第40話 シルワ・オルビス・クラシオン
7/11文章の見直しをしました。
「私は、シルワ・オルビス・クラシオンよ」
ティエラの姿を借りてそう言う女性について、ソルは伝聞だけではあるが、心当たりがあった。
宿屋の主が『騎士と貴族の令嬢が駆け落ちし、その親族が暴れまわって宿を破壊した』と言っていた話だ。
(宿屋の主が愚痴を零していた時から、その騎士と令嬢については見当がついていた)
なぜならば、それは剣の一族も関係する話だったからだ。
「貴女が、シルワ姫か……」
何も身につけずに川に浸かる彼女から、ソルは少しだけ距離を置いた。
彼自身もずぶ濡れになっていて、紅い髪からは水滴が落ちている。
(騎士と令嬢の駆け落ちという話だが、それは名目上であり、実際には剣の一族の騎士団副団長と、鏡の一族の王女にまつわる話だ……)
その鏡の一族の王女というのが、『シルワ・オルビス・クラシオン』と言う名だった。
ちなみに、騎士団副団長はソルの叔父であるヘリオス・ソラーレのことを指す。
王女シルワは国王の妹御であり、ティエラにとっては叔母に当たる人物だ。
彼等が国の反対を押し切って出て行ったことは、国民には知らされていない。
(醜聞を隠すために、騎士と令嬢として村人たちには話をしたんだろうな――)
二十年近く前の話だったはずだ――。
彼等はこのニンブス山まで逃げたが、結局は王国に追いつかれてしまった。シルワ姫は山の麓のモル川に飛び込んで亡くなったという話だった。
そして、自害に失敗し捕えられたソルの叔父に当たる人物は――。
「あなた、本当にヘリオスにそっくりね……まるで彼を見ているみたい……」
シルワは、嬉しそうに微笑んでいる。
ヘリオスとソルは、叔父と甥という間柄だから、似ていてもおかしくはない。
(どのぐらい似ているのかは、俺も見たことがないから分からないが……)
「この体の娘も、私とよく似ているわ、年の頃も背格好も同じぐらい……だから、あなた達はこんな辺鄙な場所にいるのね……」
しみじみとシルワは話す。
(だから? 俺達はモル川にいる――? どういう意味だ?)
ソルは気になったが、問いかけることはしなかった。
「貴女が憑いているそいつは、国王の一人娘です」
「国王? 私が死んでから、時間はどのぐらい経ったのかしら?」
「二十年程度です。国王は、まあ一応、シルワ様の兄君のことですよ」
「まあ、お兄様! ちゃんと子供が生まれたのね……お身体が子どもの頃からあまり強いお方ではなかったから、心配してたのよ」
シルワは懐かしそうに話す。たが、ふと眉をひそめ、ソルに質問を投げかけた。
「ねえ、あなた、ヘリオスがどうなったのか知らないかしら? 一緒になって川に飛び込んだのだけど、いつになっても迎えにいらしてくれないから……」
(それもそうだろうな……)
ヘリオスは捕えられた後、王女誘拐の罪に問われ、内密に処刑された。
政に関して、同じ公爵家であるにも関わらず、玉の一族の発言権の方が大きくなってしまうきっかけとなった。
さらに、ただでさえ男子が少なかった剣の一族の、貴重な男性の数が減ってしまった。
ソルの父親も、娘には恵まれたが、息子はソルの一人しか持つことができなかった。
現在、剣の一族の男子は、ソルの父親とソルの二人だけになってしまっている。
そのため、男系一世である剣の一族の跡継ぎは、必然的にソルになる。
剣の一族の血を絶やさぬように、彼に男児を持つようにと、周囲からの圧力が強い状態になってしまった。
このような事態になってしまったからこそ、ヘリオスとシルワの一件は、剣の一族にとっては屈辱的な出来事として伝わっている。
「私、ヘリオスのこと、ずっと待っておりますのに……」
切なげに話すシルワからは、可憐な印象を受けた。
(身体はティエラと同じだが、印象が全然違うな……)
ソルは彼女に対し、真実を話すべきかどうか逡巡した。
彼が悩んでいると、シルワがソルに質問した。
「ねえ、貴方たちも、この娘の成人の日が近づいてきたから逃げてきたのでしょう?」
自分たちと同じに違いない、といった様子で、シルワはソルに視線を向けた。
「これは運命ね」
シルワ姫は勝手に盛り上がっている。
(なんで、ティエラの成人の日に関する話が出てきた?)
成人の日と駆け落ちとの関連が、ソルには思いつかなかった。
彼は、シルワの話に慎重に耳を傾けることにしたかった。
(だが、シルワ姫がティエラに憑依している時間が長すぎる。ただでさえ、昨日熱を出していたのに、まだ水の中だ……。今はあまり、こいつに無理はさせたくない……)
「すまないが、シルワ姫……ティエラの体から、一旦出てはもらえないでしょうか?」
「ええ、良いわよ。また、明日、同じ時間にいらしてくれるかしら?」
シルワは抵抗するかと思ったが、案外すんなりと身体を譲ってくれることになった。
「分かった」
彼が頷いたのを確認すると、彼女の気配はティエラから消えた――。
そのまま、彼女が川に沈みそうなのをソルは支える。
「ティエラ、大丈夫か――?」
彼女からの返答はなかった。
裸のままのティエラを抱きかかえて、ソルは岸へと上がることにした。




