彼女はしばらく目をつむった後、瞼を持ち上げ、ティエラに声をかける。
「お主たちと話をしたい」
そして、ティエラとソルに向かい、彼女は告げた。
「――話が終わり次第、お前たちにはこの城から出ていってもらう」
(城から――?)
フロースにそう言われたティエラは、叔母の真意が分からずに困惑したのだった。




